(番外)王子が咲かせる彼岸花(ミケーレ視点)
ミケーレ視点で過去のお話です。
僕が初めて人族ばかりが住んでいる国、オリュンポス国に来たのは、十歳の時だった。そして僕がこの国に足を踏み入れたのは、かつての同胞であるメルクリウス家に生まれた、先祖返りした少女の様子を見る為だった。
花人の特徴である頭の花と腕の痣はあるが、羽を持たない少女は、数年前に連れ攫われそうになったそうだ。花人にとって連れ去りというのはとても忌避するものだ。それはかつて花人が霊薬の素材として狙われ続けた歴史があるためだ。
羽を持たぬ障害がある、六歳の幼い少女が狙われた。しかも花人にとって旅の神と感謝しているメルクリウス家の子供。それはもう国中を揺るがした。
国に連れてきて少女を保護するべきだという意見から、オリュンポス国に抗議するべきだという声。過激なものだとオリュンポス国を属国にして、わが国が管理するべきだというものまであった。
相手の国を侵略するのはあまりにも野蛮過ぎるし、デメリットが多すぎるが、国の中であまりに議論が過熱していき、王家が動くしかなくなった。
そこで同じ年であり王位を継ぐことはないだろうと思われている僕に白羽の矢が立ったというわけだ。
「いいかい。羽を持たぬ花人がこの国で生きるのはとても大変だ。だからたとえどれだけ気に入っても、相手側にその意思がないのならば、無理やり連れ帰ってはいけない。それは連れ去りと何も変わらないからね」
「でもそこで生きるよりこの国で生きる方が幸せなら、霊薬づくりのために連れ去るのとは違うと思います」
年の離れた兄上に目を合わせ諭されたけれど、花人ならばたとえ障害があっても僕の国で住んだ方が幸せだと思うのだ。一度も住んだことがなければ自分が住んでいる場所が本当はとてもよくない場所だということも分からないのではないだろうか?
「幸せかどうかはね、それぞれで違うんだ。ミケーレから見たら不幸に見えるかもしれないけれど、本人は幸せかもしれない。だからフェロモンで従わせることができる僕たちは特に気を使わなければいけない。相手が何を望んでいるのか。それをちゃんと確認しなさい」
「……はぁい」
よく分からないけれど、僕は返事を返した。
ようは連れて行ってと言われない限り、連れ帰らなければいいということだ。別に難しいことじゃない。
そんな忠告を受けてたずねた屋敷に居たのは、紫のライラックの花を咲かせた、ピンクの髪をした少女だった。紫のライラックの花言葉は「恋の芽生え」や「初恋」。つまり彼女は誰かに恋をしているということだ。オリュンポス国にはほとんど花人がいないのだから相手は人族なのだろう。
そう言えばさっきからあの子はずっとフェロモンを出している。自分に向けられていない求愛フェロモンは臭くはないけれど、あまりに量が多いからうっとうしい。もう少し抑えればいいのにと思う。
「ねえ。花人がいる時はフェロモンをもう少し抑えた方がいいよ」
「ふぇろもん?」
きっと花人が周りにいないから、マナーもよく分かっていないのだろう。僕は親切で花人の常識を教えてやったつもりだった。
でも彼女から返ってきた言葉で、【フェロモン】という言葉すら知らないということを知った。これだけフェロモンを出しているのに、自覚がない。当たり前のようにあるものを感じないというのがどういうことなのかを僕は初めて知った。
ああこれが羽を持たない花人なのか。
とにかく今後のことを考えるとフェロモンを出さないようにするぐらいはできるようにしないととてもではないが花人の国では生きていけない。
フェロモンを感じていないのにそれを止めさせるというのは中々に伝えるのが難しかった。普通ならばもっとずっと幼い頃にコントロールできるように訓練し、十歳でもコントロールが効かないのは恥ずかしいことなのだ。
中々うまくいかないコントロールの訓練にイライラしながらも僕は付き合った。どうやら彼女は蟲もちゃんと持っていたけれどこちらとも意思疎通ができないようだ。蟲との意思疎通はフェロモンで行うのだから当たり前だ。
すぐにできない為、僕は母国と何度か行き来することになった。
それぐらい感じないものをコンロトールするのは難しいことだった。
「花人はフェロモンについてもっと文字で残してくれればいいのに」
「こんな感覚で操るものを文字なんかで残せないよ。だって皆当たり前に使っているんだし。人族でいうところの歩いたりするやり方を残すようなものだよ? それにフェロモンの種類とか言語化できないよ」
ロディーはフェロモンは感じないけれど、頭の良い少女だった。
勉強も本を読めば理解することができ、誰かに何かを言われることもなく、自分で進んで勉強をしていく。でも自分では感じることもできないフェロモンをコントロールするのは相当難しいらしい。そして国を往復しながら僕がその訓練に協力し続けるのが申し訳ないらしく、自分だけで練習できればと考えているようだ。だからこその文字なのだろうけれど、どう考えても文字で分かるようなものではないと思う。
「そうかもしれませんが……わたくしはミケーレが教えてくれるからいいのですが、周りに頼る人がいない人は、一人でも覚えられるものがあればいいのにと思いましたの」
そして賢い彼女は、あまりに優しすぎる子だった。
フェロモンが認識できない障害を持っていて、自分の事だけでも大変だろうに、人のことを心配する。なんでも、近頃は孤児院という場所で子供の面倒も見ているそうだ。自分の国にも国に保護された子供はいるけれど、面倒を見るのはもっと年上が仕事として行っている。自分のためだと彼女は言うけれど、優しくなければできないことだと思う。
国中で自分の立場が悪くなるにもかかわらず、花人が亡命することを助けたメルクリウス家の者らしいと言えばらしいのだけれど。
「ロディーみたいなの、そんなにいないよ。そんなこと考える前に自分のことをちゃんとした方がいいんじゃない?」
「うぅ。分かっていますわ……」
ロディーみたいに人のことばかり考える人なんてそんなにいないだろう。
人の事ばかりではなく自分のことに専念した方がいいと言えば、彼女はしょんぼりと肩を落とした。
それからも僕は毎年彼女と過ごし彼女のやさしさに触れ、いつしか僕はロディーを好ましく思うようになっていた。フェロモンを感じないという欠点も守らなけれならないという庇護欲をかき立てるものに感じた。
彼女に何かを教えれば、彼女も僕にオリュンポス国のことを教えてくれた。
彼女と過ごす日々は刺激的で、楽しかった。
だから気が付いた時には、僕は彼女に求愛フェロモンを送っていた。
でもそこで初めて知った。フェロモンを感じないということは求愛フェロモンに返事が返ってくることは決してないということを。
初めからフェロモンを出すことも感じたりすることもない異種族ならばよかった。それならばそういうものだとあきらめもついた。
でも彼女はずっと伝わることのない求愛フェロモンを僕ではない誰かに送り続けている。そしてそれを送っている自覚もなく、そして僕の求愛フェロモンに気が付くこともない。それはまるで僕のことが無視されているように感じた。本人にそのつもりはないのは分かっている。分かっているけれど、僕の気持ちがないがしろにされているように感じるのを止められない。
何故彼女の好きな人が僕ではないのか。
いつしか庇護欲より、苛立ちが勝るようになった。
「ねえ。私は花人なのかな? 人族なのかな?」
ポロっと彼女がこぼした言葉は、きっと自分という存在をどう考えればいいのか不安になっているがために出た言葉だろう。彼女はずっと苦しんでいたのだ。
ただ、それを周りに見せないようにしているだけで。
でも僕も限界が来ていた。僕の気持ちに何の反応も示してくれない彼女が嫌で嫌で仕方がなくなっていた。好きだけど、僕を無視する彼女は嫌で、悲しかった。
「……羽を持たない花人は、空を飛ぶことができない、地を這う虫のようで気持ち悪いよ。君が花人なわけがない!」
これは羽を持たない障害を持った花人を揶揄する酷い言葉だ。親も兄も使ってはいけないと僕に言っていた。羽を持たない子供は混血児に多く、そして子供はその生まれを自分で選ぶことはできないのだからと。
また姿は違えど、同胞は助け合わなければいけないのだからと。
反射的に苛立ちから差別的な言葉を言ってしまい、僕は青ざめた。
「あっ……」
酷いことを言ってしまった。謝らなければ。そう思ったけれど、謝る前にとんでもないプレッシャーを感じた。
苦しくてその場で僕は膝をつく。
これは威圧フェロモンだ。その匂いを嗅ぐだけで不安になり、歯がカタカタと鳴る。
目の前で僕の好きなロディーが泣いている。
ごめん。ごめんね。
傷つけたいわけではなった。
ただ無視しないで欲しかった。でも彼女は無視しているつもりもないことも分かっていた。分かっていたけれど、我慢できなくなってしまった。
せめて彼女が絶対受け入れフェロモンを出せない、フェロモン自体がない異種族だったら違っただろうけれど、そうではなくて、僕は悲しくて悲しくて仕方がなくなってしまった。
ごめん……ごめんよ。
「えっ? ミケーレ?」
僕の異変に気が付いたロディーが青ざめて近づいてくる。
ロディーがぽろぽろ泣いている。僕が悪いのに。僕が傷つけたのに。彼女は必死に僕を助けようとしている。
でもどうにもできなくて、泣いてる。
そんな彼女の泣き顔を見ながら、僕は意識を手放した。
目を覚ませば、一度ロディーから距離を置いた方がいいと周りから言われた。
ロディーはまさしく先祖返りで、威圧フェロモンは王族並み……いや、次期王である兄と同等の強さを持っていた。元々は王族から分かれた家系なのだから当たり前だ。
そしてフェロモンを完璧にコントロールできないのならば、絶対花人の国には行けない。それで起こる混乱はロディーが望むものではないはずだ。
「僕は……ロディーの手伝いを続けたいです」
贖罪をしなければ。
一度彼女の威圧に負けた僕の中には恋心以外に、彼女に従いたい欲ができていた。
僕にとっての最善は、僕の心を満たすことではなく、ロディーが幸せになることになってしまった。でもこの服従の気持ちがあれば、彼女への恋心は抑えられる。
そしてオリュンポス国での霊薬目的の連れ去りルートを潰す作戦の話が出た時、僕は真っ先に手を上げた。
「僕がおとりになります」
彼女に不幸が降りかからないように。
きっと僕が彼女への恋をあきらめられるようになるのは、彼女が誰かと結ばれた時だろう。でもそれまでは、服従の中に恋心を隠して彼女を守りたい。そう僕は思った。
彼岸花の花言葉は、「あきらめ」、「悲しき思い出」です。




