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見習い治癒術師、王宮へ行く ~その後~

作者: くろさん

「見習い治癒術師、王宮へ行く」の続きです。

先にそちらを読んでからこちらを読むことをお勧めします。

「田舎ものだと思ってバカにしおって!もう二度とおまえには何も頼まぬ!」


エマが治癒院で患者を診ていると、奥の応接間からこの辺境を取りまとめている領主が怒りを露わにした表情で、ドスドスと大きな足音を立てながら出てきた。


(またか…。)


エマは一気に疲れが増したような気分になった。村長はエマがいる診察室を覗くと、


「エマ、さっさとあんな役立たずのヒモ魔術師とは別れてしまえ!」


と捨て台詞を吐いて治癒院から出て行った。

診察室と待合室にいる患者たちが皆同情したような眼をしてエマを見ていた。


エマは診察が一段落すると、少しだけ休憩を取ることにして、お茶を二人分入れてから夫の居室へと向かった。


「ジル様、入りますよ。」


エマはここではバージル様の事を「ジル様」と呼ぶことにしていた。夫があの有名な大魔術師である「バージル師」であるとバレないためである。まあ、その心配は杞憂に終わりそうだが…。


エマはテーブルにお茶を二つ並べてから、バージル様が座るソファの隣に座った。


「村長が怒って出て行きましたが、何かあったのですか?」


「大したことではない。懲りずに私に依頼を持ってきたのだが、特にやる必要のないことだったので、『必要ない』と断ったのだ。」


「どのような依頼だったのですか?」


「最近、この付近は雨がほとんど降っておらず、水不足になっている事は知っていたか?」


「そういえば患者さんたちがそのような事を言っていましたね。ため池の水があとわずかしか無いとか…。」


「ああ。それで村長が魔術師である私に『水不足が何とかならないか』と相談に来たのだ。」


「なるほど。さすがにジル様でも雨を降らすことはできませんよね。」


すると、バージル様は眉間に皺を寄せて私をジロリと見た。


「何を言っておる!雨を降らすことなぞ、この私には朝飯前だ!」


「でしたら、降らせてあげれば良かったのでは?」


「わざわざ今雨を降らさずとも、3日後にはまとまった雨が降るのだ。それで水不足は解消されるであろう。だから、『必要ない』と言ったのだ。」


「それならそうと教えてあげれば良かったのに…。」


「そんな事をすれば、また私を頼って来るだろう。私はもう魔術師を引退した身なのだ。それに、この村は今まで魔術師無しでやって来たのだから、このまま魔術師に頼らず生活出来た方が良いのだ。」


「おっしゃる事はわかりますけど…。」


エマは、夫が大魔術師バージル師だとバレてほしくは無いが、村の人たちに無能なヒモ男だと思われるのも嫌なのだった。しかも、エマが顔だけで夫を選んだと思われていることも癪に障るのだ。


エマ達が住んでいるこの治癒院はエマの師である、アディール師が開設したものだが、エマが20歳になったとき、この治癒院をエマに譲って、自分はまた治癒師の居ない辺境へと旅立って行ったのだった。


治癒院を譲られたのをきっかけに、バージル様は王宮魔術師を引退し、二人は住まいを王宮からこの辺境に移した。バージル様は魔術でこの治癒院の地下に研究施設を作り、王宮の自分の部屋から設備を持ち込んで、研究三昧の日々を過ごしている。


しかし最近では自分で料理をすると言い出し、料理の研究に没頭しているのだ。王宮の美食に慣れたバージル様にはエマが作る田舎料理が口に合わなかったらしい。凝り性のバージル様は何事にも手を抜かない主義だった。


エマは、偉大な魔術師が料理の研究などしていていいのか疑問に思ったが、バージル様が作る美食のご相伴にあずかれるし、食事の支度をしなくてよいのは楽なので、黙って好きなようにさせていた。


バージル様がこの地に移り住んで来た当初は、美形で若い(見た目の)王宮魔術師が来たことが噂になり、依頼や相談をしに来る村人(特に若い娘達)が後を絶たなかった。しかし、非常な尊大な態度で依頼を悉く断ったため、あっという間にバージル様の評判は地に落ちてしまったのだった。本人はまるで気にしていないようだが、エマとしてはバージル様が娘達にモテるのは避けたいが、あまり悪い評判が立つのも面白くないのだ。



その日、エマが仕事を終えて住居部分に戻ろうとしたとき、応接間からバージル様と誰かの話している声が聞こえた。


「また愚痴をこぼしに来たのか?いいかげんにしてくれ。私も暇では無いのだ。」


「何を言っておる。そなたは引退した身なのだから暇であろう。王宮では軽はずみな発言はできぬのでな。ここは余の格好の息抜き場所なのじゃ。」


応接間から漏れ聞こえてくる会話を聞いて、エマはため息をついた。


(また陛下がいらっしゃっているのね…。国王がこんなところに一人で来ていいのかしら…?)


最初の頃はエマも国王の来訪に驚いて、かしこまった態度を取っていたが、あまりにも頻繁に来るので慣れてしまった。エマの治癒院にはバージル様が設置した簡易転送装置があるため、王宮と簡単に行き来できるのだ。他にもバージル様の後を継いで、王宮筆頭魔術師になったヨハネス師も相談があると称して、ちょくちょく来るのだった。

エマは台所でお茶の用意をすると応接間に引き返し、扉をノックした。


「バージル様、陛下、入ってよろしいですか?」


「おおエマか。遠慮は要らぬ入ってまいれ。」


と、国王が返事を返した。


エマは内心、『ここは私の家なんですけど…』と思ったが、口には出さず応接室に入ると、テーブルにお茶を並べた。


「エマ、いつもすまぬ。こやつは国王が来たというのにお茶も出さない奴だからな。」


「嫌なら来なければいいだろう。」


エマはお茶を出し終えると、黙って少し離れた場所にある椅子に座った。

部屋に控えている必要は無いのだが、二人がどのような話をしているのか興味があるので、部屋に残ったのだ。


「そうじゃ。今日はお主にちと相談があるのじゃ。」


「何だ?仕事の依頼ならば受け付けぬぞ。」


「違う違う、息子たちのことじゃ。そろそろ後継者を決めて立太子をせねばならぬのだが、第一皇子と第二皇子のどちらにするか決めかねておってな。」


そのような国政に関わる重要な話をこんなところでしていて良いのかとエマは驚いた。


「おまえの息子たちは揃いも揃ってボンクラだからな。」


「まあ、そう言ってくれるな。そりゃ賢王との呼び声高い余と比較したら凡庸かもしれぬが、あやつらも頑張っておるのじゃ。」


バージル様はしらけた顔で国王の顔をチラリと見てから、どうでもよさそうに答えた。


「二人ともボンクラなら、早く生まれた第一皇子を皇太子にすれば良いではないか。」


「それはそうなのじゃが、王妃や第二皇子の親戚たちが色々うるさくてのう。」


第一皇子と第二皇子は異母兄弟である。第一皇子の産みの親である先の王妃は、第一皇子が幼いころに他界し、現在は第二皇子の母が王妃となっている。先の王妃は隣国の王家出身でこの国にはあまり後援者がいないのだ。一方、現在の王妃は、この国の有力貴族の娘であるため、親族たちが第二皇子を皇太子にしようと画策しているのだ。


「うるさい親戚どもがいるなら、余計に皇太子にすべきではないな。国政にいちいち口を挟んで来るようになるぞ。」


「なるほど。そういう考え方もあるのぉ。」


「中立派のメルケル公爵のところに年頃の娘がいただろう。その娘と第一皇子を娶せれば後援者の問題は解決するのでは無いか?メルケル公爵は商売上手だが国政への参加には積極的でないし、あの娘はなかなか出来た娘であったぞ。」


「なるほど。それは良い案じゃな。そなたが褒めるくらいだから、その娘の出来は相当なものであろうな。ふむ。良いアドバイスじゃ。早速メルケル公爵に話を通さねば…。」


国王はそう言うと、挨拶もそこそこに王宮へと帰っていった。


(今ここでこの王国の重要な将来が一つ決まったのね…。)


エマは話の成り行きに呆然とする他なかった。



そんなある日、バージル様が夕食の席で言った。


「エマ、私は王宮へ行く用事があるので、明日からしばらく留守にすることになるが良いか?」


「ええ。かまいませんよ。どのくらいの期間行かれるのですか?」


バージル様は辺境に引っ越してから王宮に行く事はめったになかったので、エマは珍しいなと思った。バージル様が出向かねばならないほど重要な事が王宮で起こっているのだろうか?


「うむ。料理長にコンソメの作り方を教授して貰うのだが、1週間は掛からぬであろう。通いでも良いのだが、夜通しの作業もあるかもしれぬので泊まり込む事にしたのだ。」


「え!料理を習いに行かれるのですか?」


「うむ。色々試行錯誤してみたが、どうしても王宮料理長の作るコンソメよりもコクがないのだ。色もかすかに濁っておるしな。透き通った美しいコンソメをマスターしたいのだ。」


「はあ。そうですか…。」


エマは大いに料理長に同情したが、バージル様は言い出したら聞かないと分かっているので何も言わない事にした。


「エマ、何かあったときのためにこれを渡しておこう。」


バージル様は青い魔石のついた小さなロケットペンダントをエマに渡した。ロケットを開けると中は鏡になっているようだった。


「この鏡に向かって私に呼びかければ、何時でも私と連絡ができるようになっている。用があれば使ってくれ。」


「はい。ありがとうございますジル様。研究の邪魔はしたくないので、どうしても必要な時だけ使うようにしますね。」


「何、遠慮はしなくて良いぞ。」


そう言って次の日、バージル様は王宮へと旅立って行った。



バージル様が王宮へ行ってから2日後、エマは近くの村で多くの病人が出たとの連絡を受けたので、その村へ治療に行く事にした。


エマが到着すると、その村の集会場のような場所に十数人の患者が寝かされていた。流行り病かもしれないので、隔離されていたのだ。患者たちの症状は皆同じで、発熱と吐き気、下痢であった。


エマは十数人に同時に癒しを掛けるのは難しいと判断し、症状の重い者や、抵抗力の低い子供やお年寄りに癒しの術を掛けた。他の人たちには取り敢えず薬を処方して様子を見る事にした。


「この症状は流行り病か、食中毒のようですね。この村以外に病人が出たという話は聞かないので、食中毒の疑いが濃厚です。皆さん、何か心当たりは有りませんか?皆で同じものを食べたとか…?」


エマは集会所を出ると村長の家の居間で、患者の家族たちに事情を聞くことにした。

患者たちは比較的近所に住んでいるらしいが、皆で共通して食べたものは思い当たらないとの事だった。


「飲み水はどうしていますか?」


「共同の井戸を使っておる。井戸は何か所かあるが、そういえば病人が出た家は同じ井戸を使っていたかもしれぬ。」


エマは、その事を聞き早速井戸水を調査してみる事にした。

村には井戸が3か所あった。問題の井戸は一番川に近い井戸だった。3ヶ所の井戸から水を汲んできて貰い、エマは色々な試薬を混ぜて反応を見たり、魔術具を使って井戸水の成分を調べたりした。


「この川に近い井戸の水には菌が入っていますね。動物や人の排泄物に入っている菌です。」


「なに!では誰かが井戸に糞を入れたという事か!いったい誰がそのようなことを!」


村長は怒りを露わにして怒鳴った。側にいた村人たちは怯えた表情になり、皆そのようなことはしていないと否定しあっていた。


「一概に井戸に直接何かを入れたとは限りませんよ。最近、井戸の近くで何か変わったことは無かったですか?」


すると、一人の主婦とおぼしき夫人が答えた。


「そういえば、最近川の水が汚くなって困っているのよ。川の水を飲料水にはしないけど、洗濯やお風呂に使っていたの。」


その村には小さな川が流れており、生活用水として使っていたらしい。


「そうだ!そうだ!川上で砦を作り出してから川の水が汚れだしたんだ!前は水が透き通っていて川遊びや釣りも出来たのに、最近は濁っていて、変なニオイもするんだ。」


村人たちは次々に川の汚れについて文句を言い出した。


「なるほど。川とその井戸が地下で繋がっていて、汚れた水が井戸に入り込んだ可能性がありますね。しばらくはその井戸水は飲料水には使わないようにお願いします。」


「ああ分かった。だが、ずっとこのままでは困るのだが…。川の水の事も何とかして貰いたいのだがなぁ。」


エマは村長と話し合った結果、この事を領主に訴える事にした。


次の日、エマは村長と共に領主の館を訪ねた。せっかちな領主は村の食中毒と井戸水汚染の話を聞くと、直ぐに砦に出向いて汚水を川に流さないよう訴えると言いだした。


エマと村長、そして領主が砦に出向くと、砦建設のために作られたいくつかの小屋の一つに通された。その小屋には工事責任者の執務室と打ち合わせ用の部屋があり、打合せ用の部屋には中央にテーブルと10脚ほどの椅子が並んでいた。

しばらくすると工事責任者を名乗る男が入ってきて、エマたちに席を勧めた。

エマたちは川の水質汚染の話をし、砦から出る排水を川に流さないように依頼した。

しかし、工事責任者は非常に横柄な態度で、川を汚染している事実を認めなかった。


「言いがかりをつけるのはやめて貰いたい。この砦の汚水は適切に処理されている。それに我々は国家の第一優先事項として砦建設に全力を注いでいるのだ。お前たちも知っているだろう。我が国の国境を長らく守って来た偉大なる魔術師バージル師はもうすぐいなくなるのだ。早急に砦を築いて国境警備兵を配置しなければ、隣国が攻めてきたときに真っ先に攻撃されるのはお前たちが住む辺境の村々だぞ。」


(そういえば、砦の建設と国境警備兵の配置はバージル様の提案で始められたことだったわね。)


意外なところで夫の名前が出てきてエマは焦ったが、このまま、すごすご帰る訳にはいかないと気を奮い立たせた。


「おっしゃる事は分かりますが、この川下の村人たちも困っているのです。汚水処理がどのようにされているか見せて貰えませんか?」


すると、現場責任者は若い娘が生意気なことを言ったことに腹を立てたらしく、


「うるさい!小娘が生意気な事を言うな!きちんと処理していると言っているだろう!」


と言うと、立ち上がってエマへ近づき、その肩を強く押した。


「何をするのですか!やめてください!」


領主と村長も立ち上がってエマを庇い、現場責任者をにらみつけた。

現場責任者は、おもしろくなさそうに、「フンッ」と鼻を鳴らすと、ドアの外に向かって声をかけた。


「おい、領主様たちがお帰りになるぞ。送って差し上げろ。」


その声で打合せ部屋のドアが開いたが、なぜかそこには怒りを露わにしたバージル様が立っていた。


「ヒモ魔術師ではないか…なぜここにいるのだ?」


領主が呟いた。

エマは呼びかけてもいないのにバージル様が現れたことに驚き、貰ったロケットペンダントを見てみると、僅かに蓋がずれて鏡が見えていた。現場責任者に肩を押された反動で開いてしまったのだろうか?


「おい!そこの男!私のエマに何をするのだ!」


バージル様はそう言いながらつかつかと部屋に入ってくると、現場責任者の目の前に立った。


すると突然、現場責任者の体がふわりと天井近くまで浮き上がった。また、見えない何かに襟を掴まれているようで、苦しそうに両手で首元を掴んでいた。


「く、苦しい!やめてくれ!助けてくれ!」


「バージル様!やめてください!私は大丈夫ですから!」


エマは思わず、「バージル様」と叫んでしまった。


「何?バージル様だと?あの大魔術師の?」


領主は驚いてエマを見た。

その時、「ドスンッ」と音がして現場監督者が床に落ちた。腰を強く打ったらしく、涙目で腰をさすっているが、立ち上がったので大きなケガは無さそうだ。


現場監督者はバージル様をにらむと、バージル様を指さして叫んだ。


「このような若造がバージル様の訳がないだろう!お前はいったい誰だ!」


バージル様はその質問を無視してエマの方に歩いて行き、エマの肩にやさしく手を掛けた。


「エマ、大事無いか?いったいこれはどうしたというのだ?」


「貴様!私を無視するな!先ほどは油断していたが、貴様のような輩にやられる俺ではないぞ!」


現場監督者は騎士だったらしく、腰の剣を引き抜くと、バージル様へ向かって構えた。


バージル様がチラリと現場監督者を見ると、現場監督者は凍ったように固まったまま動けなくなってしまった。


「取り敢えず皆さん落ち着いてください。事情を説明しますから!」


エマの言葉に皆冷静さを取り戻し、固まっている現場監督者以外は席についた。


「あらためて紹介します。私の夫である魔術師のバージル様です。今は引退しましたが、長らく王宮の筆頭魔術師として勤めていました。」


「なんと!しかし、バージル様は齢500歳を超えるときいておるぞ?なぜそのように若いのだ?」


領主の問いに、エマはバージル様が時を止める魔術により年を取らない体になった経緯や、エマとのこれまでについて簡単に説明した。


「そうであったのか…。しかし、俄かには信じられん。」


バージル様はエマがここに来た理由を聞くと、呆然としている領主や村長を無視して、現場監督者に向かって言った。


「おい、そこの者、この砦の設計図を持ってこい。」


その言葉で、現場監督者は動けるようになったようで、疑わし気な目をバージル様に向けつつも、設計図を取りに部屋を出て行った。


現場監督者が持ってきた砦の設計図を確認すると、バージル様は懐から紙とペンのようなものを取り出し、何やらサラサラと描きだした。


「ふむ。こんなものか。」


そう言うと、次にまた懐から小さな巾着袋を取り出し、描いた図の上でそれを傾けた。すると、巾着袋から虹色の光る液体のようなものが出てきて図に注がれた。それは紙に吸い込まれるように消え、図が描かれた紙もまた徐々に消えていった。


紙が全て消えると、「ズンッ」という、地を揺るがすような音と振動が起こった。

皆何事かと立ち上がって、キョロキョロしていたが、ただ一人バージル様は落ち着いていた。


「エマ、この砦用の下水処理施設が出来たぞ。確認するか?」


「え!下水処理施設と言いましたか?」


エマ以外の3人が驚いて声を上げた。

エマは今まで何度もバージル様の魔術を目の当たりにしていたので、この短時間で下水処理施設が出来たと聞いても驚かなかった。


「ええ。是非確認させてください。」


気が付くと小屋の打合せ室にいたすべての人が、何やら地下の施設らしきところへ移動していた。

その地下施設にはまだ下水が流れておらず、石で作られたタンクや水路、止水栓のようなハンドルがあった。また、所々に光石が設置されていて、地下なのに薄暗くではあるが周りが見えるようになっていた。壁に取り付けられた梯子を上ったところには出入口らしい扉も設置されていた。


「そこのハンドルを回すと砦の下水がこちらの一つ目のタンクに溜まるようになっておる。第一タンクで上澄みと沈殿に分け、上澄みはこちらの清浄石を沈めてある第二タンクに入る。清浄石を通った水は水路で川まで運ばれるが、水路の上には殺菌のための魔石を等間隔で置いてある。水路を通り清浄になった水はそばを通る川へと流れ込む仕組みだ。清浄石や殺菌用魔石は定期的に交換が必要だが、大きな町へ行けば買えるので問題なかろう。砦の責任者に下水処理施設の運用については申し伝えておこう。」


皆、口を開けたまま呆然として説明を聞いていた。


「下水を流すので、ちと匂うぞ。」


バージル様がそう言うと、止水栓のハンドルが回り、下水が第一タンクに流れ込んで来た。


「もう良いだろう。このような場所に長居すべきでは無いな。」


バージル様がそう言ったかと思うと、皆、元いた打合せ室に戻っていた。

皆が口もきけずに立ったままでいる中、バージル様は優雅に打合せ室の椅子に腰かけて足を組んだ。


「皆の者、何か質問はあるかな?」


「本当にあの大魔術師のバージル師なのか…。」


領主が呟いた。


「領主様、皆さま。私の夫があのバージル様だという事は内密にしておいていただきたいのですが…。」


「それはかまわぬが、なぜ内密にしておるのじゃ?それに今まで依頼をことごとく断って来たのはどうしてなのじゃ?」


領主の問いに、バージル様は平然と答えた。


「私は引退した身なのでな。ここではできるだけ目立たぬようにしておるのだ。その方が依頼も来なくてエマとの時間を最大限取れるからな。それに私はいずれいなくなる身だ。この地域は魔術師無しでもやってこられたのだから、その習慣を継続した方が良いのだ。」


「まあ、おっしゃることは分からんでは無いが…。」


「何、どうしても困る事があれば相談には乗ろう。」


エマは、また一人治癒所に来る大物が増えた事をさとった。


「ところでジル様、ここと同じような事が他の砦でも発生しているのではないですか?」


「うむ。確かに。このような事が起らぬよう、ここと同じ下水処理施設を全ての砦に作るよう“あの男”に伝えておこう。」


“あの男”が誰なのか、皆首をひねっていたが、敢えて尋ねる者はいなかった。当然エマも言及を控えることにした。



その後、エマは食中毒患者が大勢出た村で引き続き治療をしたり、井戸を殺菌して水質を調べたりと忙しい日々を過ごしていたが、それにもようやく目途が付き、バージル様も王宮から帰ってきて久しぶりに落ち着いた夕食の席を囲んでいた。


「ジル様、今国中で築いている砦ですが、魔術を使えばもっと簡単に作れるのではないですか?」


「建設期間や手間は短縮できるが、魔術に使う素材は非常に高価だからな。王宮ではとても賄えないであろう。」


「あの、キラキラ光る虹色の液体みたいなやつですか?」


「うむ。それに下水処理の設計図を書き込んでいた魔紙やペンも非常に高価だ。今回使った分だけでも、砦が2,3個は作れるほどの金がかかるぞ。それに私以外の魔術師で砦を築く魔術ができる者はおらぬであろうな。」


バージル様は自慢げに言った。


「ところでジル様、コンソメの技は習得できましたか?」


するとバージル様は眉間に皺を寄せて、気難しそうな顔になった。


「うむ。教わった通りに作ってみたのだが、やはり王宮料理長が作るコンソメと何かが違うのだ…。料理は奥が深いな…。」


魔術で何でもできそうなバージル様でも、料理長の作るコンソメを再現できないと聞いて、エマは何だかおかしくなってしまった。


「まだまだ研究する事はたくさんありそうですね。ジル様。」


満面の笑みを浮かべたエマを見て、バージル様は気まずそうにこめかみをポリポリと掻くと、


「何もせずゆっくり過ごすのはなかなか難しいな。」


と、言った。


おしまい


今まで書いた中で、この話が割と評判が良かったので続きを書いてみました。

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