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邪悪龍の猟兵(改稿版)  作者: 昭栄
第二章 伯爵と魔族の姉妹
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第八話 断罪

 村の一角にある、頑丈な石造りの小屋。シュバルツ伯が統治する以前から存在している、村で一番立派な建物だ。そしてそれは、ヤルダット教が建てた教会でもある。

 その小屋に、マリナは捕らわれの身となっていた。


 手足は壁に取り付けられた頑丈な鉄の枷にはめ込まれ、身動きが取れないようになっている。ずっと大の字で立たされている状態だ。

 周りは数本のろうそくで薄暗く照らされ、部屋の中に粗末な木の長椅子が三列ほど並んでいるのが見える。その最前列の長椅子に座っているヘグニは、腰に差していた剣、ショートソードを布で磨いていた。

 何とも楽しそうで、ご機嫌といった様子だ。


「うん? 何か用かよ?」


 じっと見られているのが癪に障ったらしく、ヘグニがマリナを睨む。マリナはふるふると首を横に振った。


「いいえ。ただ、楽しそうでしたので。とても綺麗な剣ですわね」

「へえ、魔族のお前にも分かるんかよ。ま、寿命がちげーからそうだわな。こいつはギュンター作の業物だぜ。土の魔法で鍛えられてんだ」


 ヘグニは、子供が宝物を自慢するように目を輝かせる。


「こいつを越える剣は、俺の魔剣、ダーインスレイヴくらいしか見たことねえ。斬れなかったもんは何も無かった。俺はこいつでやりてえことをやるし、守りてえもんを守る。特に力の無いやつは、守るのが十剣の務めってもんよ」

「ご立派ですのね。ならばあなたの意志で、多くの人々が救われましょう」

「お前、魔族のくせに変わってんのな……」


 ぽかんと口を開けて、ヘグニは信じられない言葉を耳にしたように呆けている。その顔に愛嬌があって、マリナは思わず笑いを漏らす。

 その笑いが気分を害したのか、ヘグニが眉をひそめた。


「何かおかしいかよ?」

「いえ、違うのです。まさか、あなたたちとこうしてゆっくりとお話をできるなんて思っていませんでしたの」

「拷問とか想像してたってか? 怖がる必要はないかんよ。俺が番してる間は、ちゃんと守ってやるっての」

「え?」


 マリナは、目を丸くして驚いた。人が、それも信仰深いヤルダット教の十剣が、唾棄すべき対象であるマリナを守るといったのだ。


 ヘグニの言ったとおり、本当は拷問にかけられて、苦しみながら死んでいくのかと思っていたのに。飲まされた聖水は本当に魔法が使えなくなったから、なおさらそう思っていたのに。

 魔族の強さは、魔法の強さだ。魔法が使えなければただの人と変わらない。だから嬲り殺しにされると思って、不安で一杯だったのだ。


 守ってやるなんて言われたのは、幾年月ぶりか分からないほど。その言葉がとても嬉しくて、マリナは微笑む。


「ありがとう」

「あー、まあ、勘違いすんな?」


 ヘグニは照れを隠すように頭をかく。


「こいつは俺のルールっつーか、そんなもんだかんよ。死に行くものは安らかなれってな。他のやつが番のときは知らねーし、明日の昼の火刑は絶対だぜ」

「でも、あなたが番の間は守ってくださるのでしょう? だから、ありがとう」


 状況はどうあれ、人が魔族を守るなんて状況が生まれるなら。きっといつか、それが互いに当たり前の日が来る希望はある。

 このまま志半ばで果てたとしても、マリナの死は無駄じゃない。まいた種が、芽吹くときは来るはずだ。

 最後に一瞬でも希望を見せてくれて、未練を払ってくれたヘグニにマリナは心から感謝した。安堵して、思わず笑顔がこぼれてしまう。


 対応に困った様子のヘグニが鼻の頭をかいたとき、突然小屋の扉が開いた。扉から紅の日差しが入ってくる。

 初めは眩しさで誰か分からなかったが、扉が閉まることで知ることができた。漆黒の洒落たトレンチコートに身を包んだ、フェルグスだ。手には筒の陶器を持っている。

 カツ、カツ、と足音を立てて、フェルグスはヘグニに歩み寄る。


「交代の時間だよ、ヘグニさん」

「もうそんな時間かよ? ほんじゃま、休むとすっか」


 足取り軽くヘグニが出て行き、今度はフェルグスが長椅子に座った。出会ったころとは打って変わって、友好的な笑顔を浮かべている。

 それが逆に不気味で、身動きの取れないマリナには恐怖でもあった。


 あのとき向けられた憎悪は、並大抵のものではなかったはず。何をされるか分からない不安が、再びこみ上げてくる。

 注意深く様子を伺っていると、フェルグスが口を開く。


「気分はどうだい、フロイライン? どこか痛いところは?」


 恋人にささやくような、いたわりのこもった甘い声だ。何を考えているのか分からないが、機嫌を損ねるのもよくない。

 マリナは、できるだけ愛想よく答える。


「いえ、特にありませんわ。優しいのですね、あなたは」

「シルクのように傷つきやすく、そして美しい方にこのような真似をしなければいけないとは。せめて、できる限りのことをするのが務めというもの」

「まあ! お上手ですのね」


 ふふ、とマリナが笑いを漏らす。フェルグスも澄ました顔で愛想笑いを浮かべると、話を切り出す。


「実は、こう見えて歴史というものに興味があってね。もし余裕があるなら、色々お聞かせ願えるかな?」

「わたくしも話し相手が欲しかったところですわ。喜んでお相手いたします」


 チャンスだわ、とマリナは心が高揚した。

 魔族と人間が仲良くしていたころの話をすれば。もっと互いのことを知って、認め合うことができれば。もしかすると、フェルグスと分かり合うことができるかもしれない。


 マリナだって、本当は火刑で死ぬのが怖い。だから、うまくいけば助かるかもしれないと思ったのだ。

 ましてや、フェルグスの方から話を聞きたいなんて願っても無いチャンスだろう。


「誰の話をいたしましょう?」

「とてもジークフリートに興味があってね。いや、子供のようだと笑わないで欲しいな」

「そのようなこと、いたしませんわ。ジークは尊敬できる主君であり、大切なお友達でしたもの」

「ほう、それはよかった。やっぱり、魔族と英雄ジークフリートには密接な関係があったみたいだね。じゃあ、邪悪龍(ファフニール)を屠って手に入れた力を知っているかい?」

「ええ、よく覚えていますわ。何度も命を救ってくださいました」


 ふむ、とフェルグスは興味深そうに頷く。歴史の探求に夢中になっているようだ。魔族と呼んで嫌悪すること相手であることも忘れた様子で、親しげに話しかけてくる。


「その力だけど、分解の魔法があっただろう? 覚えはないかい? 全ての武器を分解したという魔法だ」

「よくご存知ですのね!」


 マリナは自分のことのように嬉しかった。大好きな友人のことを、人々が忘れないでいてくれたことが。

 目を瞑ると、今でも鮮明によみがえってくる記憶。ジークフリートと背中を合わせていると、たとえ千の矢が降り注ごうとも臆したことは一度も無かった。大きな背中が暖かくて、つい頼ってしまうほどだった。


「分解の魔法は、魔力で鍛えられた武具も分解できたのかい?」

「もちろんですわ。風の矢でも火の剣でも、消し去れなかったものはありません」


 フェルグスは視線を落とした。身に着けている籠手を見ながら何かを考えているようだ。

 しかし、すぐに顔を上げてマリナを見る。


「油断したり、気づいていない攻撃には対処できなかったかい?」

「いいえ。たとえ寝ているときでも、背後から襲われようとも、ジークが不覚を取ることなどありませんでしたわ」

「なるほど。でも、傷つくようなこともあったんじゃないかな? 彼だって完全無欠じゃなかったはずだ」

「……そういえば、時々ですけどただの魔法で傷ついたことがありましたわ。いつもなら平気なのに、不思議なことでしたのでよく覚えています」

「……すると、魔法が弱点か? いや、他に何か……?」


 言葉の意味が分からず、マリナは首を傾げる。はっとしたように、フェルグスが両の手のひらを向けて誤魔化すように振った。


「おっと、気にしないでくれ。独り言だよ。それで、他に魔法は使えたのかい?」

「普通の魔法も使えましたわ。それに銃の名手で、何度か見たこともありますわ」

「普通の魔法に銃、ね。いや、とても参考になった! 感謝するよ!」


 話したいことはこれからなのに、と残念に思い、マリナは顔を伏せる。どうして人というのは、武器とか、失われた魔法とか、そういう具体的な利益ばかり見てしまうのだろう。

 そうしたことに目がいってしまいがちなのは分かるが、もう少し魔族のことを見てくれたっていいはずなのに。

 そうやってマリナが肩を落としていると、再びフェルグスが話を切り出す。


「ところで、話は変わってしまうんだけど。いや、全然関係ない話ではないかな。君たちと仲良くしてる現代のジークフリート、辺境伯のことだよ」


 ドクンと、マリナの鼓動が大きくなる。

 世間的には、シュバルツが魔族を追討したことになっている。魔族は神敵なので、同盟を結んで森の奥に引っ込んで貰ったなど公にするわけにはいかないのだ。

 そんなことをすれば、魔族に味方したとしてシュバルツまで神敵とされてしまう。一縷の希望が、消えてしまう。


 だから、同盟のことを知っているのはシュバルツと帝国上層部の一部だけであり、一般の人たちは知らないはずだ。マリナたちも口外しないことは認めている。

 それをどこから聞きつけたのか、フェルグスは知っていたのだ。

 それでも、これ以上悟られないように何も知らない顔をする。


「何の話でしょう? わたくしはシュバルツ伯に刃をいただいても、温情をいただいたことはありませんわ」

「あっはっは! 何もシラを切ることはない。既に君たちは、ヴァイス・オーデンに売られたんだよ!」

「何を……!?」

「本当だよ。ヴァイス・オーデンはこちらに向かっているし、フランクフルテン支部の騎士団はもうすぐ到着する予定なんだ。明日から、盛大に山狩りというわけだね」


 そんな、とマリナは押し黙る。信じたくない気持ちと信じてしまいたい気持ちが、心の中でせめぎあう。

 シュバルツがそんな簡単に裏切るなんて、信じられない。命がけでテョストまでして、やっと得た同盟をそんな簡単に放棄するなんて。


 でも、シュバルツも人だ。マリナたちを魔族と侮蔑し、魔族と見れば石を投げ、槍を持って追いかけてくる人間たちだ。

 もしかしたら、最初から裏切るつもりだったかもしれない。


 人間たちはフランクフルテンという巨大商業都市を築き、とても豊かになった。力をつけたのだ。マリナたちを排除するだけの力を。

 今はただ、事態を動かす機会が到来しただけかもしれない。そんな考えが頭に浮かぶ。


「どうして、そんなことを?」

「うん?」

「どうしてあなたは、わたくしにそんな大事なことを教えてくださるのでしょう?」


 うーん、と唸って、フェルグスは考え込むように顎をなでる。


「そうだね、かわいそうだからかな?」

「かわいそう? わたくしが?」

「いかに魔族といえど、虐殺を見るには忍びなくてね。いくら神官の義務とはいえ、そういうのは趣味じゃない。だから、君を逃がしてあげようと思う。アクエサリトスを出れば、追わないと誓うよ」

「本当に?」

「本当だよ! 何なら神に誓ってもいい!」


 マリナは半信半疑だったが、早く仲間たちに伝えなければいけないという使命感が背中を押す。


「分かりました。逃がしてくださるのなら、国を出ると約束しましょう」

「懸命な判断だ。神もその英断を祝福くださるだろう。ああそうだ、聖水の効果を消す薬を持ってきたんだ。魔法が使えないと不便だと思ってね」


 陶器の筒を手に持ち、フェルグスが立ち上がる。そしてマリナに歩み寄ると、筒のふたを開けた。どうやら水筒のようだ。


「ありがとう」


 口にあてがわれた水筒から、水を一口含む。毒かとも思ったが、何の変哲も無い水だ。

 安心して、こくんと飲み込む。


 すると、ニヤリとフェルグスが笑った。あのときの憎悪に加え、嘲笑の入り混じった笑みだ。

 あまりの不気味さで額に汗が伝う。途端に、がふ、とマリナは大きく咳をした。

 それでも、口に無理矢理水筒があてがわれる。


「ほら、飲みなよ。人の親切が受けられないってのかい? 魔族のくせに」

「いや、やめて!」


 マリナは口を閉じて抵抗したが、鼻を摘まれ、飲むことを強制される。水筒の中身が全て流し込まれて、初めてマリナは開放された。

 大きく、何度も何度も咳き込む。体中を殴られるような痛みが襲ってきて、息ができない。あまりの苦痛に身体を抱きしめようとしても、壁に取り付けられた枷をガチャガチャと鳴らすだけだ。


「何を飲ませ……、あぐっ!?」


 マリナは嗚咽して、真っ赤な血を吐く。

 ついに堰をきったように、フェルグスが腹を抱えて笑い出した。


「あっはっは! あーはっはっは! 魔族を逃がすだって? そんな馬鹿なことするわけないだろ!? 本気で信じるなんて、君たちは何年無駄に生きてきたんだい!?」


 マリナは激痛のあまり、悲鳴を上げながらもがく。そんなマリナを、指差しながらフェルグスは笑い続ける。


「ああ、安心しなよ。ヴァイス・オーデンがこちらに向かっているのも、支部の騎士団がやってくるのも本当だ。君はそれを誰にも伝えられず、そうやってのた打ち回っているがいいよ! いや、実にいい気味だ!」


 マリナは身体をよじって、何度も血を吐く。床が鮮血で赤に染まり、水溜りのようになるほどだ。

 それでもマリナが死なないのは、制御ができなくなった魔法が関係している。


 魔族の魔法には、緑色の魔力(りょくしょくマナ)という治癒専用の魔力がある。それは一瞬であらゆる怪我を治してしまうほどだ。

 邪神が使うと、死に掛けた人間さえも細胞一個が生きていれば治癒することができるとされている代物なのだ。


 その緑色の魔力(りょくしょくマナ)が、マリナの身体を勝手に治癒してしまう。でも、すぐに毒で身体を破壊される。

 この魔族の特性を利用したのが聖水と毒であり、魔族をできるだけ苦しめるために編み出された伝統の手法なのだった。


「そんなに騒ぐなよ。別に殺そうってわけじゃないんだ。死ぬのは火刑と決まっているからね。なんたって、治癒しながら焼かれるのは今の比じゃない苦痛だ!」

「どう、して……。あぎ! どうし、て……」

「うん? ちょっと、口外されると色々まずい話を知ってたみたいだから、かな。ジークフリートが魔族と仲良くしてたなんてね。他にもよからぬ事を知ってるみたいだし、そのよく開く口を黙らせとくに越したことはない。でも失敗したかな、うるさすぎる」


 マリナは苦しさと驚きで、目を見開く。同時に、自分の愚かさを呪った。

 フェルグスが話を真剣に聞いていたのは、必要な情報、危険な情報を選別していたからだ。それなのに、喜んで話していた自分が馬鹿らしくて涙が止まらない。

 ひとしきり笑い終えたフェルグスは、疲れたようにため息をつく。次いで、蚊の羽音を聞いているような、嫌悪感を秘めた眼差しをマリナに送る。


「風の精霊シルフよ。わが名はフェルグス。この地に静寂の祝福を」


 そうフェルグスが呟くと、小屋の中は嘘のように静まり返った。森の木々のざわめきが一番大きい音だ。

 マリナはずっと絶叫しているにも関わらず、世界はそれを忘れてしまったかのように静まり返っている。

 フェルグスは涼しげな顔をして、一仕事終えたかのようにポンポンと自分の肩をはたく。


「これでようやく理想だね。もしかしたら血の匂いを嗅ぎつけてきた獣にかじられるか、はたまた人に辱めを受けるかもしれないけど、少し我慢してくれよ。なに、明日の昼までのことだ。君なら大丈夫だろう?」


 そういい残すと、フェルグスは小屋を出て行ってしまった。残されたマリナは、のどが潰れるほどに悲鳴を上げる。

 美しい瞳には涙がにじみ、水面に映る赤い月のようだ。そこには、絶望と、激しい憎悪が満たされつつあった。

 マリナは聖人じゃない。小さな希望を踏みにじられて、努力してきた分、憎しみはひとしおだった。


 たとえ死んでも、人と魔族が仲良くできるならと、そう思っていた。半ば殉教するような気分だったのだ。

 でも、突きつけられた現実はあまりにも過酷だった。マリナが自分の努力を笑ってしまいたくなるくらい、人の憎悪は大きかったのだ。


 いくら助けて、命を救ったって、意味なんかなかった。だって、今、マリナはこんなにも人間が憎い。

 父を、姉を、仲間たちを皆殺しにしようとする人々。裏切ったシュバルツ伯。

 許せない。みんながこんな目に会うなんて、許せない。罰を受けるべきなのは、人の方だ。野蛮で粗野な、けだものたちだ。


「あああああ! ジーク! あなたはわたくしにどうしてこんな難題を課したのですか!? ジーク! ジーク! 人はどこまで残酷になれるというの!? あああ! わたくしには、もう人を信じることは……!」


 マリナの告解にも似た絶叫は、風の精霊によってさえぎられて誰に届くことも無かった。

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