第七話 異世界デート
人が行きかう町の通りで、涼真は首が痛くなるのも忘れるほどに空を見上げていた。
酷いアホ面に違いない、と涼真自身が思うほどに呆気にとられ、空を見上げているのだ。
今日が人生で初めてのデートかもしれなくて、しかもお相手が生意気ボディの美少女カヤだからそんな顔をしているわけではない。
二割くらいの理由はそれが当てはまるかもしれないが、涼真はそういうハイテンションのときは必ず真顔に徹するのだ。
お前になんか興味ないぜ、てな感じで。
無意味な格好付けであったが、がっつく男に見られたくないので涼真は絶対にそうする。だから、先ほどまで心の中で異世界最高、とかシャウトしていても、それが呆けた顔の理由ではない。
「あの、カヤさん。船、飛んでない?」
「飛んでるけど、どうかしたの?」
ああ、やっぱりそうなんだ、と涼真は自分の目をようやく信じることができた。
船が飛ぶ、という予測はあった。ガレオン船とか、そういう木造の帆船が飛んでいるだろうな、という予測は既にあった。
でも、飛んでいたのは。
第二次世界大戦ばりの、駆逐艦だった。
ここ、中世ヨーロッパ並みの文明で電気も通ってないような世界だ。なのに鉄の艦が空飛んでる。何だかちぐはぐだ。
しかも、プロペラも羽もジェットエンジンさえも見当たらない。スクリューがあるが、それは空を飛ばす用途のものじゃない。
どちらかというと、飛んでいるというよりも浮いているという方が正しいかもしれない。
「もう、いつまでそっち見てんのよ。こっちにもっと良いものがあるでしょー?」
カヤの手が涼真の頭を掴み、グキッと捻る。
カヤは肩口まで大胆に開いた半袖の黄色いチュニックを着ていた。袖口にはレースで花の模様があしらわれ、この世界の普通の服よりもお洒落といえる。
下は足首までのロングスカートになっていて、スカートの裾にも同様に花模様のレースがつけられていた。
それだけならただのお洒落な女の子だが、カヤはこともあろうにふわふわチュニックの腰の辺りを布で縛り付けていた。
そんなことしたら、大きな胸が強調されて目のやり場に困るのだ。体のラインがもろに出て、どこ見てもやらしい気がするのだ。
それはそれはおっしゃるとおりに良いものだ。
ゆえに、涼真は真顔に徹した。
「何でこっち見るとその顔になるかな。何か傷つくんだけど」
「条件反射かな」
「ん~。釈然としないわね」
唇を尖らせて、カヤは拗ねたようにぷいっと顔を背ける。
「おっかしいなー。昨日女の子たちに言い寄られてるときは、あんなに鼻の穴膨らませてたのに」
「え? そんな顔してた?」
「酷い顔だったわよ。野獣みたいに目、ギラギラさせちゃって。よだれ止まんない感じで」
「嘘!? 嘘だよね!?」
「きゃー! 襲われるー!! やっぱり野獣だー!」
「笑顔で迫真の声出さないでよ! みんな見てるから! ちょ、あああ、襲われてるみたいにしゃがみ込むのやめてえええ!」
町行く人どころか、巡回と思しき剣士まで冷たい視線を涼真へと送っている。
剣士の方は、ちょっとでも間違えば熱い視線に変わりそうだ。職務的な意図で。
カヤはしゃがみ込んだまま俯き、肩を震わせている。怯えているのではない、笑っているのだ。
しかし、そろそろまずいとカヤも気づいたのか、おもむろに立ち上がった。
「あーあ、スカートの裾汚れちゃったじゃん」
「うわ、思いもよらぬ第一声……」
「気にしなくて良いのよ。おでこにキスしてくれたら許したげる」
「へ? おお、おおおおでこに何ですと!?」
カヤは挑発的な上目遣いになると、涼真の目の前に人差し指を突き出してくるくると円を描いた。
「んふっふー、冗談で~す。残念でした!」
人の焦る顔を前に喜ぶカヤを見て、もう嫌ですこの人ドSです、と涼真は心の神様に報告する。
そのご報告中に見せた一瞬の隙をついて、カヤは走り出した。
「ほらほら、船見に行くんでしょ? ぐずぐずしてると置いてっちゃうぞ!」
一度だけ立ち止まったカヤは、大きく手を振るとまたすぐに走り出す。
女の子と追いかけっこなんて夢見た涼真だったが、土地勘のない中でのこの状況。置いてかれたらシャレにならない。
楽しさの欠片もなく、必死こいてカヤを追いかける。
カヤは通りを楽しそうに走っていたが、途中で何かに気づいたように、はたと足を止めた。
船着場に着いたという感じではなく、通りにできた人だかりに目が留まったようだ。
運動苦手の涼真は、やっとのことでカヤに追いつく。
「どうしたの?」
「分かんない。わたし、字なんて読めないし。ただ、どうしたのかなって思っただけ」
人だかりの真ん中には、木の壁に字の書かれた紙がいくつも打ち付けられていた。
魔物退治、野盗の捕縛、遺跡の探索など書かれていたり、中には絵付きで賞金が書かれているものもある。どうやら、依頼の集合掲示板、いわゆるクエストのようなものらしい。
中でも、群集の注目を集めているのは反逆者の捕縛だ。
「御館の訪問者に、反逆の意志持つ疑いの者あり。成功報酬は……、四百プフント?」
「へえ、リョーマは字が読めるのね」
心なしか羨ましそうに、カヤは呟く。一瞬沈黙があったが、すぐに目を輝かせて笑顔を取り戻した。
「それにしても、四百プフントって凄いわね! 向こう半年は贅沢に暮らせる金額じゃないの」
「半年も! でもまあ、命がけで半年か……」
「魔物退治よりは割に合ってると思うわよ。もっとも、ご領主様にケンカ売るような輩だから一人じゃないでしょうけど」
ふむふむ、と涼真は頷く。
魔物退治と書かれた紙には、全てシリングという単位が書かれている。こっちはプフントより価値が低いようだ。
どうやら、プフントが万単位で、シリングが千単位ってとこだろう。実際の価値なんて曖昧でよく分からないけれども、そう考えた方が理解しやすい。
たかが遺跡の探索の方がプフントばかりだ。魔物退治は、確かに割に合わないかもしれない。
いかつい男が描かれた紙は、四千八百プフントの賞金が付いている。反逆者の十二倍、六年以上贅沢に暮らせる金額だ。係わり合いにならない方が良さそうである。
そう思って眺めていると、四千八百プフントの賞金首の紙がはがされた。どうやら捕縛されたらしい。
紙を剥がした男を目で追いかけていると、カヤのむくれた顔が視界に入った。
「ああ、そっか。S級魔法士としては、こういうのが気になるのね。この町じゃ、ご領主様の次男が取り仕切ってるわよ。興味あるなら“一人で”御館まで行ってみれば?」
「いえ、全然興味ないです」
一人で、のところにカヤの力が物凄くこもっていたので、涼真は背筋に悪寒を感じて即答した。
すると、カヤは腰に手を当てて少し怒ったように詰め寄ってくる。
「大体、こんなに可愛い女の子がいるのに依頼掲示板に目を奪われるって。そんなのないでしょー!?」
どアップになったカヤの顔をまじまじと見て、確かに、と涼真は妙に納得してしまった。
黒い髪の毛は徹底的なまでに手入れされ、日の光を浴びると艶のある白を反射する。睫毛の一本一本も、まるで何かに統率されたように全て綺麗な曲線を描いている。
アイドルほどではないが、学校で一番美人という程度の魅力は確実にある。
真一文字にきゅうっと結ばれた口も、怒っているのに可愛いらしい。怒っていることすら疑いたくなるほどだ。
「あの、黙り込むのやめてよ。こういうときは否定のリアクションを貰わないと困るんだけど……」
カヤの頬が、桜のようにほのかに赤くなっていた。つられて、涼真も頬が少し熱くなる。
慌てて、しどろもどろになりながら言葉の逃げ道を探す。
「ま、まあ、その。あ、そうだ! 船、早く見に行こう! 間に合わなくなるよ!」
「そ、そうね! 早く行かないと、船が出ちゃう!」
涼真とカヤは自分たちが作り出した微妙な雰囲気から逃げるように、船着場へと走り出した。
船着場、と呼ばれる場所は、エアバッハの郊外、それも森を切り開いた一角に作られていた。
空飛ぶ船の船着場ということで、大きな木を利用した桟橋を使う、などを想像していた涼真は度肝を抜かれた。その作りが、あまりに大雑把だったからだ。
森の中に、船がすっぽり入りそうな大きさの穴が二つ掘られているだけなのだ。水が張ってあるわけでもなく、掘られた穴がコンクリートなどで舗装されているわけでもない。
スコップで掘りました、と言われても疑う余地がない砂遊びばりの出来栄えである。
そこへ、宙に浮いていた駆逐艦がさも当然であるかのように降下してくる。地面にぶつかり、艦底を大破する様が思い浮かぶ。
しかし、艦底と地面が数メートルの隔たりとなったとき、まるで着水でもしたように駆逐艦の降下が止まった。
うまいことに、甲板と地面がほとんど水平になるように停泊している。波風立たない室内の水槽に浮かぶ船みたいに、安定感も抜群だ。
この船に乗るためにかかる料金は一人当たり最低二十プフントらしい。一プフントでカヤが食べたことも見たこともない高級料理店のフルコースを食べられるというのだから、尋常ではない金額と分かる。
きっと、他の交通手段が馬しかないからこれほどに高騰しているのだろう。
降りてくる客もドレスなどを着る余裕のある上流階級ばかりで、小汚い旅装束をしている者は一人としていない。船着場の周りの店も、上流階級を相手にする高級店ばかりが軒を連ねている。
警備兵の詰め所もあり、それと思われる剣士がそこかしこをうろついている。治安、サービスともに至れり尽くせりの空間だ。
フードを頭から被った怪しげな男が姿を現すと、ほらご覧のとおり、と売り出したくなるような手際で剣士が集まる。ついでに馬にまたがった偉そうな騎士まで現れて、必死の形相を伴う大捕物が始まった。
船に続いてその様子を楽しんで見ていると、針でも突き刺したような痛みが耳に走った。
「いたたたた! 痛いって!」
「もう、また他のところ見て黙り込んで! そんなにわたしはつまらないものなの?」
船を見に来て船を見て、何が不満なのだろう。分からない。
しかし、カヤは涼真の耳を容赦なく引っ張る。
「反省しております、申し訳ございません、二度といたしません、つまらないものなどそのようなことがあるはずがございませんんん!」
涼真が哀願することで、やっとカヤの手が耳から離れた。
残った痛みを手で抑える涼真の前で、ぷんすか、とでも聞こえてきそうな感じでカヤは腰を手に当てた。
「大体ね、もうお昼だってのに一つもデートらしいことしてないじゃないの。わたし初めてなのに」
「そりゃ悪かったよ。んで、デートらしいことって……。ん? あんですと?」
「それは、その。腕を組む……、とか? と、とか……」
自分で言って、カヤは少し赤くなっている。そのまま間髪いれず、ふるふると首を横に振った。
「ううん、腕組みは早いわね。ちょっと大胆すぎたかも。手をつなぐとか、その辺から始めましょ」
「いや、そうじゃなくて。デートって、デート? 英語で日付とか異性との約束の意味とかじゃなくて、和製英語的な?」
「な、何言ってんのか訳分かんないけど。デートってデートでしょ、何でそこ確認するのよ?」
何だ素晴らしきこの世界、と心の中で涼真は叫んだ。
もしかしてもしかすると何かまかり間違ってそうなんじゃないんですかー、と思っていたら、ほんとにデートだったのだ。今、人生初デートの瞬間に立ち会っている。
自分のことだから当たり前だが。
しかも、手を繋ぎたいとか言ってくる。しかし、漢、神崎涼真。絶対にがっつかない。
ふりをする。
「ああ、そうだよね。でもさ、手、繋ぐなんて暑いし」
「えー? いいじゃんいいじゃん!」
そう言いつつも、手が触れた途端、二人は躊躇するように手を震わせる。しかし、恐る恐るといった様子で二人の指がクロスしていき、やがて握り合う。
知り合ったばかりの女の子と、恋人つなぎ。この世界はどうなってしまっているのだ。きょきょ、教育がなってないんじゃなかろうか。知らない人とデートしちゃいけません、て教育が。
などと熱病にかかってしまって再教育が必要な涼真は、カヤに引きづられながら歩く。
ふと気づくと、カヤは高級店のショーウィンドウを見ながら目を輝かせていた。
カヤが黙って見つめているのは、つばの広い白の帽子だった。儚げなお嬢様に似合いそうなので、カヤのイメージじゃないと思ったのは内緒である。
しかも、この帽子のお値段はなんと三プフントだ。ふざけんな、と叫んでもおかしくないほど懐に優しくない。
庶民に手の出ない高級料理三回分なんて、普通の高校生に手が出るわけないのだ。
ほう、とカヤがため息をつくと涼真は追い詰められた猫のごとく毛が逆立った。
「リョーマってさ」
「ごめん、無理」
「へ?」
驚いたようにカヤは目を丸くしたが、涼真の意図したことに気づいたのか面白そうに笑って口元を押さえた。
「ぷっ。違うって。そんな無茶お願いするわけないでしょ」
「え? いや、その。何かごめん」
「何謝ってんのよ、気にしすぎ。それよりさ、リョーマは船でどこに行くの?」
「シュバルツ伯爵のところだけど」
「へー、ホーフハイマー伯のところに……」
そういえばどんな人なんだろ、と涼真が思っていると、ショーウィンドウに映るカヤの顔が固くなっていた。
握り合った手にもグッと力が入っている。
「て、ホーフハイマー伯と知り合いなの!?」
「いや、違うけど。会う予定、かな?」
「似たようなもんじゃないの。はあ、救国の英雄とまで知り合いなんて、何だかな。ため息止まんなくなっちゃうわ、はあ」
カヤは遠くを見るように白い帽子を眺めると、長い髪を掻き揚げた。
「何かね、住む世界が違うって言うの? こんなに近くにいるのに、遠い気がするのよね」
見透かされたような、言い当てられたような気がして、涼真の鼓動が跳ね上がった。
確かに、涼真が住むのは異界たる日本なのだ。こうして仲良くなっても、戻れば二度と会えないかもしれない。
今はまだ先の、永遠の別れが。何となく、心に寂しい気持ちを注ぐ。
自然と手に力が入ると、それに応えるようにカヤの手にも力が入った。
「もし、わたしが……。わたしが、連れて行って欲しいって言ったら。一緒に連れてってくれる?」
予想外のことを聞かれて、涼真は驚きのあまり言葉につまった。
カヤには、娘思いの父親がいて。裕福ではないものの、誰に襲われることもない平和な生活があって。
涼真には、世界の敵という事実しかなく。
町を出れば、危険な生活が待っている。うまく旅を終えたとしても、行き先は日本。
カヤにとって、今より幸せな未来とは思えない。きっとカヤは、S級魔法士なんてのに憧れているだけなのだから。
それでも、カヤが寂しそうな顔をするから迷ってしまう。気の強そうな目が、触れたら壊れてしまいそうなほどに弱々しいから困った顔しかできない。
「なーんて。んっふっふ、困った可愛い顔を見るのに成功ー!」
笑顔を取り戻したカヤは、何となく、無理をしている。少なくとも、カヤの弱さのようなものが見えてしまった今はそう思える。
離すまいとするように、あるいは縋りつくように握ってくる手を。涼真は、万に一つも離さないように握り締めていた。




