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My Flower  作者: 朝江奈緒
2/5

―2―


 豪奢なシャンデリアと荘厳なオーケストラ。色とりどりの花が飾られているホールの中には、華やかなドレスで着飾った婦人と少女たち。その中に、アメリアの姿もあった。

 白いドレスは社交界デビューの印だ。栗色の髪を綺麗な巻き毛に結い上げ、普段よりも丁寧に化粧を施して、身体のラインをくっきり出したドレスに身を包んでいる。少し大人びたその姿を見て両親も姉も褒めてくれたが、当のアメリア本人はと言えば、あまりにきつく締め過ぎたコルセットのせいで、先程から美味しそうな料理の「り」の字にもありつけずに機嫌が悪かった。

 それでも、彼女が父を伴い皆に紹介される間は完璧な笑顔を作っていたのは、ここでミスをして「だから真面目にマナーのレッスンを受けなさいと言ったのに」と後から叱られたくないという切実な気持ちからだった。そんな話になれば、今後家庭教師やマナーの教師の監視が厳しくなり、そうおいそれと逃げ出せなくなるかも知れない。

「はぁ……」

 粗方の挨拶を終えたらしい父からやっと解放され、アメリアはそっと溜息を吐いた。

 きらびやかなパーティーへの憧れが無かった訳ではないし、絢爛豪華なこの空間自体も別に嫌いではない。けれど、ここに巣食う社交界の空気がアメリアは苦手だった。

 お世辞やおべっか、そして様々な自己顕示欲に塗れた空気。勿論、この場に居る全員がそうだという訳ではないが、そういった風潮がどうしても生まれている事は否めない。アメリアは姉や友人の話から社交界にはそんな空気がある事を察しており、そして今日こうして実際にパーティーに訪れて、改めてそれを感じるのだった。

 だからせめて知らぬふりをして、隅っこで美味しい料理をもそもそ食べていたいという気分だったのだが、何分、アメリアは今日が社交界デビューの日だ。或る意味、主役の一人という事になるのだから、逃げてチキンにかぶりつく訳にもいかない。

 そしてやっと解放されたのだから、と思っても、今度はコルセットの締め付けのせいで、やはり食事は喉を通らなさそうだった。



「アメリアさん、ごきげんよう。これでやっと一緒にパーティーに出られますわね」

 顔見知りだった少女たちが、アメリアの傍までやってくる。アメリアと近い年齢の彼女たちとはそれなりに交流はあったが、こうしてアメリアが社交界の席に出席したのは今日が初めてだった為、彼女たちは純粋に嬉しそうにしていた。

アメリアも見知った顔を見つけて表情を綻ばせるが、口をついて出たのは疲労から来る言葉だった。

「ごきげんよう。……正直な所、皆さんを尊敬するわ。コルセットがきつくて死にそうよ。毎回こんなに締められたんじゃ、内臓が縮んでしまうわ」

「あら、デビューだから張り切り過ぎたのかしら。次からはメイドにもう少し緩めるように、って注意しておきなさいな。そう言って丁度良いぐらいだから、ふふ」

「そうね、良く覚えておくわ……」

 美しく見せる為には多少の我慢も必要です、と熱弁され、メイドたちにぎゅうぎゅう締めつけられた事を思い出す。はあ、と隠さずに溜息を吐くアメリアを見て、少女たちはころころと笑った。

「ところでアメリアさん、もう何方かとダンスは踊られまして?」

「え? あ、いいえ、まだ……」

「あら、どうして。勿体ないわ」

 興味深げな視線でアメリアを見つめてくる少女たちに、曖昧な笑顔と適当にぼかした語尾で返す。今に至るまでに、誰からも誘われなかったという訳ではない。ただ、どうしてもそういう気分になれず、上手い事誤魔化して逃げていた。

 見ず知らずの男と手を取り合って踊るという事が、アメリアにはどうも解せなかった。それは普通の事だし、他人との交流を深める事でもあるのだと理解はしているのだが、それでも出来る事ならば遠慮したい。そう思う。



「アメリア! アメリア、こちらに来なさい」

 適当に談笑していた所、またしても父に呼ばれ、アメリアは小さく息を吐いて少女たちに頭を下げてから、口元に笑みの形を作ってそちらへ向かった。一体いつになればこの挨拶回りは終わるのだろう。

 父の元へ行くと、父と話していたらしい長身の男性がアメリアを見止めて言った。

「お嬢様ですか」

「ええ、公式の場に出るのは今日が初めてなんですよ。……アメリア。こちらはシャムロック伯爵。ご挨拶しなさい」

 父親に挨拶を促され、まだ相手の顔もしっかり確認していない内から、アメリアはドレスを軽く持ち上げて小さく礼をする。

「お初にお目に掛かります、アメリアと申します」

「シャムロックです。……奥様やお姉様に良く似てらっしゃる、美しいお嬢さんだ。ラングフォード卿が羨ましい限りです」

 そう言って笑う男の顔を改めて見上げ、アメリアは驚いた。伯爵の称号を持つぐらいだから、イメージとしては壮年の男性だと思っていたのに、そこに立つ男はどう見ても二十代前半から半ばの若さだったからだ。

 色素の薄いブロンドの髪を丁寧にセットし、鳶色の優しげな瞳を細めて微笑むシャムロック伯爵は、その甘いマスクでどれだけの女性を魅了したのだろうかと瞬時にアメリアが考えてしまう程、端正な顔立ちをしていた。



 その時、オーケストラの曲が切り替わった。流れ出した曲を確認して、シャムロックはふっと口元に柔らかな笑みを浮かべた。

「――ああ、丁度いい。アメリアさん。宜しかったら、一曲お相手して頂けますか?」

「え……」

 弦楽によりワルツのリズムが奏でられる。咄嗟に父を見遣るとうんうんと頷いていた。非常に分かり易い。

 優しい眼差しのシャムロックを見上げ、僅かな戸惑いを見せた後に、アメリアは小さく頷いた。

「……はい、お願い致します」

 差し出された手に、アメリアは自らの手をそっと重ねた。

 ゆっくりと左右にステップを取りながら、メロディに合わせて踊り始める。シャムロックのリードは、さり気ないのに丁寧なもので、アメリアが踊り易いようにと、とても気を遣っている事が分かった。

 流れるように踊りながら、アメリアはヴァイオリンの音色が何処か遠い所で響いているような、そんな不思議な感覚にとらわれていた。周囲の目線を感じるが、それすらも何処か遠く離れた世界の事のようだ。

 アメリアが先程までのようにダンスの申し出を断らなかったのは、申し込まれた時に、父や周囲の目があったからではない。何故だか不思議と、彼は他の男性のような苦手意識は湧かなかったからだ。

 ステップを取り円を描くように踊りながら、一体何故だろうとアメリアは考える。シャムロックの顔の造形が良いからだろうかと一瞬考えたが、自分は別に面食いではない筈だとすぐに思い直した。そもそも、こんな事を考えながらダンスを踊るのも相手に申し訳ない。

 やがて、曲が緩やかに終わりを告げる。ゆるりとステップを取る動きを止め、アメリアの腰に手を当てたまま、シャムロックがぽつりと呟いた。

「…………案外……」

「え……?」

 その言葉が聞き取れず、アメリアは首を傾げる。怪訝そうなアメリアの表情を見て、シャムロックは優しく微笑んだ。

 ――何かを誤魔化すように。

「ああ、いいえ。何でもありません。お相手して下さって、ありがとうございます」

「あ、いえ……こちらこそ、ありがとうございました」

 互いの身体を支えるように添えていた手が、静かに離される。未だに不思議な感覚に囚われていたアメリアの手を、シャムロックがそっと取った。

「貴方にとって、どうか今宵が素敵な夜になりますように」

 シャムロックは最後にアメリアの手の甲にキスを一つ落とし、一礼してその場を去って行った。その後ろ姿をアメリアはぼんやりと見送っていた。



「――アメリアさん!」

 そこへ、先程までの少女たちが、わっとアメリアの周囲に群がってくる。一気に数人の少女たちに取り囲まれ、アメリアは目を白黒させた。

「凄いじゃないの! 初めてのダンスのお相手がシャムロック伯爵だなんて、羨ましいわ!」

「え? え……?」

 何がどう凄いのだろうと目を円くするアメリアに、皆が口々に話してくれた。

 聞けば、シャムロック伯爵は父親を早くに亡くし、十八歳の時にその爵位を継承したという。それが五年前だという話だから、彼はまだ二十三歳という計算になる。成る程、若い筈だ。

 そしてあの甘いマスクと柔らかな物腰が相俟って、彼は若い女性たちの間では憧れの存在として扱われているのだという。実に分かり易い話だった。

 その話を聞きながら、アメリアはシャムロックの後ろ姿を目で追いかける。皆の羨望の的である人物と、自分は初めてのダンスを踊ってしまった訳か。それはまあラッキーだったのかも知れない、と、どうでもいい事を思うのと同時に、他の男性と違った雰囲気のあった彼に対する違和感の正体が気になっていた。

 そんなアメリアに気付いた少女たちは、不思議そうにしながら次々とアメリアに問い掛けた。

「どうなさったの、アメリアさん? さっきからボンヤリしてらして……」

「もしかして、シャムロック伯爵にお心を奪われてしまったのかしら!」

「まあ、アメリアさんってばなかなか挑戦的ですわね。シャムロック伯爵ともなると、恋敵も多いですわよ?」

「でも、シャムロック伯爵はアメリアさんにダンスを申し込んだ訳ですし、これはもしかして……!」

 彼女たちは好奇を露わにした声できゃっきゃと騒ぎ立てる。その流れに、ぼんやりしていたアメリアは、慌てて手を横に振りながら否定を示す。

「えっ? あっ、違うのよ。ただ、何だかあの方、その……」

 他の男性とは違うような、そんな気がして――。

「やっぱり気になるんでしょう?」

 はっきりしないアメリアの言葉に、やはりそういう事ではないのかと少女たちは詰め寄る。十代の娘というのは、何故こうも恋愛ごとにまつわる話が好きなのだろうかと、少しだけ辟易しながらアメリアは誤魔化すように笑った。

 アメリアは恋愛の話は苦手だった。他の話なら適当にやり過ごす事が出来るのに、この話については返す言葉を失ってしまう。何故なら、そもそもアメリアは恋というものを経験した事が無いからだ。

 そして、今こうして周りに集う少女たちも、アメリアが浮いた話を持っていない事を知っていた。だからこそ、シャムロック伯爵の事を気にした様子のアメリアに、これは何かあるのではないか、と食いついている訳だ。

 どうにも煮え切らない様子のアメリアに、少女の一人が訊ねた。

「それともアメリアさん、他に何方か気になる男性がいらっしゃるのかしら?」

「え……」

 ――気になる男性。

 そう言われて、一瞬、眼鏡をかけた探偵の姿が脳裏を過る。が、アメリアはすぐにそれを否定した。

 ロイドと話すのは楽しいが、別に彼はそういう対象ではない。――筈だ。――と思う。

 結局、アメリアはその日、少女たちの追及をなかなか逃れる事が出来なかった。


 ◇◆◇


「――どうだった、アメリア? 初めての社交界の感想は」

「ええ、そうね……」

 帰りの馬車の中、姉と向かい合わせに座ったアメリアは、姉の問い掛けにぼんやりとした眼差しのまま返した。

 シャムロック伯爵の纏う不思議な空気とその正体。彼に対して抱かなかった苦手意識。恋愛の話の最中に、何故か浮かんだロイドの顔。考える事が多過ぎる。

「どうしたの、ぼうっとして」

「え? あ、ごめんなさい、何でもないの」

 姉が心配そうに覗き込んでくるのに気付き、アメリアは首を振って微かに笑う。そんな妹を見て、単純に疲労したのだろうと判断した姉は、優しく言った。

「お父様に色々挨拶に連れ回されて、疲れちゃったのかも知れないわね。今日は帰ったらゆっくりお休みなさいな」

「ええ……」

 屋敷はもうすぐそこだ。

 馬車の窓から夜の景色を見たアメリアの視界に、ふと見知らぬ男の姿が目に入る。それは特に珍しい事ではない筈なのだが、まるで門番から隠れるようにして立つその男の様子に、そこはかとない違和感を覚えた。

 ――何かしら。

 門をくぐり、馬車は屋敷の玄関へと向かっていく。屋敷の様子を伺うような男の姿は、すぐに見えなくなってしまった。

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