〈イヴ〉
〇
恐らく、常人の目には彼女が単に拳で虚空を撃ったと同時にフォールンが吹き飛んだ。と見えるだろう。
だがそうではない。
打撃音と共に響き渡ったのは紛れもなく〈銃声〉であり、少なくとも僕にはその理屈が判っているし、ツバメさんと同調している視覚で動きを追うこともできる。
感覚的には「ツバメさんの脳内の一部に、間借りさせてもらっている」ような感じである。
故に、武装した彼女の肩や背中から伸びて、腕甲部分に繋がっているのが、悉く「弾帯」であること。
彼女の取った一連の動作が〈拳による打撃と同時に、拳に装填された弾丸を撃ち込む〉と言うものであることが理解できている。
つまり先ほどの一撃は、ツバメさんの固めた拳の頂がフォールンの不可視障壁を中和すると同時に撃鉄が弾底を打ち、雷管が発火、弾頭が加速されて虚空を突進、フォールンを撃ち貫いた――と言うものである。
「――キ! キキキッ! キヒィッ!」
「自分たちは不死身であり、不滅である」――そう人類を玩弄し続けるかのようなフォールンの笑い声が悲鳴のようにヒビ割れ、停止する。
「ヒィィィ! ヒィィィッ!」
砕け散る寸前に虚空を爪で掻き毟り藻掻く様は、助けを求め、許しを請うているようにも見える。
でも、さしたる感慨はない。
僕たちは、フォールンに反省して欲しいわけでも、謝罪して欲しいわけでも、後悔して欲しいわけでもない。
死んで欲しいのだ。
フォールンには、個体間の情報を共有する機能はない。
ゆえに、反撃されているということに、障壁を突破され損傷を負っているということに、自己修復ができないということに、フォールンは慣れていない。
やつらは――〈イヴ〉の存在を理解できていない。
「ツバメさん、後ろ」
突進してきた〈兵卒級〉フォールンが、ツバメさんを切り裂こうと爪を振り下ろす。 叩き潰そうと触腕を振り回す。
だがそのとき、すでにその位置に彼女はいない。
「しゃがんで、立って、左に3歩!」
僕が算出した最善最短の回避ルートに沿って、ツバメさんはその身を躍らせる。
すれ違いざまに、回し蹴りの一閃!
「鐵鋼弾!」
バレットベルトから装填された新たな弾丸が足刀と同時に叩き込まれ、フォールンの顔面を撃ちぬいた。
「桜。数、教えて」
「右に4、左に3! 大型が1! あ、今右は3になったね」
一応、思うだけでも伝わるのだが、早合点や誤認もあるので、声に出して伝えた方が間違いはない。
「ヒ、ヒィィィ……! ヒィッ、ヒィッ!」
顔面を砕かれたフォールンが、のたうち回りながら砕け散ってゆく。
……うるさい、早く死ね。
お前たちには地球の生物における「脳」に当たる器官がないことも、お前たちの「声」が本当はただの呼吸音で、「笑っているように聞こえるだけ」「命乞いのように聞こえるだけ」だってことも知ってるんだ。
例えば冷たい雨が降ればツバメさんの仮面は涙を流しているように見えるけど、あくまで水滴がそう見えるだけで……それと同じことだ。
砂糖に集る蟻のように群れなすフォールンに、ツバメさんの拳が、蹴りが、肘打ちが弾丸と共に叩き込まれ、フォールンの群れが次第に数を減らしてゆく。
俯瞰視点のナビゲート画面からも、それに従って赤い光点が消えてゆく。
その中で、センサーの内の一つが、激しく警告を伝えてきた。
――何か巨大な物体が、上空から落下してくる。
「……ツバメさん、わかってるだろうけど、〈大型〉が来る」
「ん、判ってる」
「後ろに跳んで!」
振り向いたツバメさんの視界がそれを、鉛色の巨躯の接近を捉える。
巨体を脚力で強引に空高く舞い上げて、重力に従って落下したモノが、巻き上げた砂塵の中から、眼光が炯炯と放つ。
見た目は、雀蜂の顔がついたカマキリの胴体が、蠍の尾のついた蟹の背中から生えたような、と言うところだろうか?
縦にも横にも三階建てのビルほどの質量をもってそびえる、〈士官級〉と呼ばれるタイプだ。
「ヒィ!」
「ギャァッ!」
巨大な鋏を持った前腕が、薙ぎ払うように振われた。
ツバメさんは間一髪のところで暴虐の軌跡から外れるが、巻き添えを食った〈兵卒級〉の生き残りが、胴体を引きちぎられ地に転がってその活動を停止する。
「伏せて」
「っと!」
頭上を巨鋏が過ぎ去ってゆくのを掻い潜り、ツバメさんは地を這うような低姿勢で飛んだ。
「セィアッ!」
叫びと共に、打ち上げるような一撃を叩き込む。
同時に、分厚い金属製の扉を鉄パイプで殴ったような音が響き渡った。
「こいつ――弾が通らないっ!」
少なくとも、兵卒級のフォールンであれば苦も無く破壊できた一撃が、虚しく弾かれ、撃ちこんだ弾丸が転がり落ちるのが見えた。
――障壁は中和されている。
であれば、装甲それ自体が強靭で、鋼鐵弾の威力では貫通できない、ということだ。
「ツバメさん、鋼鐵弾だとこいつには通らない」
「……頑丈な奴だな」
「なら、こいつだね」
ツバメさんの背負っている背部のユニットに弾帯換装の指示を入力する。
先ほどまで四肢に装填されていた黒鋼色のベルトが収納され、替わって、朱色の外装に包まれた弾丸を繋いだベルトが接続された。
僕たちが〈士官級〉を相手取るのは初めてじゃない。
その恐ろしさも――攻略法も熟知している。
「通常よりも強靭な甲殻を備えている」ならばどうすればいいのか、判っている。
お前たちの顔は、もう見飽きてる。
「拡散弾!」
白熱する閃光が炸裂する。
打ち下ろす肘の一撃と共に叩き込まれたそれは、着弾の瞬間、めり込んで破裂するよう弾頭を加工された特殊弾。
それも狙うのは、可動域を確保しなくてはならない都合上金属質の甲殻に覆われていない関節部分だ。
これは硬質の甲殻を備えるフォールンに対して極めて有効な戦法であり――鋏を備えた巨碗が根元からもげて、砂塵を上げながら転がった。
後は、携帯しているエクスプローダーを、獲物が動かなくなるまで撃ち込むだけ、である――。
ツバメさんの叫びが、エクスプローダーの射出音と共に、再度大気を引き裂いた。
だが、
こんなものなら、軍隊の有する兵器でも同じことができる。
こんなものが普通に通用するのなら、人類は困窮していない。
ツバメさんが振るっているから通用する。
フォールンを滅ぼせるのはあくまで、フォールンを不死身たらしめている異界法則を正面から否定しうる〈イヴ〉のみである。
フォールンの有する不滅・不可侵そのものを破壊する。
「フォールンを殺すことはできない」と言う法則を破壊する。
それはいわば、無限を有限に貶める力。
相手を自分の常識に捉え、こちら側の物理法則に縛りつける力。
即ち――
「お前たちは、自分たちは決して傷つかない、死なない、殺されることのない、不滅の存在だと思っているな! 違う! 違う! 違う!」
不壊、不死身。そんな物は存在しない。
今はまだ壊れていない。
今はまだ死んでいない。というだけだ。
殴られたら倒れろ。 斬られたら壊れろ。
火を付けられたら燃えろ。冷やされたら凍れ。
――殺されたら死ね。
その理を、拳と共に、銃火と共に、想いと共に叩き込む。
それが〈イヴ〉がフォールンを殺傷し得ることの本質である。
「お前たちは! ほんの少し傷つきにくく、死ににくく、殺されにくく、滅びにくいだけに過ぎない! いつか必ず、お前たちにも終わりが訪れる!」
ツバメさんが、天を仰いで叫ぶ。
「私たちに出会ってしまったなら、それがたまたま今日だったのだと思えぇッ!!」
――ガキンッ!
彼女の激情を示すかのように、彼女の仮面の〝顎〟に当たる部分のロックが外れる。
稲妻状の意匠の刻まれたフェイスシールドがモールドに沿って上下に展開し、牙剥く鬼神の貌と化した。
同時に――獣の咆哮に似た轟音が響き渡る。
「――ガォォォォォォンッ!」
フォールンのものではない。
無論、ツバメさんのものでも、ぼくのものでもない。
これは、ツバメさんの強化服の背部ユニットの放つ駆動音だ。
彼女が感情を昂ぶらせることにより生じた、不要な高熱を体外に排出するその際の、高速で回転するタービンの羽音が、何故かそうであるように聞こえるのだった。
「――行くよッ! 桜!」
拡散弾! 拡散弾! 拡散弾!
ツバメさんの攻撃の速度が、天井知らずに上がってゆく。
十数発の拳が上げる音が、重なり合ってただ一度に聞こえる。
いつの間にか、フォールンの上げる笑い声は止んでいた。
入れ代わりに、爆圧と鉄拳を叩き込まれたフォールンの甲殻が悲鳴を上げ、砕け散ってゆく。
僕の処理する情報は膨大なものになるが、そんなものは問題じゃない。
あなたがやりたいことのすべては、僕のやりたいことだ。
そして、拡散弾が雨霰と休みなく撃ち込まれ、バレットベルトがカラカラと空転するようになったとき、手足全てをもぎ取られて大型フォールンが轟音と共にその巨体を大地に横たえる。
だが――まだだ。まだ、こいつは息絶えてはいない。
その体内から、炎が燃えるような……或いは発電機が高速回転するような音を立てて……鉛色の装甲が赤から白、白から蒼白へと、急速に高熱を帯びてゆくのを示していく。
「あいつ、自爆する気だ」
――大型のフォールンは、下手に追い詰められると自らを高速で燃焼させ自爆して、広範囲にとともに爆風と高熱と有毒物質とをばらまき、周囲の土壌と大気とを汚染する。
人類が生存圏を奪われ、追い込まれている要因のひとつである。
それを防ぐには――自爆の前に、完全に消滅させるのみ!
「桜――エクストラ、行くよ!」
そこに僕の体はなく、僕の声帯はない。
「射線上、クリア! エクストラ使用――解禁!」
けれど心を重ね、唱和する。
「栄えし者よ!滅び去れ!
猛き者よ!衰えよ!
――愛しき人よ、塵と化せ!」
通常は背部ユニットに封印されている、第4のバレットベルト。
――漆黒の弾丸が、拳ではなく、ブーツのつま先に装填される。
疾駆するツバメさんが、大地を蹴った。
踏み切った足が、アスファルトを抉る。
その反動で、ツバメさんはその躰を宙に躍らせていた。
「殲滅弾頭――!」」
ブーツに包まれた爪先を弾頭に、自身の全身そのものを一撃の弾丸に見立てたような一撃が、炸裂する。
「「塵芥弾ッ!」」
回転する漆黒の弾頭が、フォールンの外殻を抉り砕き、中心核もろともに貫き、射線上にあるものを等しく、跡形もなく消滅させてゆく。
高威力ゆえに、使用に際してはイヴとチャイルドの双方の合意が必須となる、その所以。である――。
「全てのフォールンの機能停止と消滅を確認」
うなじの箇所にあるロックを外し、ツバメさんが仮面を脱いだ。
真っ白な長髪がふぁさりと翻る。
白い花が綻び、花びらを舞わせるようだった。
「……ふぅ」
美人は額に浮かぶ汗すら綺麗だなぁ、などとぼんやり考えていた僕の聴覚に、耳障りな雑音が飛び込んできた。
「ありがとう!」
「フォールンを殺してくれてありがとう!」
――ああ、何かと思えば。
フォールンの襲撃から逃れ息をひそめていたこの区域の住民たちが、救世主に手を振り、手を叩いて祝福し、感謝の言葉を口々に叫んでいた。
……結構なことだ、彼ら彼女らには、その権利がある。
同時に、視界の片隅に、彼女がそちらに向けてぱたぱたと手を振るのが見える。
「……ツバメさん、手なんか振らなくていいから」
「ちょっとだけだから、さ」
彼女に聞こえないように、小さく舌打ちする。
……僕は正直、彼女が拍手や喝采を浴びているのを見るのが嫌いなのだ。
アイソレーションタンクに満たされた保護液の中で、気泡がごぽりと上るのを眺めながら、口の中だけで呟いた。
……ツバメさんに、早く会いたい。
「……桜、何か言った?」
「何でもない!」