#03
「もしもし?」
再び相手の男が小さな声を上げたが、陽太のほうは依然、母の携帯を使って見知らぬ
男が電話をかけてきている、という事態に戸惑い続けていた。一瞬、父かとも思ったが
声の感じから、それもなさそうだ。
「もしもし?」
繰り返される言葉にようやく気づくと、陽太は慌てて応答する。しかし、先ほど感じ
た胸騒ぎは勢いを増していた。
「は、はい?」
「……有馬警察署の者ですが」
警察、と聞いて陽太は息を呑んだ。
あってはならない風景が、脳裏に描かれそうになるのを必死で追い払う。
「陽太君ですか?」
「はあ」
自分を落ち着けるためか、あるいはその不吉な想像を否定するためか、わざと気のな
い返事をするが、手にはひんやりと冷たい汗をかいていた。
「田辺さんご夫妻の息子さんですね?」
「そうですけど」
再びの確認に焦らされ、声が震えている。
陽太は一旦携帯を耳から離し、高校入試の時から緊張するたびに行ってきた深呼吸をす
る。半分癖のようなものになってしまったそれは、彼にわずかながら落ち着きを取り戻さ
せてくれた。
「……ました」
再び電話に耳をあてると、どうやら相手が話して途中だったらしく、途切れた報告が聞
こえてきた。
すみません、もう一度お願いします、と言うと、相手は一拍おいて同じ台詞を繰り返し
た。
「つい先ほど、お二人の乗った車がトラックと衝突し、意識不明のままお二人は近くの病
院へと運ばれていきました」
「陽ちゃん?」
呼ばれて、はっと目を開けた。
長椅子に腰掛けたまま辺りを見回すと、どうやら葬儀を行っていた公民館の休憩所にあ
たる場所らしかった。
昨晩――というか、この三日ほど、ほとんど眠れていない日が続いたためか、疲れがた
まっていたようだ。右手には飲みかけのコーラの缶を握ったままだったが、数分夢を見て
いたという自覚がある。
「寝てたっぽい」
はにかみながら右手のコーラを一口含む。温かったが、まだそれほど気は抜けていない
ようだった。
そう、と言って呼びかけた人物は陽太の左隣に腰を下ろす。
長いポニーテールが彼女の動作に遅れてついていく様が披露された。
「まあ、思ったより落ち込んでないみたいだし、良かったわ」
ひとつ息をついて白い歯を見せた彼女に、陽太も同じ表情で応じる。無理やりに作った
笑顔は、今ひとつ自信がない。
「お互い様。香奈も真理子叔母さんも、意外と元気そうで」
「まあ、私はね。哀しくないわけじゃないけど、落ち込んでても仕方ないし。でも、お母
さんはちょっとやばいかな」
真理子夫婦と陽太の両親は親族の仲でも格別仲がよく、したがってその娘にあたる香奈
も、陽太とは幼い頃から姉弟のような関係を築いてきた。
普段、口数の少ない陽太も、彼女とだけは例外的によく話した。
「やばい、って?」
「うーん……。誰かが見てるときにはいつもの田舎のおばさん演じてるんだけどね。一人
になると、すぐ布団に包まって、一日中でも泣き続けるの。昨日なんか、まさにそれだっ
たし」
式の始まる前、大きな声で呼びかけてきた叔母の姿を思い出してみる。太った手をぶん
ぶん振りながら作っていた笑顔は、確かに作り物に見えなくもなかった気がする。
「そっか……。叔母さん泣くんだ」
意味深なため息を吐きながら、事故のあったあの日から一度も涙を流していない自分に
苦笑いし、陽太は呟いた。