アイドル攻略同盟
午後1時。昼食をコンビニ弁当で済ませた松井博人は、スマホを片手に持ち街中を歩いていた。彼は端末に表示された地図を凝視して、顔を上げて周囲を見渡した
彼の目的地は、底辺アイドルの倉永詩織のいる劇場。手がかりは予選の段階で受信した、劇場の住所が記されたメールのみ。
そうやって彼は、小さな劇場を見つけた。住宅街から少し離れた位置にある二階建ての長方形の建物の看板には『ヤマサキ劇場』と書かれている。劇場の玄関の前には、観客に向けた掲示板が設置されている。
『お知らせ。劇場内のグッズを購入して、公演終了後の握手会に参加しよう』
飛び込んできた文字を読み、松井の顔から喜びが零れた。掲示板に記されたキャンペーン内容によると、握手会開催期間と第一回イベントゲームの期間が一致していることが分かる。つまり、ここにイベントゲーム攻略の鍵があると松井は思った。
静かな劇場のドアを松井は開ける。劇場の一階奥にはアイドルグッズが取り扱われているショップがあり、左端にはチケットを購入する受付。中央には赤色の重たそうなドアがある。
インターネットには詳細な情報が載っていなかったため、松井は最初に受付に顔を出した。チケットの代金を確認するために。
「いらっしゃいませ」
受付に近づく男に、受付の女は当然のように挨拶した。受付スペースは対面式のカウンターのようになっていて、料金表も設置してある。そこに書かれた料金表を見ながら、松井は唸った。
チケット代金は良心的な1000円。一方でお小遣いは1か月で1万円。単純計算で1か月の内10回しか劇場に通えないということになる。さらに、握手会に参加するためにはグッズを買わないといけない。即ち劇場に通うことができる回数は、必然的に10回以下になる。
「すみませんが、前売り券というシステムは無い……」
顔を上げ受付の女の名札を見た松井博人は、驚愕を露わにする。前髪軽くウェーブさせた肩までの高さの茶髪ロングの髪型。白色のカッターシャツの胸ポケットに付けられた名札には『倉永詩織』と書かれている。
目の前にいる少女こそが、少年の命を握るメインヒロイン、倉永詩織だった。
こんなに早く彼女と接触できるとは。この出来事は松井にとって想定外なことだった。一方でチケット販売員として目の前に現れた倉永詩織は困惑した後で、自然に客に対して質問に答える。
「えっと。前売り券はないのかという質問ですね? 残念ながら前売り券は取り扱っていません」
最初に彼女と交わした会話がこれでいいのかという思いが頭を横切る中で、松井は首を縦に振った。
「分かりました。それでは学生料金でチケットを買います」
そう言い彼は学生証を受付の女に見せる。それを手に取った倉永詩織は、物珍しそうな表情を見せる。
「悠久高校二年の松井博人君。私と同い年か。高校に通えて羨ましい」
学生証に貼られた写真と本人の顔を照らし合わせながら、彼女は呟く。その後で松井は少女に問う。
「倉永さんは高校に通っていないのですか?」
「うん。中学卒業してから、この劇場を経営する芸能事務所に入ったので。でも、一度もステージには立ったことがないけどね」
この彼女の発言を聞いた瞬間、彼は間違いに気が付く。彼女が出ないステージを観ても金の無駄ではないのか? そう思った彼は思い切り首を横に振る。
「ごめんなさい。やっぱりチケットはキャンセルします」
「そうですか? 今日のステージではナンバーワンアイドルの佐倉千夏が出るのに」
倉永詩織は残念そうな顔を見せた後で、学生証を彼に返す。そして詩織は頭を下げ、少年はグッズ販売コーナーに移動した。
松井博人は、グッズを取り扱う店に並ぶ商品を一つずつ見ていく。だが、そこには倉永詩織のグッズは殆ど残っていなかった。知名度の低いアイドルの在庫は少ないことは、常識。
店内を三周して、見つけたのは2枚のブロマイドだけ。握手会の参加条件は、グッズを1000円以上購入することで、ブロマイドの値段は税込み500円。これを買えば握手会に参加できると思い、松井は手を伸ばす。反対側からもう一人の手が伸びているとは知らずに。
一瞬誰かの手と自分の手が重なり、松井は咄嗟にブロマイドから手を離した。
「どうも」
同じブロマイドを買おうとしている男が、松井に声を掛けてきて、彼はその男の顔を見る。
太った体型に黒縁眼鏡。ステレオタイプなオタクのような風貌の男は、倉永詩織のブロマイドを一枚だけ手にしている。
「桐谷凛太朗」
何の前振りもなく男の名前を呼ぶ松井に対し、桐谷はニヤっと笑った。
「初めまして。桐谷凛太朗です。ごめんなさいね。中々倉崎さんのグッズが見つからなくて、業を煮やして別のグッズを買ってしまいました。もちろんここで会ったら百年目ってことで買いますけど」
突然のライバルの登場に、松井は息を飲む。この男よりも早くメインヒロインを攻略しなければ、自分の命が危うい。そう思っていた松井だったが、桐谷は意外にも右手を差し出した。
「松井君。一週間は協力しますが、それ以降は負けませんから」
「何のことです?」
「知らないのですか? 劇場のシステム。あそこに貼ってあるポスターを見れば分かりますよ。僕の真意が」
桐谷凛太朗が指さす先に貼ってあるポスターを見た松井は、やっとライバルの目的が理解できた。
『グッズの売り上げやファンの人数を考慮して、劇場の出演者を決めます』
そういうキャッチコピーのポスターを見せられた松井は、首を縦に動かす。
「言いたいことは分かりました。でも、グッズの売り上げって言っても、倉永さんの奴はブロマイドくらいしかないから不利では?」
「最初からグッズの売り上げを上げようとは考えていません。要するにファンの人数を増やせばいいだけの話です。この続きは、握手会の参加券を獲得してからにしましょう」
「だから、ブロマイドは二枚しかない……」
「馬鹿ですね。倉崎絡みのグッズ縛りじゃないんですよ。試しに適当にグッズを買ったら、握手会の参加券を入手できました」
桐谷凛太朗はそう言いながら松井に握手会の参加券を見せた。正方形の紙には、バーコードと長方形の空欄がある。
「裏切らないでくださいね」
松井は桐谷の言動を疑いつつ、ブロマイドとノートを一冊持ち、レジに向かう。そうしてグッズを購入した松井は、桐谷が言うように、握手券を入手できた。
「確かに嘘は吐いていないようですね」
ショップの前に立つ桐谷に近づきながら、松井は彼に声をかける。すると桐谷は首を縦に動かした。
「当たり前でしょう。使えるものは使うがモットーですから。ネット情報だと、劇場公演の終了時刻は午後7時頃らしい。その頃を目指して、劇場に戻ればいい」
「午後7時終了の公演って、早過ぎませんか?」
「この劇場に所属するアイドルの大半は未成年なんでしょう。労働基準法か何かで、決まっていると聞いたことがあります。握手会やら別の仕事での時間を合わせたら、午後10時を回ってもおかしくない」
その瞬間、桐谷凛太朗は違和感を覚えた。ここは仮想空間のはずなのに、妙にリアル過ぎる。しかし、彼は違和感を無視して、命を賭けたゲームを突き進む。




