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むかしむかし、あるところに

Twitterでお題投票企画作品

お題:異世界、ダンジョン、恋愛、ものぐさ男子、愛されるよりも愛したいヒロイン


 むかしむかし、あるところに、視界を白く染め上げる雪以上に綺麗なものがあると知らない、幼い女の子がいました。


 女の子は雪で覆われたなだらかな丘を転がり降りるのが、何よりも大好きです。母や兄姉の叱責も聞かずに、女の子は白銀の世界を我がもの顔で駆け回っておりました。

 そんな調子ですから――当然のように、女の子は皆と逸れてしまいました。


 茜色に染まった雪道をとりあえず進むと、女の子は洞窟を見つけました。そこは、母に口酸っぱく「近づいてはいけない」と言われていたダンジョンと呼ばれる洞穴だったのですが……すっかりと忘れていた女の子は、暖を求めて一目散に洞窟へと駆け込みました。


 ぴちょん、ぴちょん。天井から滴り落ちる水の、薄気味悪いこと。

 洞窟は鬱屈とし、不気味さを漂わせています。心細さから洞窟を出ようとしましたが、すぐに足を引っ込めました。雪はとても冷たいのです。それに、とっても寒い。女の子は、もう戻れる気がしませんでした。


 勇気を出して、女の子は洞窟を進みます。その内に、洞窟の中は明るくなっていきました。壁に生えた不思議なきのこが青白く光っているのです。


「綺麗……雪よりずっと」

 女の子は持ち前の無鉄砲さで、心細さを蹴飛ばしました。


「奥に行ったら何があるんだろ!」


 幼い女の子は知りませんでした。昔の人の言葉に、「好奇心は猫をも殺す」というものがあることを。


 けれど大変です。明るい足取りで洞窟の探検に乗り出した女の子を待っていたのは、獰猛な唸り声でした。女の子は、小さな足でぴょんと飛び上がりました。

 三角の尖った耳に、女の子の何倍もありそうな肢体。女の子が丸飲みされそうなほど大きな口からは、ぎざぎざの歯が覗いています。釣り上がった力強い瞳で女の子を睨み上げるのは、ダンジョンの番犬――ヘルハウンドでした。


 死の先触れを意味する彼に、女の子はただただ夢中で洞窟の中を逃げ回りました。壁を走り、天井を伝い、ありとあらゆる場所を足場に逃げる女の子を、ヘルハウンドは余裕の足取りで追いかけます。

 さながら、獲物を追う狩人のような優美さでしたが――予想外の矛先がヘルハウンドを襲いました。


 ガシャン!


 洞窟に高く響き渡った音が、その大きな手足を貫いていまったのです。


 何故か突然天井から降ってきた槍で、地に縫い付けられたヘルハウンド。もがく番犬の姿を見て、女の子は自分の命が助かったことを悟り、その場にしゃがみ込んでしまいました。もう一歩も動けそうにないほど、女の子はへとへと。


「疲れたよ、ママ……」


 幼い女の子は、湿った冷たい地面が、体温と体力を奪っていくことも知らずに、そっと瞼を閉じたのでした。




***




「おい」

 ツンツン。と木の棒で女の子をつつく不届き者がいました。


「生きてんのか。死んでんなら、生き返って外で死んでくれよー……おーい」

 とんでもなくものぐさな言い草でしたが――あら、あら、不思議。氷のように冷たくなっていた女の子の体が、その言葉でピクリと動いたではありませんか。残念ながら、すぐに元気に飛び跳ねることは出来そうにありませんが、体の奥底から、元気が湧いてくるのを女の子は感じました。


「んー……しょうがないな……ま、この寒さだし、腐るこた無いだろ」

 女の子が懸命に体を動かそうとしていることに気付かない声の持ち主は、早々に見切りをつけ、ヘルハウンドの鼻頭を撫でました。

「痛かったろ、ちょっと待ってな。すぐ外してやるからな」

 きゅうん、とヘルハウンドが鳴きました。死の先触れ、死刑執行人――その名からは想像もつかない、子犬のような甘えた姿。


 女の子がようやく体を動かせた時、ヘルハウンドを足止めしていた槍は解かれていました。けれど、獰猛な番犬が解き放たれたことに女の子はそれほど恐怖を感じませんでした。ヘルハウンドが、低い天井に窮屈そうに身を屈め、少年の隣でお座りをしているからかもしれません。


 女の子は、番犬を撫でる少年を食い入るように見つめました。夜の森のように黒い髪と瞳を持つ少年は、女の子の視線に気づくとやんごとないため息を漏らしました。


「お前だろ。うちのタロウを串刺しにしてくれた奴は」

 女の子には全く身に覚えのないことです。しかし、少年の言葉は的を得ていました。洞窟には、いたるところに、侵入者を拒むための罠が仕掛けられていたのです。

 小さな女の子の体重では発動しなかった罠も、ヘルハウンドの巨船のような体重ではひとたまりもありません。即座に作動した罠は、ヘルハウンドを一目散に襲いました。それは、今まで訪れた冒険者達の錆で随分と汚れていました。


「全く……こんなでも可愛いうちの番犬なんだ。おいたなら、他所でやんな」

 女の子をその場に置き去りにして、少年は話を切り上げようとしました。女の子は、慌てて少年にしがみ付きます。


「待って、ここに置いてかないで!」


 必死の思いで、少年の足に女の子がしがみ付きます。振り払おうとしていた彼が、ピタリと動きを止めました。そして、まるで世にも奇妙なものでも見るように、女の子を見つめたのです。


「――お前、しゃべれるのか」


 少年は初めて女の子を認識したようでした。爪の先から頭のてっぺんまで、食い入るように見つめます。


 少年はこの洞窟で、それはもう数えきれないだけの年月を重ねてきました。

 この洞窟に来る前は――そうですね。どこにでもいる平凡な男子中学生でした。ある日突然、天から差し込んだ光に捕らわれ「このダンジョンを管理せよ」なあんて、お伽噺みたいなことを言われるまでは。


 何故か洞窟の外に出ることも出来ず、ずっと洞窟の中で生きてきました。生きものの命の尊さも麻痺してしまうほど、長い間。


 もちろん、タロウのようにダンジョンの中に生息するモンスターは皆、少年に従順でした。しかし、言葉を交わし、彼と温もりを分かち合うものは――ついぞいなかったのです。


 たまに迷い込む冒険者も、万全の管理体制でお出迎えするため、少年が駆けつけるころにはモンスターたちの糧となっていることがほとんど。今日のチマは、奇跡的に運がよかっただけなのです。


「ちまっこいの、名前は?」

 その存在の奇特さに、少年はつい女の子にそう問いかけていました。


 しかし、女の子はその問いに対する答えを持っていませんでした。今まで「コラ」とか「ほら」とか「坊や」とかしか、呼ばれたことがなかったからです。


「じゃあ、ちまいから、チマな」


 少年に名付けられた瞬間、女の子――チマは、生き返ったような心地になりました。いいえ、ような、ではなく生き返ったのです。女の子は、チマとして、新しい生を受けました。


「チマ」

 少年が差し出した手を見た瞬間、チマは外の世界と、母や兄姉のことを忘れました。チマはこれから、この洞窟の中でチマとして生きていくことになったのです。




***




 少年は、シューと名乗りました。本当は、秀一と言ったのですが、幼いチマには上手く発音が出来なかったため、シューとなりました。


 シューは根城に向かうまでに、チマにいくつかのことを教えました。モンスターとの接し方に始まり、洞窟内での決まりことも。

「洞窟の中の道は、必ず真ん中を歩け。端にあるトラップは、お前の体重でも作動するからな。この、蔦が巻き付いてる模様があるやつ。これな」

 面倒そうにしながらも先に伝えたのは、さらに面倒な事態を避けるためだったのでしょう。

「それは踏んだり蹴ったりすると爆発して胞子を飛ばす。体に胞子がつくと痒いぞ。俺は三日三晩痒かった」

「なんで踏んだの?」

 踏むなと教えた人の、踏んだという失敗談が不思議で首を傾げました。チマの母は、近づくなと言った場所には近づかないし、食べるなと言った野草は絶対に食べなかったからです。


「知らなかったから。ひとつひとつ、自分で確かめるしかなかった」


 チマは、シューがこれまで何と戦ってきたのか、何ひとつ知りません。

 それは、孤独という名であったり、無知という名であったり、中学生の彼にとって、敗北して然るものばかり。

 絶望という波に身を委ねさせるに十分な戦いでした。


「じゃあ、今度はチマが、何でも教えてあげるね」

「……頼りにしてるよ、ちまっこいの」


 そしてそんな戦いのリングに、ほんの一枚のタオルを自分が投げ込んだことも、チマはまた知らないのでした。




***




 青く光る洞窟の中をぐんぐん進むと、シューがねぐらにしている場所に辿り着きました。元は巨大モンスターの根城を、シューが住みやすい空間に整えているようです。藁を敷き詰めた寝台に、石のテーブル。シューひとりには十分です。

「お前は好きなとこで寝れば」

 シューがそう告げるということは、今は夜なのでしょう。チマはぶるりと体を一度震わせる、寝台に横になったシューの隣にすり寄ります。

「……狭い」

「けど、シューが一番、あったかい」

 チマの間違いようのない正論に、シューはそれ以上何も言わず、チマに背を向けて丸まりました。チマもそれに倣い、隣でくるりと丸まります。


 背中をくっつけあい、二人は初めて一緒に眠ったのでした。




***




 それから、チマとシューは片時も離れずに過ごしました。シューは時には一人になりたいようでしたが、チマは全く気付きません。


 チマはまるで恋人のように、ずっとシューの隣に居座り続けました。


 そのことを、古参のモンスターたち皆が快く受け入れてくれ――たわけでもありませんでした。しかし、何と言ってもチマはちまい。まだまだ、こけただけで大怪我をしそうな子供です。大人になるまでは、猶予を与えようということになりました。


 シューはダンジョンの管理人らしく、様々なモンスターの特徴を知り、性格を知っていました。しかしそれは、シューが一つ一つ、失敗から学んでいったことです。

 そんな風に、文字通り体当たりで接するシューを、モンスターたちは大変信頼しておりました。

 食べものが実れば、シューの元へ。冒険者が現れれば、身ぐるみ剥いでシューの元へ。シューにひとこと褒美の言葉を貰うため。モンスターたちは、青く光るきのこをかがり火に、せっせと通いました。


 そうそう。

 モンスターたちが、チマをその大きな牙で八つ裂きにしなかった、列記とした理由があります。チマだけが唯一、モンスターとシュー、どちらの種族とも会話をできたからです。


 モンスターはそれほど高い知能を持っているわけではありません。けれど、話せるのと話せないのでは、やはり雲泥の差。シューと意思の疎通ができる。それだけでも、この柔らかく爪通りのよさそうなチマを生かしておく、理由になりました。


 シューの寝床には、沢山の青白いきのこが生えています。それはシューを脅かさないため、モンスターたちが、自分の姿を見えやすいように摘んでくるからです。

 最初の頃のシューは、モンスターを見る度に、悲鳴を上げて気絶しそうな有様でしたから。モンスターたちは皆、自らの顔を照らしながらやってくるようになったのです。それもまた怖かったなんて、シューは絶対に、モンスターに伝えませんけどね。


 きのこは、そのまま壁に植栽。簡単に、ぴたっとくっつきます。

 きのこの数だけ、彼らがここに訪れたことを示していました。


 洞窟では、太陽も月も見えません。もうどれだけの日数を、年月を、生きているのかもすらわからないシュー。彼が唯一、数えられる軌跡が、皆の愛のかたちでもあるきのこでした。




***




「そういえばシュー、これってなあに」

 チマがこのダンジョンにきて、どれだけの時がたったでしょうか。タロウに、二匹目の子供が生まれた事だけは確かです。

 けれども、チマは相変わらず、小さなまま。


 小さなチマは、時折こうしてシューと共にダンジョンの点検に出歩きました。シューと一緒であれば、どんなモンスターも怖くありません。


「ドラゴンの卵」

「ドラゴンの、卵?!」

 チマは飛び上がりました。大変です。ドラゴンがいるなんて! この洞窟の中で出会ったことはありませんが、チマなんか一飲みに違いありません。


 タロウを始めとした大きなモンスターは、チマに会う度に大きく口を開けて、彼女を食べようとするのです。小さなチマが、大慌てで逃げ回るのを見て、楽しんでいるだけなんですけどね。


「ドラゴンはもういない。産んでる最中に、冒険者にやられたから」

 異常に気付いたシューはすぐに駆けつけましたが、一足遅かったのです。ドラゴンの鱗や皮が冒険者たちによって剥がれるのを、阻止することができませんでした。ダンジョンのこれ程奥まで潜り込み、ドラゴンを倒すほどの強者です。いくら管理人と言えども、卵を守るだけで精一杯でした。


「生まれるかわかんないけど、こいつは俺が守るよ」

「だめよシュー! そういうの、死亡フラグっていうのよ!」

「お前は年々日本に精通してくるな」

 シューと話せば話すほど、チマは沢山の言葉を吸収していきました。まるで、幼い頃聞いた昔話をもう一度聞くかのように、聞き慣れないはずのシューの国の言葉も、何故だかすっかりわかってしまうのです。


「しょうがないなぁ。シューが守るっていうなら、チマも守ってあげる。チマはシューの恋人だからね」


 恋人、だなんて。一丁前の口をきくようになったものです。


 ぺん、と小さな手でチマが卵の殻を叩きました。大型モンスターは憎き宿敵ではありますが、シューが守るというのなら、チマにとっても守るべき対象です。いえむしろ、シューとチマの子供のようなものです。


「ママがなーんでも、教えてあげますからね~」

 少し年を取った小さなチマは、得意げに鼻を鳴らしてそういうのでした。




***




 ある日のことです。いつもモンスターたちで賑やかなダンジョンではありましたが、その日は一際騒々しいようでした。


 いつかの誰かが置いて行った鉄の兜をフライパン替わりに、シューはモンスターが持って来た肉を焼いていました。狭い洞窟の中では、煙が目に沁みます。チマは大きな葉っぱで煙をあおいでいました。


「チマ、肉は大盛り?」

「乙女になんてこと言うの! シューの、は・ん・ぶ・ん!」


 何の肉かは……知らないほうが、食べやすいこともあるでしょう。香ばしく焼けたその肉をさぁ食べようとしたときに、シューは顔を険しくさせました。


「どうしたの、シュー」

「ジロウがやられた。冒険者だな」


 タロウはあれから入口の番を見事に務め上げましたが、今は育休を取っています。そんなタロウに変わり、長男のジロウがダンジョンの門番をしていたのですが――さぁ大変。入り口を突破されることなんて、滅多にあることではありません。


 チマはおいしそうに香る肉を振り切り、入口へと向かおうとして、振り返りました。


「シューも! 行くの!」

「えー、食べてからでも……」

「だめに決まってるでしょ!」

 もう! とチマはシューの体を押しながら、今度こそ入口へ向かいました。




***




 そこに訪れていたものを見て、チマはたいそう驚きました。


「ママ?!」


 冒険者パーティーと共にダンジョンに乗り込んできたのは、チマが幼い頃離れ離れになった母だったからです。


「坊や! あぁ、やっぱりここにいたのね!」


 母と別れてから……ひぃふぅみぃよう。小さなチマの手では、いつつまでしか数えられませんが、きっとそれ以上の年数がたっていることでしょう。


 あの雪の日にチマと別れてからずっと、母はチマを探し続けていたのです。森を出て、慣れない街に行き、冒険者に媚びを売り、必死の思いでここまでついてきたに違いありません。その証拠に、母の体は見るからに傷だらけでした。


「淋しかったでしょう、辛かったでしょう……もう大丈夫ですからね。さぁ、母さんと一緒に帰りましょう!」


 チマはどう答えていいのかわかりませんでした。チマの心も体も、もうシューのもの……いいえ、ダンジョンのものです。外での生活が恋しいと思ったことなどありませんでした。あの日母と別れ、シューに息を吹き込まれたチマは、もう母の乳を飲む幼子ではなくなってしまったのです。


 モンスターを引きつれて現れたシューもまたモンスターと見なし、冒険者達が攻撃を仕掛けます。シューもそれに応戦しない義理はありません。


 ――しかし。


「チマ、なんか言ってないか? いいのか?」


 シューは防戦しながら、チマに問いました。チマは困惑したまま、シューと母を見比べ――大きく首を縦に振りました。


「チマはもう、親離れしたのよ! それに、シューはチマの恋人なのに! シューを傷つけるなら、チマが許さないんだから!」


 イーッと、毛を逆立てて威嚇するチマは、けれど何の攻撃の術も持っていません。大きな牙も、魔法を操る術もないチマの首根っこを、シューは勢いよく掴みました。


「待て待て、わかった。じゃあ――おかえり願おう」


 シューがそういうが早いか、防戦一方だったモンスターたちが冒険者一行に襲い掛かりました。シューは小石を拾うと、道の端に向けて投げていきます。小さな爆発が、冒険者の足元で幾度も起こりました。これで彼らは三日三晩、痒さに泣き叫ぶこととなるでしょう。


 スタコラサッサ。強敵を前に、冒険者たちは懸命にもダンジョン探索を切り上げたようでした。母は何度もチマを振り返ります。しかしチマは頑なに、母を見ようとはしませんでした。


 冒険者と母の後姿が小さくなり、そして見えなくなりました。


 幸い、ジロウはまだ手の施しようがあるようです。シューが大型モンスターに、ジロウをねぐらに運ばせるように指示しています。

 冒険者たちを見事に追い払ったというのに、浮かばない顔をしたチマを見て、シューは頭を掻きました。


「……いいのか。あれ、母ちゃんなんだろ」

 チマは低い鼻を、つんと突き出しました。


「いいの! シューを攻撃するなんて! それにもう、何年も前のことだし!」

「本当に?」

「いいのっ!」

「へえ?」

「いいのっ!」

「じゃあ、それは?」

 シューは意地悪く、チマを指さしました。チマのキラキラと光るガラス球のような瞳から、ポロポロと大粒の雫が零れていたからです。


「おしっこ!」

「あっそう」


 乙女だの、ママだの言うくせに、どこかずれている自称恋人に、シューはため息をつきました。


「元気な姿見せて、一言だけでも声かけてきたらいいんじゃないの。幸いお前は小さな体のままだし、真ん中さえ走ればトラップにかかることもないだろ」

 モンスターが一緒では冒険者たちを刺激しかねません。シューはチマを一人で送り出そうとします。


「追い出そうとしてる! チマ、覚えてるんですからね! はじめて会った時、シューがチマのこと、置いて行こうとしたこと!」


 女は根に持つと言いますが、本当だったようです。シューはそんな何年も前のことを持ち出してきた彼女に頭を抱えました。


「今更追い出してどうするんだよ……行ってこい。肉、半分ずつにしてとっといてやるから」

 ため息をつくシューをチマは恐る恐る見上げます。


「……追い出そうと、してない?」

「してないしてない」

「二回言うってことは、嘘なの!?」

「してません」

「お肉は!?」

「残しててやるから」

 ほら、道は覚えてんだろ。そう言って背を叩かれたチマは、迷いながらも冒険者の足跡を辿りました。




***



 ダンジョンは、もうチマにとって庭のようなもの。冒険者たちにすぐに追いつくことが出来ました。

 冒険者たちは、皆一様にくしゅんくしゅんとくしゃみをしながら、体中を掻きむしっています。

 チマは母を見つけると、ピタリと足を止めました。チマに気付いた母が、チマを見て駆けだそうとするのを、大きな声で制しました。


「ママ! チマ、今度ママになるの!」


 もう何年も前に産み落とされた、ドラゴンの卵が孵化するのかは不明でしたが、チマはしっかりとあの卵のことを覚えていました。シューと、あの卵から産まれる赤ちゃんの傍にいてやらねばなりません。今度はチマが、母になるのですから。


「だから! ママはママで! 沢山幸せになるのよ! チマは、幸せよ!」


 もう、そんなふうに傷など作らずに。冒険者に紛れ、「近づいてはいけない」洞窟なんかに近づかなくていいように。


 チマの必死の思いが伝わったのか、母としての覚悟を受け取ったのか、母はほっとしたように全身の力を抜きました。崩れ落ちる母を、冒険者が抱きとめます。きっと、街までは連れて帰ってくれるでしょう。

 チマは今度こそ、しっかりと母を見送りました。




「シュー!」

 瞳からおしっこを垂れ流しながら、シューの愛しの恋人(自称)が帰ってきました。

「いてっ! いるって!」

「シュー! シュー!」

「あーもーはいはいはい! ここですよ!」

 シューの髪の毛を引っ張りながら、チマは頬を摺り寄せます。


「シュー。シューはずっと、ずぅっと一緒よ」

 濡れた感触に、シューは一つ息を吐いて、チマの頭を撫でてやりました。


「なんでチマの言葉だけはわかるんだろうなぁ」

 二人で半分ずつに分けた肉を食べ終えたころ、不思議そうにシューが呟きました。


「愛の力よ! ダーリン!」

「おまけに、最近じゃ教えてもない変な言葉まで知ってるし。お前、まさか転生者とか?」

 シューの言葉は大抵のことなら理解できたチマでしたが、その言葉は知りませんでした。んなわけないか、と笑って寝床に横になったシューの隣に、チマもいつものように丸くなって眠りました。




***




 春風が吹き、青葉が生い茂り、紅葉し、そして雪がダンジョンの外に積もりました。


「姉やん!」

「姉やんじゃない、ママって呼びなさい!」


 どしん、どしん。歩くたびに地鳴りがするような、大きなドラゴンがダンジョンの中を進みます。隣を歩いていて、うっかり踏み潰されてしまっては大変。チマは共に移動する時はいつも、ドラゴンの手の平に乗ることにしていました。


 彼女たちは、ダンジョンの視察を終え、ねぐらに帰る途中です。

 今の門番は、ジュウサブロウ。チマは小さな体で、大きな顔をしてジュウサブロウの前を通り過ぎます。このダンジョンで、チマよりも古参のものは、もういなくなりました。チマが大人になるまで待つと言っていた彼らは皆――チマが大きくなる前に、天寿を全うしたのです。


「ドラ坊! もう、尻尾には気を付けなさいって言ってるでしょ! 端っこに当てると、また三日三晩泣くことになるわよ!」

「痒いやだ! 姉やん、やだ!」

「わかってるわよ、ほら、尻尾上げて。全くもう。ドラ坊はいつまでたっても甘えん坊なんだから」


 尻尾を掲げ、大きな体を縮こまらせ、チマを抱え、ドラ坊は道の真ん中を歩きました。ずしん、ずしん。ダンジョンのボスともいえるドラゴンにしては、少しだけ泣き虫に育ってしまったようです。


 チマはぴょんとドラ坊の手の平から飛び降りました。光るきのこと、平たいきのこをドラ坊にもぎ取らせると、シューの待つねぐらに戻ります。


「シュー! ただいま、今日もシューのダンジョンは平和そのものよ」

 チマは横たわっているシューに元気に告げます。ねぐらの壁面積のほとんどを埋め尽くしている光るきのこの群れに、ドラ坊がもうひとつ、きのこを追加しました。


「シュー、平たいきのこも取って来たわよ。焼く? 煮る? ドラ坊が何でも作るわよ」

「たいへんだあ」

「気合でやるの!」

 シューは藁の上の寝台で、穏やかに微笑んでいます。ずっと少年の姿のままだったシューは、何故かある時から急速に年を取り始めました。

 小さいままのチマを取り残して、シューは沢山の皺を刻みました。


「チマ」

 呼ばれたチマは、ドラ坊との漫才を切り上げて、シューの元に駆け寄りました。


「何でも教えてくれるんだろう」

「ええ、もちろんよ」

 チマは枯れ枝のように細くなったシューの手に、頬を摺り寄せました。シューは力の入らない手で、チマの頭をゆっくりと撫でます。


「お前の大事なものを、教えておくれ」

「あらいやだ。シューったら、忘れっぽくなっちゃって。いいわ、何度でも。チマの大事なものは、シューと、ダンジョン、そして、可愛い私の子どもたちよ」


 チマはちょこんと座りました。チマの後ろには、チマの沢山の子どもがいました。洞窟の道を塞いでしまいそうなほど大きなドラゴン。シューを心配してやってきたモンスター達。皆、チマとシューの子どもです。


 そして、シューのために届けられた、沢山の青く光るきのこたち。シューが大事にしていた者は全て、チマの大事なものへと変わりました。


 シューは嬉しそうに、そして大変満足げに、頷きました。


「あとは、任せようと思っていたけれど――チマ」


 シューはチマに向かって手を差し出しました。あの雪の日に、チマに差し出した手の平とは、比べようもないほど皺だらけ。だけど、チマには全く同じに見えました。


 チマはぴょんと耳を立てると、シューの手の平に飛び込みます。体を擦り付け、いつものように彼の隣で丸くなりました。


「おやすみ……チマ」

「おやすみなさい、シュー」


 モンスターたちが、じっと見守っています。青く光る沢山のきのこと、見守り慈しみ続けた子どもたち。


 沢山の愛に囲まれながら、一人の人間と一匹の猫は、いつものように、共に眠りにつきましたとさ。






 おしまい


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