第四話 伯爵の依頼
この世界において、国は八つ存在する。その中でも、アクエサリトス帝国は経済、軍事力共に一、二を争う強大な帝政国家だ。
帝国に存在する騎士団も皇帝直属は二十を数え、全ての貴族が持つ騎士団は大小あわせて四十をくだらない。勿論、騎士団といっても百に満たない名ばかりのものも多いが、同時に何千もの騎士が所属する騎士団もある。
そして、何千もの騎士が所属し、かつアクエサリトス最強と称されるのが、フランクフルテンに常駐するヴァイス・オーデンだ。
シュバルツ伯の率いるこの騎士団は、かつて魔族の跳梁跋扈したフランクフルテンを浄化し、貧しい生活に苦しんでいた人々に富と安全をもたらした。今ではフランクフルテンが世界でも有数な貿易都市であることは誰もが知っていて、その立役者が誰なのかも同様だ。
その国民的英雄たちの集まる騎士団の副騎士団長。そして、フランクフルテンの治安を一手に統括する一番隊隊長。爵位は勲功爵。それが涼真の目の前を歩く男、ウェールズの肩書きだ。
市庁舎の重厚な石造りの廊下で赤い絨毯の上を歩いていると、それはそれは良く栄える色男だ。街娘だろうが村娘だろうが、あるいは貴族の娘でさえ放っておかないだろう。
だから、涼真は前を歩くフェールとウェールズがずっと楽しそうに喋っていても、全然悔しくなんか無いのだ。年齢イコール彼女なし暦のモテないフルスペックなんかで勝てないのは、自明の理であるのだし。
異世界に来て女の子にちやほやされたのだって、何かの間違いだったわけであり。今までがラッキーだっただけだ。イベント期間が終了しただけで、後は空気かミジンコかという扱いになる運命だと決まっている。
別に、ハーレムを作りにきたわけじゃなし。というか、帰りたいのだし。く、く、悔しくなんか無いんだ。
ちっくしょ、と思って、前の二人に気づかれないように涼真は赤い絨毯を蹴り飛ばす。そう、ただいじけているのだった。
「オーデンヴァルトのお祭り以来だね。あのとき結婚した、ほら、シュテルツェル夫妻は元気かい?」
「うん。仲良くやってるよ!」
「それはよかった。あの人に加勢して、やっぱり正解だったなあ」
思い出話のようなものまでしだして、ますます居場所がなくなる。でも、と涼真は思いなおした。
これからシュバルツ伯と会って帰る方法が分かれば、この世界とはオサラバだ。フェールだってシュバルツ伯に保護してもらえば、この世界で生きていけるように取り計らってもらえる気がする。
とっても鬼畜な人らしいが、いざとなればウェールズが掛け合ってくれるはずだ。
カヤには何とか連絡とって、お別れはきちんとするにしても。結局、それ以降この世界と関わることはないだろう。
日本に戻って、うまい飯食ってゲームして、いやな勉強をする毎日がやってくるだけだ。
フェールとも、カヤとも、この世界全ての人ともう一度会うことはない。あんまり仲良くなりすぎると別れが辛くなるから、これくらいの距離感がちょうどいいかもしれない。
そんなことをつらつらと思いながら歩いていると、前を歩くフェールとウェールズの足が扉の前で止まった。真っ黒く塗られ、龍の木彫りが施された異質な扉だ。どうやらついたらしい。
涼真はごくりと唾を飲み込む。日本に帰る方法を知っているという人物が、この扉の向こうにいるのだ。たとえ前評判が悪かろうと、その点において鼓動を抑えることはできない。
フェールも口を真一文字に結んで、緊張の面持ちで扉を見つめている。ウェールズだけが、こともなげに扉を開いた。
ぞくり、と涼真の背に冷たい物が流れる。
部屋の中は執務用の机と椅子は豪華な調度品であつらえられて、書棚が部屋の壁を形作るように立っている。床は赤い絨毯が敷き詰められ、いかにも偉い人の部屋といった様子だ。
しかし、異様に静かだった。その静けさの中で、ペンを走らせるカリカリという音だけがいくつも聞こえてくる。
そして、何より異様なのは広辞苑並みの本が十冊ほど宙に浮いていることだ。その本の上で、ひとりでにペンが何かを書き続けている。
何なんですか、この昼間から真夏の夜の怪談は、と突っ込みたくなる様相だ。
ともあれ、ウェールズとフェールの後に続き、涼真も部屋へと入る。
ウェールズは爽やかに微笑を浮かべると、机の本とペンで格闘している男に向けた。
「シュバルツ、いい加減顔を上げろよ。珍しい客が来たぞ」
すると、スッと男の顔が上がって、涼真はどきりとした。
黒い髪は洒落たミディアムショートで、顔はウェールズに勝るとも劣らないほど整っている。このまま髪を伸ばしたら、女性といわれても分からないような綺麗な顔だ。
ホークアイのような輝きを持つ黒い瞳は、力強いような、しかし物憂げで、なんともつかみどころがない。
少なくとも、フェールが言っていたような冷酷残忍という印象は全く感じさせない、むしろそうなるためにはもう少し覇気が欲しいくらいの男だ。
そんなシュバルツは、久しぶりに会うはずのフェールを見ても、眉一つ動かさない。代わりに動かしたのは、右手だった。
シュバルツが空気をかき回すように手を動かすと、周りを飛んでいた本がパタパタと音を立てて机の端に積まれていく。羽ペンはコップのようなペン立ての中にカラカラと音を立てて収まった。
「ウェールズ、先に報告だ」
「はいはい。スルツバッハの方で、魔族が現れたよ。いつものやつだね。他は異常なし」
「いつものやつか……」
シュバルツは口元に手を当てると、机をトントンと人差し指で叩きながら考え事を始めた。しかしすぐに考えがまとまったのか、それをやめてフェールを見る。
「さて、待たせたな。元気そうで何よりだ。相変わらず、水魔法ばかり修行しているようだな」
フェールはギュッと口を結んで、中々返事ができないようだった。いわゆる、カチンコチンに緊張しているというやつらしい。
ようやく、といった様子でフェールは頷く。
「……うん、いちにいも元気そうでよかった」
「親父殿は元気か? 忙しくてな、挨拶に行きたいのだが時間が無いのだ」
「お父さん? もうずっと会ってないけど、いちにい何か知ってるの?」
「何、一度も? いい加減歳なのに、まだ引退してないのか。恐らくどこかの遺跡に潜っているのだろうが、一度も帰らないとは」
呆れたように、シュバルツはため息をつく。
「それで、今日は何の用だ? ドラゴンでも見たくなったか?」
ドラゴンと聞いて、血の雨の一件を思い出したらしくフェールは顔を強張らせている。同時に涼真も強張らせた。
シュバルツの顔が冗談で無く、真顔だったのだ。
「ち、違うの。リョーマの話を聞いて欲しくて……」
「リョーマ?」
御指名とあって、涼真は緊張しながらおずおずと前に出る。すると、シュバルツはニヤリと笑った。
「俺も気になっていたところだ。ウェールズ、フェールと一緒に外へ出ていろ」
「何でだ? 別に俺たちがいてもいいじゃないか」
「いいから出ていろ」
呆れたように、ウェールズは肩をすくめる。そしてフェールの手をとると、部屋の外へと出て行ってしまった。
涼真はのどに渇きを覚え、いやな汗をかいていた。
シュバルツは笑っていたが、目は笑っていなかった。敵対的な感じはしなかったが、友好的でもない。こういうつかみどころの無さが、かなり不気味なのだ。
二人きりになったというだけで、まるで一騎討ちでもしているかのように緊張の糸が張り詰める。
話を切り出すべきか迷ったが、他に術も無く手のひらにSDカードほどの黒い板を乗せた。
「これをご存知ですか?」
それを見たシュバルツは、驚くでもなく、喜ぶでもなく、静かに目を細めて注視している。
「神託の宝具か」
「はい。ユストゥスさんから、相談するようにと言われて来ました」
「見せてみろ」
シュバルツに神託の宝具を手渡す。シュバルツは受け取った神託の宝具を摘むと、じっと見つめている。
すると、パリパリっと音がして神託の宝具の周りに火花が散った。程なくして、空気の焼ける匂いが鼻をつく。
「本物のようだな。所有者は?」
そう尋ねられて、涼真は目をそらした。
所有者を変えるためには、元の所有者は死ななければならない。恐ろしい神託の宝具の特性が頭をよぎる。
もしもシュバルツが、神託の宝具を欲する人間だったら。そう考えると、足がすくむ。ただ神託の宝具が欲しいためだけに襲ってきた連中のことが、頭に浮かぶ。
かといって、その場しのぎの嘘をついても仕方ない。結局帰る方法を知っているのはシュバルツであり、協力してもらうのならいつかはばれるだろう。
だったら、最初から本当のことを話しておいた方が印象がいいはず。
「僕です」
「そうか」
シュバルツは神託の宝具を親指の爪の上に乗せると、ピン、とコインのように弾いた。クルクルと回転するそれを、涼真は慌てて両手で受け取る。
「それはお前が持っていろ」
興味なさそうに、シュバルツは告げた。今まで会ってきたこの世界の住人としては、驚くべき反応だ。
いきなり襲ってこられても困るのだが、預けられるなんて予想外だった。これは預かっておく、くらいは覚悟していたのだ。
「どうしてですか!? 神託の宝具ですよ!?」
「分かっている。だから、俺は持っていられない。隣国が黙っていないからな。フランクフルテンを火の海にしたいのか?」
結局、神託の宝具とは災厄なのだ。個人が持てば犯罪者となり、国が持てば戦争となる。スケールが変わるだけの話にすぎない。
とはいえ、個人が持つにはあまりにも危険といえる。日本で言えば、核爆弾を持っている個人が存在するようなものだ。
もっとも、涼真としては生きていく上で手放せないものなので、願ったり叶ったりであるのだが。
「それに、神託の宝具はお前のようなやつが持っていた方がいい。執着せず、悪用せず、いつでも手放せるようなやつがな。だが、易々と話はするなよ。俺でなければ殺されているところだ」
そのことは身をもって十分に体験したので、涼真は深々と頷く。
「ただ、神託の宝具の所有者としてフェールも疑われているんです。この先、ずっと命を狙われることになると思います……」
「そうだったか。しかし心配は無用だ。俺が各国とヤルダット教支部への通達を出しておこう」
ドクン、と心臓がはねた。そんなに簡単にフェールのことが解決してしまうなんて、夢にも思っていなかったのだ。
それによって導き出される結果。フェールは、涼真と旅する理由が無くなる。ということは、この先一人で旅していかねばならないということだ。
食事が違う、文化が違う。ただでさえそのことで気が滅入っているのに、孤独な闇夜に耐えられる自信が無い。
理由をつけて守っているとかいいながら、現実、フェールを心の頼りとしていたのだ。だから、あっという間に頭の中が真っ白になってしまったのだった。
さて、とシュバルツは呟くと、びくりと身体が震えて意識を引き戻された。
「今度は俺の方から訊かせてもらおう。十士というのは知っているな? アクエサリトス帝国で集められた、精鋭の中の精鋭ともいえる騎士たちのことだ」
何の話だか分からなかったが、この世界の住人がそうというのだからそうなのだろう。十剣もこの世界で十の指に入る剣士のことだし、国が独自で似たような制度を作っていてもおかしくはない。
「……はい。それがどうかしましたか?」
「違うな。十士というのは、十剣の対になる存在……。世界で十の指に入る、魔法士のことだ。もっとも、実力が反映されたものではないが。まあ、常識だ。何故知らない?」
「な……!?」
なんだよそれ、と涼真が口にするまもなく、シュバルツは畳み掛ける。
「人というのはな、全員が例外なく魔力を持っている。だが、お前は全く持っていない」
ゆらりと立ち上がったシュバルツは、ゆっくり近づいてくると威圧的に涼真を見下ろした。
「お前、何だ?」
あまりの威圧感に、涼真は後ずさった。
しかし、異世界人であることを隠しているわけじゃない。どんな反応をされるか分からないので、聞かれない限りは応えないようにしているだけだ。
第一、ここには日本への帰り方を聞きに来たのであるし。
「僕は……、異世界人です。この世界には存在しない、地球の日本という国から来ました」
「異世界? ……なるほど」
想いを巡らせるように、シュバルツは部屋の中をゆっくりと往復する。そして何度かそうした後、再び席についた。
「ということは、俺に帰る方法を聞きに来たというわけか。どうやら、随分と文明の進んだ世界から来たようだな」
「何でそこまで!?」
驚いて食って掛かる涼真の顔へ、シュバルツは指を向けた。
「気づいていないようだが、酷く疲れた顔をしているぞ。水が合わないだけでなく、食生活そのものが合わないのだろう? アクエサリトスはかなり豊かな方だ。それでも口に合わないのなら、それは更に進んだ国が育んだ食文化の多様性が原因だろう」
確かに、このフランクフルトに来て涼真は不思議な安心感を覚えつつあった。人がたくさん集まっていて、大きな建物があるこの街に。
市場でも、バナナを食べただけで一喜一憂している。食べ物が合わないというのは、一理あるかもしれない。
結構キていることに初めて気づき、肯定して頷く。
「僕のいた世界はここよりずっと進んでると思います。ろうそくの明かりに頼ったり、馬車を使ったりすることはないですから」
「そうか。さぞかし帰りたいだろうが、残念ながら俺はその方法を知らない」
「え!?」
「慌てるな」
シュバルツの手のひらが涼真へと向き、静止を促す。
「それを知っているやつには心当たりがある」
「どこにいるんですか?」
「帝都カールスルーエにいる。しかし、身分は高いし気の難しいやつだから、会うには紹介状がいるだろう。もっとも、帝都には巨大な図書館もある。そっちで見つかるかもしれないが、やはり紹介状が必要だ。その疲れた顔を見ていると、すぐにでも紹介状を書きたいところだが……」
シュバルツは残念そうに目を瞑ると、小さく首を横に振る。
「そうもいかないのだ。俺は忙しくてな。疲れているところを悪いが、どうしても手伝ってもらいたいことがある。それをやり遂げたら、紹介状を書こう」
もちろん、断るという選択肢など最初からなかった。
帰るという目的を達成するために一番近そうな答えが、目の前にあるのだ。他に頼るものもいないし、心当たりも無い。
「僕に何をしろというんですか?」
「話が早くて助かる」
シュバルツは山積みの紙束から一枚取ると、それを広げる。そして、手招きした。
涼真はそれに従い、机の上を覗き込む。その紙には果たして、フランクフルテン近傍の地図が描かれていた。
真ん中にはフランクフルテンが配置され、スルツバッハをはじめとする衛星都市が円を描くように周りを囲んでいる。地図の右方には森が描かれ、左方にはフィリーと書かれた都市がある。
加えて、フィリーとフランクフルテンの間には、国境線が引かれていた。
「フランクフルテンの辺りには、昔から魔族が住んでいる」
「みたいですね。街中でも魔族に会いました」
「ならば知っているかもしれないが、あいつらはやたらと強い力を持っていてな。その集落がここにある」
シュバルツの指が、右の方にある森を指す。地図の上で見るに、一日もあれば歩いて行ける距離だ。
「魔族とは同盟関係にあるから、実害はない。しかし、最近……」
何だ何だ、と心の中で身構える。最近行方不明者が多くて、とか言い出されたら、そのやたら強いという魔族と戦うハメになりかねない。
たとえ犯人を捕えたとしても、バルムンクがサンプルとか言って飯が食えなくなりそうだ。良いことなんて一つもない。
というか、同盟関係なのにスルツバッハでの魔族に対する扱いは結構酷かった。問題が起こっているなら、人間側の責任な気がする。
「会食の誘いが多いのだ」
「会食……、ですか?」
大した理由じゃないと思ったが、シュバルツにとってはそうでもないらしい。真面目な顔をして頷いている。
「暗殺の危険性もあるが……、ここから離れられなくてな」
シュバルツの指が地図の上をすべり、左方の都市フィリーを指差した。
「フランクフルテンの西には、民主主義の大国リバティがある。自由の鐘の音と共に、いつなだれ込んでくるか分からない連中だ。やつらにとって人民の解放は悲願であり、アクエサリトスの皇帝は憎むべき存在だからな」
民主主義と聞いて、急に親近感がわいてきた。それはもう、皇帝の所有物扱いされるくらいなら、他国に味方した方が良いと思う人もいるだろう。
だからこそ、シュバルツは要としてこの場を離れることができないのだ。一度要石が外れれば、自由の鐘がよく聞こえるこの地は、あっという間に民主化の波に呑まれることになる。
「そういうわけだ。俺の代わりに魔族の森へと行き、会食を断ってきてくれ。頼んだぞ」
涼真は、黙って頷いた。フェールのことや魔族への不安など、複雑な気持ちを内包しながら。




