エッセイ・短編 命・言葉・愛・感謝・希望等をテーマにした作品です
ひとりの中の、小さな宇宙
私は器用なのかな、不器用なのかな。
小さい頃から一人で妄想して、ヒーローやヒロインの真似をして、一人遊びが上手な子だったかも。
もちろん、友達と遊ぶこともあったけどね。
雪が積もった日嬉しくて、誰も踏み入れてない真っ白な河川敷を、自転車で走り回って、独り占めって、雪の上で寝転んでた。
まるで世界の一部に私がなったみたいで。
おばあちゃんが庭の手入れをするのを手伝いながら、忙しなく動くアリの行列を眺めていて、はぐれた子がいたら葉っぱで列に戻してあげたりしていた。
それでも、はぐれる子は同じで、ずっと見ていたら、しばらくしてちゃんと戻ってきてた。
一人で空想、妄想するのが好きだったのかも。
頭の中で作ったお話で、おもちゃや人形と一緒にその世界で過ごしてた。
おばあちゃんの影響で本と歴史も好きになったんだ。
推理小説だったけど。
その中に出てくる、まだ行ったことのない場所でも行った気分にしてくれる。
そんな本だった。
後々、旅行に行くようになったのは、そういうこともあったのかなって。
歴史はね、神様や仏様、百人一首や偉人のこと、たくさん教えてくれたから。
本を読んだり、地図を広げて、この人たちはどこにいたのかな?
どんな気分だったのかな?
なんて楽しんでた。
絵を描くのも好きだった、初めはお気に入りの漫画のキャラを描いていたかな。
下手くそだったけどね。
究極のおひとり様だったのかも。
でも、いつの頃から、そんなこともしなくなっていた。
どうしてだったんだろ。
夢はあったと思う。
もうぼやけて形すらないけど。
それにはとどかなくて。
大人になって、生活して、気が付いたら疲れてた。
人にまっ直ぐ話しても、返ってくるのはうそ塗れ。
人を簡単に信じてしまって、人の言葉を鵜吞みにして。
その裏を読んだり、察することが出来なくて。
出来たとしても、ひとりよがりの的外れ。
人の顔色ばかりうかがって、過ごしていたら。
いつのまにか、何もしゃべれなくなってた。
それでも、“いい子でいなさい”って言われてたから。
でも、がんばって。
でも、繰り返して。
人に手を差し伸べてたら、こころがからっぽだったよ。
たぶんね正直すぎて、心をオブラートで包む手段を知らないまま大人になってたんだね。
ばかでしょ?
こんな私は不器用なのかな。
器用なのかな。
辛くて苦しくて、誰も分かってくれなくて。
さよならするために、旅に出たの。
その時に、思い出させてくれたんだ。
出逢った人と景色が、
空想や妄想をして楽しんでいた自分のことを。
花や雲、山や海、船や夜景を見て、
みんなに話しかけるように、写真を撮っていたよ。
キレイだねって。
雲の形が龍だったり、はーとだったり。
炎の形が観音様だったり。
水面の波紋が鳳凰のしっぽに見えたり。
木の幹が亀の顔に見えたり。
誰も気づかないその姿を、幸せを見つけたみたいに喜んでた。
そしたらね、笑えるようになっていたよ。
からっぽだったこころも、いつのまにかあったかい光に変わっていたの。
不思議だね。
そしてね、空想や妄想していたことを文章で表現してみたの。
そもそもね、誰かに読まれるっておもってなかったから。
どこかに証として残しておきたかったの。
でもね、驚いたよ。
知らない誰かが、何かを感じてくれたり、感想までくれたりするんだよ。
私の舌足らずの文章で。
ありがたくて、うれしくて、本当にありがとう。
そして、あの頃の私にもありがとう。
器用か不器用かなんて、もうどうでもいいや。
まだね、繰り返すことはあるよ。
おかしいでしょ?
でも。
こうして言葉にできたことが、きっと答えなんだと思う。
読んでくれて、ありがとう。ありがとう。
拙文、読んで下さりありがとうございます。
*一枚目の写真はAIで作成、二枚目以降の写真は作者が撮影したものです。