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雪と兄と妹と母

作者: 詠夜 月


 ──貴方の目って、兎みたい。大きくて。でも……何処を見ているのか、良く分からない。視線を隠すのは、臆病な証よ。……いいえ? 嫌いじゃないわ。臆病は、誠実さの証だもの。私、不実な人って嫌いよ。だから、貴方は良い人でいてね。



 私は、畏れ多くも宮廷騎士として、王に爵位を授かった男である。ああ、だが。私が騎士に相応しい男であるかと問われれば、胸を張って頷くことは出来ないのだ。


 私は女性が苦手である。騎士は婦人を敬うものであるとされる。その名誉を守る為に剣を掲げるものであると。だが。私にはそれが出来ない。


 私から見た女性とは“求める者”である。女性は常に求めている。

 何を? 勿論、此の世の全てを。女性には満足するという機能が存在しない。

 ああ。私の同僚は、私の言葉を聞いたら豪快に笑い、言うだろう。『もしも女性が世界の全てを求めたのなら。世界の全てを手に入れるべく奮闘するのが、騎士の役目だ』と。そして、その為に刃を取るのだろう。


 豪快なことだ。そして、それこそが。騎士として。男としてあるべき姿なのだろう。


 私のなんと、惰弱なことか。

 私の手は白く。刃は白く。その切っ先は欠けている。


 人々は皆、私のことを白兎の騎士と呼ぶ。正しく。私はその名に相応しい臆病者だ。


 1


 ──戦争に往くの? ああ、貴方……きっと、無事で帰ってきて。貴方は優しい人だから。きっと誰かを殺すことなんて出来ないでしょう。そして、そんな自分を恥じ、死んでいった戦友を思い、自らを責めるのでしょう。……ああ、貴方。それでも、無事に帰ってきて。



 ある年の冬。私は戦場に立っていた。不思議と私は王の覚えがめでたく、王の旗を掲げる栄誉と共にあった。私は戦場で、先頭を駆け抜けた。私は背後から追いかけてくる死から逃れようと。ただ、ひたすらに、真っ直ぐと。


 私の馬は白く。私の鎧は白く。私の外套もまた白く。そして、戦場は降り積もる雪で白かった。そのお陰だろうか。誰も私を捉えることは出来なかった。私は戦場で一度たりとも、剣を抜かなかった。王の名の下に。青い花が描かれた軍旗を以て、私は諸々の敵を殴り倒した。その姿を見て、私のことを慈悲の騎士と呼ぶものがいた。だが、私が剣を抜かなかったのは。単に私が臆病だからに過ぎない。剣のリーチで戦うよりも、軍旗を振り回した方が良いと思った。そして、敵を切り裂くよりは、軍旗の重さで相手を馬上から叩き落すだけの方が気が楽だった。



 降り注ぐ矢の雨も。私には届かなかった。


 神話において、弓矢は月の女神の得物であり、それは常に不実なものにのみ、突き刺さるという。


 私は自分が誠実であるなどとは、微塵も思っていない。もしそうであるのなら。私はこの場に居ない。真に誠実なものは、此の世に生まれることを望まないからだ。だが、もしも。私が正しく在ることが出来ているのなら。それは、彼女の祈りが故なのだろう。


 優しい、私の──


 2


 ──お父様が、貴方を褒めていたわ。私の兎さん。私の騎士。貴方が先駆けた故に、何時もは二の足を踏んでいる臆病者達が、すんなりと身を進めたと。……ああ、そんな顔をしないで。戦場で、誰が死のうと、貴方のせいではないわ。それに。貴方は戦場で散った命より、沢山の命を救ったの。そうでしょう? 誰よりも臆病で、誰よりも勇敢な、私の──



 騎士といえど、厳密には貴族階級である。たとえ、最も下の階級だとしても。

 或る日、私は公爵が主催した夜会に出席していた。騎士の正装は鎧だと唆されて、鎧を着ていったら、私以外に鎧を着ているものは誰一人していなかった。幸いなことに。然し、同時に不可解なことに。誰も私を嘲笑するものはおらず、どころか、何やら感心した様子で私を見るのである。


 居心地が悪くなり、バルコニーに出て夜風に当たっていると、見知らぬ女性が、私の横に立った。金髪を夜風に靡かせる、美しい女性だ。だが、見覚えはない。


「貴方が噂の、旗手さん?」


「どのような噂でしょう」


「ふふ。色々な噂」


 女性は私の顔に手を伸ばし、困惑したように首を傾げた。


「ヘルムを取っても?」


「……何故です?」


「だって、お顔が見たいもの。よろしくて?」


 勿論、よろしくなかった。だが、女性の求めを理由なく断るのは礼儀に反する。私は渋々、ヘルムを脱いだ。女性は私の顔を真顔でじろじろと見て、暫く値踏みをしていた。そして、やがて(及第点かしらとでも言うように、傲慢そうな吐息と共に)笑みを浮かべた。 


「ねえ、貴方が噂通りの方なら、私のリボンを受け取ってくれる?」


「……。受け取るだけならば。然し、噂をご存じであるのなら、知っているでしょう。私は如何なる誓いも立てないという誓いを立てているのです。そのリボンは、貴方の為に誓いを立ててくれる、騎士の為に取っておくべきではありませんか」


「あら。……うふふ。噂通り、うぶなのですね。構いませんわ。女が男に求めるものは、誓いなんかではありませんから。ご存じなくて?」


「なるほど。存じませんでした。何せ、女性は誰も彼もが男に、不要な誓約を誓わせるものですから。では貴方はご存じですか? 男が女性に求めるものを?」


「何かしら。教えてくださる?」


「一人で夜に立つ男性に、無闇に声を掛けたりしない慎ましさと貞淑ですよ」


 3


 ──ああ、貴方。リボンを貰ったのね。流石、噂の騎士様だわ。……きっと、その内、貴方の腕には沢山のリボンが巻かれるのでしょうね。いいえ。不貞腐れてなんかいないわ。ねえ。私のリボンも巻いてくれる? ……ダメ? ふふ。いいえ。嬉しいわ。私だけ、なのよね? ええ。ならいいわ。ああでもね。貴方。女の子の振り方は、知っておくべきよ? だって、貴方……興味がない相手には、興味がないと示してあげないと。残酷でしょう? 



 やはり。女という存在を、私は好きにはなれない。そんなことを。目の前に跪き、縋りつきながら喚いているものを見て思う。自身の要求を通すために、感情を用いるものは、卑劣である。感情が。想いが尊いものであるのなら。その価値を安くするような行為を軽々しくするはずがない。この女性にとって。想いとは。自身の欲求と要求の為に利用出来る程度のものなのだ。


 人は皆、口に出した言葉は取り消せないという。だが、私からすると、それは逆に思える。口に出さずに伝わった想いは取り消せない。そして、口に出した言葉など。誰もが皆、軽々しく取り消し、翻すではないか。


 だから。私は。やはり、女性が好きではない。彼女達はいつであれ。沈黙するということが出来ない。いつも誰かの“評価”をしている。きっと。自身が“評価”される側に居たくないのだろう。だから、先んじて、他者を評価する側に居たがるのだ。そして、それは、私に言わせれば。酷く不実で。その性根は穢れている。


 他者から評価を受けることは。行動を行う者全てが負う。避けられぬ義務である。


 故にそれから逃れようとするものは、皆、卑劣だ。


 彼女は私に愛を求めた。だが、言うまでもなく。求めるものは、それと同じだけのものを相手に与えなくてはいけない。真実の愛とやらを求めるのなら。当然、何か、偽りなきものを相手に与えなくてはいけない。彼女にそれが出来るとは、私には到底、思えなかった。


 愛とは。価値の交換である。故に無償の愛はない。宣教師や気取った思想家が口にする“親から子への愛”でさえ本質的には無償ではない。無償の愛は自己愛だけである。もし本当に、親が子を無償で愛するというのなら、それは自己愛故だろう。そうでなければ。何故に、未だ捨子は路地に溢れ、親とやらは養えぬ子を無思慮に産もうとなど考えるというのか。


 故に、私は。愛を求める女が好きにはなれない。

 

「貴方は私に愛を求める。然し、貴方が愛しているのは、自分だけです。貴方は、私の横に立つ自分の姿を想像しながら、私に愛を囁いている。貴方にとって、私は貴方自身が映る水面でしかない。貴方は水面に映る自分の姿を見て、それを愛で、そして、その恍惚を愛と呼んでいる」


 4


 ──……ああ、貴方……その傷……。……。……そう。こっちに来て。傷を良く見せて。可哀想に。刃物で切られたの? ……わざと? ああ、そうでしょうね。貴方は優しいから。違う? ふふ。ああ、そうね。酷い人。だから、女の子の振り方を勉強しておくべきだと言ったのに。きっと、その女性は、自分がフラれるだなんて、微塵も思ってなかったに違いないわ。ええ。ふふ。ちなみに、その人は貴方にフラれたとき、どんなことを言っていた? ……うん、うん。そうでしょうね。ああ、本当に。貴方って、罪な人ね。駄目よ。人は自分の本来の価値なんか。直視したいとは思っていないんだから。それを突き付けたりしたら。……真実の愛? ああ、その人はそんなことを言ったの? ふふ、それなら、まあ、確かに。真実を求めたのなら。それを突き付けられるのは、当然かしらね?



 私には妹がいる。腹違いの妹が。幸いなことに、私と違って、彼女は高貴な家で守られている。私の小さな主人。私の小さなデルフィニウム。私の小さな幸福。


 聡明な娘だ。私と違って、父に似たのだろう。或いは、私と違って、親が淫売ではないからか。なんであれ。幸いなことだった。


 白い肌に、金の髪。ふっくらとした頬。赤い唇。瞳は蒼。あどけない面差し。


 私の(ロー)。発音は舌を口蓋に付けたまま。けれど幼い彼女は自分の名前が上手く言えなかった。私がそれをからかうと、顔を赤くしながら、怒る姿が愛らしい。いつもは澄まし顔で、歳に似合わぬ立ち振る舞いだと言うのに。


 彼女の父は、私に良くしてくれる。それは、女に対する負い目なのだろう。あんな女に。そんなものを感じる必要など、ないというのに。


 女は子を愛したか? 勿論。では何の為に? 愛する男の戒めの為に。……否。女は男を愛してはいなかった。女が愛するものは、常に水面に映る自分だけ。女は常に、湖面に映る自身の虚像を女神の姿と間違える。


 ああ。分かっているとも。私は穢れている。私は呪われている。売女の子として生まれたのだから、当然だ。私は憎んでいる。恨んでいる。嫌悪している。故に、私は穢れている。愛されるに値しない。


 それでも、私は。私はただ一人の妹を愛そう。私の半分の妹を。あの日。燃える館の中で。彼女を抱き上げたときにそう決めた。


 私は騎士。私は獣。私は雪原。私は巫女。私は剣。私は彼女の望む全て。


 愛せぬものをそれでも愛そう。燃える炎に自ら飛び込もう。刃を握り、己の胸に突き立てよう。贖罪の為でなく。名誉の為でなく。復讐の為でなく。報恩の為でなく。全ての評価の為でなく。全ての欺瞞、全ての正義、全ての欲望の為でなく。全ての語ることが出来ない想いの為だけに。私は愛そう。


 私は全てを否定する。私は全てを雪原に埋める。女が私にそうしたように。女が残した全てを雪原に埋める。


 女よ。お前が残したものは、何もない。お前が愛したのは自身だけ。故にお前の死と共に全てが消え去った。お前が居なくとも子は育つ。お前の悪辣さは誰一人何一つとして戒めることはなく、何ものをも、どのような力をも、留め置くことはない。そして、お前は如何なる対象にもならない。好意も称賛も。無論、憎悪にも。嫌悪にも。怒りにも。お前には何もなく。何も与えられない。罰さえも。お前の生の痕跡は、全て地上から消え失せる。お前は女。母ではなかった。子を成すだけで母となるのなら、そんなものに価値はない。お前の名は永遠に忘れ去られ、永遠に想起されることはない。お前の穢れは、雪原に埋められ、永久に掘り起こされることはなく、墓石もなく、墓碑銘が刻まれることもない。そして漸く、お前が穢した全ての言葉と全ての意味が浄化される。


 5

 

 ──ねえ。私の兎さん。こっちへ来て。……ああ。そんな顔をしないで。私は大丈夫よ。なに。ちょっと、儀式をして……雨を降らせるだけでしょう。……ええ、まあ。……そうね。お父様は、反対みたいだけれど……。でも、どっちにしろ、時間の問題よ。ただでさえ、隣国での革命のせいで、反王室の気運が高まっているんだもの。王子も姫も儀式に失敗した以上、次は私がやるしかない。王家の血を引いていて、巫女としての条件を満たしているのは、もう私しかいないんだもの。……。失敗したら? 大丈夫。大丈夫よ。きっと……。大丈夫。



 神の加護は、瞳に現れるのだという。赤色であれば、太陽の神。蒼色であれば、降雨の神。黄金であれば、大地の神。そして、緑色であれば、それは大気の神に加護を受けているのだという。王国においては、その四色が基本であり、それ以外の色が出ることは稀である。くだらない迷信だ。だが、他に信ずる知恵のない者は、迷信に縋るしかない。


 私の左目は白く濁っている。人々は言う。それは、神より加護を剥奪された証だと。穢れたものの証であると。さもありなん。確かに、私は穢れている。神が私などを愛する筈もない。だが──


 お前たちほどではない。


 妹の賢明な雨乞いの儀式にも神は答えなかった。空には雲一つなく。依然として、太陽が大地を焼いている。私は、妹に投げられた石を、剣の腹で弾き飛ばした。石を投げた市民は私が抜剣すると怯えた表情を浮かべ、背を向ける。私はその肩を掴み、広場へと引き摺った。


「何故逃げるのです」


「お赦しを。私は……その……」


「貴方は自らの意思で他を害したのだから。恥じることも。罰を恐れることも赦されない」


「お赦しを……私達は……皆、渇いているのです。作物は育たず、飢えて……」


「私には貴方を罰する権利はない。その力も。私に出来ることはただ、貴方達が投げた石と言葉を弾くことだけです。故に、貴方を赦すことも出来ない。それは、私の領分ではない。罰のない赦しは此の世には存在しないからです」


 男は震え、視線を落とし、その場から動かなくなった。それでいい。自らの意思で行動をするものは、善悪とは関係なく、常に自らの行いに無限大の責任を負う。誰も彼も。自らに罰を求めない。求めないものを与える力など、誰であれ、持っていない。


 私は薄々、この雨乞いが成功しない理由に気付いていた。


 ああ、誰も。雨が降るなど信じていないのだ。それどころか“降らなければいい”とさえ。思っている。そうすれば。先の男がそうしたように。他者を害する理由が与えられる。石を投げることを咎められなくなる。王の首を刎ねようが。その家族を皆殺しにしようが。赦されると信じている。


 貧しいもの。弱きものは幸いである。救いは常に。お前達の下に舞い降りるのだろう。

 穢れている。自らの責務に倒れる者に、彼らが手を差し伸べることはない。

 彼らは軽い。その身の痩せている以上に。その魂が枯れている。


 不意に、集まっていた市民から罵声が飛び出した。口汚ない、語るも憚られる言葉。だが、その波紋は次々に広がって、大きくなっていく。


 私は。彼らが求めているものを知っている。


 私は剣を鞘に収めて、前に出た。どこからか、石が飛んでくる。私はそれを、敢えて避けなかった。血が、流れているのを感じる。石を投げたのは、小さな子供だった。その後ろに立っている女は、その親だろう。面白いことに。その女は、まるで自分が石で打たれたかのような表情をしていた。女はいつも、その表情をする。石を投げたのは、お前の子供で、石に打たれたのは私だというのに。女はいつも。その顔をする。


「恐らく、これ以上続けても、雨は降らないでしょう」


 私がそう宣言すると、民衆たちは再び騒ぎ出した。ああ。彼らは──


 6


 ──……ああ、貴方。こんなに、怪我をして……私のせいで……。その目……。どうしたの? ……。……。そう。ごめんなさい……。私の、せいで。貴方の、赤い目……とっても綺麗だったのに。私の兎さん……。え……。私? 私は……。大丈夫。大丈夫よ。少し、乱暴にされただけだから。……私よりお父様が……。……ありがとう。……。…………。ねえ、知っている? 雪の女神様のお話。王国には、自分達に加護を与えてくれる神様にしか神殿がないけれど。隣の国では、もっと沢山の神様がいるのよ。もしかしたら、その白い目は……雪の女神様が加護を与えてくださったのかも。雪の女神様は、天気を司る姉妹の末子で──



 雨乞いの儀式が失敗に終わった当初、民衆たちは、王族とそれに連なるものを手酷く詰り、罵った。見るに堪えない風刺画が描かれ、町に溢れた。だが、堪忍袋の緒が切れた公爵軍によって数十人が公開処刑になると、ぴたりと、止んだ。所詮、彼らの熱意などその程度のものだ。だが、民衆たちは懲りたわけではないらしく、次に彼らは赤目狩りを始めた。


 赤い目は、太陽の神から加護を受けている証。彼らは言う。今、地上が苦しんでいるのは、太陽の神が降雨の神を押しのけているからだと。だから、赤い瞳の者を生贄に捧げ、太陽の神を退けるのだと。


 私の下へも来た。だが、彼らは滑稽にも、私が剣を抜いた途端に及び腰になった。そして、『その色のない片目は、加護を剥奪された証であるから、貴方には手を出さない』などと宣った。彼らは、自らの悪意にさえ、軽薄なのだ。だが、そんなことは赦せない。それでは、彼らのせいで死んだものが、あまりにも、哀れではないか。彼らに石を投げられたものが。剣を突き付けられたものが。その首を落とされたものが。だから、私は、広間に人々を集め、自らの手で片目を抉り出してやった。


 彼らには誠実で在ってもらわなくてならない。自分自身の悪意に。それらを投げ出すことは赦さない。


「何故、歓声をあげないのです。何故、喜ばない。貴方達が望んだことです。己の不幸の為に。他者を傷つけようと貴方達は、願ったのです。ならば、貴方達にはそれを歓喜する義務がある。不幸そうな、辛そうな顔をする権利はない。貴方達は、弱者の権利によって世界を呪ったのだから。その義務を負わなければならない。貴方達は己の責務の為に苦しんだものに石を投げた。憎悪を向けた。己の不幸の理由を他人に求めた。だから。私は。貴方達が如何なる責務を投げ出すことも。憎悪から逃げ出すことも。己の幸福の理由を自身に求めることも赦さない」


 空が暗くなる。風もないのに、彼方から、大きな暗雲が流れてくる。


「貴方達は呪うことを好んだのだから。呪いが貴方達自身を好むように。私は神に祈る。貴方達の願いが全て叶うように。貴方達が他者に望んだことが全て貴方達に還るように。貴方達の言葉が、空を射た矢のように。貴方達へと落ちるように。私は諸々の証人として。この目を貴方達に捧げる。貴方達は己の弱さを理由に他者へ石を投げたのだから。貴方達はその弱さ故に。他者から石を投げられることを赦さなければならない」


 7


 ──……雪の女神様の使いは、白い兎だそうよ。奇遇よね。だからね、私、本当にそうなんじゃないかって、思うのよ。貴方は……女神様の巫女。男なのに、って? でもね。巫女って本来は……。ううん、そんなことはどうでもいいわ。お話によると、女神様は、とても臆病で……他の神様に虐められていたの。けれどね。とても強い力を持っていて……。どんな神様も本当は雪の女神様には敵わなかったのよ。それなのに、女神様は、他の神様に自分の力を誇示しなかった。雪の女神様が絶対に反撃してこないと分かると、他の神様は彼女を奴隷のように扱い始めたの。酷いわよね……。けれど、或る日……一人の神様が……それも、とっても偉い神様が、彼女の使いである兎を殺してしまったの。すると、女神は静かに。貴方は報いを受けなくてはならないと言って、その神様の死を宣告した。そうすると、その神様は、あっけなく死んでしまったの。……そうね。冬の降雪は……死に似ている。綺麗な死の断片が無数に空から舞い降りて……地面に積もっていく。そして、その白い景色の内側に全ての醜いものを覆い隠してしまう。どんな力も。どんな存在も。全て。



 彼らは自身より優れたもの、幸福なものを赦さなかった。だから、彼らもまた、赦されてはならない。これは、ただ、それだけの簡単なことだ。


 弱者は常に軽薄だ。何故なら、彼らは責務というものを負ったことがない。挙句、その軽薄を自由などと呼んで持て囃している。それでいて──責務を負っているものを軽々しく非難するのだ。ならば、私が重しになろう。私は空より落ちて降り積もるもの。その口が軽々しく開かれることがないように。私が全てを戒めよう。


 祝福を。全ての者が等しく無限大の義務を負うのだ。そして、それが永遠に取り払われることがないように。そうすれば。女も、子供も、そして老人、怪我をしたもの、病に倒れたもの、飢えに苦しむもの達が、真に自由になれるだろう。


 二度と人を呪えぬように。二度と石など投げれぬように。それがお前達自身に還るようにしよう。


「白兎殿……お赦しください……私達は、ただ……貴女の妹君を犯した者達とは何の関わりも……」


 道を歩いていると、一人の老人が駆け寄ってきて、そう言った。その者には何の罪もない。彼自身がそれを信じているのだ。自身の無罪を。ならば私に何が言えるだろう。罪なきものを赦すことは出来ない。赦すべき罪がないのだから。罪もなく赦しを乞う。それこそ。彼らの軽薄の証ではないか。


「……雨は降ります。冷たい雨が。彼女に代わり、私が降らせて見せましょう」


「は……? それは……どういう?」


「貴方が石を投げ、罵倒したものの代わりに。私が雨を降らせましょう」


 私は老人の手を引いて、広場まで歩いた。それから、広間に居た男に金貨を与え、諸々の人々を集めるように言った。集まった人々は、これから処刑でも行われるかのような愉快そうな表情をしていた。私が失敗した時のことを考えているのだろう。


「私は此処に誓います。私は積み上がる暗雲となることを。私は永遠の断絶として、太陽と地を隔てることを。私は永遠の戒めとして。無限大の責として、諸々の人々の上に降り積もることを。私は冬。私は凍てつく大気。私は草木を枯らし、諸々の生き物を凍らせる。力ある大熊も、知恵ある蛇も穴へと籠り、永遠の眠りに着く。私は天より潮垂る死なれば」


 彼らは自らが救われぬことを自らに望んだ。何故ならば。多くを持つ者には多くの苦難があることを、心の底では知っているからだ。その為に。その苦難にあるものを非難した。石を投げた。それを……犯した。ならば、そのように在ればいい。


「私は太陽を遠ざけ、月を遠ざけ、諸々の天の光を遠ざける。風は凍てつき、大地は凍り、そして、ただ、雨だけが降る。凍てつく雨が。煌めく白い断片が。氷の礫が。諸々を打ち据える。それが私の愛であると」


 そして、そのようになった。


 8


 ──……ああ。お兄様……私の……。本当は、貴方が一番……。


 9



 世界が平等であればいいと。人は言う。本当にそうだろうか? 本当に人々にその覚悟があるのだろうか? その言葉を軽々しく言う人間は……自分が負っていない義務に対して軽薄なだけではないのか? 物事を結果でしか見ていないのではないか。


 だが。いいとも。人々が結果だけを望むのならば。結果へと至る諸々の……。その結果を導くのに犠牲になったもの。その結果を得るまでに人々が負っていた義務から目を背けるのなら。その軽薄さ故に。私の守るべきものを傷つけるのなら。私はただ、絶対の結果であろう。全てに平等に落ちる白雪であればいい。


 ああ、だが。……。分かるとも。人々の軽薄も。少しばかりは、私にも思い当たる節がある。


 女が子を産むのは何故か。男が女を孕ませるのは何故か。その責は常に一方だけが負うのだろうか? だが、そんなことは。生まれた子からすれば関係がない。どんな理由も関係がない。子は常に親の都合だけで生まれてくる。親が子に求めることなど。子からすれば何の関係も義務もないことだ。だが、それでも、その無意味と無関係に。手を差し伸べることを愛だと。赦しだと。私はそう思っていたのだが。


 だが、違うらしい。そうではないらしい。


 世界。お前の名は女。そして母。お前とお前から産まれる全ては醜い。

 


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