愛称
チラチラとフィーネが振り返りながら部室を出て、オリバー先輩も少し心配そうな顔をして部室から出て行った。
オリバー先輩は私がエドワード先輩とフィーネをくっつけようなんてしていることを知らないので、密室に二人きりで男女を残すことを心配しているのだろう。でもそれは大丈夫だ。エドワード先輩の想い人はシルフィーネ様なので間違いは起きない。
ただ、エドワード先輩から文句は出るだろうし、私の目的とかも色々聞かれそうで憂鬱だ。悪だくみをしているつもりはないが、何かをそう勘繰られて、フィーネとの関係がうまく行かなくなったら困る。特にくっつけようとしている件に関しては私一人の判断で動いていて、フィーネは無関係だ。フィーネが悪く思われる事態だけは避けないといけない。
「なあ、シルフィーネ嬢が可愛すぎないか?」
「あ、分かります。可愛いですよね!」
……なんの会話だ、これ。
何を言われるかとドキドキとしているところでエドワード先輩が切り出した言葉につい乗ってしまった。でもフィーネが可愛いのは間違いない。
「えっと……残されたのはわたくしと、シルフィーネ様の関係を確認するためでしょうか?」
「ああ、それもあるが、そろそろちゃんと報酬も渡さないといけないと思ってな。シルフィーネ嬢の情報とオリバーの問題に相談に乗ってくれた件の二つもロディーナ嬢に頼っているから。報酬は情報かお金と言っていたけど、どちらがよくて、情報の場合はどういうものが欲しいんだ?」
「へ……あ、えっと。払ってもらえるのは嬉しいですけど、……シルフィーネ様の件はだましていたと怒ったりとかは……」
「別に? 俺は騙されてはいないし、ロディーナ嬢がシルフィーネ嬢のことを好きだということは知っていたから特に怒ってもいないが?」
本当にそのことに対しては何とも思っていなかったのだろう。エドワード先輩はきょとんとした顔をしていた。
「気を悪くされていないなら別にいいです」
「いや、でも、ちょっと腹も立っている」
「やはり気にされてるじゃないですか」
「そのことに関してじゃなくて、ロディーナ嬢は周りを気にし過ぎで、自分をないがしろにしていないか?」
自分が友人だということを内緒で、二人をくっつけようと暗躍していたのだから目的を気にされるかと思ったが、想像の斜め上の部分で彼は怒っていた。
「そういうつもりはありませんが……というか、怒る必要はないのでは?」
「いや、友人代表として言わせてもらが、自分を犠牲にして相手を喜ばせようというのは正直気分がよくない。多分ロディーナ嬢は俺やシルフィーネ嬢が幸せになれるように色々動いているんだろうが、俺はロディーナ嬢も幸せでいてほしいと思っている。きっとそれはシルフィーネ嬢も同じだと思う」
真っ直ぐすぎる言葉に私は苦笑いをした。
昔から彼は変わらない。正義感が強くて負けず嫌い。でも繊細で泣き虫。きっと私がこの言葉を拒否すれば、彼は傷つくのだろう。
そして私は彼を傷つけたくはない。
「……シルフィーネ様はもう我慢できないようですし、これ以上は隠すつもりはありません」
友人であることを隠すのはあきらめた。でも自分が近くにいることで不利益を与えてしまうことは避けたいという気持ちは、たぶん消すことはできない。
「ならいい。それで、情報料は何がいい? 言ってもらわないと俺も分からないんだが」
「少々面倒なお願いでも大丈夫ですか?」
「ああ。できる範囲なら」
「それなら、アルテミス家で雇っている異種族の使用人の就職人数と退職人数を、数年分いただけませんか? 分かる範囲で結構ですので、退職後の次の勤め先が決まっている場合はその情報も欲しいです」
私の欲しい情報にエドワード先輩は困惑した顔をした。
「そんな情報でいいのかい?」
「はい。普通は手に入らない情報ですから、いただけるととても助かります。本当はいろんな家のものが欲しいんですけどね」
雇われた使用人の情報は中々手に入らない。
誰誰が雇われているかどうかならばまだ手に入れる方法はあるが、こういうのは全体を取りまとめている人しか分からず、そういった情報を得る伝手はまだ持っていない。
「四大公爵家でいいなら、俺の家以外も手に入れられると思うけど。異種族の差別問題に関して調べているという名目も使えるし、とりわけ隠さなければならない情報でもないからな」
「えっ。四大公爵家全部ですか? それは是非、お願いします。でもその場合は貰いすぎなので何か返さないといけませんね……」
こんなチャンスは中々めぐってこない。こちらがお金を払ってもいいぐらいの情報だ。
でも公爵子息が満足するだけのお金は持っていない。ならば情報となるが、エドワード先輩が欲しがりそうな情報は――。
「なら、お返しとして、俺の事はエディーと呼んでくれ」
「は?」
情報やお金ではなく、愛称で呼べと?
何かエドワード先輩にとって有益な情報はないかと頭の中を整理していたが、唐突に言われた言葉ですべてが吹き飛んだ。
「もちろん学校では、同年代は様付け、先輩に関しては先輩呼びと決まっているから、人がいない場所だけでいい。シルフィーネ嬢がフィーネと呼ばれているのが、なんだか悔しくてな。愛称の方が仲がいい気がするだろう?」
「えー……そうですか?」
学校では身分差なく学べるという建前のもと、呼び方が決まっており、家名は基本は呼ばない。でもそれは建前であり、身分差はちゃんとある。だから四大公爵家の先輩を愛称呼びなど、誰かに聞かれたらと思うと恐ろしい。
「ついでにロディー呼びもさせてほしい。なんだか悔しい。シルフィーネ嬢の情報とオリバーの件、そしてお互いの愛称呼びで4つ分。これでどうだ!」
「えー……」
そこを悔しがってしまうのか。
四と四で完璧だろうという目で私を見てくる。
エドワード先輩以外の四大公爵家の情報を得る機会はこの先ないかもしれない。ならば頷くべきだとは思う。思うけれど愛称呼びかぁ。
「……シルフィーネ様が変な勘違いをされる危険があると思うのですけれど。あとついでにオリバー先輩も」
エドワード先輩とフィーネが仲良くなれば、オリバー先輩の性格からしてスッと身を引くと思うのだ。でもエドワード先輩が私との仲の方がいいという誤情報があると、オリバー先輩とフィーネの仲が進展してしまう可能性もある。
「ならこの四人で集まる時は、全員愛称呼びとしたらどうだろう」
「……なんの集まりですか」
そもそもオリバー先輩とエドワード先輩は恋敵では? いや、すごく仲良くなって親友枠に入っていそうだけど。
「何って、友人の集まりだろう?」
「えっ。オリバー先輩とわたくしは友人ではありませんよね?」
「オリバーだけ仲間外れにしたら可哀想だろう?」
いや、そうなのか?
フィーネは友人じゃないと言ったらキレられるし、たぶんエドワード先輩も譲らないだろうけど、オリバー先輩は今回の事件で少し相談に乗っただけだ。
友人の友人は友人か? 問題である。
「もしかして異種族の特徴云々のことを気にしているなら、俺のオリバーを舐めないでもらいたい。そんなことで差別するような奴じゃない」
「……どうしてそんなにオリバー先輩を信頼してるんですか……。一応、恋敵ですよね?」
「そうだな。でもよく考えてくれ。シルフィーネ嬢が好きな相手だぞ? シルフィーネ嬢が好きな相手が嫌な奴だと思うか?」
「あり得ないですね」
フィーネの人を見る目を疑う気はない。だからオリバー先輩がいい人なのは間違いない。なので反射的に私は答えた。
ただフィーネの取り巻く環境を思うと、オリバー先輩よりエドワード先輩と結婚した方が幸せだと思うのだ。私がエドワード先輩の方をより信頼しているからでもあるのだけれど……。
「分かりました。フィーネとオリバー先輩にも確認して、二人が愛称呼びを承認するなら、わたくしも愛称で呼ぶことにします」
できれば断ってほしいけれど……。というかフィーネ的に私がオリバー先輩をオリーと呼んだら嫌なのでは? フィーネ的にはオリバー先輩をオリーと呼びたいかもしれないけれど。
うーん。そのことをエドワード先輩にうまく言えるかは微妙だ。逆に私からも確認してみてとかの方がいいかもしれない。フィーネは私になら建前で誤魔化さないはずだ。
「フィーネには私から確認しますから、エドワード先輩は待って下さい。あと、呼ぶことになっても、学園では四人だけの時のみでお願いします」
不必要な嫉妬の視線にさらされたくはない。
私はどうか断ってくれますようにと心の中で祈った。