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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

狼さん気をつけて

狼さん気をつけて

作者: 工藤るう子

 喫煙を推奨しているわけではありません。念のため。


 目の前の赤毛の少年が、運ばれてきたパフェを抱え込んで笑った。


(やっぱ、がきだな)


 なんとなくホッとして、オリーと名乗った少年が甘ったるい冷菓にかぶりつくのを、オレは眺めていた。


(タバコ……吸いてぇな)


 独特の苦味とコクのある匂いの嗜好品を手で探る。それは、俺の贅沢品のひとつだった。が、この場で吸うのは憚られる。今いるところが、ガキんちょと女性御用達の、カフェだからだ。


 ちらりと、時計に目をやれば、既に時刻は夕方近い。


「レインさんは、誰かと、待ち合わせ?」


 目ざとく見咎められたが、


「気にすんな。さっきの礼は、ほんっとうに、それだけでいいのか?」


「あ?いいって。あんなの」


 そうは言うが、俺よりもずいぶんと小柄なこの、推定十五才くらいの少年が、がたいのよい四十くらいの男を見事に取り押さえたのだ。


 そう。


 あれは、ほんの数十分ほど前の出来事だった。


 知り合いの家に招かれて、久しぶりにねぐらを出た。


 知り合いは街中に住んでいる。俺はといえば、森の奥だ。静かで住み心地がいい。だから、どんなに知り合いに町に住みつけと誘われても、俺の腰は上がらないのだ。


 ま、それはともかく、どうやら、今日は、春の祭の日だったらしい。


 公園を突っ切ろうとして、俺は自分のしくじりに気づいた。長く人里を離れているせいなのだろうが、ひとごみに酔うようになっていた。ざまぁない。


 いちが立っている。


 さんざめくひとごみに、俺は案の定酔ったらしかった。


 そうして、尻ポケットに突っ込んでた財布を掏られかけたのだった。


それを、阻止というか、掏りから財布を取り戻してくれたのが、この、オリーという少年だったのだ。


「じゃーな。ほんと、助かった」


これでタバコが吸えると、カフェの前でひらりと手を振り背を向けた。刹那、グイッとポケットに突っ込んでいた左手を掴まれた。


振り向き見下ろせば、


「また、会いたいな」


「はい?」


真剣なまなざしが、見上げてきている。


(ああ、きれーだ)


 空色の瞳が、きらきらと輝いている。


「なんか、オレ。レインさんのこと、気に入ったみたいだ」


「そりゃどうも」


 間の抜けた返事だが、年下にそんなことを言われて、ほかにどう答えろと?


「オレ、今、あそこのホテルにいるんだけど、レインさんは、ここらへんに住んでるってわけじゃなさそうだし、どこ?」


 そう言って指し示したのは、駅近くの、三ツ星クラスのホテルだった。


「ちょっと知り合いの家に………な」








「どうした、遅かったな」


 寝乱れた銀髪、いつもは鋭い切れ長の緑の瞳も、まだ寝たりないらしくしぱしぱしている。白いカッターシャツもダークブラウンのスラックスも、あちこち皺が寄っている。


「何時に寝たんです?」


 玄関のドアを施錠しながら、そう訊ねると、


「昼過ぎだったか……。あんまりおまえの来るのが遅いので、転寝うたたねしてしまったよ」


「すみませんでした……って、ディヴァン、あんた、なにやってるんですか」


 背後からするりと俺を抱きしめてくるのは、ディヴァンの腕だ。


 首筋にかかる吐息が、くすぐったい。


「寝起きにこんな美味そうな首筋を見せられたんじゃ、理性なんぞ数千光年のかなたにぶっ飛ぶぞ」


と言って、本当に噛みついてくる。


 甘噛み特有のくすぐったさとやばい熱とが、ディヴァンに噛み付かれた箇所から全身に広がる。


「わ、わかりましたからっ。だからっ、玄関はやめましょうよ。誰がくるかわかんないって。俺、重いの、あんた知ってるっしょうが」


「さっきロックしてたろう。それに、もう、遅い」


 かすれたが、耳元で、そう告げるや否や、灼熱が首の一点から全身へと染みてゆく。


「っ………」


 拒絶の声も、出やしない。


 吸い付いてくるディヴァンのくちびるの熱は、灼熱の一点よりもややひんやりとしているようで、それが心地好い。


 俺の血を嚥下している音が、もっとよこせと傷口を舌で抉る痛みが、俺の鼓動を苦しいくらいにやらせる。


 ディヴァンに血を啜られるこの時、いつも、俺の全身は、どうしようもないくらいの快感に襲われる。そうして、耐え切れなくなった俺が腰を落としかける瞬間、ディヴァンはかすかな笑いを耳に吹き込み俺を抱きすくめる。


 その後は、なし崩しだ。


 そう、数ヶ月に一度のディヴァンの衝動を収めることができるのは、俺の血液だけなのだった。


 俺も、ディヴァンも、人外の存在だ。


 いつのころか、元の世界からこちらの世界に押し出され、こちらに適応するよりなかった存在である。


 俺もディヴァンも、この世界に落ちてきて、既に数百年が過ぎていた。


 俺は森の中で静かに暮らすことを好み、ディヴァンは街で暮らすことを好んでいる。それは、主に食嗜好の違いによるものだ。俺は基本が肉食だったから、人中よりも野生の生き物が多い森の中をテリトリーにしているのだし、ディヴァンは基本的に人間の血で飢えを癒さなければならないから街に暮らしているのに過ぎない。


 ただ、時折、どうしようもない衝動が襲ってくるときがある。


 それは、ヒート。


 もしくは、シーズン、


 所謂、繁殖期というヤツだ。


 数ヶ月に一度の繁殖期――とはいえ、固体固体でばらばらの時期にそうなる上に、俺たちはめったに受胎することができないから、あちらの世界でも個体数は少なかった。


 それは、やはり、こちらのように、性が分化していないからなのに違いない。


 俺たちは、通常はこの世界で言う雄、男性の姿をしている。とはいえ、シーズンが来たからといって、番うどちらかの外見が雌化するわけでもない。


 ただ、もう、獣になってしまう。――相手、伴侶が見つかっていなければ、かなりきつい時期を過ごさなければならないから、それは、大変だ。


 すべてはディヴァンに聞いた話だが。


 闇雲にアプローチして、振られると、地獄のシーズンの幕開けとなるらしい。もっとも、基本が一対一だから、あぶれたヤツは次のシーズンにあぶれたやつを探したり、いろいろなパターンで伴侶を得ることも可能だったりする。だから、そう、悲観したもんじゃないらしいんだがな。








「おはよう」


 ベッドの上、すっきりとした顔でディヴァンが俺を見下ろしていた。


 なんつーか、寝顔を見られるのって、好きじゃねぇ。しかし、それを言ったところで、ディヴァンが聞くはずもないのだ。


「おはようって、ディヴァンさん、夜中なんですけどね」


 言わずもがなの台詞ってヤツだ。


「本来の私たちの活動時間は、夜だろう」


 はい。そのとおりです。


「しかも、今宵は、十三夜!」


「げっ」


 シャッと音たてて開かれたカーテン。


 ガラス窓の外には、木枠に分断された、まがうことのない十三夜の、いまだ満ちかけの月が皓々と輝いている。


 遅かりし――だ。


 からだの奥の奥からむずむずとした衝動が駆け抜け、俺は、快感と苦痛とが交じり合った、なんともいいようのないそれに、からだを二つに折って呻かずにはいられなかった。


 忘れてた。


 この、確信犯めっ!


 睨み上げるが、ディヴァンはうっとりとしたまなざしで、俺を見下ろしている。


 くそっ。


 すっかり月齢のことなど忘れていた。


 俺って、よっぽど学習能力ないのか――――ブランクが長ければ長いほど、ディヴァンのこの趣味を忘れてしまえる自分が悲しい。


 俺の全身から、熱がほとばしった。


 蒸気が立ち込める。――それは、厳密には蒸気ではないのだが、そんな風に見えるのだ。


 ああ、この間抜けな姿を、ディヴァンに見られるのは、はっきりいって、悔しい。


「お手っ」


 この鬼めっ! いや、実際、ディヴァンは、吸血鬼と呼ばれる存在だが。


 これら一連の命令に逆らえない自分自身が、悲しすぎる。


「お代わり」


「伏せ」


「コロン」


 ああ、尻尾がせいだいに揺れている。


 俺がこの世界に落ちたばかりのとき、俺は犬ーー本当は狼だったのだがーーの姿をしたほんの乳飲み子で、飢えてた俺を拾って育ててくれたのが、ディヴァンだったりするのだ。


 ディヴァンは、俺を本当に犬だと思ったと言うが、同胞がわからないほど鈍いとは思えない。


 ぜったい、絶対、面白がって、この条件付けをしたに違いない。


 成人して巣別れした俺は、この条件付けをなんとかなしにしたいと躍起になった。が、結局、ディヴァンに鋭く命令されると逆らえないんだよな、これが。


 完全に、狼――金の毛並みのちょっとしたハンサムだったりすると自負してんだが――の時なら、まだ、さまになるというか、我慢もできるが、今日のように中途半端な格好で命

令されるのは、ほんと、忍耐力を試されてるような気分になる。


 窓ガラスに映ってる俺の姿が、悲しすぎる。


 腰から下と、手首から先、それに、耳だけが、金毛の狼という格好の俺が、これ以上ないくらい姿勢のよい”お座り”をして尻尾をせいだいに振っているというのは、間抜け以外のなにものでもないのだ。


 しかし、なにが面白くて、ディヴァンは俺にこんなことばっかりさせるんだろう。


 はぁ。


 悪趣味なヤツ。


 そう思いつつ逆らえない俺も、俺なんだろうな。やっぱり。








「はいよっ……っと」


 チャイムの音に玄関のドアを開けると、


「レインさん」


と、昨日の少年が、満面の笑みをたたえて立っていた。


「……オリー?」


 寝起きの頭が、まだ、スムースには動かない。なんといっても、昨日というか、今朝、寝たのはつい数時間前なのだ。


 時刻は、朝の十時を回ったところだった。


「おっはよう」


元気いっぱいの少年の挨拶に、

「あ、ああ。おはよう」


と返すのがやっとだった。


 昨日、オリーと別れる前に、ここの住所を教えたっけ?


 そういえば、頓狂なことを言われて、なんとなく、口を滑らせたような記憶が無きにしも非ずなような。


 そう、俺のことを気に入ったとかなんとか、このはるかに年下の少年は、臆面もなく言ってのけたのだった。


「レインさん」


「ん?」


「ちょっと」


 手を振るオリーに視線を合わせようとかがんだ瞬間、チュッと俺のくちびるに触れてきたものがある。


 思わず両手でくちびるを覆って離れたが、残る感触は生々しい。


 あれは、乾いてあたたかな、オリーのくちびるだった。


「な……」


 何のつもりだと言おうとして、


「ルース。その少年は誰だね」


 不機嫌なオーラをにじませた、背後からの声に、タイミングを奪われた。


 まだ寝てるはずの、ディヴァンの声だ。


 しかも、ディヴァンが、俺のことを、ルースと、名前のほうで呼んでいる。


 やばい。


 こういうときのディヴァンとは、はっきり言って、関わりあいになりたくない。


 こういうときの彼は、俺と話している相手に、敵愾心剥き出しなのだ。


 いつもなら、なに勘違いしているんです――と、いなせるのだが。いかんせん、このタイミングだとすれば、さっきのキスはしっかり見られているんだろう。


 やばい。


 はぁ。


 やばすぎる。


 振り返れば、ローブをまとったディヴァンが、階段の途中から、その緑の瞳で、オリーを凝視していた。




「あれが、レインさんの、知り合い?」


 前を見れば、少年の空色の瞳が俺を見上げている。


 さっきとは違う、トーンの低い声だった。


「あ、ああ」



 そう返していると、背後から、


「ルース、知り合いかね?」


と、不機嫌がとぐろを巻いたような、低い声。


「ええ」


 ああ、俺ってばかみたいだ。


 こういうときはどうすればいいんだろう。


 なんつーか、男ばっかの、まぬけな修羅場のような気がするのは、気のせい…………じゃないのか。


 そういや、オリーには気に入ったと言われ、ディヴァンとはそういう関係にある――んだった。


 はぁ―――深い溜息が漏れそうになる。


 狼の耳が生えていれば、ぴとんと頭に張り付いているに違いない。


「紹介、してはくれないのかな」


 ディヴァンのひとことは、とりあえず、俺を、悩みの底から引きずり出してくれたのだった。




 客間にオリーを通した。


 午前中の日の光が、白々と室内を照らしている。


 窓際のソファセットに、オリーとディヴァンとが対峙する形に腰を下ろした。


「えっと、ディヴァン、彼が、昨日、俺の財布を取り戻してくれた、オリー・ワードです」


「ああ、彼が。オリー・ワード君、ルースが世話になった。ありがとう」


 余裕綽々のようなディヴァンにほっと、安心した俺が、


「オリー、彼が、ディヴァン・エンリッヒ。俺の」


 俺が、馬鹿だった。なぜって、ディヴァンは、まだ俺のことを“ルース”と読んでいたのだ。


 俺が紹介している途中で、ディヴァンは、口を挟み、あろうことか、


「私は、ディヴァン・エンリッヒ。ルースの、伴侶だ」


 などと、爆弾を投下してくれたのだった。








「まったく、なんて大人気ない。オリーはたった十五才でしょうが。あんたの何十分の一くらいしか生きていないんですよ」


 これみよがしに溜息をついてみせると、


「そうは言うがな、レイン。こっちの世界の人間は、成長のスピードが信じられないくらい早いんだ。知っているだろう?」


「知ってますよ。それくらい。だからって、十五才はこの世界でだって充分子供なんですよ」


 最近のディヴァンの気に入りだというハーブティをカップに注ぎ、振り返りざま手盆で差し出した。


 俺もご相伴にあずかる。だいたい、あれだけしゃべったら、喉が渇く。


 オリーが帰ってまだ三十分しか経っていないというのに、この疲労はなんなんだろう。


 甘くさわやかなハーブの香が、鼻腔を満たす。


 ハーブの効果か、少しだけ興奮が冷めた。


 相変わらず、今日一日でどれだけの幸せが逃げただろうと心配になるくらいの溜息を天上に向けてこぼしながら、俺はソファに腰を下ろした。


 ずるっと、腰が皮の上をすべる。


 ソファの背もたれの頂上に後頭部をのせて、足はテーブルの下に。考えてみれば凄いだらしない格好だが、今の俺は、このまま寝たおしたいくらい疲れているのだ。


 それもこれも、目の前でカップをソーサーに戻している、ディヴァンのせいである。


 だいたい、子供相手に、本気で言いあいをつづけるというのが信じられない。


 しかも、精神年齢が同じとしか思えないような、他愛のない言い争いである。


 最初こそ、何とか止めなければと冷や汗をかいたが、内容を聞いて、匙を投げた。


 曰く、


「オレは、レインさんに用があるんだ」


「ルースに何の用かな」


「デートの誘い」


「ルースは、私の伴侶だと言わなかったかな」


「でも、レインさんは、びっくりしてたみたいだよ。あんたの思い込みじゃない」


「そんなことはない。あれは、単に照れていただけだ。ルースは、見かけよりも繊細だからな」


 延々俺の取り合いである。


 俺の意志はどこにあるんです?そう突っ込みたかったが、なんだかあほらしくなって、やめた。


 好きにさらせってもんだ。


 そう思って好きにさせていたら、ほんとに、延々、舌戦を繰り広げるんだから、あきれてしまった。


 一応お茶は何度か換えたが、そのたび見事にコップは空っぽだったから、ふたりとも喉が渇いていたのだろう。


 そうこうしてるうちに、結局、俺にお鉢が回ってきた。


 まぁ、焦点が俺だったから、当然っちゃ当然だよな。


 しかし、ぶんっと空気がうなるくらいの勢いで、俺に顔を向けたふたりは、凄い迫力で、キッチンからちょうどお茶の代えを運んできていた俺は、思わず尻餅をつきそうになった。


 かなり値打ちもののティーセットが壊れなかったのが、不幸中の幸いだった。


「で、ルース。おまえは、このひよっこに、どう返事をするつもりだね」


 もちろん断るだろうな。そう緑の瞳にことばをこめながら、ディヴァンが凝視してくると思えば、


「こんなすかした顔のおじさんより、若いオレの方が、ぜったいお徳だよ。レインさんのこと大事にするしさぁ」


 空色の瞳が縋るように見据えてくる。


 ここで言っておくが、俺は、ディヴァンに愛されているだなんて、知らなかった。


 いや、とぼけてるわけじゃなく、マジだ。


 互いに家族愛なら、あると知っていたが。なにしろ、そういう意味での告白をされたことがなかったのだから、仕方がないだろう。だから、俺は、これまで、ず~っとからだを合わせていたのは、まぁ、互いにほかの相手を探すのがめんどうだからだろうと、たかをくくっていたところがある。それが、突然、伴侶だといわれては、俺の思考回路そのものが、キャパシティオーバーで、フリーズしてしまいそうだ。


 だいたい、いつ俺が、ディヴァンの伴侶になったんですか。そう突っ込みたいが、新たな参戦者がいるここでは、なおさら泥沼の底を引っ掻きかねないので、やめておいたのだ。


 そう、新たな存在!


 オリー・ワード。


 昨日のあれが、マジな告白だったとは。


 俺は、天井を仰いだ。


 オリーを傷つけず、できるだけディヴァンを刺激せずに済む答がそこに書いていることを、心の底から祈った。


 そんなことが、あるはずもないのだが。


「あ~、その。どちらも選べませんね」


 ふたりを切って捨てられないこの性格が、憎い。


「なんだね、それは!」


「どういう意味?」


 噛みつくようなふたりに、なんと答えるべきか、途方にくれて、俺は煙草をジーンズのポケットから取り出したのだった。




 はるか極東の島国には、がまの油という秘薬があるという。がま、とは、蛙のことらしい。その材料の集め方が変わっていて、蛙の周囲を鏡で囲って、滴る脂汗を搾り取るというのだ。まさにその蛙になったような気分で、俺は、ディヴァンとオリーとを交互に見ていた。


(助けてくれ~)


 内心の焦りが、毛穴から冷や汗を流させる。


 緑の瞳と、空色の瞳。真剣な二対のまなざしに、射抜かれて、まるで、己のうかつさから百舌もず早贄はやにえになってしまった間抜けなトカゲのようだ。


「と、とりあえず、その………ディヴァンとは、伊達や酔狂じゃすまされないってくらいの時間を付き合ってますし………。だからって、オリーは、まだ、昨日、知り合ったばかりだし………」


 脳を絞っても、しどろもどろのことばしか出なかった。


「はぁ……。意外。レインさんって、こういうの、理詰めで判断するタイプなんだ」


「まだ、本気でひとを好きになったことがないわけか………」


 ふたりとも、なんだか、顔を見合わせて、ソファに懐いている。


(助かった?)


 首をかしげながらも、俺は、なんだか、釈然としない。いや、なにがとはっきりわかるわけではないんだが、なんか、馬鹿にされてないか? 俺。


「馬鹿にしているつもりはないんだがね」


 うわ、喋ってたのか、俺。


「そう。意外だってだけでね」


 くきくきと肩をまわしながら、オリーが俺を見上げた。


「意外って………」


「まったく。でかくなったのは、なりばかりってヤツだな」


 腕組みをして頷いているディヴァン、あんたは、


「やっぱ、馬鹿にしてんでしょーが!」


 噛みつくと、


「馬鹿にしてるというよりは、私自身の反省だな」


「はぁ?」


 わけのわからんことを言う。


「レインさんって、やっぱり可愛いんだ」


 突然のオリーのことばに、俺の思考は、停止した。


 可愛い?


 誰が?


 俺?


 十五才のガキンチョに、可愛いといわれて、思考が止まらない二十代(見た目は、だが)の男がいたら、お目にかかりたい。


 しかし、次のディヴァンの台詞に、フリーズが、解けた。


「たしかに、可愛いな。ひょっとして、精神年齢は、このひよっこと同じぐらい、いや、下ではないかな」


 ディヴァン! ふむ――なんて、一人納得しないでくださいよ。


 あんたが俺を育てたんでしょうが! ああ、だから、反省をしてたわけか―――って、俺まで納得してどうすんだ。


 いかん。


 頭が、煮えたぎってる。


 俺の精神年齢が十五より下ってぇのは、いったいどこからはじき出されたのやら。


 オレはちゃんと二十代の成人男性の外見をしているはずなのだ。実年齢は何百才だか忘れたが。


 なんだって、俺が、年下のガキンチョに可愛いなどといわれねばならんのか。


 いろんなことが、頭の中でわやくちゃだった。


(落ち着け、俺。とりあえず、タバコだな………)


 一本取り出して、咥えた。




 深く肺腑に染み込んでゆく煙草の煙を味わいながら、俺は天井を仰いだ。


 ふたりは、少し前の険悪な空気が嘘のように、ぼそぼそとなにやら顔を寄せて話している。


 厭な予感というヤツだろうか。


 とにかく、ふたりがこちらを無視したように話し合ってるのを見ていると、首筋の辺りがぞわぞわする。


 逃げたい。


 ああ、いつまでも付き合ってなくてもかまわないんだよな。


 よく考えれば、ここは俺の家じゃないし、さっさと帰っちまおう。


 ひとが好いにもほどがあるよな―――自分で自分に突っ込みを入れながら、俺はやっとのことで客間のドアノブに手をかけた。


 さっさと帰って、寝ちまおう。


 そうして、今夜は、誰にも気兼ねなく狼の姿になって森を走り回ろう。そうすれば、ここでのストレスも忘れられるだろう。


 俺の心は、はやっていた。


 すでに、ねぐらのある森に、心は飛んでいた。


 だから、すぐ背後にふたりが来ていることになど気づいていなかったのだ。


 狼なのに情けないとは思うが。


 ノブを回そうとしていた手の上に、まだ成長途中の手がのせられた。


 ぎょっとなったが、後の祭りだ。


 肩には、ディヴァンのだろう手が乗り、ぎりりと力を込めてくる。そうして、


「どこへ行くつもりかな?」


「そうだよ、レインさん。ずるい」


と、ふたりが、ほぼ同時にしゃべった。


 いつからそんなに気が合うようになったんですか――と、言いたいが、振り返るのが恐かった。


 だりだりと脂汗が、全身を濡らす。


「こっちを向きなさい」


「逃げんなよな」


 ぎくぎくと、出来損ないの操り人形のように振り返ると、厳しい二対のまなざしが俺を凝視していた。








「まったく。この私が、たった十五才のひよっこと、おまえを共有することになろうとはな」


 ディヴァンの愚痴に、俺の意識は、数時間前の回想から現実へと立ち返った。


「共有ってなんです、共有って。オリーとは、友達からってことで落ち着いたでしょうが」


「だから問題なのだよ」


「は?」


「ともだちからということは、だ。それ以上に進展する可能性があるということに他ならないだろう」


 帰り際のオリーがうきうきとしていた理由は、そこか。


 俺って、墓穴堀だな。


「やりたい盛りのひよっこ相手に、おまえがどこまで防衛できるか。私はそれが、心配なのだよ」


 あまりといえば、あまりな言いざまに、


「なんですかーそれはっ」


 叫ばずにはいられなかった。


「罪つくりだな」


 いつの間にか目の前に来ていたディヴァンに、肩を押さえられ、俺は、身動みじろぐことすらできない。


 思わず目を閉じると、首筋に熱いものが落ちてきた。


「ヤ……ですよ」


 首筋にくちびるを落としながら、ディヴァンが囁く。


「ほら、こうすると、もう、動けない」


 そんなことを言ったって、あんた、ジンジンとしたくすぐったさや熱やいろんなものが、あんたが舐めてるそこから全身に広がって、どうしようもなくなるんですって。


「普通、狼男というのは、襲う側なんだがね」


 くすくすと笑いながら、ディヴァンが、俺を抱きしめる。


「ほっといてください」


「私のことを愛しているかどうかもわからないなんて、鈍感も過ぎれば腹が立つ。ひよっこでは満足できないように、このからだによく覚えこませるから、覚悟しておくように」


 物騒な台詞に、俺の背筋が、強張った。


「森には帰さないから、そのつもりで」


「ちょっ」


 目を開けると、そこにはいつもは緑色の瞳を血の赤に染めたディヴァンのこわい顔があった。


「それって反則……っ」


 俺の意識に分け入ってこようとする吸血鬼の呪縛のまなざしに、俺は、それだけを言うのがやっとだったのだ。


「とりあえず、決着がつくまで逃げないようにな」


 ディヴァンの声が、脳裏に響くのを最後に、俺の意識は、全身を苛む熱に飲み込まれていった。


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― 新着の感想 ―
[一言] はじめまして。 自分があまり痛いのとか救いのない話が苦手な為、拝見させていただいた他作品に比べて、随分安心して読めました。 (苦手にも関わらず作者様の作品の読ませる力が強く、既に一通り楽し…
[良い点] 読みやすい丁度良い長さでスラスラ読めました。でも可愛い狼さんをもっと見ていたかったです^^ 狼さんが凄く可愛いですね!狼さんと吸血鬼さんの出会い等も読めたらいいなあと思いながら読んでいまし…
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