第十三話 恩返し
フランクフルテンの市庁舎にある、伯爵の執務室。そこでは、西方から帰還した金髪の騎士と魔族の森から帰還した黒髪の騎士団長が協議の場を設けていた。
すなわち、ウェールズとシュバルツである。
壁に背を預けたウェールズは豪奢な金髪を掻き揚げ、頭が痛そうに額に手を当てる。その顔に不満の色をありありと映してはばからない。
それはもう、ウェールズはカンカンに怒っていた。何も知らされず、やきもきしながら西方守備についていたら、全部解決したから引き返せと命令を受けたのだ。
あたかも信頼されていないような処遇。そして、こんな都合のいい道具みたいな扱いを親友から受けて、怒り心頭だった。
「つまり、事はお前の思ったとおりに進んで、思ったとおりの結果を得たんだろ? しかし、受け入れがたかったからもう一度説明してくれ」
「正確に言うと、少し違うが。いいだろう」
短くそう答えると、椅子に腰掛けているシュバルツは事務的に語りだす。
「お前を西方送りにしたのは、前にも言ったとおりリバティへの備えだ。魔族がらみで俺がここを離れる以上、リバティのあいつが目ざとく動くのは分かっていたからな。備えが万全であることは、見せ付けておく必要があった」
「それは分かってる」
「だが、リョーマとフェールを見捨てるというのは嘘だ。俺が立てた外交の使者を見捨てるのは信用問題だろう。まさか頼ってきた妹弟子を見殺しにもできまい。信徒どもに神託の宝具を渡すつもりもなかった」
「そう、それだ! 何で俺にまで黙ってた!? あらかじめ言っておいてくれてもいいだろう!?」
「それだ」
食って掛かるウェールズに、シュバルツは人差し指を向けて牽制する。
「お前は感情的過ぎる。すぐ顔と口に出るからな」
「そ、そんなことは……! 俺だって、分別くらいある!」
「そう不満そうな顔をするな。敵を欺くにはまず味方からと言う。今回のことは、内密に処理しておきたかったのだ」
「そうは言ってもな……。第一、ヴァイス・オーデン内部に漏れたからといって、問題ないだろ?」
「いや、それは敵を見誤っているな。リバティのあいつは、必ずヴァイス・オーデン内部に情報網を持っている。現に、俺がフランクフルテンを離れた途端に動きがあっただろう? お前が思うほど、ヴァイス・オーデンは一枚岩じゃないということだ」
「裏切り者がいるっていうのか!?」
「まあ、お互い様だ。あいつが侵攻を諦めた情報は、すぐさまお前の元に届いただろう?」
「な! あれはそういうことだったのか……」
ウェールズは、これ以上返す言葉を見つけられずに押し黙った。
自分の知らないところで、水面下の情報戦をシュバルツは日夜繰り広げているのだ。そういうことに疎いということは、よく分かっているつもりだ。
今回のことに、先陣切って戦場を駆けるような派手さは必要のなかった。だから、お鉢が回ってこなかったのだろう。ただ、それだけのことだ。
そういった方面では足手まといになってしまう。親友の力になれないのは寂しいことであったが、納得はできる。
「もっとも……」
そう呟いたシュバルツの顔を見ると、滅多に見せない表情を浮かべていた。すなわち、薄く笑っていたのだ。
「もっとも、リバティが侵攻してきても策はあった。その方が、楽しめたのだが……」
シュバルツと言う人物は、子供のころからの付き合いであるウェールズでも分からない一面がある。
戦争を望み、楽しむ人物のような一面。しかしながら、平和と人民の命を尊び、保とうとする一面。合理主義的なシュバルツには、そんな矛盾したところがあるのだ。
本当に何を考えているのか分からない。でも、それは人間としては当たり前のことで、シュバルツが垣間見せる数少ない人間的な側面だった。
そんなシュバルツの珍しい一面も、コンコンコン、というノックの音で引っ込んだ。
ノックした主、涼真は遠慮がちに執務室へと入った。中ではウェールズが壁を背もたれにして立っており、シュバルツは椅子に座っている形での出迎えだ。
あれから、一週間と少し。シュバルツの推薦状を貰うのに、それだけの時間を待たされている。忙しいから仕方ないのだろうけど、一筆書くだけならそんなに時間はいらないのでは、というのが本音だ。
でも、そんな文句を垂れても仕方ないし、贅沢な食事と休憩、マリナたちとの親睦を深める時間もできたので何も言うことはなかった。それだけしてもらって文句いうなんて、恩知らずもいいところだ。
むしろ、お礼を言っておくべきところで。開口一番、涼真は頭を下げる。
「一週間、お世話になりました。シュバルツさんには、色々よくしてもらって……」
「いや、礼を言うのはこちらの方だ。それに、一週間も待たせてしまって申し訳ないと思っている」
シュバルツはいつものポーカーフェイスで語る。
「だが、成果はあった。友好的な都市という制限はあるが、魔族との交易が実現したのだ。まったく、中々の外交手腕を隠していたな。外交官として残ってもらいたいくらいだ」
「いえ、そんな! 大げさですよ!」
「謙遜するな。しかし、おかげでこの一週間身動きが取れなかったというわけだから、お前にとってはよくないことか」
またこの人は、と涼真は苦笑いする。合理主義者の冷たい観点で見るところが、またシュバルツらしい。
「さて、本題だが。これが例の紹介状だ」
シュバルツから差し出された白い封筒を、涼真は受け取る。厚いザラザラとした紙なので、中は見えない。
「これを帝都まで持っていき、マコト=ニワという人物を訪ねるといい。割と大きな屋敷を構えているから、住人に聞けば場所は分かるだろう」
何だか懐かしい響きの名前を聞いて、涼真は思わず聞き返す。
「どんな人ですか?」
「お前と同じ、異世界人だ」
ということは、名前からして日本人だ。久しぶりに聞く、同胞の名前だ。涼真のように、いきなりこの世界に飛ばされてきた人がいたのだ。
「マコトも、異世界に帰る方法を研究していた。風聞では、この世界に残ることを決めたらしいが。帰る方法について、何らかのことも知っているだろう。少なくとも、この世界の誰よりもそれに興味があったはずだからな」
「ありがとうございます! ほんとに、ありがとうございます!」
涼真は、純粋にマコトという人物と話してみたくて仕方がなかった。やっと、全ての話を共有できる人物がでてきたのだ。
どうしてこの世界に残るのか知らないけど、大切な人ができたのなら分からないでもないし。そういえば、重要な地位にいるとか言っていた。もしかすると帰る方法は既に知っていて、あえて残っているだけかもしれない。
渡された封筒にキスしてしまいたい心境だ。シュバルツとウェールズの目があるのでやめとくけれども。
そんな風に涼真が舞い上がっていると、ウェールズが近づいてきた。何やら、ずっしりとした袋を手に持っている。
「はい。今回の依頼の成功報酬だよ」
中身は、両のポケットに入りきらないほどのコインだ。イェンスを捕えたときと変わらないほどの報酬だ。
慌てて、涼真は手のひらをウェールズに向ける。
「そんな、受け取れませんよ。こんなにたくさん!」
「何言ってるんだい。君は依頼を見事に達成したんだし、この報酬は当然のものだよ」
「でも、もう推薦状を貰いましたし、大分お世話になりましたし……」
そうやって涼真が遠慮していると、シュバルツが横から口を挟む。
「どうやら、自分の功績が分かっていないようだな。魔族との交易は、大変な利益を生み出すことになる。それこそ、その報酬がはした金に見えるほどにな」
「はした金!? これが!?」
確か、個人でならかなりの豪遊ができる額のはずだ。まあしかし、国の財政ともなればそうかもしれない。いやでも、涼真は個人であって。やっぱり多すぎる。
「でも、やっぱり……」
「そうか、無欲なことだ。ならば必要分だけとしよう。他にも困っていることがあったら言ってくれ。なに、遠慮することはない」
「他に、ですか」
むむ、と涼真は考え込む。
気になっていることと言えば、カヤのことだ。護衛がついているとはいえ、長旅は辛いだろうし。こちらでの生活不安もあるだろう。
「カヤっていう、エアバッハからこっちに向かっている宿屋の女の子の一行がいるんですけど。シュバルツさんの領内に入ったら、保護してもらえませんか?」
「ああ、エアバッハの事件に巻き込まれた娘だな? 任せておけ」
なにやら、シュバルツには色々と筒抜けだったようだ。どんな情報網を持っているかは分からないが、敵に回したくないタイプだ。澄ました顔して、どれだけ真っ黒な人なんだろう。
腹黒仮面、と涼真は心の中で名づけた。大変失礼な名前であった。
そうしてシュバルツと会話している間に、ウェールズがコインを数枚取り分けてくれていた。それを渡してくれる際、ウェールズがにこやかに話しかけてくる。
「あと一週間もすると、嵐がやってくるみたいだからね。雨具を調達しておくといいよ」
「気をつけます」
再び頭を下げて、涼真は退室しようとする。すると、シュバルツが何かを思い出したように口を開く。
「近々、俺も帝都に出向く。帰る方法が見つかったら、別れくらいはさせてくれ」
「……はい」
そうなるのはまだ先の話なのだろうけど、少し寂しい気がして。涼真は、小さい声で答えた。
あくる朝、涼真は一人でフランクフルテンのシュバルツ邸を出た。朝もやのかかる中、通りでは早くも店の準備が進められている。
旅立ちに当たって、フェールが起きていない時間を選んだ。理由なんて、そんなのは決まっている。面と向かって別れる勇気がないからだ。
もしもフェールに優しい言葉をかけられてしまったら、危険な旅と分かっていながら連れて行ってしまうかもしれない。涼真はいつか日本へ帰るというのに、そうなってしまったら無責任にもほどがあるというものだ。
あっさりとさよなら、何ていうのもそれはそれで傷つくし。別れの挨拶は、帰る方法が見つかってからの方がいいと思ったのだ。
通りを抜け、フランクフルテンの立派な門を潜る。その際、何となく涼真は振り返った。
思えば、この街は目まぐるしいほど忙しかった。
最初は外交の使者として放り出され。でも、そのおかげでマリナと深く知り合えた。
一騎討ちやら何やらあったけど、魔族と人間も友好関係を築き始めた。フランクフルテンはいい方向に変革しつつあると思う。
ところが、涼真に残ったのは。
一騎討ちのときに得た貧乏くじこと、邪悪龍の血液の魔法分解オプションだけ。いやいや、お金も少し貰えたし、紹介状と貴重な情報が得られたことも忘れてはいけないけれども。
代わりに、フェールはいなくなった。十剣を人の面前で倒してしまったから、敵は増えるだろう。
仲間が減っていって、敵は増えていって。いつの間にか、どんどん世界から疎外されていく。
孤独だった。
「ま、悲観しても仕方ないか」
人じゃないけど、バルムンクもいるわけで。機械だけが友達なんて精神的にはやばそうだけど、自覚してるからまだ大丈夫だ。
「リョーマ、どこ行くの?」
不意に後ろから声をかけられ、驚いて涼真は振り向く。すると、頬に人差し指が差さった。
どこに隠れていたのか、フェールとマリナが涼真の顔を見てクスッと笑っていた。
「フェール!? それにマリナさんまで! 何で!?」
「それはこっちの台詞だよ! どうしてわたしを置いてこうとするの?」
「いや、だって、ここの方が安全だし。誤解が解けるまで、シュバルツさんが守ってくれるからさ」
「そんな涼真の信頼するいちにいから伝言!」
はい、とフェールが涼真に封筒を手渡す。封を切って中を見ると、一枚の紙切れが入っていた。
『いい修行になりそうなので妹弟子を預ける。報酬は帝都で合流次第支払うからよろしく頼む。なお、この手紙は読了すると蝶になるので内容を忘れるな』
何とも簡潔な依頼文だ。忘れる要素がない。というか蝶って何だろう、と涼真が思っていると、手紙が独りでに細かく折れていく。
そのまま手紙が蝶の形となり、まるで本物のように空へと舞っていった。
いやいや、そんなことはどうでもいい。
いい修行とか書いてあった。世界の敵であることが修行って。この世界で生きていく上で、致命的なことにもなりかねないのに。
「やっぱ駄目だよ。いくらシュバルツさんの依頼でも、連れてけない。修行なら他にもやり方があると思う」
「違うもん、修行だなんて思ってない! わたし、三回もリョーマに助けてもらったのに、まだ何にも返してないんだよ! それに、それだけじゃなくて……」
フェールはギュッと握りこぶしを作り、自分の胸に当てる。何だか、鬼気迫るものがある。
「リョーマ、この世界に来ていやなことばっかりだったでしょ? でも、リョーマには嫌いになって欲しくないんだ。この世界のこと。できれば、帰ってももう一回来たいって思ってもらいたいの。もう来たくないって、そんなの寂しいよ」
「フェール……」
別に、フェールが思っているほど涼真はこの世界が嫌いじゃない。そりゃほとんどいやな時間だったけれども、楽しい時間も結構あった。
フェール、カヤ、マリナはもちろんだけど、最近じゃ魔族にも友人に近い人たちはたくさんできた。時間がもっとあれば、友人と呼べるだろう。
だから、少し未練を感じるほどには、この世界が好きなのだ。帰る方法だけじゃなくて行き来する方法もあるんなら、きっともう一度この世界に来る気がする。
とはいえ、これからどうなるか分からない。だからこそ、フェールは悪い方に転ぶのを防ぎたいのだという。
まあ、フェールは恩返しするために災厄たる神託の宝具を持ち出したりもした。ここで無理に説得しても、こっそりついてきそうだ。イェンスのときの例もあるし、そっちの方が危ない。
「そっか。何て言えばいいのかわかんないけど……。ありがとう」
「じゃあ、ついてっていいの?」
わーい、と諸手を挙げてフェールは素直に喜んでいる。
ああ、結局こうなってしまった。意志弱いよな、と涼真は自省する。ここでこうして出会ってしまった時点で、負けは確定していたのだ。
「そういえば、どうして僕が朝早く出ると分かったんです?」
先ほどから母親のような笑顔でにこにこと見守っているマリナに、涼真が疑問を投げかける。
「シュバルツ様に教えていただいたの。リョーマは、ヤルダット教の襲撃を警戒して人目のない夜陰は避ける。加えて、フェールの寝ている時間とするなら、旅立つときは市場の準備で人目のある早朝となるだろうって」
マリナはしかめっ面をしつつ、シュバルツの声色を真似て言う。ちょっと似ていて面白い。
それにしても、涼真の考えは全てシュバルツに筒抜けだ。それくらい予想できてこそ、隣国を威圧できる英雄なんだろうけど。
「ところで、どうしたんですか? 何か揉め事でも?」
「違うわ。改めて御礼を言いたかったの。ありがとう、リョーマさん」
スカートの裾を持ち上げ、マリナは麗しく一礼する。
「あなたのおかげで、わたくしの夢は実を結びつつあるわ」
「いや、そんなこと! やめてくださいよ! マリナさんの努力の成果なんですから!」
「そんなことないわ。あなたが現れなければ、わたくしは……」
そこまでいって、何かをふるい落とすようにマリナは首を横に振る。
「本来なら、わたくしも旅にお供したいのだけれど……。人との友好を確かなものにするために、ここを離れるわけにはいかないわ。でも、一段落ついたら是非ご一緒させてね?」
「危険な旅ですよ? 目的は僕が帰るというだけですし」
「目的なんて、何でもいいわ」
マリナは涼真の前でかしずいた。ドレスの裾が汚れてしまっているのに、気にする様子もない。
何だ何だ、と涼真があまりの仰々しさにうろたえていると、マリナが手を掴んできた。
「あなたが帰還を望むなら、わたくしが道を開く剣となりましょう。例えそれが、異界の地であろうとも」
涼真の手の甲に、マリナの唇が触れる。魔族の騎士が行う、君主への忠誠を誓う儀式だ。
もちろん、涼真にそんな知識はない。でも、映画では騎士がお姫様に似たような挨拶をすることがあって、意味は十分に伝わった。
何でかは、全然分からんけども。
「な、な、な……!?」
「再会まで、御武運をお祈りしております。私の殿下」
何か大変なことが起こっている。涼真はそう悟った。
マリナの瞳がうるうるしていて、離れるのが心底悲しそうだ。それに、熱っぽいし艶っぽい。そんな目でマリナみたいな美女に見つめられると、心臓がバクバクしてくる。
第一、私の殿下て。こちとら、生まれたときから庶民だ。肉用と魚用のナイフの使い分けが面倒で、肉用ナイフしか使わないのだ。殿下なんて器じゃない。
いや、しかししかし。冷静に考えれば、これはチャンスだ。あんなことやこんなことを要求して、ああご無体を、とかマリナに言わせられる。沸点の低い邪悪龍の血液が黙っちゃいない。
涼真は、冷静とか考えながらヒートアップしすぎて全然そうではなかった。というか、ただの危ない人であった。
「あはは、リョーマ、顔真っ赤! やーらしいこと考えてるんでしょ?」
指差して、フェールがケラケラと笑う。うく、と呻いて、涼真は正気に戻った。
フェールは中々に鋭い。おかげさまで、マリナに見限られずに済んだ。ちょっと困ったように笑っているけども。
フェールの恩返しは、中々に粋だった。
お楽しみいただけましたでしょうか。これにて第二章は完結となります。
三章の更新は11/16~となります。
また読んでいただければ幸いです。




