犬狼族の姫様
ミケーレが信頼できると言い切るのならば、個人的に顔を合わせておいた方がいいだろう。
そう思い、弟を使って犬狼族のお姫様を学園でお茶に誘うことにした。
ミケーレも自分の口からは言えない風だったので、あまり大勢で押しかけて本意が聞けないのも困る。なので私が中等部を訪ね、弟と私と一緒に昼食を食べましょうということにした。
弟の教室に私が行き、一緒に待ち合わせしている空き教室に行く。
中等部に来るのは久々だ。後輩たちの中にテスト期間でお客様になる子もちらほらいるので、軽く挨拶をしながら向かうと、少しだけ時間がかかった。
多分先に王女様の方がいるだろう。
ノックをしてから、少し緊張しつつ扉を開ける。
「遅くなり――」
すみませんという言葉は音にならなかった。私と弟は、目の前の光景に驚き、ぱっかりと口を開けたまま固まった。
「キョウは、おまねき、ありがとうございます」
王女様は、椅子に座らず片膝をついた姿勢で待っていた。
えっ? なんで?
いつからこの姿勢?
驚きすぎて脳内がパニック状態だが、この中では私が年上だ。いつまでもほうけているわけにはいかない。
実を言うと犬狼族の文化のことはほとんど知らないので、もしかしたらこの姿勢は客人に対してするものなのかもしれない。ただこの国ですると衝撃が強すぎる。
「いえ。わたくしこそ、王族の方をお待たせしてしまい申し訳ございません。そしてお立ちいただき、座っていただけますか? わたくしは伯爵位ですので、そのように床に足をつき、かしこまられる必要はございませんわ」
しかし私の言葉に彼女は首を横に振った。
「ワタシはオンガエシにキましタ」
「恩返し?」
オンガエシとは恩返しだと思うが、そんなことをされる理由が思い浮かばない。返すということは売った何かがないと成立しない言葉のはずだ。
「このクニでウラれるまえ、メリクリウスのひと、タスケてくれましタ。ヒメのおかげデス」
「売られ? まさかそのような恐ろしいことがあったと?」
一国の王女を売るとか、いくら何でもヤバイ。国際法違反どころではない。
というか、普通なら恩を感じる以前に、国を挙げてこの国を糾弾していい内容だ。知られたらヤバすぎるというか、うち、伯爵家なのですけど。全然中枢から遠いんですけど。
何か勘違いが起こっている? 冷たい汗が背中を伝う。
「というか、ヒメ? あの、生まれで言いますと、王女様の方が尊い生まれなのですが……」
私のことを誰かと勘違いしている? でも私は花人の姿をしているので、この国では目立つし勘違いも起こりにくいはずだ。
もしかしたら貴族女性は姫と呼ぶように言われたのかもしれないけれど、本物の王女様に姫と呼ばれるのは気が引ける。しかし彼女は首を横に振った。
「ナマエ、なのらせていただいてもいいデスカ?」
「ええ。どうぞ」
私から名乗るべきだったと思ったが、先に言われてしまったので許可を出す。
「ワレはホンミョウ、ルビィといいマス」
あれ? 王女の名前はもっと違うものではなかっただろうか?
私が首を傾げれば、同じように弟も首を傾げた。
「本名ということはどういうことでしょうか? 貴方の名前はクンロン国のヨウキ様ではございませんでしたでしょうか?」
困惑したようにたずねる弟の隣で、私も内心大きく頷いた。
そもそもルビィというのはこの国の宝石の名前に似ていて、彼女の国であるクンロンっぽい名前ではない。ただしクンロンは、沢山の部族が集まってできた国で、それぞれの種族ごとに文化が違うとも聞くので、彼女の国をほとんど知らない身としては、絶対ない名前とも言いきれない。
「ワタシはオウジョのミガワリ。あー……カゲムシャ? デス。クンロンのジョウオウはこのクニ、キケンシしてマス。だからワタシ、ミガワリをなのりでました。オンガエシのために」
訛りがあるしゃべりだが、意味はしっかり伝わった。
ミガワリは身代わりで、カゲムシャは影武者だ。キケンシは危険視。まあ、この国が犬狼族を奴隷として扱っていた時代から百年も経ってないのだ。しかも霊薬や奴隷売りで、多くの犬狼族やクンロンに住んでいる種族が外へ出て行った上に、今もなおこの国での地位が低い者が多い。
積極的に付き合いたい国ではなく、むしろクンロン国からしたら、警戒するべき国だろう。
誕生日会の時よりしゃべり方がしっかりとしているのは、王女の演技だったためか、それともしゃべりが下手に見せた方が、色々誤魔化しやすいからか。
でもそこまで素直に情報を言ってよかったのか? と思う。ルビィの立場が悪くなってしまいそうだ。
「ヒメサマ、もうしわけないデスが、ミガワリしていること、ナイショにしてほしいデス」
「ええ。できればわたくしもそうしたいですが……ところで、オンガエシとは? つかまっていたというのは、ルビィ様はこの国の生まれということでしょうか?」
彼女に危険思想がないのならば黙っておくのはやぶさかではない。私もいたずらにクンロンとの心の溝を広げたいわけではないのだ。それでも私はこの国の貴族なので、必要と感じれば父から王へ伝えてもらうことになるだろう。
「ワタシはこのクニでウマレました。オヤはいないデス。ワタシは4さいのトキ、レイヤクにされるところデシタ。でも、ヒメサマがわるものにツカマリ、そのトキ、ヒメサマのチチ、ワタシもいっしょにタスケ、イコクにニガシテくれマシタ。カジンのクニとおって、クンロンにたどりつきマシタ。そのトキ、ヒメのチカラになってホシイといわれまシタ」
ああ。なるほど。
捕まっていたという話から、私が六歳の時に攫われた時、暴れるからと閉じ込められていた異種族の子供だとようやく話が繋がった。
確か父が私を助け出した後、扱いに困って閉じ込めているという話だった異種族の子供も父がお金を払って引き取り、異国に逃がしたと聞いている。私の救出が遅れた理由にされたので、こんなことがまたあっては困るという意思表示としてやったのだ。
「だから、ヤクソクマモり、コンドは、ワタシがチカラになりたいデス。ケンロウゾク、オンにはオンをカエスのがアタリマエです」
たぶん父は、本気で恩返しを求めたわけではなく、彼女の心を軽くするために気に病むのならば私の味方でいてほしいと伝えたのだろう。両親はずっと私が姿の所為で生きにくいことを気にしていた。
「そうでしたか。ありがとうございます。でもここでは、ルビィ様はヨウキ様ですわ。まずは椅子におかけください」
「しかし」
「いくら正体を隠しても、行動が伴わなければ疑われます。わたくしを助けると思って同席をして下さい」
疑わなくても、誰かに見られでもしたら、私が異種族の王女を床に座らせたという悪評が付く。流石に伯爵家令嬢として、それは止めてくれ。
私を助けるという言葉に反応して、ルビィは少ししょんぼりと耳を下げつつもと立ち上がり、椅子に座った。王女の影武者をしているだけあり、姿勢がよく、堂々としていれば王女に見える。影武者というぐらいなので、本当のヨウキ姫と似ているのだろう。
「まずは古い約束を守り、わたくしのためにここまで来て下さりありがとうございます」
「と、とんでもないデス」
私が頭を下げれば、ルビィのしっぽがゆらゆらと揺れた。確か尻尾が揺れるのは嬉しいの現れだっただろうか?
「いいえ。嫌な思い出の残るこの国に来ていただけただけでも、わたくしは嬉しく思います」
まずはその勇気ある行動に感謝するべきだろう。
彼女が手を上げなければ、そもそもクンロン国は留学をしなかった可能性が高い。そうなれば、この国は開国したにも関わらず、付き合う国を制限し以前と変わらないという見方をされたかもしれない。
「ところで、わたくしを助けたいとこの度の留学に参加して下さいましたが、何かわたくしが危険だという情報を得たのでしょうか?」
助けたいからという強い意志は感じた。酔狂で嫌な記憶が残る国へ足を踏み入れたりはしないだろう。ただし、たまたまこの国に足を運ぶ機会があったから挙手したのか、それとも何かあったから行動を起したのかで警戒の仕方が変わる。
私の言葉にルビィは真剣な顔をした。
「リュウガクのハナシは、アマテラスコクからキマシタ。アマテラスコクは、このクニをじかにミてもらい、もっとカゼトオシをよくしたいとハナしマシタ。クニによってミるバショがチガウし、アマテラスコクがこのクニをゾッコクあつかいしているとイワレるのも、エルフがハバをキかせるのもサケタイといいマシタ。でも、まだイチブのシュゾクにはキケンであるのでヨクカンガエルようにといいといいマシタ」
元々この国が鎖国している時もなお付き合いがあったのは、龍人の国であるアマテラス国とエルフの国であるアルフヘイム国だった。その為この国の異種族の中でも立場が高い。そもそもこの2つの種族は世界的に見ても力がある種族と見られている。
そのため仮想敵として、いがみ合うまではいかなくても牽制をしあっていた。
だから今回エルフ族とのただの覇権争いにならないために、他の国を誘ったのだろう。アマテラス国としては勢力を増やすつもりだと勝手に周りから警戒されるのも、エルフ族がこの国を仕切るようになるのも避けたかったということだろうか。
「まだイシュゾクにキケンがあるならば、ヒメサマもキケンだとオモイ、タコクをミハれる、ようにリッコウホしましタ」
「そうでしたか……」
ミケーレは文化が一番離れていて呪術を使うアマテラス国を警戒していたが、あえて他の国を誘っているとなると話が変わる。
そもそもこの国が異国と付き合いをしなければしないほど、うまく隠して霊薬づくりをさせやすいのだ。ならば、龍人が霊薬づくりのために動いている可能性は低くなる。
「ワタシは、レイヤクをユルサナイ。だから、キョウリョクできることがあればキョウリョクするし、コマッタことやサグリタイことがあるトキは、ナンでもいってホシいデス」
ルビィは真剣な表情で私たちに宣言をした。




