兄嫁と再婚するから離婚してくれと土下座されました
――その日、突然夫に離婚を突きつけられた。
私はエカテリーナ・ローゼン。ローゼン子爵夫人である。
レイノルズ伯爵家の次女であったエカテリーナとラングレー侯爵家の三男であったフランは、ラングレー家が幾つか所有する爵位の中から子爵位を譲り受け、二年前に結婚した。
子どもはまだいない。
半年前にフランの兄、ラングレー侯爵家嫡男アレクシスが馬車で事故にあい、そのまま亡くなった。
その兄嫁を支えたい。彼女と再婚するから離婚してくれ、ということらしい。
葬儀が済んでからというもの、
『兄嫁が泣いているから行ってくる』
『夫(兄)を亡くして悲しんでいる兄嫁を元気づけるために出掛けてくる』
『食事が喉を通らないというから、少しでも食べられるように一緒に外食してくる』
などなど、最初は兄嫁を気の毒に思って快く送り出したけれど。
帰りがどんどん遅くなり、日付を跨ぐことも。
いくら何でも既婚者である義弟をそんな時間まで引き止めるのはおかしいでしょう?
あらぬ噂を流されぬようにと何度も注意したけれど、夫はまともに取りあってくれなかった。
嫡男と兄嫁の間に子どもがいなかったため、侯爵家は伯爵家に婿入りしていた次男が継ぐことになり、兄嫁は実家である子爵家に戻ることになった。
因みに伯爵家は次男夫婦の間に生まれた子どものうちの一人が継ぐことになるらしい。
侯爵家を継ぐ子どもと伯爵家を継ぐ子ども、最低でも男児二人を産まなければいけなくなった次兄嫁は大変だと思うが、ぜひとも頑張ってほしい。
実家に戻った兄嫁だったが、既に仲の悪い兄が実家を継いでいて、大変居心地が悪いのだとか。
そんな気の毒な兄嫁を慰めているのに、お前には心がないのかと怒鳴られたこともあった。
そんな時、お茶会で耳にしたのだ。
兄嫁が男性と楽しそうに腕を組んで歩いている所を見た人が何人もいる、と。
しかも目撃された男性は全て違う人物だったらしく、高価なアクセサリーやドレスを貢がせていたのだとか。
もちろん、その中には私の夫であるフランもいたのだけど。
それから少しして、フランから話があると言われ。
「兄嫁を支え、幸せにしたいんだ。だから彼女と再婚することに決めた。離婚してほしい」
そうきたか、と。別に離婚するのは構わないが、夫の言い方が癪に触ったので質問してみた。
「……私のことは幸せにしたくなくなったのですか?」
「リーナは強いから一人でも生きていけるだろ? 兄嫁は違う。俺が幸せにしてやらなければ」
……ふぅん? 私は強いから一人でも生きていける、ね。まあ、否定はしませんけど。
兄嫁は確かに(相手が)一人では生きていけないみたいですし、いいんじゃないですか?
お茶会の後、ちょっと兄嫁を調べさせたら出るわ出るわ、夫を含め五人の男性の名前が出てきたことに正直驚いた。
兄嫁は随分とフットワークが軽いらしい。
などと考えていたら、どうやらフランは私が離婚を渋っていると思ったらしい。
いきなり床に座ったかと思うと、土下座を始めたのだ。
「頼む! 離婚してくれ!」
いや、まあ、兄嫁と再婚とか言い出すフランをもう気持ち悪いとしか思えなかったので、そこまで必死にお願いされなくても離婚には応じますけどね。
「分かりました。離婚致しましょう。どうぞ兄嫁とお幸せに」
……なれるものならな。
兄嫁がキープしている五人の男性の中で、ハッキリ言ってフランは一番の小物だ。
彼は再婚する気満々だが、果たして兄嫁もそう思っているのだろうか?
断られて戻ってこられても困るので、早々に離婚手続きを終わらせなければ。
「では、この離婚届は今から私が提出してきますので、これより私達は他人となります。今までありがとうございました」
必要な荷物だけ纏めて、フランから贈られたものや子爵夫人となってから購入したものは全てここに置いていく。
役所に向けて馬車を走らせ、サッサと手続きを済ませた。
これで晴れてフランとは他人となり、意気揚々と実家であるレイノルズ伯爵家に向かうよう御者に告げた。
◇◇◇
「ローゼン子爵がお嬢様にお会いしたいと……」
離婚から二カ月が過ぎ、庭の四阿で兄とのんびりお茶を楽しんでいるところに侍従がそれを伝えにきた。
思わず「ハァァ」と大きなため息が出る。
「分かったわ。一番小さな応接室にお通しして」
眉間に寄った皺を解すように揉んでいると、兄が楽しそうに言った。
「私も同席して構わないよね?」
「え? ええ、構いませんが……。きっと楽しい話ではないですよ?」
「リーナにとっては、ね」
その含みのある言い方に何も思わないではないが、この兄には今更か。
私にとっては大変良い兄だが、昔から私に害なす相手をちょっと(?)甚振る傾向があるのだ。
復縁の話をするために来たのだろう元夫に会うのは面倒くさいことこの上ないが、ここでビシッとそれは永遠に叶わないことだと理解させないと、何度でも突撃してくる可能性が高い。
私だけでは無理でも、兄がきっとその希望とやらをベキベキにへし折ってくれるだろう。
兄と一番小さな応接室に入ると、そこには土下座した元夫の姿があった。
「また土下座ですか」
思わず口から出てしまい、慌てて口を噤む。
チラリと兄に視線を向ければ、もの凄く悪い顔をしていた。
さしずめそれは猛禽類が獲物を狙う時のような……。
ロックオンされたであろう元夫に、少しだけ、同情した。
「それで? お話とは何でしょう」
兄と並んで座り、未だ土下座を続ける元夫に冷たく放つ。
元夫は土下座をやめるように言わない私を困ったような顔で見上げた。
「それは、その……」
視線を揺らしはっきり言わない、その煮え切らない態度に苛立ちが募る。
侍従に向けて「お客様がお帰りです」と私が言えば、元夫は慌てて半ば叫ぶように答えた。
「ま、待ってくれ! 言う、ちゃんと言うから!」
「では、手短にお願いします」
元夫は諦めたようにフゥと小さく息を吐いて話を始めたが、それはある意味私が想像していたものよりも酷かった。
離婚が成立し、意気揚々と兄嫁の実家に突した元夫。
だが私が思っていた通り、兄嫁は再婚話を喜ばなかったらしい。
そりゃ兄嫁には他に本命がいるのだから、再婚話をされても困るだろう。
そこに兄嫁に家を出ていってほしい仲の悪い兄がやってきたものだから、さあ大変!
元夫との再婚を「良い話だ!」と後押しする兄嫁の兄と、元夫と再婚はしたくない兄嫁。
話は段々ヒートアップし、ついには取っ組み合いの喧嘩に発展したそうだ。
その際、頭に血がのぼった兄嫁が無意識に、
「本命がいるのに何でこんな小物と再婚しなきゃいけないのよ!」
と叫んだことで、自分以外に本命がいることを知り愕然とする元夫。
その後実家を追い出された兄嫁は、仕方なく元夫の元に身を寄せるように。
けれど一度抱いてしまった不信感は拭えず、顔を見れば互いにいがみ合う日々に嫌気がさして別れを口にするも、どうやら兄嫁は元夫以外の男性達に見捨てられたらしく、決して出ていこうとしないのだとか。
「ほとほと疲れきってしまって……。リーナとの穏やかな日々が思い出されて、あの日に戻りたいと……。お願いだ、戻ってきてくれ! リーナとまたやり直したい」
エカテリーナが蛆虫を見るような目で元夫を見ている横で、兄は目の奥が笑っていない笑みを浮かべて言った。
「君は兄嫁が居座っているその家に、可愛い可愛いエカテリーナに戻ってこいと?」
「あ、いや、その、兄嫁は追い出します! だから……」
「そういうのはちゃんとやってから言うものだろう?」
笑みを引っ込めた兄の底冷えするような低い声に、元夫は蛇に睨まれたカエルのように動けない。
「エカテリーナはお前の都合のいい道具ではないんだよ。少し調べれば兄嫁がどれだけ身持ちの悪い女だったか分かったことなのに、それもせずにうつつを抜かして離婚話を突きつけたのは、お前。今の状況を招いたのは他の誰でもない、見る目もなく間違った選択をし続けたお前自身だ。だからお前が、一人で、責任をとれ。二度とエカテリーナの前にその顔を見せるな!」
私が何かを言う前に、兄が全てを終わらせてくれた。
もう二度と元夫に会うことはないだろうし、少しだけ気になっていた兄嫁のその後も聞けたし。
「駆除したお祝いに、今日はとびきりのワインを開けよう」
「お兄様、ありがとう!」
とびきりの笑みを浮かべて兄の腕に手を添え、兄妹仲良く一番小さな応接室を後にした。
【短編】(なぜか)執着してくる勇者様から逃げたい末端令嬢のお話
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