おとり
異国の王子自らがおとりだという言葉に、家族全員が声を失った。
そんな事ありえないという思いと、あってはならないという思いと……もしも本当ならばどうしてと、いろんな考えが頭に浮かぶため、うまく言語化できないのだ。そんな中で、ミケーレは困ったように笑った。
「王子と言っても、僕は第三王子で、王位を継ぐことはないからね。だからこそ、僕が選ばれたと同時に、僕から立候補した。どうしても花人が欲しいならば、きっとこのオリュンポスに罪を擦り付けられるこのタイミングを狙うと思うんだ。まあこの国からしたら迷惑な話だろうけどね」
私達の国が切り捨てられる立場にあると言っているのだからその通りだ。もしも留学した王族に何かあれば、相当の賠償が必要となるはずだ。下手をすればこの国の名もなくなるかもしれない。
「例えここで相手が尻尾を出し非難することができたとしても、王族がおとりになる必要なんて……」
「王族だからこそ、危害を加えられそうになれば強い非難ができるんだよ。それに相手が焦っているだろうと思うのは数年前にロディーの誘拐未遂があったからだ。貴族の子女は平民より命が重く、攫って殺すにはリスクが高い。それなのに、それを実行しようとした。つまりそれだけ焦っているんだ」
ミケーレの言葉に誰も言い返せなかった。
私が攫われたのは六歳の時。私はまだ社交界にデビューもしていなかったけれど、貴族同士の交流会である花見などには親に連れられて参加したりしていた。だから私がメルクリウス家の令嬢だということは知られていたはずだ。
それなのに、花見の最中に私はさらわれ、開催者の屋敷の一室に閉じ込められた。
私を攫った実行犯は、私が一番信頼し、懐いていたメイドだった。でもそのメイドは自殺してしまった。きっと何か余計なことを言わないように殺されたのだろう。別の場所で、そのメイドの幼い妹も物取りにより殺されたとされている。想像でしかないが、メイドはきっと妹の命を盾に脅されていたのだろう。
「ロディーが捕まった時、君は部屋で騒いだと聞くが、その屋敷の使用人は一貫して気が付かなかったと言ったんだよね? それは何故か? 高位の貴族が絡んでいるからだ。そして間違いなく誘拐されたというのに、最終的にはロディーナが屋敷で道に迷い、たまたま入った部屋で不幸が重なり閉じ込められてしまったという事件にされた」
私が幼かったのもあって、当事者である私の声は黙殺された。あの時は大人の気を引きたい子供が大げさに言っているという扱いだった。
思い返すと、悔しさと悲しさで冷静な判断ができなくなりそうなぐらい、嫌な経験だ。
「この事件を僕の国が知った時は、かなり衝撃的だったんだ。同胞の、しかも幼い子供が捕まえられ霊薬にされるなんてあってはならないことだし、同時に許し続ければ次は自分の子の番かもしれない。その上、旅の神様と言われるメルクリウス家のご令嬢だ。血の気が多い者は、オリュンポスの中の良識さえも自身で捨てるのならばこのまま国として認めてはいけないとまで言い出す始末だった」
「……それは、侵略宣言にとらえかねられませんね」
とんでもない話に、父が若干顔色を悪くしながら反応した。
私を理由に私の国を断罪して潰そうとするのだから当然だ。
「その通り。もしもそれを認めれば、きっと正義面した別の国の奴らが僕の国に攻め込み、民を殺して霊薬を作るだろうね。だから血の気の多い国民を押さえるためにも、王家自らが動く必要があった。できるだけ穏便に済ませたいならば、確実に相手の尻尾を掴み、違法行為だと断罪してやる必要があるからね。ただ憶測だけで攻め込むわけにはいかない」
この世界には違う見目の生き物同士が住み合っているからこそ、人体を材料とする霊薬は国際的に違法だと決められている。だからそれを所持しようとしたものをとらえることさえできれば、国際問題にして裁くことが可能だ。
「その上でなのだけど、この国には僕以外にもう一人花人の特徴を持つ目立つ子がいるだろう?」
「……わたくしですね」
「そう。僕を攫うよりもリスクが低いと考えられた場合、ロディーはとても危険だ。だから僕がこの国に留学をしている間はできるだけ僕の近くにいてほしい。一緒にいた方が守りやすいんだ。ただその場合性別の関係で邪推されることもあると思う。だから婚約間近と言ってもらってもいいし、候補に挙がっているなど話してもらって構わない」
花人には蟲がいる。
多分分からないようにして、きっと花人ならではの方法でミケーレは守られているのだろう。そこに私も加えるという話だ。
それはありがたい話ではある。
「守っていただけるのはとてもありがたいお話です。ですが、そのような嘘をつかれて大丈夫なのでしょうか? もしもその所為で娘に傷がついたとしても責任を取っていただくわけにはまいりません。娘は花人の特徴を持っているからこそ、余計にミケーレ様の国では生きづらいと思いますわ」
私の外聞を無視すれば一番安全な方法だったが、母が難色を示した。
「娘は結婚をあきらめているように見えますが、わたくしは必ずしも結婚できないとは思っていません。ですから女性貴族としての尊厳を傷付ける真似は控えていただきたいのです」
「お母さま……」
いつもはあまり意見を言わない母が私の尊厳に関することには口をはさんだ。
尊厳が傷ついても、自分らしく生きられるならば私はそれで十分だと思っているが、母は私の可能性を一つでもつぶさず残そうと考えてくれる。父が私を花人の姿を隠さずに学校へ通わせると決めた時も、普段は大人しく父の意見に従う母が、何度も父と話し合っていた。
迷惑をかけて申し訳ない反面、こういう時私は自分が両親から愛されているのだと実感できた。
「……この国で、もしも尊厳を守るというのならば、具体的にはどのようにするのが一般的だろう? ただやはり近くにいてもらわなければ守り切れない危険がある。そこは理解していただきたい。そして、本当にロディーの身に何かがあった場合、戦争が起こってしまう可能性があることも」
私のために争わないで―というよくある恋愛小説のフレーズが頭に浮かぶが、戦争とか規模が大きすぎて倒れそうだ。今は小さな小競り合いがあっても戦争している国はなく、比較的落ち着いているのに。
勝手に私を戦争をするための理由にしないで欲しい……。
「殿方と二人きりでなければ、多少はましかと思います」
「なるほど。確かロディーはシルフィーネ嬢と仲がよさそうだし、二人で僕のお世話をしている風にしてもらうのはどうだろう?」
確かにシルフィーネも私と同様にミケーレのお世話を先生から頼まれている。
見目が似ているミケーレと私が噂になってしまうのは仕方がなくても、シルフィーネがいるならば、はしたないとは言われないはずだ。
「かしこまりました。シルフィーネ様にはわたくしからお願いしてみます」
もしも問題があるとしたらフィーネが可愛すぎる点だろう。異種族という壁があっても、間違いなくフィーネは可愛い。
一緒にいる時間が長ければミケーレが好きになる可能性は否定できない。
「変なことを考えなくても、僕がシルフィーネ嬢を好きになることはないから」
そんな危険について考えていると、ミケーレは不機嫌そうに口をへの字にした。
「フィーネの可愛さを侮らないで下さい」
「はいはい。別に侮っていないよ。彼女は確かに可愛いね。でも僕はもっと可愛いものを知っているだけ」
あー、ヒヤシンスのお相手か。
婚約はしていないのでミケーレは片思いをしているのだろう。
「だからその顔やめろ」
「ひたひでぶ」
ぐにっと頬をつままれたが、流石に両親の前なのでミケーレもすぐはなした。でも痛い。
「アピールしても、伝わらないんだよ……。だから仕方がないんだ」
「やり方が悪いのではないでしょうか?」
「その通りだけど、これで伝わらないなら僕の国では暮らせないからね。だから逆に伝わらない方がいい。まあ、お子様ロディーには分からないだろうけど」
寂しそうに言う言葉に、彼の相手が異国人だと分かった。そして自分の国で暮らせるかどうかの話となれば、たぶんフェロモンの話だろう。
それにしてもお子様って。
「わたくしだって分かります。好きな相手には幸せになってもらいたいことぐらい……ってひたいへふ」
自分の気持ちよりもずっと大切なことだから。
そう思って言ったのに、再び私の頬は引っ張られた。やっぱりミケーレは昔から私へのあたりが酷い。この調子で学園でもかと思うと憂鬱な気持ちになった。




