守りたい相手
音楽祭が近づき、今回は異国からのお客様が入国しているということで、例年より物々しくなってきた。
貴族のみが行っているイベントなのに、市井の方でも納品時に色々厳しくなっていると、休日に孤児院に訪問した際に教えてもらった。異国からの客人のおかげか貴族の羽振りがよくなり、経済は回るが、見回りが強化され、夜間に出歩けば武官に職務質問されるそうだ。おかげで少々出歩くのをためらうようになり、夜間に客を呼ぶ居酒屋は困り顔らしい。
学園の中も慌ただしくなり、今年の生徒会は例年以上に大変そうだ。生徒会に入ってなくてよかったと心底思う。
昼食の時間も食べながら打ち合わせがあるようで、エドワード先輩やフィーネとは最近昼食を一緒に食べれていない。授業中のフィーネの可愛い顔に、どことなく疲れが見られるので、少し心配でもある。
そんな忙しい中、私はエドワード先輩に手紙で呼び出された。
エドワード先輩といえば、こちらの都合も関係なく、勝手に教室に来ることが多いので、ちゃんと手紙で呼び出されたことにびっくりだ。もしかしてこの手紙は偽物だろうかと疑ってみたけれど、文字はエドワード先輩の文字で間違えなさそうだ。何かミケーレやフィーネに内緒で相談事があるのかもしれない。
そう思い、私は放課後、指定された空き教室に向かった。
「お久しぶりです、エドワード先輩」
教室の中にはすでにエドワード先輩がいた。エドワード先輩もフィーネと同様に顔色が優れない。相当大変なのだろう。
「二人きりなんだから、エディー先輩でいいだろ?」
「いや。誰か来た時に、そのような気安い様子を見せて、変に誤解されると困りますので」
よっぽど人は来ないと思うけれど、絶対ではない。ここにオリバー先輩やフィーネがいたら別だけれど、そもそも本来男女二人きりであうというのはあまりいいことではないのだ。
私なら見た人が【ない】と思ってくれるだろうけれど、言動が気安すぎれば話は変わる。
「ところでどういったご用件だったでしょうか? ハーブティーの提供の話はこの間相談に乗りましたけど、何かまた問題が出ましたか?」
今回、アルフレッド先輩の思い付きもあり、オリバー先輩がこの国のお茶文化の紹介としてハーブティーを準備し貴賓に提供することになっている。万が一の事故などを起こすわけには絶対いかないので、どうやって行うかの相談にのって欲しいと言われ、三人でハーブティーの選別や保管方法、出し方などの案を出したのだ。
「いや。その件はありがとう。そちらは三人で考えた案を下地に大人の意見も加えて進んでいるよ。若干オリーが死にそうになっているけど」
「そのお気持ちはよく分かります」
まだ成人もしていない学生の身で、異国の貴人たちのもてなしの一部を担わされたら、精神的な負担は相当大きいだろう。もしも不評だったら、提供に不備があったらなど心配は尽きないはずだ。私もつい最近自分の誕生日会でその片鱗を味わった。
これまでも音楽祭に異国からの客が来ることはままあったが、留学で王族がいるために、ありえないぐらい高貴な方が続々とやってきてしまっているのだ。オリバー先輩はアルフレッド先輩を恨んでもいいレベルだと思う。
でも成功できた場合のリターンも大きい。確実にこの国でハーブティーは見直されるだろう。他国から田舎と見下されるのを不満に思うプライドが高すぎる貴族は多いはずだ。あっと言わせれれば、絶対ハーブティーに対して手のひら返しをするはずで、園芸部でのハーブティーも続けやすくなるだろう。
心臓に毛が生えているのではないかと思うエドワード先輩も、さすがにオリバー先輩の心労は分かってはいるようで、苦笑いした。
それにしてもこの件でないのならばどの件だろう。
考えていると、エドワード先輩は鞄の中からスッと紙の束を取り出した。
「これは前に頼まれていた、他家の異種族の使用人の変動をまとめたものだ。多分嘘は入っていないと思う」
「ああ。本当に調べて下さったのですね」
「約束だったからな」
私が四大公爵家も怪しんでいることは知っているのだから、もめないためにあえて調べないということもあるかと思ったが、エドワード先輩はしっかり調べてくれたようだ。流石、どんな時も真っ直ぐなエドワード先輩だ。
差し出された紙の束に手を差し出すと、エドワード先輩はスッとその紙を引いた。そして真剣な表情で私を真っ直ぐ見た。
「……何故調べるんだ?」
「自衛のためです」
「……いや、言い方が違うな。何故、自分で動くんだ? 俺は君がやらなくてもいい危険なことまでしているように思う」
確かに自衛のためとはいえ、自分で色々調べ回るのは危険な行為だろう。
エドワード先輩は、たぶん自分で動かず、父や周りを頼ったらどうだという道を示そうとしている。……わざわざ口出ししなくてもいいことを言ってくれるのはエドワード先輩のやさしさだ。
「わたくしは、わたくしの所為で、他者に不幸が降りかかるのは嫌なんです。責任感というのとも違って……そうですね。わたくしが理由で他者に何かあった時感じる罪悪感を持ちたくないんです。だからわたくしに関することは、自分でなんとかしたいのですわ」
無力で自分が攫われて、でも攫った相手が自殺……いや、誰かに殺されたのだと知った時に感じたのは、言いようのない罪悪感だった。彼女は私にさえ関わらなければ、あんな仕事を任されることなく、彼女の妹も殺されることはなかっただろう。
本当は一番信頼していた相手に裏切られたことを怒りたかった。でもそれ以上に罪悪感と後悔を感じてしまって、私の気持ちはどこにもぶつけられなかった。二度と、あんな罪悪感など持ちたくない。
「周りは……君に頼ってもらいたいと思ってる……。いや、周りじゃなく、俺が君に頼られたいと思ってる」
「ありがとうございます。でも、先輩にそこまでしていただく理由はありません」
「親友だろ?」
すごいな。
私はいつの間にか彼の中で、親友に昇格している。
そのことにクスリと笑ってしまう。私に馬鹿にされたと思ったのか、エドワード先輩はムッとした表情をする。
いや、別に馬鹿になんかしてない。そうやって誰にでも優しい彼だから私は好きで、彼にそんな言葉を言ってもらえる現実が信じられなくて、なんとなく笑ってしまったのだ。きっと数か月前の私はこんな風になるなんて思ってもいなかった。
「ありがとうございます。とても嬉しいです。でもわたくしはただの親友です。エドワード先輩が守るべきなのは、シルフィーネ様ですよ? 間違えてはいけません」
「もちろん、彼女だって守りたい人だけど、でも、それと君を守りたいということを両立――」
「してはなりません。……もしも、わたくしの性別が男だったら違ったのでしょうけれど……いや、その場合は別の理由で嫌ですね」
もしも、自分が男だったら。
そう思ったけれど、その時は男のプライドで守ってもらうとか、すごく嫌だろう。そう考えると、私が彼に守ってもらう未来というのは、どの世界線にもないのかもしれない。
あの時、まだ彼も私も恋をする前に助けてもらった、あの一回が奇跡的だったのだ。
「性別?」
「例えばですね。もしもシルフィーネ様がオリバー先輩……いえ、アルフレッド先輩に頼って助けてもらっている姿を見たらどう思います? 二人は相思相愛ではないかと思いますよね。だからやめた方がいいと思います。男女の友情は成り立つのかという話になってしまいますが、わたくしは成り立つけれど、それは当人の間だけで、周りにはそれが友情なのか愛情なのか区別しづらいと思うのです。わたくしはエドワード先輩に親友扱いされて嬉しく思います。でも、だからこそ、線を引いてください。周りからもわたくしたちの間にあるものが友情であるとしっかり認識できるだけの線を」
異性と二人きりになるのはよくないのは、それなのだ。
当人同士はそんな間違いが起こっていないと言えるけれど、周りは分からない。だから邪推される。
現在フィーネの想い人はオリバー先輩だ。そこから好きになってもらわなければいけないのだから、私との距離が勘違いを引き起こすようなものになってはいけない。
「なら、シルフィーネ嬢よりも君の方が好きだと言えば、守らせてくれるのか?」
「ごめんなさい。無理です」
私は優しすぎるエドワード先輩にきっぱりと断りを入れる。
「わたくしにだってプライドがありますし、たとえ花人の姿をしていても選ぶ権利があります。同情で告白されて付き合うなんてまっぴらごめんです。……わたくしは、エドワード先輩にもシルフィーネ様にも幸せになって欲しいです」
私はエドワード先輩が好きだ。
好きだからこそ、幸せになって欲しい。私への同情で、彼の人生をめちゃくちゃにされたら罪悪感だけで死ねそうだ。
「どうしてそんなにシルフィーネ嬢の幸せを願うんだ? 俺と付き合わせようとしているのも、シルフィーネ嬢の幸せを思ってだろう?」
「別にエドワード先輩の幸せを無視しているわけではございませんわ。……そうですね。わたくしがシルフィーネ様のことが好きだから幸せになってほしいというのはあるのですが、わたくしは彼女を幸せにしなければいけないとも思っているのです。彼女が貴族の子供だと分かったのは、孤児院に通うわたくしが彼女と特に仲が良く、注目させてしまったからなのです。彼女は、別に貴族になりたがっていたわけではないというのに」
普通ならば幸運だと思うだろう。
孤児から、突然貴族のお嬢様だ。
でも私は、だからこそ常識の差がとてつもなく大きいと知っている。しかも引き取られた貴族のご令嬢など、政略結婚の駒だ。フィーネなら普通に恋をして家庭を築けるはずなのに、彼女の未来は彼女が願ったわけでもないのに理不尽にも強制的に変えられ、貴族としての義務を負う羽目になってしまった。
この状況を引き寄せてしまったのは私だ。だからせめて、フィーネが幸せになれる結婚に導きたのだ。
「ならシルフィーネ嬢が幸せなら、俺じゃなくてもいいんだな」
「えっ? まあ……。でも、前も話しましたが、一番丸く収まるのは――」
「丸かろうと、幸せは人それぞれだ。そして、俺は、どうしてもロディーナ嬢を幸せにしたい」
「はい?」
いや。断ったんですけど。
しかし私の困惑を無視して、エドワード先輩はうんうんと頷いた。
「いや、違うな。俺がロディーナ嬢を幸せにしたい。でもこのままじゃ、ロディーナ嬢も納得しないし、できないだろう? だから、ちゃんと綺麗に愁いを取り除いて、再挑戦する」
「再挑戦? えっ?」
「堂々と守る権利を得る再挑戦だ。……覚悟してろ」
そう言って、エドワード先輩は私の髪を一房とると口づけた。
は?
えっ?
口づけ?
……はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁈
「じゃあ、まだ生徒会の仕事があるから。資料は家で確認してくれ」
エドワード先輩はそう言って、資料を机の上に置くと、手を振り機嫌よく空き教室を出ていった。私はそんな先輩を茫然と見送るしかなかったのだった。




