ライラック
私が話し終わると、教室内はとても静かになった。
エドワード先輩はオリバー先輩の言葉を待ち、オリバー先輩は考えている。
ひとまず私の意見を話したが、これでエドワード先輩の意思にそう結果になるかは分からない。話を聞く限り、オリバー先輩が学園から消えれば円満解決という話ではないと思うけれど、どうするかを決めるのはオリバー先輩であって、私でもエドワード先輩でもない。
「ロディーナ嬢」
オリバー先輩は突然私の手を掴んだ。
花人特有の痣を隠すため一年中手袋はしているけれど、それでも気味悪がられているのは知っている。これまでに人に手を触られたことなど数度しかない私はびくっと肩を揺らした。
「毒のことを部員に伝える時は、どうか一緒にいてもらえないだろうか?」
「はい?」
一緒にいてほしい? 何で?
突然のオリバー先輩の申し出に、私は素早く瞬きをした。冗談ではなさそうで、彼の藍色の瞳はとても真剣だ。
「僕はそれほど話すのは得意ではない質だ。だから今回のように意思疎通に不備が出てしまったのだと思う。償うために毒の話をしても、もしかしたらまたうまく伝わらないかもしれないと思うと怖いんだ。特に毒は、他者に害を与えることもできる情報だから」
もともとこの学園で園芸部に所属している人は、おしゃべりよりも黙々と土いじりをしている方が好きな人達の集まりだ。部長はしているが、オリバー先輩もそれほど目立つ人ではなく、どちらかというと寡黙な方だと情報を得ている。
なるほど。
確かに一度情報の受け渡しに失敗したからこそ、心配にもなるだろう。
「でもロディーナ嬢ならば、言葉が足りない時はそう教えてくれるだろう?」
「それは……」
確かに不足を補うことはできるとは思う。思うけれど……。
どうこたえるべきかと躊躇っていると、パシッとエドワード先輩がオリバー先輩の手を叩き落とした。そして憮然とした表情でオリバー先輩を睨んだ。
「それは流石にロディーナ嬢に甘えすぎだ」
「甘え?」
「不安になる気持ちは分かるが、ロディーナ嬢はあくまで第三者で、君の母ではない。この件は君が自分でけじめをつけるべきだ。話す内容を事前に伝えて助言をもらうのはいい。でもその場についてきて、なおかつ何か失敗をしたらフォローしてほしいというのは違う。君が毒の話をするのと、ロディーナ嬢が植物由来の毒の話をするのでは周りからの感じ方が違う」
もともと花に詳しいオリバー先輩が事故が起こったことで、部長として話すのと、全く関係ない花人の特徴を持つ私が話すのでは受け取られ方が変わるだろう。きっと、何故毒について知っているのかと嫌な噂が出る。
私が不安に思っていることをエドワード先輩は思い当たったらしい。
でも正直意外だ。エドワード先輩ならば助けてやって欲しいとオリバー先輩の味方をするかと思っていた。
「それにロディーナ嬢と一番仲がいいのは俺だ。オリバーにロディーナ嬢の時間を奪われて、俺がロディーナ嬢からないがしろにされるのは嫌だ」
「うぉぉぉぉい! いい話が残念になっています――はっ⁉」
私はエドワード先輩が続けて言ったあまりにも自由な意見についツッコミを入れてしまい、慌てて口をふさいだ。やらかした。
咄嗟に出てしまったツッコミに、オリバー先輩はびっくりして目を丸くしたが、エドワード先輩はにやにやと笑う。
「いつでも俺にはそれぐらい率直に話してくれてかまわないぞ」
「……わたくしがかまいます」
私は肩を落としてつぶやいた。四大公爵家の男にツッコミを入れたとか、他者に聞かれたら、誰から何を言われることになるか。
「どちらにしても、ロディーナ嬢は必要以上に周りに気を使って動いている。だから俺はロディーナ嬢が不都合に陥らないように考えて動きたい」
「……その割に、突然彼女のクラスに顔を出したり迷惑をかけているみたいだけど?」
「友人のクラスに堂々と顔を出せないことは問題だ。ロディーナ嬢は異種族の特徴を恥じて気を使うが、それは必要がないと俺が証明する。異種族を差別したところでいいことなど一つもないからな」
エドワード先輩は何てことないように言い放った。
本気で私を友人として扱うつもりなのか。……理想と現実は違って当然なのに。
「確かに先ほどの話は、僕が配慮に欠けていた。ロディーナ嬢も断りにくいだろうに、申し訳ない申し出をしてしまった。すまない。さきほどの提案なかったことにしてもらいたい。その代わり、別の時間を設けて、話す内容についての相談にのってもらえないだろうか?」
「その時は俺も同席する」
「いや、なんでするのさ」
「俺が彼女の一番の友人だからだ。ロディーナ嬢の不都合になる話がないとは限らないからな。オリバーの件に巻き込んだのは俺だ。ちゃんと最後まで面倒を見る」
ちゃっかり一番の友人になってるエドワード先輩に呆れればいいのか何なのか。でも彼らのやり取りがなんだか面白くて、私はくすりと笑った。
「もともとわたくしは、情報を収集するのが趣味なんです。毒の情報など中々聞けませんし、その情報をもらえるならば、相談に乗らせていただきます」
植物の毒の話など、聞きたくてもなかなか聞けないものだ。
本で読んでも、実物を見て話を聞かないと分かりにくい部分でもある。
「ところで僕も常々気になっていたんだけど、質問をしてもいいかい?」
「はい。答えられることでしたら」
常々?
何の話か分からないが、ひとまず頷く。するとオリバー先輩の目がきらっと光った。
ん? 若干興奮している?
「ロディーナ嬢の頭の花はライラックかい? 花人は皆、ライラックを咲かせているの? 何か普通のライラックとは違ったりするのかい? 毒性とかはある?」
どうやらオリバー先輩は私の頭に咲いた花に興味があったようだ。鎖国を辞めて異種族が国に入ってくるようになったと言っても、花人はあまり見かけない。
「多分ライラックだと思いますが、じっくり生花と比べたことがないので全く同じかどうかは分かりません」
今私の頭には紫色の花が咲いている。
ライラックは香水などに使われるので知っている人は知っているが、薔薇などよりは知名度が低い。でもちゃんと当ててくるとは、流石は、オリバー先輩だ。
「頭に咲かせる花は、花人ごとにそれぞれ違いますし、一生同じ花が咲き続けるわけでもないそうですわ。わたくしも幼いころは白色のライラックが咲いておりました。途中で髪色が変わると同時に紫色に変わりました。一般的なライラックと同じで毒性はないはずです」
「ああ。ロディーナ嬢からするいい香りは、ライラックの香りだったのか」
匂いを嗅がれたと思うと恥ずかしくなるけれど、しっかりと香りのあるライラックなのだからある程度は仕方がない。花人とはそういう生き物だ。
「ライラックならラッキーライラックもあるのかい?」
「ラッキーライラックとは何だ?」
「ライラックの花びらは四枚だけど、時折五枚に別れた花があるんだ。それをラッキーライラックと呼ぶんだ。誰にも言わず黙って飲み込むと幸せが訪れると言われているんだよ」
「さすがに人の頭に咲いた花を食べたいと思う人はいないでしょうけれど」
花人の姿は人間とは違うけれど、植物よりは人間に近い生き物だと思っている。花は種類によって食用にもできるものもあるだろうけれど、あえて花人の頭に咲いた花を食べる人はいないはずだ。カ二バリズムな性癖を持っていたら分からないけれど。
「花をちぎるとやはり痛いのか?」
「髪の毛に近くて、引っぱられると痛いですが、一部をハサミで切っても痛みはないですね」
「へぇ」
エドワード先輩は興味をひかれたようで、私の後ろに回るとしげしげと私の花を見て触り始めた。そのことに、ドキリと心臓が跳ねる。
「あ、あのですね。花は触られても痛くはないのですが、髪の毛を触られているようで……その、ちょっと落ち着かないです」
「ああ。ごめん。ラッキーライラックがないかつい探したくなって」
「まあ、話の流れ的に気になりますよね」
シロツメグサを見ると、ついつい四葉のクローバーがないか探してしまうようなものだ。気持ちは分かる。でもこの花は髪飾りではなく髪の毛のようなものなので、触られると恥ずかしい。
「花人の花を触れたなんて、なんてウラヤマシイ……。いくら四大公爵家でも、エドワードはもう少し慎みを持った方がいい」
「本音が漏れてるぞ。でも確かに婦人の体の一部をむやみに触るのはよくないな。ロディーナ嬢、申し訳なかった。というわけで、オリバーは絶対触るなよ」
「……エドワードが触った後に言われるのは、なんだか釈然としないな」
オリバー先輩はぶすっとした顔で、エドワード先輩を睨んだ。
「あっ。髪と一緒なら、抜け毛みたいに抜けたりもするのかい?」
「しますね。よくベッドとかに落ちてます。そして落ちるとその後は普通の花と同じでしおれますよ」
頭に咲いている時はいつまでもみずみずしいが、落ちると普通の花のようにしおれていく。
普通の花よりは頑丈で寝ている時につぶれてベッドを花の汁で汚すことはないが、頭から落ちた花はそうでもないようで潰して汚してしまうこともある。
「ちなみに落ちた花をわけでもらうことはでき――」
「駄目に決まっているだろ」
オリバー先輩が自身の欲望を言い切る前に、バシッ!とエドワード先輩が頭を叩く。
「痛っ! なんでだよ?」
「普通に君の髪の毛をくれないか? 自然に抜けたものでいいんだって言われて、うれしいか? 気持ち悪いだろう?」
「……たしかに」
今度はオリバー先輩が奇行に走るのをエドワード先輩が止めた。
この二人、本当に仲がいいなと思いつつ、私は頭の花をあげるのは丁重にお断りしたのだった。