エドワード先輩の演奏
ミケーレの演奏が終わり、エドワード先輩が私の手を放し壇上へと向かう。代わりにミケーレが手を振って私の隣に戻ってきた。
満足できるできだったのだろう。満面の笑みだ。
「どう? 僕の演奏はよかったでしょ」
「それは、もう。本当に素敵でしたわ。伸びやかな音を聞いていると、天高く青空が広がった情景が脳裏に浮かぶほどでした。だからこそ、私はミケーレと一緒の舞台で弾くのは嫌なんですけどね」
「わー。求めていた答えと全然違う回答ありがとう。流石、ロディー」
なんだ、その馬鹿にした返事は。ちゃんと褒めたではないか。まあ、恨み節が最後に混ざってしまったのは間違いないけれど。
「ちゃんと褒めています。わたくし、ミケーレのように歌で想像を掻き立てるような弾き方ができる方は知りませんもの。それにとても楽しそうに弾かれてて、それもよかったと思います」
ミケーレの音楽は、間違えないように神経をとがらせながら弾く私とは全く違う、楽しくて楽しくて仕方がないという音楽だ。だから聴いていて気持ちがいい。
「僕もロディーの相手を思って弾くところ嫌いじゃないよ?」
「相手を思って? 違います。わたくしは間違えないようにと緊張してしまう、どこか重苦しい弾き方ですわ」
「間違えないようにって、ロディーの場合、それを聞いた人が気まずい気持ちにならないようにと思ってでしょ? 本当はもっと楽しく自分のために弾いてもいいと思うけど、誰かのために一音一音丁寧に弾くのも悪くないと思うけど?」
「……あまり褒めないで下さい」
「今日ぐらい、辛口指導でなくてもいいでしょ」
ミケーレはそう言って笑う。
確かに、誕生日会の催しで駄目な点の反省会などしたくはない。
「ねえ。もっと僕の音楽を聞かせてあげるから、一緒に外に行かない?」
「流石に自分が喧嘩を売ったのだからちゃんとエドワード先輩の演奏を聴いて下さい。それにわたくしもエドワード先輩にも聴いていて欲しいと言われましたから」
言われなくても、エドワード先輩の演奏をこんなに近くで聴けるのなら、聴く以外の選択肢はないのだけど。
「へぇ。彼、そんなことを言ったんだ」
「折角だから、誕生日の主役であるわたくしに贈ってくれるそうです」
「僕も君に贈ってるんだけど」
「ありがとうございます。嬉しいですよ?」
エドワード先輩の音楽だけを楽しみにしているように聞こえたようで、ムッとしながらミケーレは張り合ってくるので、苦笑いしながら私はミケーレのご機嫌取りをする。実際ミケーレの演奏はすごいのだ。私の演奏がなければ、素直に喜べた。
「あの音楽が、僕の気持ちだって言ったらどうする?」
「僕の気持ち?」
あの歌は恋歌だ。そして綺麗な風景を見ながらずっと一緒にその風景を見ていたいという。
想像もしていなかった言葉に、私は固まった。
冗談? いや、えっ? 言ったらどうするといったのだから、ただの確認? いや、なんの確認?
「……冗談よね?」
ミケーレが意味深に笑った。
どっち? 冗談? 本気? まさか?
バクバクと心臓がなっている。冗談なはずだ。そんなはずがない。私は羽がなくて地を這う虫のようで気持ち悪いと言われるような姿なのだ。
でもミケーレはこんな質の悪い冗談を言ったことはこれまでなかった。
何と言えばいいのか。
混乱していると、唐突に始まったバイオリンの音がその空気を霧散させた。
バイオリンが超絶技巧で激しくかき鳴らされる。
ミケーレはゆったりとした音楽だったので、まさに正反対と言える奏で方だ。まるで苦しい強い想いをぶつけるような弾き方に私は目を丸くした。
エドワード先輩のいつもの弾き方と何かが違う?
元々エドワード先輩は超絶技巧を取り入れて弾くことが多い。でも何というか、絶対失敗などしないような、まだ余裕がある、きれいな弾き方をするのだ。
少なくとも私が学園の音楽祭で聴いてきた音楽はそれだった。
「……もしかしてミケーレ様に対抗意識?」
「ぶふっ」
茫然とつぶやけば、ミケーレは耐え切れないとばかりに噴き出した。
「……こんなにすごい音楽を笑う神経が分からない」
「笑わせるロディーナが悪いんじゃないか。まあ、対抗意識は間違いないね。だからこんなに超絶技巧を入れているんだろうし」
やっぱり対抗意識か。
負けず嫌いだもんなぁ。そういうところに気が向いてしまうからフィーネの恋愛戦争で一歩出遅れてしまうのだと言いたいけれど、それがエドワード先輩だとも思う。
「あーあ。それでこそ、ロディーだ」
「絶対馬鹿にしていますよね」
失礼極まりない。やはり先ほどの言葉は冗談の延長で言ったのだ。
「もう。冗談はほどほどでお願いします。世の中言っていい冗談と言わない方がいい冗談があるのですから」
「冗談?」
もう忘れたのか。
本当にミケーレはデリカシーがない。
「先ほどの、恋歌が僕の気持ちという話ですわ」
「本当だよ」
文句を言ったつもりが、帰ってきた言葉に私はぽかんと固まった。
「あれは、嘘偽りない僕の気持ち――というか、音大きすぎじゃない?」
ミケーレが睨むようにエドワード先輩を見れば、エドワード先輩もミケーレの方を見ていた。
「……集中して聞かないから、エドワード先輩が怒っているんじゃないですか?」
「みたいだね。……後で改めて話すよ」
ミケーレは肩をすくめるとエドワード先輩に注目した。
私も集中したいのに、ミケーレの言葉の所為で、ドキドキして頭の中がごちゃごちゃする。
ミケーレはなんであんなことを? 恋歌が自分の気持ち? どういう意味?
それに対して私は何を返さなければいけない?
今すぐに叫びたい気分だ。
意味が分からない。なんで今、それを言う? というか、なんで?
そんな混乱している中、ひときは大きく音がかき鳴らされた。まるで自分を見ろと言わんばかりの音に、私は顔を上げる。
するとエドワード先輩が私を見て笑った。
まるで悪戯が成功したかのような、男の子っぽい笑みにドキリとする。先輩の口元が動く。
『俺を見て』
そう言っているように見えて、私はカッと顔がほてった。
本当にそう言ったかは分からない。
でもエドワード先輩は私にちゃんと見ていて欲しいと言ったのだから、たぶんそれに近い言葉ではないだろうか?
だから、そういうのはフィーネにやるべきことだというのに……。でも友情を優先してしまう先輩が私は好きだ。
そんな音楽も、最後の一音まで終わり、会場はシンと静まり返る。そして次の瞬間大きな拍手が起こった。私も一緒に拍手すれば、エドワード先輩ははにかみながら会釈をした。
「どちらも甲乙つけがたい音楽でしたわ」
「ほんとうに素晴らしい音楽でしたわ」
二人のバイオリンは、全く違う曲調だったのもあるが、比べることなどできないという評価になっているのが周りの会話から聞き取れる。
ミケーレも審査までは求めてなかったので、この雰囲気はいい感じだ。どちらの音楽もいい。比べることなどできない。
これが一番円満な結果だろう。
「ハイ! ワレもオドりたい! ケンマイ!」
ん?
音楽に興奮したのか、突然犬狼族のお姫様がハイハイと手を上げた。確か今はまだ中等部の一年に留学していたはずで、どこか幼い風貌をしている。手と一緒にお尻から出た尻尾がぶんぶんと揺れる。
でもおどりたいに続いた、ケンマイが何か分からない。彼女の国の言葉だろうか?
「ああ。犬狼族は、音楽に合わせ剣舞をする儀式がありますね」
けんまい?
皆が困惑する中で、龍神のアツミ様が説明をしてくれた。多分彼の国は付き合いがあるのだろう。といっても、けんまいというものが、私達にはやはりよく分かっていない。
なので、彼女が求める音楽を流せるのか分からないが、どうやら彼女に付き添っている者の中に音楽をならせる者がいるようだ。今回音楽の出し物があるということで、楽器も持参しているらしい。
「わたくし、おんがくは、できない、です。でもおんがく、かなでる、きかいが、あります……もってます」
ドワーフ族のお姫様もおっとりと笑いながら、見たことのない黒くて丸い形のものを見せた。どうやらこちらも音楽と聴いて、自国の楽器を持ってきてくださったようだ。このまるいものでどう音楽を奏でるのか分からないけれど、でも逆に分からないからこそ気になる。
「折角ですし、聞かせていただいてもよろしいでしょうか? ケンマイも見てみたいですわ」
私がそう伝えれば、少しお姫様同士で話し合った後、ケンマイよりも準備が少ないらしいドワーフのお姫様が機材をテーブルの上に準備し、先ほど見せてくれた、丸くて平べったいものを機材の上に置いた。そしてその上に針のような尖ったものを置くと、使用人がグルグルとハンドルを回した。
次の瞬間、不思議なことにその丸いものから音楽が鳴り始めたのだ。そのことにどよめきが起こる。今までの楽器とは違い、使用人が音楽を奏でている感じではなく、ただハンドルを回しているだけなのに音楽が聞こえてくるのだ。
皆が初めて見る機械に興味津々で、ドワーフのお姫様のまわりに人だかりができる。私も見に行こうかと足を踏み出そうとした瞬間、腕を掴まれた。
「ねえ、さっきの話をしたいから、すこし中庭に出られないかな?」
ミケーレが言うさっきの話とは、『恋歌が僕の気持ち』という話だろう。
茶化す様子のない真剣な顔に、私はしっかり向き合った方がいいと思い、コクリと頷いた。




