〈堕天物〉
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後に〈堕天物〉と呼ばれるようになったアレが、月だったか、金星だったか――からやってきて、地球の文明を攻撃し始めたのは、21世紀の初め頃のある日だった。
人類はこれに対抗するために、超国家の特務組織〈福音機関〉を結成し――
……ああ、こんな話はどうせ誰も興味がないんだろうから?
手短に切り上げるとしようか。
〇
「フォールンだ!」
真昼のビル街に、悲鳴のような叫びが木霊した。
誰かが震える指で示したその先で。鈍色に禍々しく輝く異形の鉄塊たちが、自重で路面を削り、進行方向上の障害物をことごとく踏みつぶしながら進撃する。
「キャハハハハハハハハ!」
「キャハハハハハハ!」
……笑い声のようにも聞こえる音声をけたたましく撒き散らすそいつらは、サイズも形状もまちまちながら、一様に地球上の如何なる既存の生物にも似ていなかった。
魚類の鰓、軟体動物の蝕腕、節足動物の基脚。
様々な生物の特徴をでたらめに継ぎ接ぎし、かつ生物ではありえない特質を与えた、「生命に対する冒涜」「命あるものへの嫌がらせ」のような、人類の感性からすれば醜悪としか呼べない姿だった。
強いて言うなら顔つきは群生相の飛蝗に近いが、それすら的確ではない。
目にあたるものと思われる視覚器官の数が左右で異なるし、その下には生物をより効率的に磨り潰し殺傷することのみに特化した縦割の顎があり、――もしもそれと相対したものに少しでもそんな余裕があればの話だが、その口腔の奥に〝咽喉〟がないことに、即ちそいつが「捕食それ自体を目的とはしていない」ということに気付くだろう。
それが、それこそが〈フォールン〉。
地球上の文明を攻撃するその理由は不明。
ただし、フォールンは現れればそこで例外なく人を殺し尽くし市街を破壊し尽くす。
逃げても追いつかれ、隠れても偏執的なまでの執念で生存者を狩り尽す。
故に、駐屯している兵士たちや配備された自動兵器が迎撃に当たろうとするが――
視認できないが確かにそこにある絶対障壁に阻まれ、通常兵器ではけして損傷を与えることはできない。
また、巻き添えになる市民への犠牲と、都市を放棄せざるを得なくなることを度外視して戦略級の大規模破壊兵器等を叩き込み、千にひとつ傷つけることに成功したとしても、フォールンは高い自己修復機能を有しており、人類の努力を嘲笑うかのように短時間で復元を終え、その攻撃に対する耐性を身に付けて再び笑い声を上げながら侵攻を開始する。
さらに始末の悪いことに、フォールンは下手に追い詰めると大量の有害物質を撒き散らして自爆し、大気と土壌を広範囲にわたって汚染する。
――これを繰り返されたことにより、人類に残された生活域は全盛期の3分の1以下となっていた。
「あっ!」
逃げ遅れた子供がひとり、瓦礫に足をとられ、もんどりうって倒れ込んだ。
その場に家族はいないらしく、近くにいる者たちも、はっとそちらに目を向けはするものの、立ち止まり、引き返して助け起こそうとする余裕のあるものはいない。
誰も皆、己の命ひとつを拾いこの場を生き延びることに精一杯だった。
「キャハッ!」
それを見下ろす小型のフォールンの複眼がそれを捉え、どこか愉快そうに明滅した。
「あ……ああ……」
わざと速度を緩め、ゆっくりと距離を詰めた。
「キッヒ!」
後は爪で切り裂くか、顎で噛み砕くか、触腕で絞め殺すか――かちゃりかちゃりと節脚を鳴らすその様も、どこか恐怖に強張り歪む表情を愉しむかのようだった。
「キャハ、ッ」
――その刹那、フォールンの脳天が砕けた。
笑い声が止んで、巨大な体躯がぐらりと揺らぎ、倒れ、動かなくなった。
その体が細かくひび割れ、砕け、微細な塵と化して、風に吹き散らされてゆく。
「……たちあがって、はやくにげて」
澄んだ声が、静かに告げる。
「大丈夫、フォールンは私が……私たちが倒す」
半壊したビルの残骸から一本伸びた鉄柱の、その頂にひとつの影が立っていた。
後頭部でひとつにまとめた、雪のような白髪。
それに劣らず真っ白な肌。
冬の夜空を思わせる、澄んだ瞳。
優雅に丸みを帯びた肢体と、それと裏腹の鋭く張りつめた闘志。
小脇に抱えたヘッドギアと、背中に担いだトランク。
黒い光沢の宿るボディスーツと、白く風に躍るマフラー。
可憐にして凛とした立ち姿の彼女こそは、堕天物を屠るもの。
――そこに〈僕〉はいない。
その場所に僕の身体はない。
だが、そこで何が起こっているのかは知っている。
何をしなきゃならないのかを、知っている。
「――ヤーッ!」
〈彼女〉が、小脇に抱えていたヘッドギアを高く掲げ、掛け声とともに頭部に装着する。
瞬時にヘッドギアの両頬部分に格納されていたフェイスシールドが閉ざされて、素顔を覆い隠す。
口蓋にあたる部分と瞳に重なる部分に走る稲妻状のラインが波打って、その様相は、側頭部から伸びる三角形のアンテナも相まって、どこか牙を食い縛り、涙を流して慟哭する獣の顔にも見える。
同時に、片手に持っていたトランクが展開、無数の微細な金属プレートが飛び出した。
生き物のように縦横に舞い、彼女の全身を包み込み、それらは肩や胸部、四肢を覆う装甲となった。
トランクそれ自体も姿を変えて、背中に張り付く。
そこから幾条もの帯状のものが伸び、手首周りの装甲へと接続されてゆく。
〇
――かつて、通常兵器が一切通用しない障壁に包まれたフォールンによって、既存の人類社会はなす術もなく蹂躙された。
都市は破壊され、インフラは失われ、穀倉地帯は焼き尽くされた。
けれどそんな中で、〈福音機関〉は、単独でフォールンと互角に戦いうる存在を戦力として確立する。
フォールンの物理保護を貫通し得る破壊力。
感覚加速によりフォールンの敏捷性に対抗しうる機動力。
かつ、四肢を備えたヒト型を基本形とする、高い汎用性。
それこそが、決戦兵器・軍神〈イヴ〉であり。
……彼女こそ福音機関極東支部の擁する〈穿弾のイヴ〉時雨ツバメ。
また〝イヴ〟は単独ではその能力を十全に発揮することができない。
拡張された身体機能と、脳の演算速度を常人の限界を超えてフル回転させるためには外部で情報をモニタリングし、負担を軽減する役割を持つ外づけの情報サーキットナビゲーターが必要であり、
また安全管理の面でも、大威力の一撃には、使用に当たり随伴者と使用者の意思の統一が必須となる。
それが、イヴと感覚を同調し、戦闘をサポートする〈適格者〉であり、
そして、ツバメさんの〝唯一の適格者〟
それが僕――初月桜である。
「行くよ、桜」
倒れていた子供が立ち上がり、泣きじゃくりながらそれでも走り去ってゆくのを見届けながら、仮面の中で彼女が告げた。
同時に――僕の視界が瞬時に拡張される。
彼女の視界と同期するものがひとつ。
上空から俯瞰する、フィールド全体を認識するためのものがひとつ。
数多のセンサー類からの信号を伝える、大小のコンソール。
無数の数字と記号が、高速で流れ去ってゆく。
「キャハッ!」
「キャハハハハハ!」
集合のうちの一体が破壊されたという異常事態が、フォールン達に伝わったらしい。
不快な哄笑と共に、金属の軋む音と節脚を鳴り響かせながら、新たに現れた抹殺対象を認識して寄り集まってくる。
「……ツバメさん、バレットベルト1番2番3番5番接続完了、粒子転送異常なし、バイタルはCランク相当、M因子稼働率は65%、同調率は70%をキープ、ノイズ混線は誤差範囲」
……流れる数値たちが、フォールンの尊厳無き破壊、意思無き暴力を前に彼女が激昂していること、同時に冷静さを失っていないことを伝えてくれる。
「ならいつも通り――丁寧に行こうか」
ツバメさんが一瞬獣のように低く屈み……そして全身のバネでその身を弾けさせた。
「鋼鐵弾!」
叫びと共に、振りかぶった拳が唸りを上げた。
その一撃で、運悪く手直にいた一体の小型フォールンが砕け散る。