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邪悪龍の猟兵(改稿版)  作者: 昭栄
第二章 伯爵と魔族の姉妹
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第十二話 嵐の後に、また嵐

 約定の通り、支部の騎士団は撤退の準備を始めていた。草原に座り込み、先ほどまで馬鹿騒ぎをしていた男たちとは思えないほど静かに。迅速に。

 その姿は祭りの後の片付けを髣髴とさせる。あるいは、劇が終わって言葉を失ったまま帰る観客といったところだ。


 起こった事実を、各々がどう受け取ったかは別として。


 そんな中、地面に倒れ伏したフェルグスの肩をヘグニが担ぎ上げた。そして、勝者に視線を向ける。


「あんまり悪く思わないでくれるかよ。こいつにも、色々あるっつーわけで」


 戦いの勝者、涼真は、何も言わなかった。素直に頷くことなんてできなかった。

 フェルグスに何があったかなんて知らないし、マリナに非道なことをしたのは確かだ。涼真とフェールの命も狙ったわけだし、ヘグニの一言だけで許すなんてできるはずが無い。

 その辺はヘグニも分かっているらしく、二の句を告げずにフェルグスを運んでいく。


 涼真も背を向け、勝利に沸く魔族たちの方へと歩き始めた。

 まあ、なんだかんだでとりあえず勝ったわけで。みんなに都合のいいように収まりがついたわけで。自然と緊張が解け、口元がほころぶ。

 魔族の一団から、いの一番にフェールが飛び出してきた。


「リョーマ!」


 トトトト、とすばしっこく走り、飛びついてくる。


「リョーマ、怪我はない? 痛いところとかない?」


 そう言われてみて、涼真は何だか右腕が痛いことに気づいた。落ち着いてきたのもあって、段々痛みが鮮明になってくる。

 目立った外傷といえば拳が赤くなっているだけだ。でも、右肩から指先までの関節が痛い。

 よくよく考えてみると、邪悪龍を屠りし剣(ファフニール・スレイヤー)を使って何度も殴るのは初めてだった。結構腕に負担がかかるらしい。


「大丈夫だよ」


 しかし、そう答えておいた。フェールの心配そうな顔をいつまでも見ていたくなかったからだ。

 それに、フェールと一緒に旅することはもうないのだ。殴った程度で痛いなんて言ってたら、別れた後もフェールがずっと心配するかもしれない。うぬぼれかもしれないけど、フェールは優しいから可能性は否定できないし。

 すると、フェールが何かを察知したのか首を傾げた。


「リョーマ……?」


 参ったな、と微妙な空気に涼真は悩む。何も言い出せず、フェールの言葉を待つことしかできない。


「リョーマさん!」


 そうしていると、突然、フッと視界からフェールが消えた。何ごと、と思うや否や、今度は目の前が真っ暗闇になった。

 凄く甘い匂いがするし、何か柔らかい。やーらかいけど何だこれ。確認したくて頭を離そうとしても、何かにがっちりホールドされて動かない。息苦しい。


 というかこれ、何か以前触ったことがある感触だった。そうだ、カヤの胸だ。

 もう、そりゃそうなのだ。頭を抱きしめられて胸を押し付けられたら、そりゃ苦しいに決まってる。感触的に、顔面全部埋まってるし。当たり前だ。


「ああ、リョーマさん! あなたは何て人なのでしょう!」


 今度はしっかりと誰の声か分かった。マリナだ。

 マリナなら、さもありなん。胸はでかかった。ドレスがはちきれんばかりにでかかった。あのサッカーボールサイズなら、顔も埋もれるってもんである。


 そこまで悟り、現実を受け止め。ついに理性がボルケーノした。

 瞬間、ふぎゃー、と借りてきた猫みたいな叫びを涼真は上げる。


「ふぁふぃなふぁん!? ひょ、ひゃなふぃっ……!」

「わたくしに、また人を信じる力と勇気を見せてくださるなんて……。とても罪深い人だわ! とても、とても……」


 マリナの腕に、ギュウッと力が入る。大切な宝物を抱きしめるように。失って取り戻したものを慈しむように。

 それが手元にあることを確認するように、抱きしめている。


「ありがとう、リョーマさん」


 涙を流したマリナがそう告げると、涼真は静かになっていた。


「リョーマさん?」


 マリナが力を緩めると、涼真はぶはっと息を吸い込むと同時に慌てて離れた。

 静かになっていたのは、感動したわけじゃない。息ができないくらい抱きしめられて、意識が飛びそうになっていたのだ。

 むしろ、今ある生に涼真は感動していた。台無しであった。


「くは……! 死ぬかと思った!」

「ああ、わ、わたくしったら! ごめんなさい、リョーマさん」


 ふうう、と涼真は深呼吸して息を整える。

 それにしてもだ。改めて離れてみると、マリナの胸はでかい。あそこに顔を突っ込んでたとは、とんでもない事件だ。

 あれで死んでたら、死因としてパイ死にとか書かれたかもしれない。もはや自殺なのか他殺なのかもよく分からんことになってしまう。親が聞いたら泣くような未解決事件になるだろう。ほんとに、死ななくてよかった。


 しかしながら若い血潮はいかんともしがたい。鼻の奥が鉄臭くなってきて、涼真は顔を手で押さえる。出血多量死も笑えない。まったく、マリナは全身が涼真キラーなのだ。

 油断したらやられる、と思い、ついに涼真は自分の鼻を摘むに至った。


 そんな行動をして周囲の魔族たちから笑われていると、遠くから人の一団が騒がしい足音を立ててこちらへと向かってきた。よく見ると、マリナを火刑にしようとしていた村の連中だ。

 手には桑や鋤を持っていて、ただ事ではない。歴史で習った百姓一揆みたいな出で立ちなのだ。


 魔族たちに緊張が走り、涼真も警戒する。

 村人たちは魔族の一団の前までやってくると足を止め、リーダーらしい老人が一歩前に歩み出た。肩で息を切らせている老人は、間違いなくあの村にいたやつだ。


「騎士団のやつら、どこにいきおった!?」

「撤退しましたよ」


 老人の問いに、涼真が答える。老人は目を細めて、じっと涼真を見てきた。

 そして、何かを思い出したようにポンと手を打つ。


「おお、あなたはマリナ様の付き人ではないですかな!? マリナ様はどこにいらっしゃるのか、この老体にご教授くだされんか?」

「会ってどうするつもりですか?」

「謝りたい」


 老人は顔を歪めて、かんだ唇を震わせる。


「マリナ様は、わしらの恩人だ。神の使いを自称する騎士どもに脅迫されたとはいえ、石を投げるとは……」


 く、と老人は嗚咽を漏らす。ただでさえ皺だらけの顔に深い皺を刻んで、目の辺りを腕でごしごしとこすっている。

 その姿を見かねたのか、マリナが魔族の一団から姿を現した。

 村人たちがざわつき、次々と地面に座り込んでいく。老人も地面に這いつくばって、マリナに頭を下げる。


「誠に申し訳ない! この老体の非道、許してくだされ!」


 お許しください、申し訳ありません、と村人たちが謝罪する。その中から、幼い子供がマリナに近づいていく。。

 マリナの薬で助かったという男の子だ。そんな子供までも、頭を下げた。


「マリナ様、ごめんなさい。痛かったでしょ?」


 マリナはにっこりと微笑んで、しゃがみ込む。そのまま、男の子を優しく抱きしめた。


「いいえ、わたくしは大丈夫。それに、謝ることなんてないわ。だって、わたくしたちは互いに心を痛めたのだもの」


 男の子を抱き上げ、マリナは笑顔を村人たちに向ける。


「今回のことは、不幸な……。本当に不幸な、行き違いでしたわ。でも、今はこうして話し合うことができますもの。この幸運を、わたくしは素直に喜ぶべきと思いますわ」


 ふおお、と老人を始め、村人たちは声を上げる。


「なんと慈悲深いお言葉! 相手はかのヴァイス・オーデンといえど、マリナ様には指一本触れさせませんぞ!」

「そうだ! 今度こそ、マリナ様をお守りするんだ!」

「ヴァイス・オーデン、何するものぞ!」

「何やら、面白いことになっているな」


 異様な熱気があたりを支配していたが、その一言が一気に冷やしきった。魔族の一団から、シュバルツまでもが現れたのだ。

 あまりのことに村人たちは声を失っている。何しろ、彼らは反乱をほのめかすようなことを言ってしまったのだ。全員が全員、真っ青な顔になってしまった。


「は、伯爵様……」

「なに、安心しろご老体。魔族たちの首を取るような事態は避けられた。付き人とやらに十分な礼を言っておくことだ」


 咎めることもないシュバルツの言葉に、村人たちは頭を下げて感謝している。そして、言葉通りに涼真へと注目が集まる。

 涼真は嫌な予感に襲われた。でもまさか、いきなり逃げ出すなんて空気じゃない。しかし、嫌な予感だ。


 そして、それは的中した。老人が走り寄ってきて、抱きしめてきたのだ。

 むさ苦しい抱擁に、ぶぎゃああ、と尻尾を踏まれた猫みたいな叫びを涼真は上げた。


「よくぞ、よくぞマリナ様を守ってくだされた! ありがとう、付き人殿!」

「は、離してください!」


 涼真は本気で抵抗する。しかし、老人の力は凄まじい。毎日畑を耕しているだけあって、鍛え方が違うらしい。

 何とかトラバサミばりにしつこい腕を振りほどく。それでも抱擁してこようとする老人と、がっぷり四つの取っ組み合った。


「やめてくれって言ってるんですよ……!」

「何も照れることはなかろうて……!」


 涼真と老人の周りでは、魔族と村人による賭けが始まっている。その中に、マリナとフェールまで姿が見える。抱擁を受けたら、涼真の負けとルールが決められたようだ。

 野次と笑いが飛び交う。仁義なき戦いが、今始まったのだ。


 その賭けに参加しない者も、当然いた。シュバルツは役目が終わったといわんばかりに、人だかりへ背を向ける。

 愛馬に歩み寄ると馬具を点検し、その背をなでる。


「どこにいくつもりかしら?」


 そんなシュバルツを呼び止めたのは、リュシーだった。


「せっかく近くまで来たのだから、食事でもどう? それとも、お礼もさせてくれないのがヴァイス・オーデンの礼儀なのかしら?」

「礼? 俺は何もしていない」

「馬鹿ね。あなたがわたしたちの側についてくれたから、あいつらの不利が確定したのよ。そうでもなかったら、あのヤルダット教の十剣がテョストなんて受けるわけないわ。わたしがそんなことにも気づかないと思った?」

「中々面白い持論だ」


 いつものように、シュバルツは眉一つ動かさない。全く耳を貸す様子もなく、馬具に足をかけている。


「ちょっと……!」


 リュシーの声で、シュバルツがこの場を去ろうとしていることに涼真は気づいた。老人との不毛な争いを中断し、シュバルツとリュシーの方へと歩み寄る。

 マリナとフェールも事態に気づき、駆け寄った。


「そうですわ、シュバルツ伯。わたくしも、ちゃんとお礼を申し上げておりませんでしたもの。ぜひ、屋敷まで足を運んでくださいまし」

「……いちにい、たまには気分転換も必要だよ」


 一度だけ、シュバルツは振り返った。しかし、すぐに顔を背ける。


「悪いが、時間がない」


 取り付く島も無い、という感じだ。すると、今度は村人たちがやってきて、シュバルツを引きとめ始めた。


「聞いた話じゃ、伯爵様が話を取りまとめてくれたそうですな。わしらからも、お礼をさせてくれませんかな?」

「先ほども失礼なことを言ってしまったし、お詫びもさせてください!」


 村人たちの声も、シュバルツには届いていないようだった。どこ吹く風、といった様子でフランクフルテンの方角を見つめている。

 涼真は、腕組みしながら、むう、と唸った。


 シュバルツは冷血合理主義的な一面がある。もしかして全面かもしれないが。とにかく、情で動くタイプでないことは確かだ。それは、支配者として一種の美徳といえる。

 だったら、理を説けば耳を貸す可能性もある。偉そうなことも凄いこともいえる自信はないけど、嘘でも何でもいいから言ってみることにした。

 シュバルツに近づいて、涼真はこそこそと耳打ちする。


「シュバルツさん、ここは会食に参加した方がいいですよ」

「なぜだ?」

「僕だけ魔族と親交深めたって意味無いです。でも、シュバルツさんなら効果があります。仲良くなれば、戦争の時だって魔族が協力してくれるかもしれませんよ」

「なるほど、協力か。面白いことを言う」


 思えば、涼真が肌で触れてきたシュバルツの政策には、魔族との協力なんて発想はなかったかもしれない。どちらかというと、触れないようにして平和を保つ考え方だった気がする。

 だからこそ、シュバルツは面白いと思ったようだ。


「お前の例もある。その意見に異論はない。ただ、時間がないのもまた真実だ」


 シュバルツは、フランクフルテンの方角を見る。そのとき、青い光が空に上がった。


「……いや、それも解決したようだな。言葉に甘えるとするか」


 馬具から足を離して、シュバルツはリュシーの前へと歩み寄る。次いで、恭しく一礼した。


「お誘い、感謝する。謹んで受けよう」

「まったく、最初からそう言いなさい」


 ふいっとリュシーが顔を背ける。でも、どこか嬉しそうなのは気のせいじゃないんだろう。

 素直じゃないな、と涼真が思っていると、フェールがついっと袖を引っ張ってくる。


「リョーマ、いちにいに何て言ったの?」

「う~ん、何ていうか。血も涙もないこと、かな」


 涼真の回答を聞いて、フェールは嫌そうな顔をした。唇をへの字に曲げて、怯えた様子だ。何か、これから血祭りが始まるとか思ってそうだ。

 でも、鉄血な言葉だったのは本当だし。これから誰かが変えていけばいいんじゃないかと、涼真は安易に考えていた。







 日もとっぷり暮れて、フクロウらしき鳴き声が聞こえるようになったころ。魔族の村の広場に、ほのかな明かりを放つろうそくが何本も立てられた。

 貴賎の関係ない、立食パーティーが催されたのだ。人と魔族の融和を祝い、さらなる発展を願ったパーティーだ。


 白い丸テーブルの上には、この世界で類を見ないほどに贅沢な食事が置かれている。チキンを丸焼きにして濃厚なソースをかけたものや、肉の塊を輪切りにして盛ったステーキ。ライスや、ブドウを混ぜたパンなど滅多にお目にかかれない多様なごちそうだった。

 飽食国家日本でも十分に贅沢だろう。だというのに、涼真は不満だった。何しろ、右手が包帯で巻かれて使えないのだ。


 何でこんなことになってしまったかといえば、ドアとタイミングが悪い。

 いつもの調子でドアを開けようとしたら、右手にちょっとした痛みが走った。なんてことない、関節痛だ。でも、その光景をフェールに見られたが運の尽き。

 大怪我と勘違いされて、しかし目前のパーティーを欠席するわけにも行かず。魔法で治すまで絶対安静と、右手を固定されてしまったのだ。

 まったく、ばれるタイミングが悪すぎたのだった。


 仕方なく、左手で食べようとする。でも、両手が使えないとうまく肉を切り分けられないし、左手の食事に慣れてないからフォークやナイフの使い方もへたくそである。

 そんなこんなで皿の上の肉と悪戦苦闘していると、フェールが駆け寄ってきた。片手には皿を持っていて、その上には食べやすいように肉が一口サイズに切ってある。

 あれなら、フォークで差すだけで食べられる。さすがはフェール、人の気持ちがよく分かっているのだ。


「はい、リョーマ! あーん」


 一口サイズの肉がフォークに差され、フェールの手によって涼真の口元へと運ばれてくる。そんな馬鹿な、と涼真は心の中で嗚咽した。

 確かに、市場でも同じ事をやった。衆目の前でやらかした。そんでもって、フェルグスにからかわれた。非常に恥ずかしい思い出だ。


 でも、あれは周りが知らない人たちだったからできたことだ。そんな出来事、誰だってすぐ忘れるわけだし。

 しかし、しかしだ。ここには知り合いばっかりだ。魔族の人たちだってある程度顔は覚えたし、村の人たちだって声をかければ分かるくらいなのだ。

 リュシー、マリナ、シュバルツだってここにはいる。フェールがあんなに大きな声で言うもんだから、みんな見ている。

 さすがにハードルが高すぎて、涼真は下をくぐることにした。


「い、いいよ、左手は使えるし! 自分で食べるよ!」

「えー? 遠慮することないのに」


 残念そうに、フェールが手を引く。人に食べさせてあげるのが、フェールには楽しいことらしい。

 ともあれ、恥ずかしい行いは回避された。安心して、左手でフォークを握ろうとする。


「あ、れ? あれ!?」


 だが、左手は動かなかった。しびれて、感覚がなくなっている。何で、と慌てていると、人差し指をこちらへと向けているシュバルツが視界に入る。

 あの人、魔法で何かやったらしい。眉一つ動かさないポーカーフェイスなので、誰も気づかないけど。顔の下では、悪代官みたいなやらしい笑みで爆笑しているに違いない。


「どうしたの、リョーマ?」

「何か、左手動かなくなっちゃって……」

「え!? じゃあ、ご飯食べたらすぐ診てあげるね!」


 フェールがそういうと共に、再度、お肉が涼真の口元へと運ばれる。


「はい、あーん」

「く! 食べるしか……。これしか方法はないというのか……!」


 拳を握りたくても、涼真には動く手がない。真面目に食べられないし、いよいよ観念せざるを得なくなってきた。

 たっぷりと汗をかいて、ようやく決心がついた。肉を口にほお張ると同時、周囲がヒューヒューとはやし立てる。

 味しないし、ダンボールでも噛んでるような心地だ。緊張すると味がしないというのは、本当だった。


「リョーマさん」


 名前を呼ばれて、涼真は声のほうへと振り向く。すると、喜色満面といった笑顔で、マリナが立っていた。

 手にはスプーンを持ち、ライスが一口分盛ってある。


「ほら、あーんして。あーん」


 ああそうね、と涼真は納得する。

 肉と来れば、ライスが欲しい。マリナは和の心をよくご存知であらせられる。


 恐るべし、シュバルツ=ホーフハイマー。こういうことは、二人の世界にどっぷりでないと非常に恥ずかしいのに。それを二人の女性相手に、しかも強要させるなんて。

 あの人には今後油断しない。しかし、今は潔く負けを認めよう。


 そんなわけで、ライスをぱくつく。今度は、周囲からドッと笑いが起こった。

 さて、もはや恥も外聞も忘れて食べさせて貰うのに慣れてきたころ、涼真は挙動不振な人物を一人見つけた。リュシーだ。


 華やかな飾りのついたロングスカートの白いドレスは、長袖タイプでいつもより露出が少ない。とはいえ胸元だけはばっくりなので、いかんともしがたい谷間が強調されている。

 全体的ないでたちを見ると、映画でフランス貴族がよく着ているドレス、ローブ・ア・ラ・フランセーズに似ているといえるだろう。


 長い髪を編みこみ、ハーフアップにしている。かなり支度に手間がかかっていそうだ。何とも気合が入っている。

 だが、妙にそわそわしている。チラチラと様子を伺う視線の先には、シュバルツの姿があった。


 ははあ、なるほど、と涼真は思い当たる。

 パーティーが始まる前、リュシーはやたらとシュバルツの好みを聞いてきた。でも、涼真に分かるのはシュバルツが大変な合理主義者ということだけだ。なので、格好よりも一言声をかけるのが大事と言っておいた。

 もうパーティー開始から一時間も経とうというのに、その一言めの踏ん切りがつかないのだろう。普段から高慢ちきな自信家が、これからどう出るのか見ものである。


 いやしかし、面白がっているより助け舟を出した方がいいかもしれない。何も起こらず終了、なんてことになったら、あのお嬢様はいつぞや聞いたジークフリートの二の舞をやらかすことになってしまう。

 よし助けよう。そう決めて席を立とうとすると、誰かが腕を掴んで静止した。マリナだった。


「時間はまだあるし、放っておいても大丈夫。もう少し様子を見ましょう」

「マリナさんがそういうなら」


 フェールとマリナと談笑しているふりをしつつ、涼真はリュシーの様子を伺う。

 それにしても、リュシーの顔が赤い。そわそわしてたと思ったら、グラスを手にとって何かを仕切りに飲んでいる。

 ふふ、と隣にいたマリナが笑いを漏らす。


「お姉さまったら、昔からああなの。そわそわしてるときは、必ずああやってお酒飲んじゃうのよ」

「もしかして、始まってからずっとですか?」

「ええ、そうよ」

「大丈夫なの? 飲みすぎると、身体によくないんだよ?」


 フェールが心配そうに告げると、マリナは事も無げに頷く。


「お姉さま、お酒強いから。でも、そろそろね」

「そろそろ?」


 涼真とフェールは、じっとリュシーを見つめる。

 確かに、何やら様子が変わった。チラチラの動作がなくなり、とろんとした目でシュバルツを見ている。そしてついに、フラフラと歩み寄っていく。


「ちょっとぉ、シュバルツぅ~」

「何だ、リュシーか」


 他の魔族と会話していたシュバルツは、それを切り上げる。

 リュシーの声は、普段からは想像もできないような猫撫で声だった。その異常さに気づいたらしく、会話していた相手がそそくさと離れていく。


「何だ、リュシーか。じゃあないでしょぉ。何でわたしと話すときは、いっつもしかめっ面なのよぉ?」


 そういいながら、リュシーが真顔になって、シュバルツのポーカーフェイスを真似る。

 酷い言いがかりだ。シュバルツはいつだってあの顔だから、別にリュシーのときだけ仏頂面なわけじゃないのに。一言声をかけるのが大事と言ったのは涼真だが、既に色々と終わっている気がする。


「何よ何よぉ。あんた、わたしのこと嫌いなわけぇ? どうしてそんな意地悪ばっかりぃ……」


 ばっかりばっかりぃ、とのたもうて、リュシーがシュバルツの胸をどついた。遠慮なく、ばっかりなどと言う度に。最悪の展開だ。


「だいぶ酔っているな?」

「酔ってなんかないわよぉ!」

「酔っ払いはみなそう言うものだ」

「だってだってぇ。わたしの誘い、全部断るなんてぇ。許せないのよぉ!」

「誘い? 何の話だ?」

「会食に誘ったでしょぉ?」

「あれは親父殿からの誘いだろう?」

「違うのぉ! 違うってばぁ!」


 そう叫ぶと、リュシーはテーブルの上のワインボトルを引っつかみ、ジョボジョボとワイングラスに注ぐ。その後、何故かボトルの方に口をつけ、ラッパ飲みを始めた。

 最後の一滴まで飲み終えて、ぷはぁ、と景気よく吐息を漏らす。もはや飲み屋の親父顔負けの酒癖だった。


「あれはぁ、建前! に、決まってんでしょぉ! お父様にお願いしてぇ、準備してたのにぃ。まったくぅ、戦略戦術の天才とか言われる割にぃ、乙女心も見抜けないあんたの慧眼なんてぇ、節穴だらけ! 今度会うときまでにぃ、塞いどくこと!」


 塞いどくこと、と述べた後、即座にリュシーが次のワインボトルを掴む。またしてもダパダパとグラスにワインを注ぐが、飲んでないのであふれ出す。

 それに気づいたリュシーは、のどを鳴らしながらグラスのワインを飲み干した。物の次いでと言わんばかりに、ボトルの方も飲み干す。


 リュシーは、りんごか、いちごか、というほどに真っ赤になっていた。当然、周囲は真っ青だ。

 こんなに罵倒されてもポーカーフェイスに動きがないとは、さすがにシュバルツだ。しかしそれがいけなかったのか、感極まったようにリュシーがぐしゅぐしゅ言いながら泣き出した。

 というか、単に泣き上戸が始まっただけな気がしてならない。


「うううう! シュバルツが意地悪するのぉ。わたしがこんなにこんなに好きなのにぃ!」


 その一言で、場が一瞬で静まり返った。自然にシュバルツとリュシーへ視線が集まる。

 酷い告白だった。酒の勢いを借りて、などというスケールじゃない。


 そうだ、これは飲んデレだ。リュシーは、飲むとデレてしまうんだろう。そうじゃなければ、何だというのだ。

 しかし、シュバルツもさるもの。これだけの人の前でドッキリな告白なのに、無表情を保っている。


「どうやら、リュシー嬢は大変酔われたようだ。水の魔法で頭を冷やされるがよかろう」


 近くにいた魔族に協力させて、シュバルツはリュシーを屋敷へと連れて行く。果たして、シュバルツの論点ずらしによりその場は収まった。

 安堵のため息を漏らす涼真とフェールだったが、マリナはクスクスと笑っている。


「うまくいったわね」

「どこがですか……」

「心臓止まるかと思った……」


 涼真とフェールは半ば呆れて答えた。それでも、マリナはにんまりしている。


「お姉さま、ジークの前では絶対お酒飲まなかったから。でも、今度は飲んだから、ちゃんと気持ちを伝えられたでしょう?」

「まあ、そうですけど」

「いいのかな、あれで」

「いいのよ。後はどうなるか、二人次第だわ」


 本当に楽しみにしているように、マリナは笑っている。

 でも、確かに一歩前へと進んだわけで。それなら見えないところでやって欲しいと、涼真はつくづく思った。

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