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「ああ、なんて美味しいんだろう……」
目の前で美味しそうにロルバーン・ポテト――細長く切ったジャガイモに小麦粉を薄くまぶしてから油で揚げて、軽く塩をふったもの――を頬張るウォルター。
彼の母国であるフォートラン王国にだって、似たような料理はあるだろうに。
ルドルフがそう言うと、本場で食べる揚げたてホクホクのロルバーン・ポテトは一味も二味も違うんだよと返事が返ってきた。
ちょっとぽっちゃりとしたウォルターは、何でも美味しそうに食べる。
その姿を見ていると、家ではあまり食欲が湧かないルドルフも、何故か食欲が湧いて沢山食べられる。
お互いに名乗り合い、握手を交わしたあの日。
ルドルフはウォルターに、是非とも友人になって欲しいと頼んだ。
ウォルターはその申し出を快く受け入れてくれた。
今では二人は親友と呼べるくらいに仲良くなっている。
冗談のつもりでグレーテルと名乗っただけで、すぐに本名を教えたのだが、ウォルターは何故かグレーテルと呼ぶのを止めなかった。
ウォルター曰く、こんな美少女を『ルドルフ』なんて男の名前で呼ぶのはなんとなくしっくりこないから、だそうだ。
ウォルターは隣国フォートランからの留学生だった。
男漁りに来たサンドラ王女のような気楽な立場では無く、事情があってフォートランへ留学した公女と入れ替わりにやってきたのだそうだ。
もしも、あちらで公女に何かあったら、彼やフォートラン王国は責任を取らねばならない。
もしかするとそれには、ウォルターの命という対価が必要になるかもしれない。
逆に、ウォルターに何かあった場合には、ロルバーン公国と公女が責任を問われる。
ウォルターの身分は公女との天秤でバランスが取れる程高かった。
彼の父親であるコーネル公爵は、フォートラン王妃の兄なのだ。
そう、彼はフォートラン王と王妃の甥だった。
そんな風に政治的な駆け引きの駒にされているウォルターは、常に命の危険に晒されている。
いつ何時、襲われてしまうかもわからない人質。
そんな人間の側に居たいと思う者は、そうそういやしない。
そう、ウォルターもまた、かなりの地雷物件なのだった。
「だからね、君から友達になって欲しいと言われた時、物凄く嬉しかったんだよ」
しばらく後になってから、そう打ち明けて来たウォルター。
そのぽよんとした笑顔を見たルドルフは、彼とは一生友達でいようと心に誓った。
一緒にいると心が癒されるので、ルドルフは四六時中ウォルターと行動を共にしていた。
王都で人気の劇団の公演を一緒に見に行ったり、ルドルフのおすすめの菓子店に行ったり。
人気のカフェをはしごしてスイーツを食べまくったり。
まるでデートのような時間を、二人仲良く過ごしている。
ウォルターには母国に同い年の婚約者がいる。
その婚約者に宛てた手紙に、友達と仲良く遊び歩いていることを書いて送ったところ、彼女はその『友達』とは一体どんな人物なのか知りたいと返事を寄越したらしい。
ルドルフはピンときた。
これはつまり、婚約者は探りを入れてきたのだろう。
ウォルターに悪い虫がついたのではないか、と。
おいおいデートかよ! と突っ込みたくなるような街歩きの様子を書き連ねた手紙。
しかもウォルターは、ルドルフのことをグレーテルと書いていた。
そこはせめて『ルドルフ』と男の名前で書けばいいものを。
そんなものを貰って、不安にならない女なんていないのに。
目の前で婚約者への手紙を書いていたウォルターが、ほんの少し席を離れた僅かな時間に。
ルドルフはウォルターの字を真似て、こっそりと一行書き足した。
『グレーテルは、胸が大きくて魅力的な女性です』
ルドルフがちょっとした悪戯のつもりで書き込んだこの言葉は、後に大変な事態を引き起こしたらしい。
ルドルフの学院での生活は、ウォルターのおかげで中々に愉快なものだった。
サンドラ王女は怒り狂ってネーデルに帰ってしまったし、女装しているルドルフには、新たに婚約を申し込むような令嬢はいない。
騒ぎを起こし、一国の王女から婚約破棄を言い渡されたような者は、きっと跡継ぎから下ろされるに違いない。
そう思った令息たちは、付き合っても何の得にもならないルドルフとの距離を取ることに決めたようだ。
ウォルターの留学期間は一年。
次の春には、彼はフォートラン王国に戻ってしまう。
ルドルフは、彼のいない日々を想像してぞっとした。
そのことをウォルターに話してみると、彼はにこやかにこう言った。
「僕は将来、フォートラン王国を動かす人間になるつもりでいる。その時、僕の側に君がいて支えてくれたらどんなにいいだろう。グレーテル、僕と一緒にフォートランに来てくれないか?」
プロポーズかよ! と突っ込みたくなるようなウォルターの言葉に、ルドルフは満面の笑顔で答えた。
「もちろんだよ、ウォルター。僕は君に一生ついて行くよ」
※※※
来年からフォートラン王国に留学することにした。
ルドルフは、家に帰って家族の前でそう宣言した。
反対されたら家を出て、叔父のところに居候させてもらおう。
そう覚悟していたのだが、意外にも父は反対してこなかった。
強張ったような表情で「そうか」と一言答えただけだ。
継母は黙ったままで、相変わらず目を合わせようとしない。
異母弟のマリウスは、恨みがましい目つきで睨むようにルドルフを見ている。
「兄上は、公爵家を継ぐのではなかったのですか?」
「いや、もうその気は全く無いよ」
ルドルフがそう答えると、父の強張った表情がほんの少しだけ和らいだ。
安心したのだろう。
ルドルフがすんなりと跡継ぎの座を異母弟に譲り、この家から出て行くことに。
そんな父の姿を見ても、ルドルフはもう何とも思わなかった。
自分でも不思議なくらい、父のことがどうでも良くなっていたからだ。
――ウォルターのおかげだな。
ルドルフは、先日のウォルターとの会話を思い出して、静かに微笑んだ。
ルドルフはウォルターに、母の最期の言葉について話してみたのだ。
『私はあなたのお父様と一緒になれて幸せだったわ。あなたのような可愛い息子を授かったんですもの』
『だからね、ルドルフ。どうか、お父様を許してあげて頂戴ね』
亡くなる直前、母からそう言われた。
だが自分はそんな母の願い通りに父を許すことができなかった。
そう言ったルドルフに、ウォルターは優しい目で静かにこう言った。
「ねぇ、グレーテル。君の母親は、そんなつもりで言ったわけじゃないと思う」
「…………どういうことだい?」
「君の母親は、君が父親を憎み、許せないと思う事がわかっていた。だから、その『許せない』という気持ちが、君の重荷になることを心配していたんだと思う」
「僕の、重荷に?」
「そう、君がその重荷を抱え続けて生きていくこと、その憎しみに囚われて続けることをね」
確かにそうだった。
ルドルフは、父を許さず心の中でずっと憎み続けていた。
継母のことも、異母弟のことも同じように許せなかった。
「君の母親はそうなって欲しくないと思ったんじゃないかな。父親を許すことで、君が心の底から解放され前向きに生きていけることを願っていたんだと思うんだ。だからね、君の母親が父親のことを許してやれって言ったのは、父親のためではなく、君のためだったんだと思うんだ」
ああ、確かにそうだったのかもしれない。ルドルフは、そう思った。
母が伝えたかったのは、「あなたに幸せになって欲しい」という気持ちで、「許す」ということはその手段の一つとして提案されたに過ぎなかったのかもしれない。
「だとしたら、もう大丈夫。父のことを許したからじゃないけど、思い切り仕返ししてスッキリしたからね!」
ルドルフはおどけたようにそう言った。
「どんな方法だろうと、グレーテルが前向きになれたのなら君の母親も喜ぶと思うよ」
「そうかな」
「そうだよ。だって、君の母親なんだよ?」
そう言って自信たっぷり頷いたウォルターは、自分がどれだけルドルフを救ってくれたのか、気づいていないだろう。
「そうだね。それに、僕の親友がそう言うんだから。それは絶対に真実なんだ」
ルドルフも自信たっぷりにそう言い返した。
目の前の親友が、照れたように笑う顔を見つめながら。




