【短編】鬼のいる家
節分、煩わしい行事。
三歳の息子の蒼介が待ち望んでいる豆まき。橋田真一は鬼の面をかぶり、首から下は上下赤いジャージに着替えた。野球のプラスチックバットを工作して、金棒を作った。わざわざ鉄に見えるようにと吹き付け塗装までしたという力の入れ具合だ。
蒼介は泣き叫び、妻の陽子は満足そうにしてくれた。豆を浴びるように投げつけられ、その後息子は満足そうに寝た。蒼介が寝入るのを確認して、真一は部屋中に散らばった豆を箒とちり取りで入念に片付ける。ゲージに入れた愛犬のチョロを出した際に、つまみ食いされると困るからだ。去年は部屋の隅に落ちていた豆を五粒ほど食べて、チョロが大量に戻したからだ。掃除機は使えない。せっかく寝た我が子を起こしては、寝かしつけた陽子にこっぴどく叱られる。そのあたりは真の悪い真一でも予想は付く。ひととおり掃き掃除を終え、拭き掃除まで仕上げ、チョロをゲージから出して、真一は、ひと仕事終えた。
万一蒼介が起きてきてもいいようにと、真一は鬼の面を外さずにいた。というよりも、さっきから外れないでいたのだ。
鬼の面は、骨董市で買ったものだ。般若の面に似ている。能楽で使われていたもの顰といわれる面のようだが、店主が千円で譲ってくれた。しかみ・能のことはよくわからないが、そんな真一でもこの面が怒りにあふれていることぐらいは察せる。よくよく調べると、危害を加える鬼らしく顔を歪めている様子が特徴的だ。
とにかく、その面が外れないのだ。後ろに紐で固定していたが、歩くと脱げ落ちやすいので、百均で買ったゴムバンドで固定できるようにした。ゴムバンドを外しても、顰の面が顔から外れない。むしろ一体化しているといってもいい。
陽子は病院に行くようにと勧めたが、真一は救急車を呼んで欲しいと懇願した。だが、せっかく寝かしつけた蒼介を起こすのは、絶対イヤだとの一点張りで、押し切られる形で翌日整形外科を受診した。
駅前の大き目の病院だったが、すぐさま総合病院へと行く用に言われ、紹介状を持たされた。昼前には地元の大きい総合病院で、二時間待ちで若い医師が診てくれた。
受付から待合、好機の目にさらされたが、幸いにも能面というものは「視野」が狭く、人目が気にならない。
若い医師が大きな声で何か言っている。というより、苦しみ叫んでいる言う方が正しい。狭い視野でよく見ると、若い医師は血を流している。
軽く手が当たっただけなのだ。それだけで、彼の親指の爪がぬるっと落ちた。大出血だった。
臨月前とおぼしき腹の出た看護師が、腰を抜かし破水した。真一は、手を差し伸べようとするも、自身の手を見て驚いた。毛むくじゃらである。皮膚は赤く腫れている。
真一は診察室の椅子を蹴り倒し、待合の廊下を駆け抜けた。不思議と自分の呼吸音しか聞こえない。身体は軽い、視野は狭い。
病院の夜間診療出入口から、逃げた。人をケガさせたのは生まれて初めてだった。中学校でどれだけ虐められても、反抗も反撃もしなかった。
伏見のガンジーなんて呼ばれたが、真一はただ怖かった。
殴られるよりも、相手を殴ることの方が怖かったのだ。あの若い医者は無事だろうか、そう考えられるだけで、理性や正気は保てている。ただ、この能面のせいで、人にあらざるものへと変貌しているのだと。
タクシーに飛び乗り、自宅へと向かった。窓に映る自分、顰は我慢を重ねた真一そのものだ。ぶん殴ってみたらどうなるんだろうか、暴力をそのままに吐き出したらどうなってしまうのだろうか
顰
自分の中にあった感情の塊。中学生の青臭い無限性欲のような、固まらず溶けず、ねっとりとした、粘着したもの。
暴力に身を任せて、全てを破壊したい衝動。それは、妻の陽子に向かっている。
「あなたのこと、毎日、棒で殴り殺したいって思ってる」
朝、おはようと、声をかけた時のことだ。昨日洗った鍋に汚れが付いていたのだ。
気を付けていたつもりだった。見逃した。毎日が致命傷を負う、まずは陽子をそして、蒼介を。家族なんかいらなかった。蒼介には罪はないが。
「あなたの子どもなんて、産むつもりないから」が一転して、周りの友人が子どもを産み始めると、妊活を要求された。
妊活がうまくいかないと、すべて真一のせいにされた。真一は陽子を憎んでいる。憎しみの先にある感情に達すると、壊してもいいと思うのだろうか、タクシーが自宅に着くのが怖くもなり、愉しみにも感じる。
泣き、叫び、赦しを乞う、あの女の顔が見て見たい。この顰の力で、何もかも破壊してやりたい。
衝動が憎悪で包まれると、真一はもう人間ではないと悟った。自分は、人にあらずもの。
自宅より数十メートル手前の交差点で降り、駆け足で自宅に向かう。
敢えて、チャイムを鳴らす。
モニター越しに、妻が言う。
「病院どうだったの?」
「あぁ、帰って来た」
「答えになってないわ」
「鍵、忘れたんだ、開けてくれよ」
鍵は持っていた。扉が開いた途端、殴りつけてやる。恐怖は不条理に与える方が、相手を支配できる。中学生時代の担任が道徳の授業で、そう言っていた。その担任は、卒業後不同意性交で逮捕されていたが。
ドアが開く。ゆっくりと。地獄の始まりだ。
蒼介が何か投げている。真一の身体にめりこむ。
身体が熱い。真一は悶えた。豆粒サイズの玉のようなもの。めり込む。肉をえぐる。
「いってぇえええ」
真一の叫びとは裏腹に、蒼介がキャッキャと喜んでいる。
真一は腹にめり込んだ玉を抜く。血が噴き出て、玄関のかまちに滴り落ちる。整然と並んだ子ども靴とスリッパ、陽子のスニーカー、真一の革靴。ぽたぽたと滴る血は、勢いよく流れ始める。止まらない。
「これは…豆」
落ちていた節分の豆だった。
「どうしたのよ、血だらけじゃない」
蒼介は、真一ともう一度“節分ごっこ”をしたくて、家じゅうに落ちていた豆を拾い集めていた。
容赦なく、蒼介が豆を投げつける。
「やめなさいって、蒼介」
「だって、鬼だもん」
「鬼じゃないわよ、パパよ」
「パパじゃないよ、鬼だよ」
蒼介はひたすらに豆を投げつける。
顰の面に直撃した。
面は真っ二つに割れ、真一の顔が現れた。
「ほら、パパじゃない。ねぇ、ケガ大丈夫?一体どうしたのよこれ」
陽子は真一を気遣う。
真一の顔を見た蒼介は、
「やっぱり、鬼だよ」
と言い、ポケット一杯に入った豆を、真一に投げ続けた。
真一は、眉間に深い皺を寄せ、眉が吊り上がり眉、口を開いた。金色の牙が不気味に光った。




