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居眠りの後のイデオロギー

作者: 式織 檻

 いつの間にか眠っていたみたいだ。肩が痛い。

 上体を起こし、目をこすった。

 周りの景色は、大学の講堂だ。古びた机が並んでいる。薄暗い。そして静かだ。

 ここは大学の敷地の西の端にある旧館で、人通りも少ない。講義でもなければ、それこそ、こんな所に用のある学生も教授もいないのである(当然、この建物に研究室は入っていない)。

 伸びをしながら、欠伸を一つした。

 壁掛け時計によると、現在時刻は四時だった。昼過ぎの講義を受け、一応最後まで講師の話は聞いていたが、終了後にたまらず一眠りしてしまったのだ。そしてそのまま一時間以上、机に突っ伏したまま寝入ってしまったというわけだ。

 電気も消されているし、この部屋には僕一人だけが取り残されたんだろうと思ったが――目の前に一人、女の子がいた。

 ウェーブのかかった髪を肩の上まで伸ばし、眉も目元もややつり気味。一見気難しそうな印象を受ける顔だが、ダボダボのベージュの上着には、ややおっとりした印象を与えられる。

 そんな人が三列ほど前の席に後ろ向きに座り、机の上に乗せた腕の上にあごを乗せ、ニコニコと僕の顔を覗き込んでいる。今の今まで気づけなかったが、この娘は恐らく、意識的に自身の存在を消せる人なんだろう。そういう人はたまにいる。

 見たことのない顔だったが、名前は何となくわかる――古林綾子ふるばやしあやことか、そんな名前だろう。勘は勘だが、僕はこの手の予想を外したことはない。


「おはよう」


 と、古林さんはまるで愛猫が甘えてきたのを眺めているような、実に嬉しそうな顔で言ってきた。そしてククク、と笑いをこらえるようにしながら、


「何と言うか、生きるってことは、死なないってことだよね?」

「まあ、そりゃそうですよね」


 僕は気の無いように答える。当たり前の質問には、当たり前の回答を述べるのがマナーだ。


「じゃあ、生きたいと思うことは、死にたくないと思うこと?」

「それは違いますね」


 僕は欠伸をかみ殺した。当たり前ではない質問には、しょうがない、誠心誠意答えるしかない。


「もちろん、同じであることもありますが、違うことの方が多い気がします」

「どれくらい?」

「十五分割するとしたら、四対十一くらい」

「……十五分割?」

「僕の趣味です」


 まあ趣味は自由だし、十三分割よりはマシだろう、と古林さんは笑った。半分馬鹿にされているような気がしたが、まあいい。半分は理解を示してくれたということだ。あるいは、譲歩してくれたということだ。

 僕はこほんと咳払いをする。


「生きたいという意思は、自分が自分であるうちに成したいことがあって、生まれるものだと思います。逆に死にたくないという意思は、付与される苦痛から逃れたいがために生まれることが多いと思います」

「どちらの意思の方が強いものかな?」

「ケースバイケースですね」

「じゃあ、どちらの意思の方が正しいかな?」

「間違いなく後者ですね」


 古林さんは「お」と、少し驚いた顔になった。そしてすぐ、楽しそうな表情になり、


「それは意外だねえ。私たちは生物である以上、自分の生き方をどうするか模索するものでしょう。どんなに防いだって、逃避したって、いつかは皆居なくなるわけだし。だったら、どんな生き方をすれば自分が幸せになれるか、一生懸命考えながら生きることが健全だとは思わない? 逆に、どんなに考えても自分が幸せになれる未来を思い描けなかったら、それは生きていないことと同義じゃない?」

「それが正しいことも稀にあることは認めますが――」


 と前置きをしつつ、僕は言葉を続ける。


「――ですが、生物である以上、苦痛を回避するために心血を注ぐ方が自然です。幸せとか天命なんてものは、何かの拍子に天から降ってくるかもしれないし、降ってこないかもしれない。そんな不確定なものに頼る方こそ、人生の無駄じゃないかと思います」

「何だか、経験があるような口ぶりだね」


 と古林さんは笑った――正確に言えば僕の妹の経験談だが、まあ、僕の経験談と言っても差し支えはないだろう。妹は僕であり、僕は妹なのだ。


「じゃあ、話を戻すけれど、今晩時間はある?」

「あったら、なんです?」

「いや、夕飯でもどうかな、と思って」

「あいにく、これから用事があるんです」

「用事ってどんな?」

「……言わなきゃなんないんですか?」


 僕は渋面を作る。

 いや、別に言ってもいいのだが、どうしてそれを聞いてくるのかが解せない――ただまあ、何となくの予測は立つ。恐らく古林さんは、僕をサークルに勧誘しにきたのだ。

 大学というところには、何十というサークルが存在する。しかし入ることを義務付けられてはいないし、学生の数は年々減ってきている。するとどうしたって、人数不足の団体が出てくる。

 空いた時間ができた場合、大概の人はそのサークルの部室に行くか、カフェテラスで気の合う仲間と談笑するか、あるいはバイトに精を出すものだ。それなのに、誰もいない講堂で一人寝こけている男がいたら、そりゃまあ、行くところがないんだと思われてもしょうがない(事実だし)。

 だったら丁度いいということで、古林さんは僕に声をかけてきたのだろう。

 しかし、僕が現在サークルに入っていないのは、入学後数か月でサークル活動が面倒になったからであって、今更何かに所属する気はない。

 僕は足元に置いていたカバンを拾い上げた。


「……恐らく、言っても言わなくてもその後の話に影響はないはずなので、言わないことにしておきます」

「なーにを偉そうに」


 いつの間にか僕の真ん前に移動してきていた古林さんは、僕の顔ににゅっと手を伸ばしてきた。

 そして額にデコピンをかましてくる。

 ――ぺちん

 しかし、痛みはない。

 それもまあ当然だ。


 ――私は現在、古林綾子(・・・・)なのだから。

 

 赤くなったデコをさする目の前の男――間中まなか君――は、口を尖らせて、


「何するんですか……。暴力ですよ」

「それは君がSだった場合の話で、私は君がどちらかというとMであることを知っている以上、これは暴力の範疇には含まれないよ」

「暴力の次は暴言ですか……」


 間中君はむすっとした顔をする。童顔な上に子供のような表情をされて、母性本能をくすぐられる。にやけてしまうのを我慢しながら、私はその表情を眺めた。


 ――しかし()ながら、古林綾子という女の内面には驚く。驚かされる。


 私が間中君に話しかけた理由というのは、別にサークル勧誘のためというわけではなく(所属している手芸研究部が部員不足で、存続の危機であるのは事実だが)、単に夕飯をおごらせたかっただけなのである。

 財布には千円札一枚しかないのに、バイト代が入るのは三日後。それを食いつなぐために、私は講堂で一人寝ている暇そうな男に絡んだというわけだ。

 どころか、私の中には、そのままこの男の部屋に押しかけ、シャワーとベッドを借りようという魂胆まであった。我ながら実に図々しいが、古林綾子として生きている以上しょうがない。

 さっきまでの会話の流れだと、このまま断られそうだったが――しかし今の私は、間中君のこれからの予定の詳細を知っている。

 単に、五時から上映される映画を(一人で)観に行くというだけなのだ。

 それがわかっていれば、なんてことはない。その時間を外し、後でおち会えばいいのだ。


「……そうだね、私もこれからちょっと買い物でもしようと思ってたし、その後、夕飯でも食べようよ。八時に××駅前に集合でどう?」

「八時ですか? ……それなら、まあ」

「決まりだね」


 私はぴょんと飛び上がって通路に降り立った。そして出入り口まですたすたと歩いていく。


「遅れちゃダメだよ~」


 肩越しに手を振りながら言うと、間中君は「はい」と小さく答える。

 ××駅には東口と西口があるが、間中君は100パーセント西口に来る。それがわかっていれば、これ以上話を詰める必要はない。

 私は横開きの木製のドアを勢い良く開けた。

 そして薄暗い廊下に一歩踏み出した――が、急に人影が目の前を横切った。

 まるで金属のように煌く黒い長髪と、惚れ惚れとするほどナチュラルで隙のないメイク。何かのドラマで見たことがあるような顔だった。

 しかし、そんなことを思うのもつかの間、踏み出した勢いを殺せなかった私は、そのままその人にぶつかってしまった。

 ――ぼすん

 廊下に尻もちをつく。

 腰をさすったが、古い講堂のわりに掃除はちゃんとされているようで、埃は着いていなかった。


「ご、ごめんなさい!」


 と目の前の――古林さん(・・・・)が慌てたように謝ってきた。


「廊下暗くて気づけなくて――け、ケガはない?」

「ああ、大丈夫。……その、こちらこそごめんなさい。ぼーっとしていて」


 古林さんに手を取られ、私は立ち上がった。古林さんは、私のひざ元を(汚れていないのに)ぱんぱんと払ってくれた。

 お互い苦笑で見つめ合っていると、ふいに、


「……そのバッグ、かわいいね」


 と、古林さんが、私の肩掛けカバンをまじまじと見ながら言ってきた。私も小脇の自分のカバンを見やる。大きめのわりにスリムな形で、丸っこい持ち手が可愛らしい、私もお気に入りのやつだ。

 私は笑顔を返し、


「ふふ、ありがとう。私も気に入っているの――ただ、貰い物で、どこで売ってるのかとか、知らないの」

「へー」


 と、古林さんは物欲しそうな顔で見てくる――彼女の性格からするに、同じとはいかないまでも、似たようなのがないか今度探してみようと思っているところだろう。たとえ見つからなくとも、それを探すこと自体面白いだろうし。だったら、これ以上情報を与える必要はない。


「……えっと、悪いんだけど、もう行くね。ちょっと急いでいて」

「あ、うん。それじゃあ」


 古林さんは手を振ってくれた。

 私はそれに応えつつ、足早にその場を離れる――離れながら、古林さんの笑顔や物欲しそうな顔を思い出す。

 百人が百人恋に落ちるほどの美人ではないが(失礼か?)しかし見るものを引き付けて離さない顔立ちだ。力強い目元と、それに相反するように柔和にほほ笑む口元。たとえ何十人の女の子がいたところで、「その他の一人」という枠では収まらない。至極印象的な女の子だ。

 私はドラマ撮影の現場で数多の美人やアイドルを見てきたが、彼女はその人たちに負けていない。どころか、プロのメイクさんの腕にかかれば、彼女たちを凌駕するかもしれない。本人に自覚はないが、結構な逸材だ。そんな人が大学の一般学生の中に紛れているのかと思うと驚かされる。今の私と立場を交換すれば、一躍時代の寵児になれるかも知れない人だ。


 それに比べて私は……と、どうしても自分を卑下してしまう。


 小さい頃から女優を目指し、演劇部に入り、養成所に入り、オーディションを受けまくり、十代から一応プロとしてやれている。しかし――殊この一年が顕著だが――演技をやって幸せと思えたことがほとんどない。

 楽しくない。

 面白くない。

 先ほどの話ではないが、どうやら幸せと天命というのは別物なのだ。……少し考えればわかることだが。

 まだ二十歳もそこそこなのに、私はいつの間にか、自分の未来に期待できなくなっている。明日の自分に期待できていない。夢を見れない。明日も生きていたいと思えない。

 かといって、死にたいわけでもないし……。

『生きたくない』

『死にたくない』

 私は一体何なんだろう?

 どうせなら、これらの中庸に位置する言葉が欲しい。


 私は講堂を出た。


 まだ青い空を、スズメが優雅に飛んでいく。

 日が眩しい。

 頬を撫でる風が心地いい。

 花の香りが鼻孔をくすぐる。

 ずっとこのまま、この場所に存在たいと思った――

 


 ――私が生きている以上、そんな選択肢がないのが殊更口惜しかった。

幻想小説のようなつもりで自由に書きました。

閑話休題。

こういったものは書いていて楽しいです。

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