第十一話 ジークフリート
悪夢の火刑場から逃げ出して、二十分ほどが経った。その間、マリナを背負って走り続けても涼真は疲れを知らなかった。神託の宝具による体力供給のおかげで、息もつかずに走ることができるのだ。
あらかじめ決めておいたフェールとの合流点近くに達し、涼真は辺りを見回す。見渡す限りの草原と、近くに見える魔族の住む森。そして、いつもの目立つ探偵帽と探偵服が目に留まった。
「リョーマ! こっちこっち!」
フェールが大きく手を振っているが、どうにもおかしい。誰かが一緒なのだ。それも一人二人ではなく、二十、三十人は下らない。
目を凝らすと、一団の中にリュシーの姿があった。何でここに、と疑念を持ちつつ駆け寄る。
「マリナ!?」
リュシーは涼真に背負われたマリナを見て、たいそう驚いたようだ。普段は絶対に出さないような素っ頓狂な声を上げている。
「そんな、本当に助け出してくるなんて……。あなた一体……?」
「そんなことより、マリナさんの様子がおかしいんです!」
涼真は草の上にしゃがみ込むと、急ぎつつも優しくマリナを寝かせた。
ここへ来る途中、マリナが突然に意識を失ってしまったのだ。うなされるような苦痛の表情と震える体は、酷い熱病に浮かされているようだ。少なくとも、尋常ではない様子と見て分かる。
落ちないように捕まっていた手だって、最後は苦痛を堪えるためにしがみついてきているようだったし。
フェールとリュシーも草原に膝を着くと、マリナの顔を焦ったように覗き込む。
「マリナさん、どうしちゃったの? 酷い汗だよ」
「大変だわ。ニードル・アントの毒よ」
「毒!?」
口元に手を当てて、フェールが驚きの声を上げた。
「ええ。全身を酷い激痛が襲う毒よ。誰がこんな酷いことを……!!」
ぎりぎりっと音を立てて、リュシーが歯噛みする。よほど頭にきたらしく、己の歯を噛み砕かんとするほどに。
「セドリック! こちらへ来なさい!」
リュシーは背後に控えている魔族たちに、手で合図する。一人の若い男の魔族が顔を出し、サッと駆け寄ってきた。
「すぐに治療を始めなさい」
「お任せを」
魔族の男が、懐から小瓶を取り出す。透明の液体が入っている小瓶だ。
そのふたを開けると、慣れた手つきでマリナの口に運んで飲ませる。次いで、男が手をかざすと、マリナの身体を緑色の光が包んだ。まるで何百という蛍が飛んでいるかのような光景だ。
緑色の魔力による治療が始まったのだった。
それを知らない涼真でも、何となく治療と分かって胸を撫で下ろす。
「ところで、リュシーさんたちはどうしてここに?」
魔族たちの格好は、かなり物々しかった。鎧こそ着ているものなど一人もいないが、手には槍や剣、弓を持っている。今から戦争でも始まりそうだ。
「それはわたしが聞きたいわ。あなたたち、誓約書にまでサインして……。どういうつもり?」
「そんなの、決まってるじゃないですか」
涼真にとって、それは投げかけられるような疑問ではなかった。だって、マリナを助けるのは当然だ。
何しろ、マリナは。
「友達ですから」
「そう」
リュシーはポツリともらす。嬉しそうな、悲しそうな、憂いているような、何ともいえない複雑な表情を浮かべている。
マリナ同様、リュシーもたくさんの人たちに裏切られてきたのだろう。だから、本当に信じていいのか、素直に受け取っていいのか、分からないのかもしれない。
草原を一陣の風が吹き通り、さわさわとリュシーの長い髪を煽る。しばしの沈黙が訪れ、魔族たちが息を飲んでリュシーの言葉を待つように注目している。
ようやく、リュシーが口を開こうとしたとき、涼真は何かの音を聞きつけた。立ち上がって、背後をうかがう。
すると、草原の丘の天辺から、馬にまたがった二人の騎士が駆けてくるのが目に写る。フェルグスとヘグニ、二人の十剣だ。
「くそ、もう追いついてきたのか!」
マリナの治療はまだまだ始まったばかりだ。この場所から動けない。
二人はあっという間に涼真たちの目の前までやってきて、馬を立ち上がらせて止めた。
フェルグスが満面の笑みを涼真へ向けてくる。
「やあ、また会ったねリョーマ君。もう鬼ごっこは終わりかい? ……おや?」
二人は涼真の周りを見渡して、目を瞬かせた。
ヘグニが自分の指を折りながら、魔族を数えだす。
「七、八、九、十……。えーっと。指が足りねーほどいるじゃんよ!」
「ヘグニさんは本当に勉強した方がいいんじゃないかな? ざっと二、三十人ほどだ」
「うるせえ! ちょっと計算に時間がかかってるだけだっての!」
大声で、ヘグニがフェルグスに噛み付く。
非常に騒がしい二人のやり取りを見つつ、涼真は後ろ手にS&Wモデル2アーミーを握った。その手にかいた汗と共に。
さすがに緊張する。二人は十剣、ディートリヒと同じ十剣なのだ。
人より強いとされる魔族、それもその集団を前にして、これだけ余裕の態度を見せている。要するに、この場を切り抜ける自信があるのだ。もしかすると、二人にとっては切り抜けるなんて大げさなことじゃないかもしれない。
そんな二人の不遜な態度に業を煮やしたのか、リュシーが涼真の前に出た。
「あなたたち、何か用かしら? ただの偶然なら、早々に立ち去りなさい」
二人は騒ぐのを止め、リュシーに注目する。フェルグスが、いつもの愛想笑いを浮かべた。
「いやなに、大した用事ではありません。そこの人間二人と、そこで寝ているあなたの仲間を引き渡してもらいたいのです」
「何ですって!?」
リュシーの目が、獲物を見つけた肉食獣のようにギラギラと光る。犬歯をむき出しにして、フェルグスを睨みつけた。
「あなたたち? マリナにこんな仕打ちをしたのは! よくもわたしの妹を!」
「おやおや、どうやら返事は色よくないようだ。では、礼で無く剣で応えよう」
フェルグスが、音も立てずに腰のショートソードを引き抜く。同時にガシャッと豪快な音を立てて、ヘグニがショートソードを構える。
それを見たリュシーは、マリナをチラリと見て、悔しそうに声を絞り出す。
「これだけの人数を相手に、どうにかなると思っているのかしら? 劣族ごとき、一対一でも遅れは取らなくてよ?」
「それはどうかな? 数の上でも、質の上でも、我らの方が有利だ」
余裕の笑みを浮かべたフェルグスは、草原の遥か水平線を指差す。そこでは、砂塵が起こっていた。
村にいた騎士団が追いついてきたとも涼真は思ったが、方向が違う。どちらかというと、フランクフルテンの方角だ。
「察しの通り、ヴァイス・オーデンのお出ましだ。魔族狩りのため、わざわざ呼んでおいたんだよ。感謝して欲しいね、最強の騎士団の力を体験できるんだから」
呆然と立ち尽くして、リュシーは地平線を眺めている。よほどショックだったのか、拳を握り、腕を震わせて。
「……そう、あなたもなのね」
悲しみを堪えるように、リュシーは呟く。その姿は散っていく花のように儚くて、弱々しい。
リュシーは、花びらが風で翻るようにふらりと魔族たちの方へと向き直った。
「戦闘準備! 劣族はここで叩くわ! 一人たりとも、森に近づけては駄目よ!」
「おお!」
弓を番え、剣を構え、魔族たちが一様に敵意の視線をフェルグスとヘグニに向ける。リュシーが号令すれば、終わりが始まる。
リュシーは分かっているはずだ。人はフランクフルテンを築き、富を集め、力を蓄えたことを。
今戦争になったら、魔族はこの森にさえとどまることはできないだろう。長く辛い、虐殺と放浪の日々が始まるだけだ。
「待ってください、リュシーさん! そんなことをしたら!」
涼真は慌てて叫ぶ。しかし、リュシーは振り返りもせずに天を仰いだ。
「いいのよ。もう全てが遅いわ。やっぱり、ヴァイス・オーデンは最初から裏切るつもりだったみたいね。わたしも、マリナも、村のみんなも。馬鹿にしてるわ」
草原に吹く風が、悲しむように鳴いた。リュシーが外に表せない感情を、代弁するかのように。
「せめて、友人のために戦えることがわたしたちの慰めね。リョーマ、フェール、安心なさい。あなたたちに、指一本触れさせはしないわ」
スゥッと、深く深く、リュシーは空気を吸い込む。
フェルグスは口の端をゆがめ、開始のときを待ち遠しそうに待っている。
ヘグニも、これだけの魔族を前に余裕の笑みを崩さない。
怯えたように、フェールは涼真に歩み寄って腕を掴む。
場は緊張が支配し、均衡が続く。一度流れ出せば止まらない濁流となる、危うい均衡だ。
数秒もたっていないというのに、涼真は酷く長い時間が経過したように感じていた。目の端に映る砂塵が、どんどん近づいてくる。
そして、おかしいことに気づいた。
砂塵が、異様な速度で近づいてくるのだ。まるで竜巻が襲ってくるような感覚だ。
改めてよく見てみると、数分もしないうちにここへと到着しそうだった。何より、腹の底から響く、地鳴りのような迫力と威圧感を秘めている。その異様さに気づいたのか、いつの間にか全員が地平線に注目していた。
砂塵はやがて一組の騎士と騎馬のシルエットへと変化していく。
騎馬は不自然に頭を下げて、前のめりになって走っている。騎士も低く姿勢をとり、伏せるようにまたがっている。そして、異様なことに、騎馬の後ろには大風が起こっているように砂が天高く巻き上げられていた。
騎士が馬を立ち上がらせて止まるや否や、目をくらませるほどの風がゴウッと唸りをあげて通り過ぎ。その場の全員が、腕を構えて己の身体を庇う。
「どうやら、間に合ったようだな」
涼真が目を開けると、声の主がストッと軽快に地面へと降り立つところだった。
眩いばかりの白い軍服とマントに身を包んだ、何ともつかみどころのない表情を持つ黒髪の男。この地の支配者にして、ヴァイス・オーデンの騎士団長。シュバルツだった。
それにしても、騎士団どころか護衛の一人も見当たらない。リュシーは裏切られたと言っていたが、魔族狩りにきた様子ではないように思える。
あるいは、一人で十分という自信の表れかもしれない。腰には剣を差しているようだし、見聞にやってきたわけはないだろう。一応、油断なく構える。
すると、シュバルツは周りの注目を気にしたふうもなく、涼真の前に歩み寄ってきた。
「リョーマ、死人はでてないか?」
「幸いにも、まだ出てません」
「そうか、ならいい」
短く言葉を交わすと、シュバルツは涼真の横を通りすぎていく。一連のやり取りを心配そうに見つめていたリュシーだったが、シュバルツと目が合った途端、ハッとして目をそらしていた。
更にシュバルツがリュシーの横を通り、前に出る。対峙したフェルグスとヘグニは、片や肩をすくめ、片や戸惑うように頬をかく。
「辺境伯一人でご出馬とは……。いくらあなたが強くとも、魔族狩りに一人はないでしょう。我々は、神の御名の元に、ヴァイス・オーデンに依頼したはず」
「全くそのとおりじゃんよ。いくらシュバルツ様でも、一人はねーよ。一人は」
二人の批判にも眉一つ動かさず、シュバルツは涼しい顔をしている。本当に、何を考えているのか分からない。
「まあ、支部の騎士団が追いついてきたようですし、何とでもなるでしょう」
なるほど、フェルグスの言葉通り、草原の丘の向こうから馬蹄の響きが聞こえてくる。もうすぐ、丘の天辺を越えて姿が見えるはずだ。
「さあ、始めましょうか。この地の浄化を」
フェルグスの言葉に、魔族たちは一斉に身構える。その大半は、シュバルツに向けられたものだ。
しかし、シュバルツはゆっくりと首を横に振った。
「これ以上、魔族に手を出すことは許さん」
信じられないことを耳にしたかのように、フェルグスとヘグニが固まっている。リュシーも、いや、誰もが己の耳を疑っているらしく、一様に動けずにいる。
それらの呪縛を破るように、あ、はは、と笑いを漏らして、フェルグスが額を片手で抑えた。
「笑えない冗談だ。魔族は討つべき存在……。神敵です。それに、あなたは都市の外での我々の活動を認めたはず。その約を違えるおつもりか?」
「俺は魔族についてまで、許可した覚えはない。どうしてもというならば」
眉一つ動かさなかったシュバルツの瞳に、いつしか断固たる決意の力が宿っている。
「テョストだ」
シュバルツの言葉を聞きつけて、魔族たちが騒ぎだす。
テョスト。それは涼真にも聞き覚えのある単語だった。
マリナの話に出てきた、互いの主張に決着をつけるための一騎討ちだ。勝った方が、主張を通すことができるとされている。確か、シュバルツはこの方法を魔族との同盟時にも用いたと言っていた。
となれば、シュバルツはフェルグスとテョストをやるつもりということだ。しかし、フェルグスは首を縦に振らない。
「馬鹿な、そんなものは認められない! 一国の貴族、それも神に仕える十士が神敵のために戦う!? そんな前例は聞いたことも無ければ、未来永劫作っていいはずがない!」
「素直に言ったらどうだ? 勝てる自信がないと」
く、とフェルグスが押し黙る。どうやら図星を突かれたらしい。
シュバルツは普段のポーカーフェイスに戻り、淡々と告げる。
「しかし、お前の言うことも道理だ。ここは代理を立てるとしよう」
ツカツカと歩くシュバルツは再び涼真の横を通り、すれ違いざま、静かに言う。
「すまんが、後は任せた」
魔族と人が、草原の中で対峙していた。ヤルダット教支部の騎士団が到着し、魔族の前に陣取ったのである。
騎士たちは、フェルグス、ヘグニを中心に盛んに意見を交わしている。どうやら、誰をテョストの代表にするか話し合っているらしい。
涼真はその様子を眺めながら、付け焼刃に教えてもらったテョストのルールを反芻する。
テョストでは、相手を殺してはいけない。誤って殺してしまったとしても、それは大変不名誉なことである。ゆえに、殺した方は相手の条件を飲むばかりか、相手方の家族に生活の保障などの支援をしなければいけない。
武器は互いに一つずつ。武器が破損しても、取替えは認められない。ただし、お互いに武器の交換を意志表示したときは認められる。
後は何でもあり。腕を斬り落としてもいいし、ぶん殴ったっていいし、土を使って目潰ししたっていい。魔法も認められている。
殺されないとは分かっていても、腕の一本も持ってかれる可能性がある。その事実だけで、下っ腹が締め付けられるみたいだ。
「やっぱり、わたしが代わろうかしら?」
振り返ると、リュシーが髪を掻き揚げながら立っていた。髪が長いため、風に流されるのを迷惑そうにしている。
「わたしたちの問題なのよ。あなた一人に危険を冒させるなんて、何だか気が引けるわ」
「それはできません」
「どうして?」
「誓約書、書いたじゃないですか」
「あんなもの……。気にする必要なんてないのよ、馬鹿ね」
「いえ、あれが重要なんです。あの誓約書がある限り、ここでのテョストはリュシーさんたちに無関係です。シュバルツさんだって、テョストを取り仕切ってるだけなんです」
涼真がサインした誓約書は、涼真の行動が魔族と関係ないと証明するものだ。このテョストは、あくまで個人の私闘ということなのだ。
シュバルツは、テョストの場を設けたに過ぎないという立場。涼真はシュバルツの使者だが、みんなが黙っていれば知られようも無いことだし。
つまりは。
「僕が勝ちさえすれば、誰も責任を問われなくて済むんですよ」
「大した自信ね。相手は十剣のどちらかよ? あなたが負けたら、やつら遠慮なくわたしたちの村を蹂躙するでしょうね」
「リョーマは負けないよ!」
横から、フェールが勇んで口を挟んだ。
「リョーマは凄く強いんだから。十剣の一人も倒してるんだよ!」
「……そうは見えないけど?」
疑り深く、リュシーがじろじろと涼真の身体を見回す。
そりゃもう、涼真が一番よく分かっている。この世界の男たちに比べ、腕は細っこいし、腹筋だって割れてない。実際、運動だって苦手だ。認めたくないけど背だって低いし、迫力にかけるだろう。
「もしかして、魔法士なのかしら?」
「そうですね……」
涼真は苦笑いした。
もちろん、魔法だって使えない。この世界なら、最底辺の劣等生なのだ。
でも、代わりに神託の宝具がある。プリカーサーと呼ばれる古代人たちの残した、科学の遺産が。
命を捨てない限り誰にも手渡すことのできない、涼真だけの力だ。
「似たようなものです」
頼りない答えを聞いて、リュシーは小さく笑う。
「本当に馬鹿だわ。自分から貧乏くじを引くなんて」
「自覚はありますよ」
そう、誰しもが幸せになれる選択肢なんて、最初から無かった。例え勝利を得たとしても、ヤルダット教の追撃が酷烈さを増すだけだ。
だからといって、みんなが不幸になる選択肢をとることはできなかった。そんなことしたら、後味悪い。
大体、この異世界に来てしまった時点で、凄い貧乏くじを引いている。命を狙われるのなんて、今更だ。
この際、貧乏くじの一つや二つ、引いてやる。
「気負う必要なんて無いわ。あなたが負けても、恨んだりしないから」
「そうだよ、リョーマ。無茶だけはしないで。怪我したらやだよ?」
フェールの頭を撫でながら涼真が首を縦に振ったそのとき、魔族たちの中から、わあっと歓声が上がった。見ると、マリナが起き上がっていた。
まだ頭を痛そうにもたげているが、治療が無事に終わったようだ。
それを確認した後、涼真は自分の戦場に目を向けた。
「気にしないでください。怪我とか、気負いとか。だって、ここは世界に宣戦布告した……。僕の戦場なんですから」
シュバルツの政策。リュシーの思い。そして、マリナの千年分の努力。全てを託された涼真は、一歩を踏み出した。
「やあ、待たせてしまって悪いね」
涼真と対峙した相手、フェルグスはいつもの愛想笑いを浮かべていた。今となっては薄気味悪くて、全ての悪意を覆い隠すためのマスクのようにしか見えない。
「今生の別れは済んだかい? 僕が君に勝った途端、後ろの魔族は皆殺しだ。君のガールフレンドも含めて、ね」
「必要ないさ」
「……それはそれは。いらぬ気遣いだったようだ。一応規則だし、自己紹介しておこうか。僕はフェルグス。ヤルダット教の神官、そして十剣だ」
「神崎涼真」
二人は短い会話を切り上げ、互いに十メートルほど距離をとる。そこの間へシュバルツが入り、涼真とフェルグスの顔を交互に見る。
「古来よりの礼に習い、それぞれ要求を宣せよ」
シュバルツに促され、まず涼真が口を開く。
「魔族に一切手を出さないこと。この場から早々に引き上げ、起きたことは一切忘れることを要求します」
続いて、フェルグスが静かに告げる。
「ホーフハイマー領における魔族狩りの許可。及び、リョーマ=サカモト、フェール=デルプフェルトの引渡しを要求する」
二人の言葉を聞き終えて、シュバルツがその場を離れていく。そして、十分な距離をとると、手のひらを空へと向ける。
吹いている風が弱まり、シュバルツの頭上に集まっていく。やがて風の玉ができあがり、太鼓のような音を立てて、ドンと爆ぜた。
開始の合図だ。
フェルグスが素早くショートソードを抜き放ち、追い風を味方につけてチーターのように地面を蹴る。銃が相手だというのに、一直線に突っ込んでくる。
そんなこと、涼真にとっては予測の範疇だ。ディートリヒもそうだったから。ここは、邪悪龍を屠りし剣によるカウンターを狙う。
フェルグスが目の前まで一息にやってきて、ショートソードを振り下ろす。
そこで、涼真は即座に違和感を感じた。
邪悪龍の血液の有効範囲に入っているにも関わらず、一向に分解が始まらない。
本能的に、涼真は防御へと思考を切り替える。振り下ろされるショートソードの軌道に、邪悪龍を屠りし剣の銃身を合わせた。
ガキッという金属音と共に、青白い火花が散る。真正面から受けてもサーベルの衝撃を殺しきれず、涼真は地面に転がる。
「くそっ! どうなって……!?」
起き上がろうとした涼真の視界に、ショートソードの刃が写った。フェルグスの追い討ちだ。
とっさに身体を転がす。涼真のローブがショートソードの切っ先に当たる。ローブが破れたが、かろうじてそれだけで済んだ。
「いいぞ、そのまま叩っ斬っちまえ!」
「神敵に死を!」
支部の騎士団連中が、大きく盛り上がって野次を飛ばしていた。
何とかチャンスを得て、涼真は立ち上がる。あいつの狙いは、どうやら腕だ、
邪悪龍を屠りし剣を握っている右腕を狙ってくるのだ。
「しっかりなさい! リョーマ!」
「リョーマ! 気をつけて!」
背後から、リュシーとフェールの声援が届く。目の端に、マリナの姿も映った。
受けたことの無い黄色い声に喜ぶべきところだが、今の涼真にそんな余裕は無かった。
ショートソードが触れた瞬間、邪悪龍を屠りし剣を使って体力を奪おうとした。でも、またも気色の悪い感覚に阻まれた。
頼みの邪悪龍の血液も通用しない。
これじゃあ、普通より少し劣る高校生の実力でしかない。剣のプロを相手にして、今生きているのが不思議なくらいだ。
邪悪龍を屠りし剣は魂がまだ負けているとして、邪悪龍の血液は心当たりが無い。
何でだ、どうしてだ。焦りばかりが募る。
元素分解シールドを突破できるのは、魂を持つ人間だけのはず。それなのに、ショートソードが貫いてくる。そういえば、フェルグスに不意打ちで殴られたときも、腹に食い込んできたのは金属の拳だった。籠手を分解してなかったのだ。
まさか、付喪神よろしく、物に魂が宿っているわけでもあるまいに。
チキ、と音を立てて、フェルグスがショートソードの切っ先を涼真に向けて構える。見下したような笑みを浮かべて。
「少々興ざめだな。ま、ある程度は予想してたけど。“死の一撃”のイェンスを捕えたなんて、まぐれってことはね」
「イェンス……?」
その名が、涼真の脳裏で妙に引っかかった。あのとき、何かがあった。何かが、邪悪龍の血液を突破してきた。
「なんだった? なにが……」
ヒュウッと、フェルグスから涼真の方へ風が駆けぬけていく。
そこで、涼真の記憶が鮮明によみがえった。
あのとき、イェンスが魔法でバゼラードを投げてきたとき、バゼラードは分解した。でも、風は涼真の髪を煽った。
つまり、魔法は分解できていなかった。
「……でも、できないわけじゃないはずだ」
涼真は思い出す。
バルムンクは言っていた。先駆者の知恵は、神を超える力なのだと。
神とは星。そして、自己調節機能たる四大精霊をはじめとする星の力を借りるのが魔法。
星を超えた科学力ならば、分解できるはず。
つまり、何かが足りない。物理的な要素じゃない。機能的な、ソフトウェア的な要素だ。
「先ほどから何を一人でブツブツと……。その気が無いのなら、こちらから行くぞ!」
再び、フェルグスが地面を蹴る。あっという間に、涼真とフェルグスの距離が縮まっていく。
内部音声に切り替え、涼真は問いただす。
「バルムンク、魔法を分解するには!?」
「分解するだけでしたら、元素分解シールドのオプションインストールのみで可能です。空き容量が一パーセント必要となりますが」
「一パーセント……」
脳みそをいじくられるのは、正直好かない。知らないところで自分が自分でなくなっていくようで、怖い。
「影響は?」
「ありません。未使用領域を使用しますから」
でも、漠然とした不安だけだ。これでみんなが助かるのなら。マリナの笑顔が守れるのなら。
貧乏くじを、もう一つ引く事くらい厭わない。
「インストールだ、バルムンク!」
「プリカーサーの承認を得ました。オプション、四大元素分解シールドをインストール中……。完了しました」
涼真は右手の拳を握り締め、大きく振りかぶる。フェルグスほど身体を鍛えたプロに、単なる肉体的なダメージを与えるにはカウンターしかないのだ。
その間にも、バルムンクの平坦な声が説明を続ける。
「四大元素の分解には、それぞれ対応した魔力が必要となります。火には火、水には水、土には土、風には風です」
「じゃあ、問題ないね」
先ほどからずっとフェルグスの方から風が吹いてきている。いや、戦い始めたときからずっと、どんな方角になってもフェルグスに追い風なのだ。
それはきっと、フェルグスが風の魔法を使っているからだ。シュバルツも、同じようなことをやっていた。
恐らく、素早く動くために風の力を利用する魔法だろう。
とすれば、風の魔力は既にあるから問題ない。
「イェンスから、奪ったからさ!」
フェルグスのショートソードが、涼真の頭上に振り下ろされる。
瞬間。
激しい蒸発音と共に、ショートソードが虹の輪と化していく。
涼真の右腕が、邪悪龍を屠りし剣が唸りを上げ、パイルバンカーのように拳を打ち出す。
ゴン、と鈍い音を立て、拳がフェルグスの頬に突き刺さった。
「な、に……!?」
後ろによろめきつつ、フェルグスは動揺しきったように驚きの声を漏らす。
それどころか、周囲の誰しもが声援をやめた。
リュシーは言葉を失い、瞳を震わせていた。シュバルツが、暑くも無いのに額から汗を流した。ヘグニが、腰に差したサーベルの柄を握って腕を震わせた。
マリナが口に手を当てて、やがて静かに呟いた。
「ジーク……?」
ポロポロと、マリナの目から涙がこぼれる。溢れ出る涙を何度拭っても、湧き水のように止まることはない。
そんなマリナを気遣うように、フェールがそっと寄り添う。
「大丈夫。リョーマは絶対負けないよ。リョーマの魔法は、ジークフリートと同じ……。S級だもん!」
「ジークと同じ……?」
フェールは笑顔で頷き、大声を上げる。
「リョーマ! マリナさんの夢を、守ってあげて!!」
リボルバーが回転し、ガツン、と撃鉄が吠える。涼真の拳が、フェルグスの頬を捉える。フェールの言葉に応え、実現するために。
もう一度よろめいたフェルグスは、後ろに跳び退り、距離をとった。
「く、おのれ邪悪龍! 力を隠していたな! こんな、邪魔をしやがって!!」
赤くはれた頬を押さえながら、フェルグスは涼真を睨む。いつもの愛想笑いは消え、目は血走り、動向は収縮し、飢えた獣のような形相だ。
構わず、涼真は拳を打ち出す。ところが、今度はフェルグスの手のひらがバシッと掴んだ。
「だが、貴様もここまでだ! 俺はもう油断しない!」
ぎりぎりと、涼真の拳が軋む。フェルグスの常人を超えた握力に、涼真は顔をしかめる。
「魔族との友好だと? 笑わせるな! やつらのような鬼、畜生と手を携えるなど、夢に見るも冒涜だ! 貴様の拳がそうであるように、絶対に届かないと知れ!」
「……届くさ」
涼真は、痛みの意味を知った。
この拳の痛みは、今まで何度も人に跳ね返されてきたマリナたちの痛みだと。フェルグスのような、心に硬い壁を作ったやつらに跳ね返されてきた痛みなんだと。
マリナは、その壁を何度も溶かそうとした。心を通わせたい一心で、硬い壁の向こうには暖かいものがあると信じて。
少しずつ、少しずつ。失敗して、また固められてしまっても。
雨が岩を削るように、長いときをかけて。
そして、それはついに実った。涼真とフェールが、マリナと笑いあったあの日に。
それでも、まだマリナの努力が無駄だって言うのなら。それでも、心の壁が崩れないのなら。
「それでも、届かないって言うんなら……」
ぬるりとした気味の悪い魂が、崩れた。中から暖かいものが溢れて、涼真の中に流れてくる。
ずるっと、フェルグスの手から力が抜けていく。
「僕が、その壁に穴を穿つ!!」
邪悪龍を屠りし剣が火を噴き、フェルグスの手のひらを突き破る。更に、頬を殴り飛ばす。
しかし、まだ倒れない。壁は堅い。殴り飛ばすたび、体力を奪っているのに。
でも、諦めない。
フェルグスがよろめいた瞬間、涼真は追い討ちをかける。
腹部に拳をつきこむと同時、邪悪龍の血液が邪魔な鎖帷子を分解する。そして、拳がめり込んだ。
「く、は。馬鹿、な」
力をなくして、ようやくフェルグスが地面に倒れこむ。しかし、まだ立ち上がろうとする。あがくように、力を求めるように、フェルグスは涼真へと腕を伸ばす。
「お、のれ。おのれ! 忌まわしい邪悪龍め……!」
それだけを言い残し、ついにフェルグスは大地へ全身を投げ出した。




