人生は占い?
「占いを信じるなんて馬鹿だな。」誰かが言う。
「そんなのばかりに頼っていたってロクな人生歩めないぞ。」また、誰かが言う。
「占いより自分を信じろ。」またまた、誰かが言う。
「先輩、占いなんて当てにしない方がいいですよ。」またもや、誰かが言う。いや、今の声は他の誰でもなく、隣の机に座って俺の携帯電話の画面を盗み見ていた山下の声だ。
俺は、携帯電話の画面をじっと見つめたままで、山下の声には反応しなかった。画面には次のような事が書かれてある。
「今日の川上さんの運勢は大吉です。仕事運、恋愛運、マネー運、全てにおいて良好な一日となります。ただし、友人の助言はしっかりと聞きましょう。」
ということで、山下の先ほどの言葉をもう一度自分の頭の中で再生させてから、山下に返事をした。
「何をどう信じようが俺の勝手だろ。人の心配より自分の心配をした方がいいぞ。」
「別に先輩の心配なんてしてませんよ。ちょっとした僕からの警告です。後は、先輩のお好きにどうぞ。」
そう言って、山下は煙草とライターを持ち、机から離れていった。山下の後ろ姿を目で追いながら俺は心の中で警告した。煙草ばかり吸ってると肺がんになってすぐ死ぬぞ、と。
先輩も人の心配をしてる場合じゃないですよ、という山下の声が聞こえてきそうだったが、気にせず携帯の画面を見つめ直した。
そう、俺が見ているのはある占いサイトの今日一日の俺の運勢の結果である。俺は、この占いを必ず毎朝見てから、一日を始める。なぜなら、この占いは必ず当たるからだ。
この会社の面接試験の前日に、とてつもない不安な気持ちに押し潰されそうになった俺は、気を紛らわすために友人に電話をすることにした。
他愛もない話で盛り上がっている中、友人から、「必ず当たる占いサイトだからやってみたら?」と勧められて、この占いサイトを紹介してもらった。
必ず当たるということは、悪い結果が出れば、本当に悪い結果となってしまうということではないか、と不安になってしまったが、
勇気を振り絞って、会員登録を済ませ、次の日の朝に占ってみた。
すると、次のような文章が携帯画面に表示された。『今日の川上さんの運勢は大吉です。自分の意見をしっかりと相手に伝えれば、必ず成功します。』
この占いを信じていたわけではないにも関わらず、なぜか俺はその時、ものすごく安堵してしまった。
そして、俺は神頼みではなく、どこの誰かも分からぬ占い師頼みをして、面接試験に臨んだ。占いに書かれていた通りに、自分の意見を堂々と発言した。
これにも、かなりの勇気を消耗したが、それが実を結び、見事にこの会社に合格したのだ。俺はこの時、この占いのおかげだと確信した。
それ以来、この占いを信じるようになった。実際に、今まででこの占いが外れたことは一度もない。
『うまくいかない』日はうまくいかず、『良い一日』となる日は良い一日となるのだ。この占いで俺の一日が格付けされる。俺の人生は占いによって確立されていく。
傍から見れば、情けない人生を送っているかのように見えるかもしれないが、俺はこの占いを信じることに対しての後悔は一度もしていない。
今日も、この占い通りの一日になるのだ、と期待して仕事にとりかかることにした。
「お疲れ様。」
しばらくして俺の左斜め後ろあたりから声をかけて、尚且つ親切にコーヒーを持ってきてくれたのは社内の中でも一、二を争うほどの可愛さを持った中森美里だ。
彼女は、俺の同期であり、唯一、俺の疲れた心を癒してくれる天使のような女性だ。
彼女は、毎日、誰に頼まれるわけでもなく自分から全社員にコーヒーを運んできてくれる、とても気が利く人だ。その上、仕事もその日のうちに完璧にこなす。
まさに優秀な人材の一人である。おかげで、社内の評判もかなり高い。
実は、そんな彼女に俺は今片想い中である。
入社日に彼女と一緒に仕事を始めた時に一目惚れしてしまったのだ。その日からもう二年ほど経とうとしている。
しかし、俺は臆病な心の持ち主であるがために、その約二年間、全く彼女に思いを伝えることができないでいる。
今日こそは、という日が幾度か訪れたこともあったが、どうしても彼女と目を合わせただけで、臆病な心が邪魔をして気持ちを打ち明けられずにいた。
「いつもありがとう。」いつもこの言葉しか言えない。仕事が忙しいからという理由ではなく、単に俺が照れているからである。
「あれ? もしかして山下君、また喫煙所に行ってるの?」
「うん。今日はもう、三回以上は喫煙所に行って、ぷかぷか煙草吸ってるよ。」
「あまり吸い過ぎると体に悪いのにね。辞められないのかな?」
「いや、辞める気は全くないと思うよ。俺も、何度か注意したけど一向に辞めようとする気配も見せないし。その上、仕事も毎日残業で終わらせてるし。」
「それは川上君だって同じでしょ?」少しからかい気味に美里が指摘した。でも、気分は全く悪くならなかった。俺も笑いながら、「まあ、それもそうだね。」と答えた。
「じゃあ、お互い頑張ろうね。」励みの言葉を残して、彼女は別の社員の机に向かっていった。俺は少しだけ彼女の後ろ姿を眺めていた。至福の時間はこれにて終了。
少ししてから山下が喫煙所から戻ってきた。
「いやあ、至福の時間ってほんとあっという間ですよね。」
「お前は、それでも一日に何回も至福の時間があるからいいだろうが。」
俺にとって、毎日の至福の時間は、中森美里がコーヒーを運んできてから立ち去るまでのほんの数十秒、長くても数分だ。それに比べれば、お前は幸せ者だよ。
心の中で、俺はつぶやいた。つもりでいたが、俺の心の声を聞き取ったのか、「そんなに好きなら早く告白しちゃえばいいじゃないですか。」と山下がとっさに言った。
「なんだよいきなり。」俺は、少しだけ焦りを感じた。こいつには俺の心の中が見えているのか?
「え、違うんですか?」
「何が?」平静を装って俺は言葉を返した。
「美里さんのことですよ。もうとぼけても無駄ですよ。僕にはちゃんと分かってますから。」
「それができたら、とっくに俺だってそうしてるよ。でも、やっぱりできないんだよな。」
「今まで、何度もチャンスがあったじゃないですか。飲み会の帰り道とか、あとは・・・。」
「飲み会の帰り道くらいしかチャンスはなかったよ。」
「どうしてそんな簡単にチャンスを逃しちゃうんですか。もったいないですよ。僕だったら、当たって砕けろくらいの気持ちでぶつかりますけどね。」
「お前と一緒にしないでくれ。俺の心は卵の殻みたいに割れやすくできてるんだよ。ちょっとした言葉でも、すぐにひび割れちゃうんだよ。だから・・・。」
「分かりました。」突然、山下が声を少しだけ大きくして言い、キーボードをカタカタと叩き始めた。そのため、近くにいた社員は、一瞬俺たちの方に冷たい視線を投げてきた。
仕事中だぞ、といった感じの鋭い視線だ。が、すぐに自分の仕事に集中した。この社内で残業をほぼ毎日しているのは、俺たち二人だけだ。他の社員はいつも定時で帰宅している。
もちろん、美里も定時で帰っていく。美里のいない職場で、山下と二人っきりで仕事をこなす時間は、一日の中で最も嫌な時間だ。
だから、いつも頑張って早く仕事を終わらせようとするが、どうも俺には要領の良さや能力が人一倍欠けているらしく、
どうしてもほぼ毎日、仕事が間に合わずじまいとなってしまう。
なので、こんな無駄話をしている暇など微塵もないのだが、能天気で反省の「は」の字すら知らないであろう山下は、
周囲のことなどお構いなしに俺にパソコンの画面を見せてきた。山下のパソコンの画面に映し出されているものを見て、俺は一瞬固まった。
なぜなら、そこにはこう書いてあったからだ。
『あなたの運命の人の誕生日を占います。』
ありきたりな占いの見出しであるが、さらにその下にはこう書かれている。
『これを占えば、必ずその人と結ばれます。』
胡散臭いな。誰もがそう思うはず。占いを過信している俺ですらそう感じたのだから。この占いをすれば、必ずその人と結ばれる。
しかも、その運命の人は自分の身近な人なのかどうかすら分からない。占ってもらわなければ分からないなんて、いくらなんでも怖すぎる。
「山下、お前は自分でこの占いをやってみたのか?」
「はい、もう僕はやりましたけど。」
「で、どうだったんだ? その運命の人と結ばれたのか?」
「別に、占ったらすぐに結ばれるっていうわけではないと思いますよ。時期がくれば、必ずその人と結ばれるって意味じゃないんですかね。」
「そうか。で、お前が占った結果はどうだったんだよ。」
「別に僕の占いの結果なんて先輩には関係ないじゃないですか。それより、先輩こそ占ってみたらどうです? 良かったらこのサイトのURLを教えますよ。」
「いや、俺は遠慮しておくよ。」
「どうしてですか。やってみるだけ、やってみたらいいじゃないですか。もし、運が良ければ美里さんと結ばれるかも知れないんですよ?」
「それは、相当な強運の持ち主じゃなきゃ無理だろ。俺には・・・。」
「先輩、今日の運勢は大吉でしたよね?」
「そうだな。それがどうした?」
「仕事運、恋愛運、マネー運の全てが良好なんですよね?」
「そうだな。だからどうした?」
「しかも、友人の助言はしっかりと聞かないといけないんですよね?」
「別に、俺はお前を友人だと思っちゃ・・・。」と、言いかけたところで俺は言葉を切った。今の俺はただ逃げてるだけじゃないか。
逃げるための口実を作ろうと必死になっているだけじゃないか。そう感じ、とても情けなくなった。
思えば、美里に思いを伝えようとする時の感情と今の感情が全く同じだ。とにかく、今の状況からどうにかして逃れようと必死になっている自分がいる。
そんな自分がとてつもなくみじめに思えてくる。こんな自分とは早く別れたい。次第にその気持ちが強くなってきた。
「分かったよ。占ってみるからURLを教えてくれ。というか、このサイトって有料?」
「いえ、無料サイトですよ。何か問題でもありますか?」
「いや、問題はないが・・・。無料か。なんか怪しい気がするな。」
「僕には、やっぱり占いたくないって聞こえますけど。」
「馬鹿言え。男に二言はないからな。やると言ったからにはやるよ。」
「さすが、川上さん。今、めちゃくちゃかっこよく見えますよ。」
「そんな褒め言葉なんかいらないから、早くURLを教えてくれ。まだ、お互い仕事が残ってるんだからな。」
今日の運勢は仕事運も良好であると書いてあったため、なんとか少しだけ残業した程度で仕事を終わらせることができた。
まだ、日付も変わっていない。俺は、慌てて自宅のマンションに戻り、ノートパソコンを広げ、山下から教えてもらったURLのページへジャンプした。
しかし、『あなたの運命の人の誕生日を占います』とは、何回見てもありきたりな見出しだ。画面の中央下あたりに「ENTER」と書かれたボタンがある。
ひとまず、そのボタンをクリックすることにした。すると、自分の名前、生年月日、年齢などといったプロフィールの記入画面が現れた。
早速、素直に自分のプロフィールを書きこんでいった。川上里志、一九八八年五月十日生、二十四歳。全ての欄を埋め終えた後、ふと思い出した。
今日は、五月十一日だ。そういえば、昨日が俺の誕生日だったんだ。自分の誕生日を忘れるくらい忙しい生活を送っていたのか。
そんなことをつい考えてしまい、少し悲しくなった。社会人は常に切ないものなのかと、改めて実感した。毎日が仕事で埋め尽くされ、その仕事をこなしていくことに必死になる。
いつの間にか、生きていく目的すら分からずに人生を送っている気がする、と物思いふけっていると日付が変わる時刻まで残り五分ほどになってしまっていた。
今は、落ち込んでいる場合ではない。早く俺の運命の人を占わなくてはならない。今日の俺の運勢を無駄にはしたくない。今日占えば、きっと・・・。
そう自分に言い聞かせながら、俺は「占う」ボタンをクリックし、駆け引きに出た。ページが切り替わる。大きな文字で堂々と画面の真ん中に、運命の人の誕生日が表示された。
翌朝、俺はいつも通りに、起床し、朝食をすばやく済ませ、仕事の支度をして、自転車で会社まで向かった。
そして、会社の朝礼が始まる前に、自分の机に座り、いつもの占いを行った。
「今日の川上さんの運勢は、凶です。慎重に物事を判断して進めることが重要となります。早まった行動は、命取りです。」
「うわー、凶か・・・。」俺のテンションは一気に沈没した。今日、美里の誕生日を聞いてもいいものだろうか。突然、俺の頭の中に迷いが渦巻き始めた。
いくら必ず当たる占いを毎日見ているからと言っても、さすがに「凶」となった時の俺の気分の落ち込み具合は変わらない。
こういう日は必ず、今日一日、一気に時間を飛ばせないものかと考えてしまう。
「今日は凶ですか。先輩、要注意ですよ。」隣で山下が面白半分に忠告してきた。俺のこの沈没した気分を知らないで、呑気に偉そうなこと言うなよ。
「朝礼を始めるぞ。」部長がそう言って、他の社員が一気に立ち上がった。俺も気落ちした状態でゆっくり起立した。
今日は、何も悪いことが起こりませんように。そう願う他に俺には術がない。でも、必ず何かしら嫌なことが起こる。そう確信もしていた。
運勢が「凶」だった割には仕事を順調に何事もなく終えることができた。
「今日の先輩、なんかいつもより冴えてましたね。占いが外れたんじゃないんですか?」
「そんなわけない。まだ絶対にこれから不吉な事が起こる。」
「そうやって思いこんでるから、余計に不吉な出来事が起きやすくなるんだと思いますよ。何事も自分の気持ち次第でどうにかなってしまうものなんです。
自分が今日は絶対にこれをやり遂げようと決めて、しっかりその目標に向かって必死になればそれなりの結果が得られるものです。
少しでも、弱気な気持ちでいれば、それ相応の結果が現れるんです。」
山下が珍しく教師が生徒に教え説くように俺に助言をくれた。
偉そうなことを言うな、とは言えなかった。確かにその通りかもしれないと少し自分の中でも納得してしまったからだ。
「ありがとう。なんか今日のお前はやけに優しいな。」正直な気持ちが口からこぼれた。なんだか少し気恥ずかしくなった。
普段、あまり誰かに優しくされてお礼を言うことなんて滅多にないからだ。
ただ、ひとつだけわがままを言うとすれば、山下ではなく美里に同じような事を言って欲しかった。山下の言葉よりも確実に優しく聞こえるはずだ。
「ま、とりあえず今日の仕事は終わりましたけど、今日一日が終わったわけじゃないので、帰り道は十分に気を付けてくださいね。特に交通事故には。」
「おいおい、お前な、そういう縁起でもない事を言うなよ。余計に怖くなるだろ。俺は明日必ず、笑顔でこの机に座ってお前を待ってるから。心配するなって。」
「そうですよね。すみませんでした。では、お疲れ様でした。」
「おう、お疲れ。」とても不安な気持ちでいっぱいだったが、山下が助言してくれたことを頭に浮かべながら、俺は笑顔で山下と別れ、自転車をこいで自宅へと向かった。
今日はもう、占いを信じるのはやめよう。そう心に決めた。都合のいい時だけ占いを無視する。俺ってものすごく中途半端で情けない人間だ。
午後七時半を回ったところでも、自宅付近に来ると人気は一気に少なくなる。ちょうど街のはずれにぽつりと自宅のマンションが建っているためだ。
この付近でマンションの住民以外の人とすれ違うことはめったにない。その代わり、夜はとても静かになるため、落ち着いて眠りに就くことができる。
今日は早く仕事が終わったため、いつもよりも早く夢の中へと滑りこむことができる。そう思うだけでもとてもうれしくなった。些細な幸せこそ、何よりもうれしいことだ。
だが、自宅の駐輪場に自転車を停めようとした瞬間に、その些細な幸せは消えていった。目の前に白い服を着た髪の長い女性が立っていたからだ。
しかも、その女性は赤の他人ではなく、俺のよく知っている人物だった。確か、名前は・・・。
頭の中で必死にその女性の名前を探っているうちに、彼女がほくそ笑みながら口を開いた。
「久しぶりね、川上君。」声は、以前聞いたことのあるものよりも少し色気が増しており、俺の背筋を一瞬にして凍らせた。
そして、俺は見えない何かにとり憑かれたかのような感覚に襲われた。顔はほとんど面影が残っている。にも関わらず名前は全く思いだせなかった。
そして、あまりに突然の出来事であったため、声すら出せなかった。もしかして、今日の不吉な出来事はこの事なのか?心のなかで自問自答をした。
「川上君・・・だよね。」女性がおそるおそる確認をしてくるように、俺にゆっくりと訊ねてきた。俺は、必死に声を絞り出して「そうですが。」と答えた。これが限界だった。
すると彼女は先ほど以上に顔をほころばせて、俺に近寄ってきた。俺は、後ずさりをしようとしたが、体すら固まってしまっていた。
「やっぱり。あたしのこと、覚えてる?」俺は、言葉を発する代わりに首を横に振った。
「そ、そうだよね。いきなり目の前に現れて覚えてるか、なんて聞かれてもすぐには思いだせないよね。あたし、川上君と高校三年の時、同じクラスにいた火口千夜。」
俺の頭の中の知恵の輪がほろりとほどけた。思い出した。確かにそんな名前だった。
その名前を聞いた瞬間、同時にある嫌なことも思い出してしまった。そして自分がなぜ、この女性にここまでおびえていたのかがわかった。
確か、高校三年の秋頃だった。誰もが大学受験の勉強で必死になって、目の色を変え、毎日が戦争のような日々だったあの頃。俺も国立大学に合格するために必死になっていた。
そんな時に、今目の前に立って俺の顔を見つめている火口千夜から告白をされたのだ。あまりに唐突な出来事だったため、すぐに返事はできなかった。
だが、その日、家に帰ってその事を考えていると、やはりこの時期に浮かれていては人生を大幅に変えられる恐れがあると思いなおし、受験勉強に全てを費やすことにした。
つまり、彼女の告白を断ったのだ。しかも俺は、受験勉強に集中したいからという理由だけではなく、好きではないとまで言い切った。
ここまで言えば、彼女も完全に諦めることができ、受験勉強に集中できるだろうと思ったからだ。
しかし、その時の彼女の俺を見つめる目の色が冷たかった。あの目には哀しみの色の他に、憎しみの色もこもっていたかもしれない。青と灰色が混ざったような暗く冷たい目だ。
それから、俺は彼女とは一切会話を交わさなかった。しかし、よく考えれば、憎まれるようなことは言っていないと分かった。
告白を断る理由が好きではないからということはよくあることだ。そう自分に言い聞かせ、ごまかしてきたが、今目の前の彼女を見ると怖くなった。
「川上君もここのマンションに住んでるんだ。」
「そうだけど。え、もしかして火口もこのマンションに住んでるのか?」やっとまともに言葉を発せられるようになった。
「そうだよ。あたしは、このマンションの三階。川上君は?」
「俺は、五階。」正直、早く部屋に帰って眠りたかったが、火口は全く俺と別れる気はないようだった。
「川上君。あたしね、今でも覚えてるんだ。」突然、彼女の声のトーンが低くなった。俺は、一瞬にして危機感を感じた。
「覚えてるって、何を?」
「え? もしかして、川上君は覚えてないの?」覚えているというより、思い出してしまったが、決して口には出したくなかった。
とにかく誤魔化して、この場から逃げ出したかった。だが、そうもいかなかった。
「あの時、あたしが告白した時の川上君の返事。すごく辛かった。苦しかった。」
俺もそのくらい人の気持ちを察することはできる。だが、今更そんな話を掘り返されても困る。もう、俺には好きな人がいる。邪魔しないでくれ。
「ああ、あの時のことか。いや、本当にごめん。やっぱり、受験勉強に集中したかったし・・・。」
「わかってる。でもね、今はもうそんなことはどうでもいいの。だって・・・。」
彼女は何だか、次の言葉を言うのをためらっている。早く言ってくれ。そして、俺を解放してくれ。
「川上君。この占いサイト知ってる?」突然の言葉に俺の心臓は一気にとび跳ねた。占い。しかもそのサイトは運命の人の誕生日を占う、あのサイトだ。
「いや、知らないな。それがどうかしたのか?」平静を装って、嘘をついた。彼女の発する言葉の一つ一つが妙に気になって仕方がない。何かを企んでいるのか?
「このサイトで占うと、必ず結ばれるみたいなの。でね、あたしが占ってみたらね。結果がね・・・。」
彼女が嬉々とした声を上げた。俺は自分の鼓動がどんどん早くなっていくのが感じた。
「五月十日生まれの人だったの。」顔が青ざめた。「確か、川上君の誕生日って五月十日だよね。」
「なんで知ってるの?」俺は素直な疑問をぶつけた。誕生日を火口に教えた事は一度もないはずだ。
「卒業文集のプロフィール欄に書いてあったじゃない。」確かにそうだ。卒業文集で自分のプロフィールを一生懸命書いた記憶がある。うかつだった。
「やっぱり、あたしと川上君は結ばれる運命にあったのよ。」彼女の嬉しそうな声、嬉しそうな瞳、嬉しそうな仕草。全てが俺の神経を逆撫でした。
「ねえ、川上君も占ってみてよ。」
「実は俺も占ってあるんだよね。」正直に白状した。誤魔化したって意味がない。逃げたって意味がない。
正々堂々、俺は好きな人に告白するんだ。こんなところでぐずぐずしてもいられない。
「六月六日生まれの人が俺の運命の人なんだ。で、その人が実は俺の会社の同僚に居るんだ。今度、その人に告白しようと思ってる。だから・・・。」
もう諦めてくれ、と言おうとした時、火口の表情はさらにほころびを増した。
「へえ、会社の同僚の人が好きなんだ。でもね、占いは絶対に当るんだよ?」
「そうだよ。だから、俺はその、会社の同僚の人と・・・。」
「あたしと結ばれるに決まってるじゃない。」俺の聞いたこともないほどの低い声で彼女が言った。まさかと思った。火口の誕生日って、まさか。
「あたしの誕生日くらい覚えてくれたっていいじゃない。」俺は、後ずさりをして逃げようとした。だが、予想以上に体が硬直していた。金縛りにでもあったかのようだ。
「六月六日生まれよ。だから、もう結ばれるのは決定よね。」やめてくれ。俺には、美里がいる。お願いだから、諦めてくれ。そう言いたかったが、声がうまく出せない。
「一生、いや、永遠に一緒にいようよ。」彼女が優しく微笑んだ。そんな目で俺を見ないでくれ。俺の声は虚しく脳内で鳴り響くだけで、相手の心までは伝わらなかった。
「逃げないで。」彼女が囁くように俺の耳に息を吹きかけていた。気が付けば彼女との距離が十センチもなかった。
そして、突然腹部に激しい激痛が走った。自分の中にある思いが一気に破裂して胃腸を痛めつけたのかと思ったが、それは外部からの痛みであると気付いた。
その時には俺の目の前は真っ暗になっていた。
「川上先輩。今日はお休みですかね。」
「珍しいわよね。彼、仕事はあまりできないけど、会社にはちゃんと毎日出勤してるからね。いつも机に座って携帯の画面眺めて考え事してるし。」
「美里さんには、言ってもいいかな。」
「何? 何か隠し事でもあるの、彼。」
「いや、隠し事ってほどじゃないですけど。先輩、毎日携帯の占いサイトを見て一日を始めてるんですよ。」
「占いかあ・・・。面白そうね。」
「でも、先輩の占いに対する信仰心がとても強くて。占いに毎日振り回されてるというか、占いに人生を決めてもらってるっていうか。
何だか、僕、先輩のそういう所がほんとに情けないというか、嫌いなんですよね。」
「まあ、占いじゃ当てにならないものね。」
「あ、そうだ。よかったら、美里先輩も一つ占ってみませんか?」そういって、山下がパソコンの画面を美里に向けた。
「運命の人の誕生日を占います、か。これ、当たるの?」
「信じていれば当たるんじゃないんですかね。僕は、こういうのあまり信じないタイプなんで遊び半分で占ってみたんですよ。
そしたら、僕の運命の人は六月六日生まれの人って出ました。」
「あ、それ、私の誕生日だ。」
「マジすか。まあ、信じちゃいないですけど。」
「じゃあ、私も占ってみるかな。どれどれ、生年月日、名前、年齢・・・。」美里は、自分のプロフィールを入力すると、「占う」ボタンをクリックした。
「出た。あなたの運命の人の誕生日は八月九日生まれの人です、だって。」
「あ、僕の誕生日ですよ、それ。」
「嘘。マジで。もしかして運命なんじゃない?」
「運命かもですね。じゃあ、美里さん、僕と付き合っちゃいます?」
山下が冗談半分に告白をしている。畜生、こいつはこんな簡単に告白を冗談で言えちゃうのか。俺は、この言葉を何度言いかけて、呑みこんだことか。
「ちょっと、やめてよ。」美里は、半笑いで抵抗している。そりゃ、そうだ。美里が山下と付き合うなんて想像できない。
「ははは、冗談ですよ。」言っていい冗談と悪い冗談があるぞ、山下。
「いや、やっぱり付き合っちゃおうか。この際だし。」え、何だって? 美里が勢いで山下と付き合うだと? そんな馬鹿な。美里ってこんなに軽い人間だったのか。
美里と山下がお互いに真剣に向き合っている。もしかして、本気になっちゃってるのか、この二人は。
俺は、深いため息をついて、占いなんて信じない方がいいぞ、と二人に忠告した。