第六話 思い出話
深い深い森の中に横たわる、小ぢんまりとした小さな村。その一角にある似つかわしくない大きな屋敷は、この地を収めるフォンティーヌ家のものだ。
そのフォンティーヌ家の屋敷を、涼真はうろついていた。
一応、涼真とフェールは男と女だ。だというのに、あてがわれたのはなんと一部屋だった。
そんな緊張する一部屋に押し込まれたわけだが、フェールは気にした様子も無く、お風呂に入ると言い出した。風呂は部屋に備え付けられていて、鍵なんてついてない。覗こうと思えば覗けるし、襲おうと思えばいつでも襲える仕様だ。
最近ストレスマッハな涼真は、その状況で何をしでかすか自分でも分からなかった。薄い扉の向こう側で、生まれたままの姿のフェールがいるのだ。悶々として、水音がするたびに葛藤が起こる。
そんなわけで色々駄目だと悟り、屋敷内を探索することにしたのだった。
しかし、当て所は無くても目的はある。何で魔族がこれほどに会食にこだわるのか、調べるという目的が。
別に外出を禁じられているわけではないので、屋敷の中は自由に歩きまわれる。時々カンテラを持った使用人みたいな魔族とすれ違ったが、特に咎められることもない。
しばらく廊下を歩いていると、妙なものが目に留まった。赤いカーペットが、その部屋の前に置かれているのだ。それって、自分たちがあてがわれた部屋だった。
「何だ、戻ってきちゃったのか」
このだだっ広い屋敷は、ほとんど似たような景観ばかりなのでいまいち場所が掴みづらい。意図せず戻ってきてしまったのもそのせいだ。
気を取り直し、もう一度屋敷内の探索に向かおうと歩き出す。
「どうかなさいましたか?」
急に後ろから声をかけられて、涼真は驚いて振り返った。シルクのドレスは一瞬リュシーかと思ったが、気品よりも母性溢れる顔立ちですぐに違う魔族と分かる。
涼真は両の手のひらを魔族の女性へ向け、誤魔化すように振った。
「いえ、道に迷ってしまったもので。でも、もう帰り着きましたので平気です」
「そうでしたの。それはよかったですわ。あら……?」
微笑が魔族の女性から消え、代わって薄暗がりの中で目を凝らすように涼真を見ている。この女性も漏れなく美しいので、涼真は照れくさくなってたじろぐ。
すると、何かを思い出したように魔族の女性は声を上げた。
「あ! もしかして、スルツバッハでお会いしたかしら」
「へ?」
涼真もよくよく目を凝らすと、確かにスルツバッハで出会った魔族だった。親切にも道を教えてくれたり、ラベンダーの香水を勧めてくれた魔族だ。
「あ! あのときの!」
「あのときはごめんなさいね。驚かせてしまって」
「いえ、こちらこそ何もできず……。色々助けてもらったのに」
魔族の女性はきょとんとしている。何やら、不思議そうな面持ちだ。
「あなた、わたくしが怖くはないの?」
「別に、怖いなんてことはないですけど。どうしてそんなことを?」
「だって、わたくしを見ると普通の人は逃げていくもの。街での騒ぎを見たでしょう?」
女性からすると、スルツバッハでの出来事は当たり前のことのようだ。魔族というのは、やはりこの世界で忌避される存在らしい。
まあ、腕振っただけで机が灰になるとか、指弾いただけで花瓶に穴が開くのなら無理もないことだ。
でも、涼真だって邪悪龍の血液を使えば同じことができる。ところが、フェールはそれを怖がったりしない。
要するに、力の向き先が問題なのだ。少なくとも、この魔族の女性は涼真に風穴開けたりしないだろう。
「僕は遠い国から来たので、そういうのはあまり気にならないんです」
「そうでしたの。ああ、わたくしったらいけないわ。こんなところでお客様を立ち話させるなんて!」
「でしたら、僕たちの部屋で話しませんか?」
魔族の女性は困ったような顔をして、おろおろとし始めた。
「でも、よろしいのかしら? 殿方のお部屋にお邪魔して……」
「大丈夫ですよ、僕一人だけじゃないですから」
そう言って、涼真は気軽な気持ちで部屋の戸を開く。中では、シルクの寝間着に身を包んだフェールがベットに腰掛け、鼻歌を歌いながら髪を梳いていた。
湿ったセミロングの髪は艶が出ていて、辺りに桃のような甘い匂いが香っている。フェールは上機嫌らしく、笑顔で振り向いた。
「あ、リョーマ。お帰り。お風呂気持ちよかっ……!?」
涼真の後ろを見た瞬間、フェールは笑顔を引きつらせて櫛を放り出す。脱兎のような素早い動きでベットに潜り込み、掛け布団の隙間から顔を出して魔族の女性を指差す。
「リョーマ! うう後ろ! 後ろ! 魔族!」
うーしーろーにーまーぞーくー、とフェールは唸っている。先ほどの出来事が、よっぽどトラウマのようだ。
「やっぱりわたくし、お邪魔しない方がよろしいんじゃないかしら?」
「大丈夫ですよ。ちょっと待っててください」
ややもすれば帰ろうとする魔族の女性を引き止めつつ、涼真はフェールに近づく。
「ほら、フェール。覚えてる? スルツバッハでお世話になった人だよ」
「スルツバッハで?」
布団の端を掴んで顔を半分隠しながら、フェールはじっと魔族の女性を見つめている。確かにそうであると気づいてはいるようだが、体が動かないらしい。ずっともじもじしていて、中々出てこない。
「舐めたり、食べようとしたりしない?」
「舐める……? どうしたことでしょう?」
困惑したように、魔族の女性は首を傾げている。
「さっき、リュシーさんに鼻先を舐められたんです。食べちゃうぞって」
その疑問に、涼真が答える。すると、魔族の女性は口に手を当ててクスクスと上品に笑った。
「まあ! お姉さまらしいわ。大丈夫、わたくしたちはそんなこといたしませんよ」
恐る恐る、といった様子でベットから這い出したフェールは、そのままベットに陣取った。涼真と魔族の女性はそれぞれ同じソファに腰掛ける。
明かりの下で改めてみると、魔族の女性は慎ましやかだった。ソファに座る姿一つとっても、涼真に遠慮するようにちょこんと端っこに腰掛けている。
女性は魔族という言葉に似つかわしくなく、朗らかに微笑んだ。
「そういえば、自己紹介がまだでしたわね。わたくし、マリナ=サン=ド=ラ=フォンティーヌと申します」
涼真とフェールも挨拶し、頭を下げる。
しかし、マリナは本当にリュシーの妹らしい。そう言われなければ分からないほど、二人の性格は違う。マリナは大人びた優しいお姉さんのようだし、リュシーはクールで気品に溢れているけど手がつけられない我がままお姫様といったところだ。
同じところといえば、大きな胸くらいだ。どこ見てんだと自省しつつも、目は離れない。
これが本能。いや、煩悩のなせる業なのだ。わざとじゃないんだ、わざとじゃ。
涼真が真顔のまま絶望的な戦いを繰り広げる中。フェールはというと、ガラスの小瓶を握り締めてマリナの前に差し出していた。
「これ、落し物だよ。スルツバッハで落としてったでしょ?」
「あらまあ! ありがとう、優しいのね。そうだわ!」
何を思い立ったのか、マリナは部屋の隅にある棚へと向かい、何かを探し始めた。そしてお目当てのものを見つけたのか、満足そうな笑顔でソファへと戻ってきた。
「はい、これあげるわ。とっても甘いの」
マリナが持ってきたのは、白い包み紙だった。フェールがあけると、中には白いキャンディが入っている。いわゆる、ミルクキャンディだ。
それを口に含んだ途端にフェールの顔はとろけ、上機嫌に戻った。ああ、これが餌付けなんだなと涼真は確信する。人のこと言えた義理じゃないけど。
ともあれ、その確信と同時に疑問が浮かんできた。
フェールとマリナはこれほどうまくやっていけるのに、街では大騒ぎになる。同じ世界の人間なのに、反応の差が大きすぎるのだ。
「どうして街の人たちは、魔族を恐れるんですか? こうして話していると、普通の人とそんなに変わらない気がしますけど」
「それは、あなたたちの言う邪法をわたくしたちが使うからでしょう」
「邪法?」
マリナは無言で頷く。
「昔、邪神が使ったとされる魔法なの」
「あ、それならフェールから聞きました」
フェールは口をもごもごしていたが、リスみたいに片方のほっぺを膨らませた。どうやら、喋りにくいのでキャンディを移動させたらしい。
「邪神はヤルダット教最大の神敵だから、それと同じ魔法を使う魔族は同じくらい忌むべき存在って言われてるの。一人一人がとっても強いから、余計にみんなが目の敵にしてるんだと思う」
「根も葉もないことだわ」
ぎゅうっと、マリナが太ももの上の手で拳を作る。
「預言書にそう書かれていたからといって、それが証明になるだなんて。わたくしたちは、人を好んで殺そうとなど思っていないわ。わたくしたちは、魔族などでは……」
息を吐くのも苦しそうに、マリナは声を絞り出す。そして、不意に顔を上げた。
「でも、仕方ないのかもしれないわ。あなたたち人と違い、わたくしたちは寿命が五十倍も長いから。いつ来ても同じに見えるこの村は、あなた方にとっては不気味でしょう?」
そう言うマリナの笑顔は寂しげだった。力なく、疲れきっていた。
何でそうと分かっていて人と仲良くしようとするのか、涼真には理解できなかった。仲良くしようとした相手に毎日石を投げられたら、そんな気など失せてしまうだろう。
「どうして、マリナさんはそこまでするんですか? 何も外の人たちと仲良くしなくても、この村にいた方が安全じゃないですか」
「そうね。そういう考えの人たちもたくさんいるわ。だけど、わたくしはジークと約束したから」
「約束……、ですか?」
「ええ。今から千年も前のことになるわ」
マリナは、どこか懐かしい遠くを見るような瞳で、ゆっくりと話し始める。
「あの頃は、まだ世界中が戦争の渦中にあったわ。アクエサリトスの人たちとわたくしたちも、理由なんて分からなくなるほど戦いに明け暮れていたの。お互いに殺し、殺されあって、一進一退の戦いが続いていた
わ。でも、戦争が末期になるとアクエサリトスの人たちは周りの国と講和して、いつしか人とわたくしたちの戦争になっていったの。もちろん、結果は分かるでしょう?」
「それは、まあ。物量が違いますから、マリナさんたちが追い詰められるでしょうね」
「そう。わたくしたちは数が少ないから、あっという間にこの地域まで追い詰められたわ。酷い厭戦状態で、戦う気力もないほどに。そこに、ジークが訪ねてきたの」
「千年前のジークって、もしかしてジークフリートのこと?」
フェールが目を輝かせて身を乗り出すと、マリナは嬉しそうに頷く。
「そうよ。ジークは初めて人の国を全て同盟に導いた英雄だけど、それだけじゃないわ。わたくしたちのところに来たジークは、こう言ったの。“始まった理由を覚えているか”って。誰も覚えてる人なんていないから、
お父様が“いや”って答えたわ。そしたらね、“じゃあ終わりにしよう”ってジークが言ったの。ジークは、わたくしたちとも同盟を結んで世界の王様になったわ」
「全世界の同盟ですか。スケール大きすぎるというか、よくそんなことを思いつきますね」
道理で、この世界の国の一つ一つが大きいわけである。一度世界の統一を見たからこそ、今の世界があるのだ。
大小の百九十五カ国が存在する地球からすると、想像しがたいスケールの話だ。ジークフリートは、地球でいう国連を超える機関を作ったことになる。
凄いでしょう、と言わんばかりにマリナが得意げな笑顔を見せるのも頷ける。
「平和なときが続いたわ。お姉さまとわたくしは、それからもジークと親しかったの。永遠にこのときが続けばいいって、そう思ってた。だけど、終わりの日は思ってたよりも早く来たわ。オーデンヴァルトの森に駆けつけたとき、ジークは既に取り返しのつかないことになっていたの。誰の仕業かは分からない。でも、わたくしは最後に約束できたわ。ジークが愛した人たちと仲良くして、みんなが幸せになれる世界を目指すって。だから、わたくしは諦めない。世界は変わってしまったけれど、また分かり合える日が来るまで諦めないわ」
恐らく、マリナは涼真にしたように、今まで何度も人助けをしてきたのだろう。千年もの時をかけて。
でも、魔族と分かるとすぐに嫌われてしまって。それでも諦めず、いつか理解しあえるようにと今日まで頑張ってきたのだ。
何を言っても口先だけで、ろくな励ましにならない気がする。それでも、涼真は疲れきったマリナを元気付けたかった。
「マリナさん、知ってますか? 神様っていうのはこの星……、大地や海のことなんですよ」
「この星が?」
「はい。そして、人も、マリナさんたちも、みんなが星の上に生きてる。みんな神様に望まれて生きてるんです。だから、いつかきっと、僕たちは分かり合えるんです」
ガイア理論によれば、多分そうだよな、と涼真は適当なことを思う。バルムンクが何か言おうとしたが、すぐさま黙らせる。こういうときに、現実は余計だ。
「何だったら、僕たちもお手伝いしますよ」
「ありがとう。じゃあ、お願いしようかしら。明日、ちょうど街に行こうと思っていたの」
「分かりました。お供しますよ」
二つ返事で涼真が引き受けると、マリナは嬉しそうに微笑む。
「リョーマさんは優しいのね」
「あ、いや、別に、そんなことは……」
涼真が照れてしどろもどろになっていると、フェールがニヤニヤしながら見てきた。何なんですかその視線はと思いつつ、気を取り直す。
そして、誤魔化すように適当な話題を探す。
「そ、そういえば、リュシーさんが会食にこだわる理由ってあるんですか? その、ジークさんの約束と関係あるとか?」
「あら、気づかなかったかしら? あれはジークと別問題だわ」
クスクスと、マリナが悪戯っぽく笑う。得意げに人差し指を立てたのは、フェールだ。
「あれは恋だと思うよ、リョーマ」
え、と涼真が驚く前で、ねー、と頷きあってフェールとマリナが意気投合している。
「どういうこと? フェールだって、あんなに怯えてたのに」
「それとこれとは話が別だよ。気づかなかったの、リョーマ? リュシーさん、このわたしが呼んでるのにって言ってたでしょ? あんなに必死だったのも、全然相手にしてもらえなくて寂しかったんだと思うよ」
「そんなもんかな?」
「そうね。お姉さま、ジークにとうとう告白できなくて後悔してたから。今度は本気みたいだわ」
「いちにいのどこがいいんだか、全然分かんないけど」
色々言いたそうな顔をして、フェールが呟く。マリナには思い当たる節があるようで、楽しそうに話し始める。
「シュバルツ伯は、面白い方だと思うわ。だってね、わたくしたちに同盟を求めてきたときのことなんだけど。ジーク以来のことだったから驚いたし、内容もとっても優遇されてたから受けるつもりだったの。でも、シュバルツ伯は最初から受け入れてもらえないと思ってたらしくて、一騎討ちを申し込んできたの。早とちりするなんて、可愛いでしょう?」
「テョスト?」
涼真が首を傾げると、それに応えるようにマリナが頷く。
「そうよ。何か揉め事があると、テョストで勝った方の主張を認めることになるの。それで、お父様が面白がってテョストを受けたわ。もちろん、誰もがお父様が勝つって思ってた。だって、一人の力はわたくしたちの方が強いし、何と言ってもお父様は一番強かったもの。でも、あと少しというところでお父様は負けてしまったわ。そのときからね、お姉さまのシュバルツ伯を見る目が変わったのは。きっと、ジークと同じ優しさと、強さと、そそっかしさを好きになったんだわ」
マリナは、大切そうに思い出を語る。時に笑いながら、時に姉を羨ましがるように。
話に夢中になっていると、くぅ、という可愛らしい寝息が聞こえてきた。見ると、フェールがベットで横になって眠っている。
「あら、わたくしったらいけないわ! 遅くまで話し込んでしまって!」
マリナはそっと、フェールに布団をかける。
「名残惜しいけど、今日はこれで寝るとしましょう。リョーマさん、明日はよろしくお願いしますね」
「ええ、おやすみなさい」
マリナは、優しげな微笑を残して扉の向こうへと消えていった。
しんと静まり返った深夜の屋敷で、涼真はユラユラと揺れるろうそくの炎を眺めていた。寝ているフェールを起こさないように、点けている灯りは蝋燭一本だけだ。
明日はマリナの手伝いをしなければいけないというのに、涼真は中々寝付けずにいた。もっとも、神託の宝具に体力を蓄えているので一日くらい寝なくても支障はないのだが。
ともあれ、ぼんやりとしている涼真はとある不安に捕らわれていたのだ。
魔族との交渉がうまくいって、無事に推薦状を書いてもらったら。それから先の旅は、独りになってしまうという不安。
今晩は新月らしく、外は真っ暗闇に閉ざされている。そんな中に一人で入ることなんて、今でも無理だ。
一寸の先も見えない闇の中には、いつ襲ってくるとも知れない魔物や獣たちがひしめいている。加えて、神託の宝具を欲する人間たちも。
そうと分かっていても、これからは、一人で踏み込まなきゃならない。
世界の敵。それは紛れもない事実だったが、本当の意味で世界の敵ではなかった。涼真には、フェールという味方がいたのだ。
でも、これからは違う。フェールは世界に溶け込んでしまって、味方はいなくなる。危険が迫ったら起こしてくれたり、悲しいときには慰めてくれたり。楽しいときには一緒に笑ってくれる人がいなくなってしまう。
まるでろうそくの炎のように。一時の幻想だったかのように。
こうしていても解決するはずないなんてことは分かってる。でも、考えずにはいられない。
そうして悩んでいると、不意に部屋の扉が開いた。そこには、銀の皿型燭台を持ったマリナが立っていた。
「マリナさん? どうしたんですか?」
「眠れなくて、お散歩していたの。そうしたら、部屋から明かりが漏れていたから」
なるほど、今日は新月なので暗闇の中の明かりは目立つ。扉の隙間から明かりが漏れていたのだろう。
「お邪魔だったかしら?」
「いえ、どうぞ」
ソファに一人分の座れる場所を作ると、マリナは涼真の隣に腰掛ける。そして、涼真に笑いかけた。
「リョーマさんも寝られないの?」
「はい。いつでも寝られるんですけど、今は寝たくない気分で」
「そう。じゃあ、わたくしと一緒ね。こういう夜にお話相手がいるのは嬉しいわ」
涼真は少し緊張感を覚えながら頷いた。何せ、ろうそくの明かりに照らされたマリナは、先ほどと打って変わって妖艶な色気を放っているのだ。
白いネグリジェは曲線美ともいえる肢体を浮かび上がらせ、豊満な胸を強調している。大人の魅力というやつなんだろう。これで千歳を軽く超えてるなんて、魔族はどうかしている。
目のやり場に困ったことになって、顔を伏せて対処する。
「マリナさんも寝たくないんですか? どうして?」
「ジークがいなくなった日も、こんな新月の夜だったから。何となく、思い出してしまうの。間に合わなかったこと、きっとまだ後悔しているんだわ」
「大好きだったんですね」
「そうね。忠誠心とか、憧れとか、そういうものだったけど。リョーマさんはどうして寝られないのかしら?」
「僕は……」
何て言えばいいんだろ、と涼真は悩む。
神託の宝具の話をするなんて、自分から世界の敵であることを宣言するようなものだ。これほど間の抜けた話はないだろう。
かといって、フェールがいなくなってしまう話だけをしても情けないだけだ。こんな綺麗な人に、弱いところは見せたくない。
でも、千年も生きた人なら、こういうときにどうやって気持ちを落ち着ければいいのか知っているかもしれない。
情けなくてもいいからどうにかしたくて、吐露してみることにした。
「これから先、一人で旅しなきゃいけなくなるんですけど……。一人で、うまくやっていけるかなって」
「どうしてかしら? フェールちゃんがいるのに?」
「事情があって、もう一緒に旅はできないんです。結局、それがフェールのためにもなりますし」
「そう、辛いわね」
そっと、マリナの手が涼真の髪をなでる。
「一人だと、支えてくれるのは自分だけだものね。どんなに心細くても、聞いてくれる人がいないなんて。それは誰でも不安でしょう」
マリナに頭を預けていると、なぜか涼真の心は安らいだ。
誰でも同じだ、と言ってくれる人がいるだけで、こんなに違うなんて思ってもいなかった。もしかすると、ただ、誰かにこの不安を聞いて欲しかっただけなのかもしれない。
異界の地で一人旅の中、ある日突然死んでいて。それまでにあった恐怖とか、悲しみとか、そうしたものを誰にも知られずに。そして悲しまれず、惜しまれもせず、ただ忘れ去られてしまうことが寂しくて怖かったのだ。
そんな冷たい怖さに捕らわれていたものだから、マリナの手は冬の暖炉のように暖かい。
しかし、不意にその手が頭を包み込もうとしたので、涼真は反射的に離れた。
マリナは驚いたように手を引っ込めたが、しばらくすると慈愛に満ちた微笑を浮かべる。
「こういうときは甘えてもいいのよ? わたくしだって、初めて一人旅するときはお父様に泣きついたわ」
「あ、いや、その、何ていうか……」
慌てて、涼真は首を横に振る。
甘えて泣いてしまえば、それはもう楽なことだろう。でも、そうしてはいけない気がしたのだ。
神託の宝具の力は、魂の力だ。ここでマリナを頼ってしまったら、その力が折れてしまいそうな気がする。力がなくなってしまったら、それこそ生きていけるはずがない。
そうなってしまうのが怖くて、涼真は誘惑から逃げるために断る。
「何でもないです、何でも。話を聞いてもらったおかげで、だいぶ心が軽くなりました」
「ううん、いいのよ。困ったことがあったら、何でも相談してね」
マリナの好意が嬉しくて、涼真は自然と頷いていた。




