#01
鏡に映った自分の表情を見て、陽太は深くため息をついた。
この場面になってまだこれか、と懸念の思いを抱く。じっと見つめるその先の
顔は驚くほどに無表情で生気がなく、疲れた色をした目がぼんやりと空でも眺め
るかのように虚ろになっていた。
水道の水で湿った目尻を人差し指で摘み、口の方向へ引っ張ってみる。その落
ち着いた表情から両親を失ったばかりの少年を連想することは難しく、再び濃い
ため息を吐いた。
人の感情っていうのは限度を越えると肉体がついてこれなくなるのか、と妙に
悟った気持ちで落ち込み、肩を落としたまま男子トイレを後にした。顔を洗った
まま水を拭き取るのを忘れたことに気づき、ワイシャツの裾で拭う。
ドアを抜けた先には冷たい色の廊下が、予想していたよりも長く続いていた。
その先に写る微かな光景を、目を細めて見つめる。白く割合大きめな看板が目
に付き、陽太は途端、吐き気に襲われた。太い明朝体で書かれた文字が、その主
な要因だった。
『田辺家告別式』
目頭を引きちぎらんばかりに押さえつけ、発作のようにやってきたそれを必死
に払いのけようとした。しかし、そうすればするほどに症状が悪化していく。
病室で見た二人の最後の姿を鍵刺激に、両親の思い出が連鎖反応のように次々
と表裏に流れた。メロドラマを見て泣いていた母、隣の犬のあまりなやかましさ
に憤慨し、棒切れを持って殴りこみに行った父、昼になるといつも必ずシエスタ
をしていた母、ギターを教えてくれた父……。
降り注ぐスコールのような回想から身を退くかのように、陽太は看板から目を
そらした。喉の奥から、鋭い頭痛が響く。
「陽ちゃん?」
ふと名前を呼ばれて、陽他は意識が鮮明になっていくのを感じた。声がしたほう
を振り向くと、ちょうど、今視界から外れたばかりの看板のすぐ横で、太った小
柄の女性が手を振っていた。ぴちぴちの黒い留袖に身を包んだその姿は、さなが
らプロ野球のマスコットのようだった。
陽田も、頭上で手を振ってそれに応じる。彼の叔母にあたる、崎山真理子とい
う人物だった。
「どうしたのぉ? もうすぐ始まっちゃうよぉ」
両手で口元を包み込むようにして真理子が叫んだ。
慌てて時計に目をやると、あらかじめの開始予定時刻まであと五分となってい
た。緊張に戸惑い、震える手をズボンの後ろポケットに突っ込み、昨夜ほとんど
無心状態で書き上げた原稿が折りたたまれた状態で入っているのを確認して、ほ
っと息をつく。葬儀の前に喪主として挨拶をすることになっているのだ。
「おぉーい、陽ちゃん?」
相変わらず大きな彼女の声に反応し、小さく深呼吸をした。少し落ち着いたの
か、今度は看板を見ても特別苦しかったりはしない。
陽太は首元のネクタイをきつく結びなおすと、革靴と床が触れ合う小気味いい
足音を響かせながら、少し足早に廊下を進んでいった。
少し短めですが、このペースで執筆していきたいと思っています。
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