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My Flower  作者: 朝江奈緒
3/5

―3―


 大図書館で借りた本を返却し、また新しい本を借りてきた日。馬車に揺られながらぼんやりと外を見ていたアメリアは、見覚えのある姿が一つの建物に入っていくのを見止め、慌てて御者に声をかけた。

「待って、止めてちょうだい。降りるわ」

 帰る時にはまた連絡を入れるから屋敷に戻っているように、と告げ、アメリアは馬車を降りた。

先程の人影が入っていったベルのついているこの硝子製のドアは、ウォーロック探偵事務所のものだ。アメリアがゆっくりと扉を開くと、カランカラン、とベルの高い音が響いた。

「いらっしゃいませ……と、おや。アメリアさんじゃないですか。こんにちは」

「ごきげんよう。……お邪魔しても大丈夫かしら?」

「ええ、どうぞ。今お茶を淹れますね」

 いつものように穏やかな声色で出迎えてくれた彼に、アメリアはほっと胸を撫で下ろした。



 水の入ったケトルを火にかけ、ティーカップや紅茶の缶を取り出しながら、ロイドはアメリアにソファを勧めた。事務所の中は洒落た調度品で整えられており、それは大して仕事が入っていない様子のロイドには、やや不似合いに見えた。

 ソファに腰を下ろしながら、アメリアは少し緊張したように背筋を伸ばした。今まで彼と対面する時に緊張した事など一度も無かったのに、一体何故だろうか。そもそも、わざわざ馬車を止めてまでここへ来る事は無かったのに、何故ここへ来てしまったのだろう。


 ――他に何方か気になる男性がいらっしゃるのかしら?


 不意にパーティーの日の少女の問い掛けが蘇り、アメリアはそれをかき消すように首を振った。違う、彼はそうではない。ただ普通に、話し相手としての好意があるだけだ。そう必死に自分に言い聞かせる。

 ロイドは手慣れた様子で紅茶を淹れると、アールグレイの香りを漂わせながら、アメリアの前にティーカップを差し出した。

 アメリアは左手でソーサーを持つと、右手でカップを手に取りそっと口元へ運ぶ。紅茶を一口飲み、何か話題を探さねば、と思ったアメリアは、ふと思い出したように口を開いた。

「……そうだ。ねえ、探偵さん。唐突なのだけど、シャムロック伯爵をご存知?」

 突然のアメリアの問い掛けに、ロイドは小さく首を傾げた。

「シャムロック伯爵、ですか?」

 その名前を問い返すと、アメリアはこくりと頷く。

「先日のパーティーで、私にダンスを申し込んで下さったの」

「と言うと、アメリアさんの社交界デビューの時の、ですか」

 アメリアはもう一度頷き、パーティーの日に聞いた情報を軽く伝えた。そしてそれ以外の話を聞けないかと、ロイドに訊ねた。

 ロイドは仕事柄、様々な方面についての情報力がある。シャムロック伯爵はなかなかの有名人らしいし、ロイドもそれなりに知っているかも知れない。だからアメリアはロイドに伯爵の事を聞きたかった。社交界とは無関係の人間の、色眼鏡の無い意見が。

「ふむ。シャムロック伯爵、ね……」

 ロイドは何やら思う所がある様子で、その名を小さく呟き、瞑目して腕を組んだ。どうやら何処から話すか考えているようだ。たっぷり数秒の間を置いた後、ロイドはゆっくりを目を開く。

「……実は、シャムロック伯爵については、あまり情報を持っていないのです」

「え、そうなの?」

「ええ。だから詳しくは知らないのですが……どうも、全貌が謎の男だそうですよ。何やら胡散臭い仕事をしている、という噂があります」

 ――胡散臭い。

 その言葉にアメリアは小首を傾げる。思い出せば思い出す程、シャムロックはそんな言葉とは無縁の人間のように思えた。

「そんな風には見えなかったけれど……」

「おや、そうですか。僕はシャムロック伯爵にはお会いした事は無いんですが、どんな方でしたか?」

「どんな、って……綺麗なブロンドに鳶色の瞳をした、素敵な……」

 あの日のシャムロックの姿を思い出しながらそこまで言ったアメリアが、はっと口を噤む。目の前のロイドは口元に緩い弧を描き――彼には珍しく、にやにやと笑っていた。相変わらず長い前髪と眼鏡に遮られてその瞳はよく見えないが、恐らく口元と同じような冷やかしを含んだ色を持っているのだろうという事は、容易に想像出来る。

「ほう、素敵な男性でしたか。それは妬けますね」

「そっ、そんなんじゃありません!」

 アメリアはロイドの言葉を慌てて否定する。

 シャムロックは、物腰が柔らかくスマートな仕草の美男子だ。確かに正直な所、素敵な男性ではあったと思う。だが、ロイドにそういう言い方をされて、アメリアは何故か釈然としないものを感じた。あの日、ダンスを終えた後の少女たちに言われた時は特に何とも思わなかったのに、ロイドに言われると何だか面白くない。

「アメリアさん、そんなにムキになって否定されなくても良いのに」

「……別に、ムキになんかなってないもの」

 と言うものの、むぅ、と唇を尖らせながら言ってしまう辺り、ムキになっているのかも知れない。

 何故こんなに面白くないのだろう。今まで異性と色めいた話をした事が無かったから、彼とそういう話をする事に抵抗を感じているのだろうか。

 それとも、ロイドに勘違いされる事自体が――。

 そこまで考えて、アメリアはブンブンと首を振った。どうも、この間から自分は変だ。パーティーの日、気になる相手は居ないのかと問われ、ロイドの顔が浮かんでしまった時から、何だか妙に意識をしてしまう。

「……私、今日はこれで失礼するわ。ごちそうさまっ」

 原因の分からない居辛さを感じて、アメリアはすっくと立ち上がる。突然どうしたのかと腰を浮かせたロイドを尻目に、彼女は高いベルの音を響かせて事務所の外へ出てしまう。

 後には一人取り残されたロイドが、少女の突然の変化に首を傾げていた。


 ◇◆◇


「アメリアさん、元気無いわね」

「え? ああ、そんな事無いのよ。大丈夫」

「そう? もしも具合が悪いのなら、無理なさらないでね」

「ええ。ありがとう」

 お茶会の席で心配そうに顔を覗き込んでくる友人に、アメリアは緩く首を振って微笑んだ。



 今日のお茶会の主催はシャムロック伯爵だ。アメリアの家よりも更に大きなその屋敷は、上品な調度品のあつらわれたセンスの良い内装をしていた。流石シャムロック伯爵、と招かれた女性陣がうっとりするのをよそに、アメリアは一人浮かない顔をしていた。

 折角のお茶会へのお招きだ。浮かない顔などしていては申し訳ないのは分かっているのだが、先日ロイドの事務所から逃げるように帰って以来、アメリアの気分はどうしても浮上する事は無かった。

「どうかなさいましたか。具合でも?」

「あ、いえ、大丈夫です」

 皆が談笑する中、バルコニーの外を見ていたアメリアに、シャムロックが声をかけてきた。

「そうですか。それにしては浮かない顔だ。……何かありましたか?」

「…………」

 はいともいいえとも返事が出来ず、アメリアはただ黙って、僅かにこくりと頷いた。

「宜しければ、話して頂けませんか」

「え?」

「麗しいお嬢さんにはそんなに落ち込んだ顔は似合いません。誰かに話す事で気が紛れる事もきっとあるでしょう」

「ん……それは……」

 アメリアにとって、シャムロックと会うのはこれでまだ二回目だ。男性があまり得意ではないアメリアには、本当ならばこんな個人的な話をシャムロックにする必要は無い。けれども、彼の纏う柔らかなオーラが、気付くとアメリアの口を勝手に開かせていた。

「その……大切なお友達と、喧嘩をしてしまったんです」

「喧嘩、ですか?」

「ああ、いえ、よく考えたら喧嘩なんて大層なものじゃありませんね。私が一方的に怒って、一方的に気まずくなってしまっただけなんです」

「成る程」

「それで、何となくそれ以降、その方の事を避けてしまっていて……どうしたらいいのか……」

 アメリアの話を聞いたシャムロックは、ふむ、と口元に手を当てて考え込む様子を見せた。天井を見上げた彼の鳶色の瞳は、まるで飴細工のように透明で美しい。

「アメリアさんは、そのお友達とどうされたいのですか?」

「どうって……?」

「そのまま疎遠になっても宜しいのです?」

「……いえ」

 ロイドの姿を思い浮かべる。そして彼とこのまま会えなく、話せなくなる事を想像する。それはアメリアにとって、とても辛い事だった。

「私はその方と仲直りをしたいです。以前のようにまた楽しくお話をしたいんです」

「なら、もう答えは出ているじゃありませんか」

「え……」

 シャムロックはアメリアの顔をじっと見つめ、目を細めて微笑した。

「簡単な事です。会いに行ってごらんなさい。そしてお話をしてごらんなさい。きっと、それで上手くいきますよ」

 ――まるで。

 まるで、シャムロックの言う通りにすれば、本当にロイドとすんなり仲直り出来るような。気まずさなど全て拭い去ってしまえるような。彼の言葉には、そんな不思議な力が宿っているように思えて、アメリアは息を呑んだ。

 穏やかな話し口調。落ち着いた柔らかな物腰。

 そうだ、彼は――。

「シャムロック様、とても似てらっしゃいます」

「似てる? 誰とですか?」

「その……お友達に。雰囲気やお優しい声が」

「そうですか。それならば尚更、そのお友達と仲直りして頂きたいものですね」

 くすくすと楽しそうに笑うシャムロックに、アメリアの顔からも自然と微笑が零れるのだった。


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