第三話 フランクフルテン
シュバルツ=ホーフハイマー領、大城塞都市フランクフルテン。それはアクエサリトス帝国第一の金融、商業都市であり、この世界でもっとも人が集まる都市の一つである。
近年興ったばかりの新興都市でもあるフランクフルテンは、バロック様式に酷似した先進的な建物が目立つ。特に教会は大規模で、尖塔と尖塔アーチを連ねたデザインはある種の荘厳な雰囲気をかもし出している。
区画整理が行き届いているおかげで道は広く、大通りには市場とも言うべきほどに店が軒を連ねている。外国から来た商人たちも多く、国際貿易都市と呼んでも差し支えない。
そんな巨大都市の様子に圧巻されつつ、涼真とフェールは商人のひしめく大通りへと足を踏み入れていた。
「残念です。実に惜しいことをしました」
抑揚も感情も無い声で、苦言を呈したのはバルムンクだ。
「せっかく、魔族と呼称される個体のサンプルが手に入るところだったのですが」
「怖いこと言うなよ。どう見たって人間だったし」
そりゃ青い髪の人間なんて、日本にいた頃は漫画の中にしかいるわけないと涼真も思っていた。そういう目で見れば、カテゴリが人間であるのかなんてのは怪しいところだ。
しかし、この世界では普通にいる人たちだろう。フェールの髪だって緑だし。
そんな同じ人間なのに、サンプルて。いくら超科学力に作られた兵器でも、人間の手によるものとは思えない言い草だ。技術の進歩というやつは、人の心を退化させるのかもしれない。
「星のシステムに背いた、理の外に身を置くとされる個体ですよ? 先駆者なら、迷わず捕獲する可能性が九十九パーセントです。どうしたのですか?」
「そりゃ気になるけどさ。解剖したいとかいう興味じゃなくて、どんな人たちなのかとか、邪法って何なのかとか、そういう意味だよ」
「涼真は先駆者の中でも十億人に一人程度の存在です。“智は神を超える力なり”と言ってはばからなかった人々とは思えません」
「稀有な変人で結構だよ。大体、僕は先駆者じゃないんだからさ」
先駆者が何なのか分からないけど、脳みそを平気で取り出すような人たちの仲間と思われるのはごめんなので否定しておく。
そこでフェールが視界から消えたことに気づいて、ハタと足を止めた。後ろを見ると、人ごみの中、フェールが果物屋の前で釘付けになっている。
南国の果物を扱ったお店らしく、バナナやマンゴーをはじめ、鮮やかな赤のドラゴンフルーツや星型のスターフルーツが売っている。異世界だからそれに酷似したものというべきなのだろうが、ほとんど一緒なので解釈に問題ないだろう。
ともかく、フェールはその果物に心奪われているようだ。目をキラキラ輝かせて、興味深そうに見入っている。
「どうしたの? フェール」
「見て見てリョーマ、これ全部果物なんだって! 宝石みたいでしょ? グミの実みたいに酸っぱいのかな?」
「いや、その辺のはみんな甘いよ」
「リョーマは食べたことあるんだ!? 凄いね!」
凄い凄いと言われて、気づいた。何が凄いって、それはお値段である。
日本では二束三文で売られているようなバナナが、一本で高級宿に一泊できちゃいますよな二プフントである。馬車や時には船まで利用して運ばれてくるこれらの果物は、まさに宝石と比喩されるに恥じない代物だったのだ。
もちろん、旅を続ける涼真に多くの余裕はない。手に入れた賞金もほとんどカヤたちに渡してしまい、懐は豊かでないのだ。
久しぶりの甘味を味わってみたくはあるが、一瞬の欲望のためにそれほどの金額を使うのは気が引ける。
「ほら、お嬢ちゃん。少し食べてみるかね」
「いいの? ありがと!」
ところが、フェールは可愛い女の子という武器を持ち前の天然で存分に活かしきり、店主を相手にうまいことやっていた。一口サイズではあるが、バナナの欠片を受け取っている。
そして、その欠片を更に半分にすると、フェールは涼真の前に差し出した。
「はい、リョーマにもおすそ分けだよ」
「いいの? ちょっとしかないのに」
「でも、リョーマだけ食べられないなんて可哀想だもん」
その気持ちと欠片をありがたく頂戴し、久々の甘味をかみ締める。
フェールはバナナを口に入れただけで、うっとりとしていた。生まれてこの方、初めて味わう甘味らしい。食べ終えた後も、名残惜しそうにペロッと手のひらをなめている。
それを見ている涼真の視線に気づいたらしく、フェールは恥ずかしそうに頬を染めて手を引っ込めた。
非常に子供っぽい仕草なのだが、涼真は甘い物を買ってあげたくなってしまった。そうしたら、何物にも変え難い飛びきりの笑顔が見られる気がしたのだ。
この場の一瞬ではなく、長く楽しめる甘い食べ物。そういう類のものがあるなら、買ってもいいだろう。
そんな都合のいい食べ物あるわけがない、と思っていたのだが、ふと目にとまるものがあった。色とりどりの丸い宝石のようなものが入った瓶詰めだ。
「おじさん、これは?」
「飴玉だよ。見るのは初めてかね?」
「いえ、そうでもないんですが。一瓶いくらですか?」
「これはさっきのよりも高いよ。三プフントだ」
財布の中身と相談すると、余裕がなくなりますとのご返答だ。でも、飴なら食べ方によっては一ヶ月も楽しめる。
「これ、一瓶ください」
「驚いたね! 最近のフランクフルテンは、子供まで金持ちときたもんだ! いやほんと、怖くなってしまうほどの景気だよ!」
大喜びする店主から、涼真は飴の瓶を受け取る。それを、フェールにそのまま渡した。
手渡されたフェールはというと、目を丸くして驚いている。
「リョーマ、これ……?」
「あげるよ。飴玉ってお菓子で、なめて食べるんだ。そう簡単に無くならないしさ」
「でも、すごく高かったよ? リョーマが隠れて我慢してご飯抜きなんて、やだからね?」
「そんなことしないよ! まあ、余裕はなくなっちゃったけど、シュバルツ伯の屋敷もすぐ近くのはずだから」
嬉しそうに、フェールは飴の入った瓶を握り締めて眺めている。
「一個食べてもいい?」
「フェールのものなんだから、好きなときに食べていいんだよ」
手のひらの上に飴玉を転がしたフェールは、コロンとそれを口に放り込む。そして片方の頬を飴玉で膨らませると、んー、と堪らなそうに唸った。
「甘ーい! それに、ずっと口の中に残ってる! これ考えた人は天才だよ!」
「そんな大げさな……」
興奮を通り越して感動に至ったらしいフェールは、何を思ったのかもう一つ飴玉を手のひらに転がした。日本でも滅多にやらない贅沢、もう一個をやるつもりらしい。
フェールは飴玉を摘むと口に入れるかと思いきや、涼真の口元へと運んできた。
「はい、リョーマ。あーん」
「……え? いや、え?」
期待していた以上の何かが、目の前の空間に存在していた。思わず二度見してしまったほどだ。
あーん、て。既に天才さんが作ったらしい飴玉を超える甘さだ。つまり、フェールは天才を超えたのだ。
いやいや、これは罠だ。ここ大通りだし、やろうしてることはバカップルなわけで。滅茶苦茶恥ずかしいことをしようとしてる。
しかしそうとは分かっていても、天の時を逃せば次はない。
いや違うと思考は進み、終いにはご褒美と結論付ける。
これは別名餌付けとかいうものなのだが、涼真は既に良く訓練された番犬なのでご褒美というべきなのだ。
涼真は飛びつきたかったが、デレデレせずに真顔になるといういつもの無駄な抵抗をする。だが無駄な抵抗なので、口はおのずと開いた。
口の中に飴玉が転がると同時に、にこっとフェールが笑う。もはや飴が甘いのかフェールが甘いのか分からず、さしものポーカーフェイスもビシビシと音を立てて崩れそうだ。
「あっはっは! いや、実に仲睦まじいね! 見てるこっちが恥ずかしいくらいだよ!」
突然起こった笑い声に驚いて、涼真は声の主を探す。すると、とんでもない美青年がプリンスのような優雅さをまとって笑っていた。銀髪サラサラヘアのモデルみたいな青年で、白いトレンチコートが目立つ洒落た軍服を着ている。
隣には可愛らしい女性が立っていて、青年と腕を絡めあっていた。
「な、な、な……!?」
ぶるぶると手を振るわせた涼真は、頬に灼熱の熱さを感じながら青年を指差すことしかできない。これが、顔から火がでてチャッカマンというやつか。
青年の隣に立っている女性も、口元に手を当ててクスクスと笑っている。
「ほんと、可愛らしいわね」
「兄妹でお使いってところかな? お目当てのものは買えたのかい? 僕はフランクフルテンに来て間もないんだけど、彼女は長いから何でも相談に乗れると思うよ」
くう、と涼真は唸る。
兄妹とか。背の低いことを見越してのことだろうが、さりげなく人のコンプレックスをつついてくる。
おまけに、女の敵の匂いが凄い。明日会ったら、隣の女性は交代していそうなタイプだ。ただのイチャモンだが、そんな気がするのだ。
「違いますよ、兄妹じゃないし! ちょっとフランクフルテンの市庁舎に用があるだけです!」
「あら、フランクフルテンの市庁舎に? あそこは二、三ヶ月待ちなんて当たり前だから、早く行った方がいいわ」
見ると、女性はフェールの頭を優しく撫でながら言っていた。フェールも満更ではなさそうに、大人しく撫でくり回されている。
「二、三ヶ月だって? でも、こんな大きな街じゃ仕方ないか」
やれやれ、といった様子で、青年は肩をすくめている。二、三ヶ月と聞いて、涼真は青くなった。
先ほどの無駄遣いがあろうが無かろうが、そんなことは問題じゃない。このままでは、あっという間に進級おめでとう高校三年生だよ、という事態に発展しかねないのだ。
受験勉強も就職もできずに日本へ帰還したって、ニートまっしぐらだ。FPSのランキングは諦めるとして、ライフラインまでちょん切られることは避けなければならない。
「どうもご親切にありがとうございます! 急ごう、フェール!」
涼真はフェールの手を掴むと、大慌てで通りを走り出す。
「随分と慌しいな。ほんと、足元すくわれないように気をつけなよ。本当に、ね」
涼真とフェールの背中を見送りながら、青年はニヤリと笑っていた。
巨大都市フランクフルテンの市庁舎は、役割分担のためいくつかに分かれている。その中でも市民の行政を司っている市庁舎に、涼真とフェールは駆け込んだ。
バロック様式みたいな建物は重厚な石造りで、受付用の待合室は何十人と集まっても収容できるほどに広く作られている。日本の役所を思わせるところがあるのは、シュバルツ伯の政治が市民に開放的なためだろう。
女性に忠告されたように、二、三ヶ月待つというような雰囲気ではない。待っている人はそれほど多くないし、すぐ涼真にも順番が回ってくる。
受付には作り笑顔のお姉さんが座っていて、涼真のシュバルツ伯に会いたいという話を静かに聞いてくれた。そのままの笑顔で広辞苑並みの本を取り出すと、ペラペラとめくっていく。
そして、本を確認し終えると静かに告げた。
「シュバルツ伯への面会は、緊急性の無い内容ですと半年先になります」
「緊急性?」
「はい。例えば、Sランクのパーティが極秘情報を持ってきた場合や、組織的な犯罪の情報提供などです。あ、リョーマ様はフランクフルテンの市民権をお持ちですか?」
「持ってないですけど……」
「市民権の無い方は、恐らく一年以上待つことになると思います。市民の声が優先されますので」
ぐうの音も出ずに、市庁舎を出ることになった。石畳の広場をトボトボと歩きながら、フェールと共に途方にくれる。
カランカランと鳴る鐘が、涼真の人生終了を告げるように鳴っている。真昼間だというのに、アホー、とカラスが鳴いて、何かグッと来るものがあった。
一年かかるなんて、ユストゥス老人にも聞いちゃいない。多分悪意なんて無くて、単純に知らなかったのだろうけど。
でもよくよく考えたら、神託の宝具は緊急性の塊だ。もしかすると、それを話せば会わせてくれるかもしれない。
しかし、市民権も無い、フランクフルテンからすれば得体の知れない涼真を信じてくれるとも思えない。下手したら、神託の宝具云々ぬかした瞬間に追っ手を差し向けられる可能性だってある。前例なら十分あるのだ。
「リョーマ、わたしは大丈夫だよ? 野宿になったり、ご飯食べられなくても我慢できるもん」
フェールの現実的すぎる慰めが、弓矢といわずバリスタ並みに心を抉り取ってくる。
フェールにそんな辛い思いをさせないためにも、ここは何でもやってみるしかない。
シュバルツ伯だって一日中同じ場所にいるわけじゃないだろうから、必ず外に出て移動するタイミングがあるはずだ。そこで直接頼み込むか、もしくは屋敷にこっそり忍び込むのもいい。
時代劇の農民ばりにリアルで直訴するなんて、全く思いもよらない事態だ。直訴状とか、竹に挟んで掲げた方がいいんだろうか。
頭を抱えて悩んでいる最中、ふと妙な視線を感じて周囲を見渡す。すると、目が覚めるような真っ白い軍服に身を包んだ男がこちらを見ていた。
砂金のようにサラサラとした金髪は綺麗なショートにカットされ、ソーダライトのような青い瞳は強固な意志と勇気に満ち溢れている。
騎士らしく、身体はがっちりとして背は群集よりも頭一つ大きく、背には身の丈ほどもある大刀を担いでいる。それなのに人を惹きつける包容力があって、優しそうなお兄さんという印象だ。
先ほど市場で出会った青年と負けず劣らずのスペックで、道行く女性たちはすれ違っては振り返るほど。それでいて清廉実直そうなのは、見た目のせいか、本当にそうであるせいなのかは分からない。
勿論そんな知り合いなんているわけ無いのだが、男はこちらへと近づいてくる。
そういえば、涼真の行動は結構怪しかったかもしれない。考えていることが不穏当だったので、それは怪しくもなるだろう。
やばいな、と思いつつも逃げないのは、何故か男の瞳が親しげだからだ。逃げたりしたら、知り合いの名前を忘れてしまったときと似たような罪悪感に苛まれる気がするのだ。
「おや、フェールじゃないか」
「ウェールズ様……?」
ぱあっとフェールの顔が明るくなる。
何なんですか様って、と涼真は少しカチンときた。それでも、心の中のもやもやを何とか押し殺しす。
「え? 知り合い?」
「ウェールズ様!」
そう言うなり、フェールは涼真の疑問をガン無視して走り出す。そして事もあろうに、白い軍服の胸の中に飛び込んだ。
「な、な、な、なな……!?」
本日二度目、手を震わせながら涼真はその光景を指差す。
何よりもショックだったのは、フェールに存在が消えたかのような扱いをされたことだ。今、完全に眼中から消されていた。
アウトレンジの遥か彼方、あるいはまかり間違ってステルス能力でもインストールしてしまったのかも。そんな錯覚に陥るくらい、あって無きがごとしの扱いだった。
「いや、久しぶりだね! 元気そうで何よりだよ! おや、また一段と綺麗になったね!」
「もう、やめてよウェールズ様! みんなに言ってるんでしょ、お上手なんだから!」
何か二人の世界に入って、全く帰ってこない。あーもーちくしょーなんなんですかこの人はー、早く紹介してくださいよー、とか主張しても、見えない壁があるらしい。一向に涼真の存在は認知されない。
それどころか、ウェールズに優しくなでられたフェールは、探偵帽を外して再度撫でられるのをおねだりしているように見える。
「それで、今日はどうしたんだい?」
「いちにいに会いたいんだけど、一年も待たなくちゃいけないみたいなの。でも、そんなに待ってられないし、困っちゃって……」
「シュバルツに? だったら、今から会いに行こうか? ちょうどフランクフルテンの治安状況を報告にいくところだからね」
「ほんとに? ついてっちゃっても、いちにい怒らない?」
「大丈夫だよ、シュバルツだって妹弟子のことを邪険に扱ったりしないさ!」
わーい、何か色々と解決しましたよー、と思いつつ、涼真は近くて遠い距離からフェールとウェールズを見守る。
涼真がいないところで多くの問題が解決していくのは自明の理だが、こんな目の前で見せ付けられると心が痛い。こんな風に問題が解決しても、手放しで喜べるほど人ができちゃいないのだ。
どうせ二人の世界には聞こえないので、小さく呟く。
「何ていうか、爆発すればいいのに」
「爆発ですか? それなら、神に創られし槍をお勧めします」
すかさず、バルムンクが抑揚の無い声で応えた。
「神に創られし槍は、打ち上げた人工衛星を利用する対地用の質量兵器型超電磁砲です。この程度の都市なら、一発で灰に変えられます。なにぶん、人工衛星を打ち上げたのが四万年ほど前になりますので、動作の保障はできませんが」
「うん、よかったよー。使えるかどうか分からなくてー」
楽しそうに談笑しているフェールとウェールズを見て、涼真は深い深いため息をつく。言ってることも考えていることも、目の前の現実には空しいだけだ。
諦めて、ぶすーっと地面に座り込む。体育すわりで。
ようやく談笑が終わると、長いこと空気だった涼真は久しぶりにフェールの瞳に映ったらしい。
慌てたようにフェールが駆け寄ってきて、申し訳なさそうにしている。
「ご、ごめんねリョーマ、紹介もしないで。この人はウェールズ様だよ。ヴァイス・オーデンの副騎士団長なんだ」
必死の様子で、フェールは手をウェールズの方に向けてジェスチャーする。
涼真はあんまりフェールを見ずに、あ、そーですか、と気の無い返事をのたもうた。




