デゥスノミーア子爵家
その後倒れた婦人を診察した医師のおかげで、貧血を起こしていることは間違いないが、実は妊娠していることが判明した。
「あー、妊娠だと、栄養とられるからね」
「奥様、元々太ってたから、誰も気が付かなくてさ」
どうやらつわりというものがなかったらしく、体形も元々がふっくらしていたので気が付かなかったらしい。しかもすでに妊娠後期だとか……。出産が始まってしまう前に気が付けて良かったというか、何というか……。
「旦那様はロディーナ様たちに、二人を助けてくれたお礼がしたいって言ってさ」
「気持ちだけで十分だと言っておいてくれるかしら? 難しいなら、お忍びだったからことを荒立てたくないと言っても構わないわ」
どうやら恩を感じてくれたようで、私達にお礼を言いたいと言っているそうだが、お忍びだったことを考えると色々面倒になる可能性しか見えないのでお断りした。
そして私としては自分にお礼を言われるより、キースがあの店で今後も重用してもらえる方がいい。そんな話をすると、キースはふてくされたような顔をした。
「ロディーナ様はいつもそうだ」
「いつもそうとはどういう意味?」
「無欲すぎるということ!」
「キースに見えていない部分でちゃんと利益を貰っているから無欲ではないのよ?」
私は現在かなり格安でこの町の情報を手に入れているし、恩を売っておけば後々欲しい情報が入るかもしれないのだ。しかし私の説明にキースはあまり納得した様子はなかった。
そんな感じのやりとりをした一週間後。
私は公爵家で支給されるメイド服をお借りした。
長袖の黒色のドレスに白いフリル付きのエプロンだ。普通なら汚れやすいので手は素手だけれど、私の場合は痣が目立つので手袋が必須だ。
もしも子爵が気にされた時は、フィーネを守るために手にやけどを負ってしまい、フィーネが手袋を付けて傍仕えとして近くにいてくれることを望んでいるのだという設定を話すことになっている。
「今日の髪は黒なんだな」
「黒もよく似合ってますわ」
しげしげとエドワード先輩が眺める隣でフィーネが褒める。
フィーネは今日はしっかりとしたおめかしをし、腰の後ろを膨らませたバッスルスタイルのドレスを着ていた。たとえ暑くても日焼けをしないよう、長袖に手袋。さらに日傘も持っている。
今日は庭を見せてもらうので、完全防備だ。
「フィーネもとてもよくお似合いです。流行りのバッスルドレスはふんわりとすべてが膨らんだドレスよりも活動的な感じがとてもいいですね」
「個人的には、もう少し動きやすい服が好きですけれど、仕方ありませんわね」
元々孤児として生きていたフィーネは誰かに何かをしてもらうよりも自分で何かする方が性に合っているのだろう。
でも異国と交流が始まってから、この国は女性進出が遅れていると口出しされるようになり、女性がまったく身動きできなくなる形のドレスから多少は歩けるものに流行が変化していっており、多少はマシだと思う。
「……シルフィーネ様、そろそろご出発の時間ですわ」
私が呼び方を変えると、フィーネは少しだけ寂しそうな眼をした。
「アルテミス様、シルフィーネ様のエスコートをお願いできますか?」
フィーネについてきたメイドという役目ならば、先輩たちを名前で呼ぶわけにはいかない。その為家名で呼べば、エドワード先輩まで傷ついた顔をした。
「あ、これ。無理」
「そうですわよね……。仕方がないこととはいえ」
「やっぱり令嬢として行った方が……」
三人でごにょごにょと話しているのを私は半眼で見る。
そりゃ、学校の方針に従い名前呼びをしていたところを、いきなり苗字呼びとなれば、距離ができた感じがするだろう。でも本来はこれぐらいの距離なのだ。
「……一体どこの娘とするのですか? 何か問題が起こると困るので、私の家の家名は使いたくありません。それに将来私は平民となります。その時の予行練習とでも思って下さい」
「え、ますます無理」
「やっぱりそう思いますわよね」
「誰か、貴族男性でいい人はいないのかい?」
「いませんし、いりません。早く準備してください。遅刻します」
何故厄介な親戚風の絡み方をしようとするのか。変に結婚相手を勧められても困るので、きっぱり断っておく。
……まあ、こんな軽口を言われるのは、距離が近くなり過ぎたのが原因だろうというのは分かる。
貴族であるかないかは、大きな差となる。医師や騎士など準貴族となれば、夜会などの参加などで顔を合わせることも話すこともあるけれど、女性である私はそういった方と結婚しなければ準貴族にすらなれない。
異種族が忌避されるこの国で、私は相手を選べるような立場ではない。でも選ばないという自由だけはある。私は自分の家族を脅かす可能性がある人と結婚する気はさらさらない。だから一人で生きていけるように、色々準備をしているのだ。
そして決別すると分かっているから、私はあまり誰かと仲良くなり過ぎないようにしていた。フィーネは元孤児でかつ、その頃に出会ったので別だが、エドワード先輩やオリバー先輩とは本当に仲良くなる気はなかったのだ。中々うまくいかないものである。
公爵家の馬車に乗り合い、私たちはデゥスノミーア子爵の屋敷へと向かった。
先輩二人が前で私はフィーネの隣に座る。
エドワード先輩とフィーネの仲を深めるためにも隣りあわせがいいけれど、こればかりは仕方がない。しばらく揺られ、ついたところで私は荷物を持って、一番に降りた。そして足元が濡れていないかなど確認する。
ヒールだからこそ歩きにくく、スカートの裾も長いので、濡れてどろどろとした場所には向かないのだ。座るのも手前にちょこんと腰かけるしかできないので、あのドレスを着こなすのは大変だと思う。コルセットは相変わらずだし、貴族女性のおしゃれは我慢でできている。
「シルフィーネ様。問題ありませんでしたので、どうぞお降りください」
私が呼びかければ、先に男性が外に出て、エドワード先輩がフィーネをエスコートする。美男美女なので目の保養になる二人だ。
「アルテミス様、デメテル様、ポセイドン様、ようこそお越し下さいました」
全員が下りれば、屋敷の主人である、デゥスノミーア子爵が足早に馬車までやってきた。
まあ、突然四大公爵のうちの一家が庭を見せてくれと言えば、焦って当たり前だ。同じ貴族でも公爵なんて雲の上の人だし、残り二人の伯爵位も子爵より上の位である。
「こちらこそ無理を言って悪かったね。子爵の庭には紫陽花が咲いていると聞いたので、是非学園の園芸部の活動として庭を見せてもらえないかと思ったんだ。限られたスペースで、どう庭を造るのがいいかの参考にしたいんだ」
限られたスペースとか、正直失礼極まりないことを言われているけれど、実際四大公爵家の庭は広すぎて参考にはならない。そして公爵家の庭では毎年花見やお茶会が開かれ、夜会などもあるので、子爵家の庭を見るという機会はあまりない。
だからこそのお願いだと事前に伝えてあるので、子爵が気分を害した様子はなかった。
「見せるのは問題ありませんが、紫陽花は見ごろが終り花も枯れているので微妙かもしれません。その代わり、夏に咲く一年草を植えて管理しております。」
そう言って、子爵が案内してくれるので、私はフィーネの日傘をさしながら一緒に行動する。
案内された子爵の庭には一年草の花が綺麗に咲いていた。公爵家の庭と比べれば狭いが、それでも雑草は抜かれ、見苦しいところはない。
ちらりと子爵を見たが、皮膚が焼けている様子はない。夫人が管理している可能性はあるが、もしもそうなら折角四大公爵家の跡取り息子と会うのだから顔繫ぎとして出てきて夫人が説明をしたはずだ。多分日に焼けるのを避けるために外に出てきていないのだろう。
もちろん貴族子女ならば日焼けに気を使うのは当たり前ではあるけれど、でも庭いじりをするのならば、日傘をさせば気にせず出てくるはずだ。
となると、この庭は誰かを雇って定期的にきれいに維持をしているということになる。特に今の時期ならば雑草は次々に生えるのでそれなりの管理が必要だ。
貴族ならば見栄を張るためのお金を使うことはある。
でも子爵の屋敷は葉の多い木で囲み、中が見えにくくなっている作りで外に花壇が見られることはない。そして子爵家は庭園に貴族を呼び花見をするなどの行事は行っていないと聞いている。
つまりデゥスノミーア子爵家はそれなりに裕福であり、彼らが豆を食べる必要はないということだ。
それなのに多量に購入するというのはどういうことだろうと思いながら、私はエドワード達の会話に静かに耳を傾けた。




