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11 『わたしの声』


 次の瞬間、朝になっていた。

 映画の途中で寝てしまい、起きたらスタッフロールが流れていたときみたいだった。


 覚醒とともに、全身が悲鳴を上げた。椅子に座ったまま変な体勢で寝てしまったからだろう、どこが痛いのかわからないくらい痛かった。


 それでも腕を動かし、夜の海のように真っ黒なパソコンの画面を明るくする。そして表示された文章の連続を目で追った。


 よかった。夢じゃなかった。

 昨日の自分は、確かに自分だった。


 すると下半身にむず痒さが走った。そういえば昨日は一度もトイレに行っていない。わかりやすい体をしているなと思った。


 痛む体を椅子から起こそうと、力を込めた。

 そのときだった。

 部屋の扉が開いた。


 まだ早朝と言える時間だ、扉が開くなんてありえない。──伊藤か? と振り向くまでの一瞬で思ったが、伊藤はそんな荒々しい開け方をする奴じゃない。果たして扉を開けたのは、見知った顔だった。


「星崎! お前何してるんだ!」


 ものすごい剣幕をした、浅野先生だった。その表情は東大寺の金剛力士像を思わせた。そして先生の後ろから、さらにもう一人現れた。白いシャツに紺色の分厚いベストを着た、いかにも学生時代は柔道をやっていましたというような、強面の中年男だった。そのぴりぴりした雰囲気から、その人が警察だと直感でわかった。


「いました! この子です!」

 と先生が言うと、中年男は僕を射抜くような目で見た。

「星崎春輝くんだね?」

 頭のなかで警鐘が鳴っている。


 居場所がバレた──。

 逃げなくては、と思ったが、浮かんでくるのは非現実的なアイデアばかりで、どれも実行不可能だった。


 僕に出来ることはなかった。

 ここに踏み込まれた時点で、僕は詰んでいるのだった。僕は浮かせかけた体を椅子に戻し「はい」と答えた。


      ●


 僕は成すすべなく連行され、校門に停まっていたパトカーに乗せられた。車内にはもう一人屈強な体の中年男がいて、そいつの隣に座らされた。先生は助手席に乗った。運転席に座った部室に来たほうの男が、無線でどこかに連絡した。どうやら僕は警察署に連れていかれるらしい。まるで犯罪者だった。パトカーが出ると、ぐんとシートに背中が押し付けられた。


 どうして家出なんてしたんだ? と隣の男に訊かれた。僕は無視した。だが男はおかまいなしに、ご両親に心配をかけちゃあ駄目じゃないか、と説教をし始めた。時折、助手席の先生も外国で中継しているキャスターのように同じようなことを時間差で言ってきた。が、それでも僕は無視し続けた。


 彼らの言うことはすべて正論だった。しかし今の僕は人の話を素直に聞ける精神状態ではなかった。お前らに僕の何がわかる、という純度百パーセントの反発心しかなかった。


 どうやら昨日、すぐ捜索願が出されたらしい。それで警察は駅員やコンビニの店員などに話を聞いて、僕が学校にいるのではないかと当たりをつけた。そして担任教師を伴って校内を捜索したところ、文芸部の部室にいるところを発見──というのが流れのようだった。


 創作物では無能として描かれることが多いし、よく不祥事を起こして問題にはなるが、基本的にこの国の警察は優秀なのだと思い知らされた。家出した高校生を見つけることくらい、一日あれば出来るらしい。


 警察署に連れてこられた僕を待っていたのは、父親と母親だった。妹はいなかった。母親は僕を見ると「何でこんなことをしたの!」と僕の頬を叩いた。そのあまりの速さに力が抜けて、僕は尻もちをついた。

 それで終わりかと思ったら、母親はさらに鬼のような形相で「どうして! 私の! 言う通りに! しないの!」と叫びながら、僕の頭を叩き始めた。


 警察の前で暴力とは大した人だ。いっそ母親を暴行の現行犯でしょっぴいてくれないかと期待したが、警察はただ見ているだけだった。母親というだけで子どもに対する暴力はだいぶ甘く見られるらしい。

 やがて父親がようやく母親を引き剥がした。そして警察に、すみません、すみません、と何度も頭を下げた。


 半狂乱の母親を外に出し、父親と一緒に何枚かの書類に記入した。それでどうやら終わりらしかった。僕は解放され、警察署を後にし、家の車に乗り込んだ。


 父親の運転はパトカーと比べると穏やかだった。まるで豆腐を崩さないように走っているみたいだった。もう塾が始まっている時間だったが、車は家に向かっているようだ。このまま塾に連れていかれる可能性も何パーセントかは覚悟していたが、そこは杞憂だったらしい。


 信号で止まったとき、父親が言った。

「春輝、塾、そんなに辛かったか?」

 運転と同じく声も穏やかだった。そんな優しい声が出せる人だとは知らなかった。

「もし辛いなら、父さんは別に辞めても……」

 とそこで、助手席から口を挟む人がいた。


「何言ってるのあなた! ふざけたこと言わないで!」

 お待たせしましたと言わんばかりの横入りだった。

「春輝! 塾を辞めるなんて許さないからね! 今日だって本当は休ませるつもりなんてなかったんだから! でもお父さんが言うから仕方なく──」

「そういう話は、家に帰ってからしよう」

 信号が青になり、車がまた動き出す。


「何よ! 一日遅れたら取り返すのに三日かかるのよ! この子の成績で休んでる余裕なんてあるの?」

「今日くらい、いいじゃないか。春輝にも色々思いがあるんだよ。家でゆっくりさせてあげよう」

「何がゆっくりよ! そんなことして受験に落ちたらどうするの!」

「受験だけがすべてじゃないだろ」

「すべてよ! 私、自分の子どもが高卒なんて嫌よ!」

「春輝の前でそういうことを言うんじゃない」

「事実じゃないの! この子が何もわかってないから現実を言ってあげてるんでしょ! 大卒じゃないとまともな仕事に就けないじゃない!」

「大学を出ていなくても、立派に生きてる人はたくさんいるだろ」

「でもいい大学を出てないと社会で馬鹿にされるじゃない! 私何か間違ったこと言ってる?」

「間違ってはいないよ。でもそういうことじゃ……」


 ガラスを引っかくような声でわめき散らす母親と、穏やかに運転し続ける父親。二人の会話についていけなくなると、僕は意識を窓の外に向けた。


 今日もいい天気だ。

 雲一つない、薄い水色の空だった。


 ──小説が書きたい。

 僕の頭のなかは、それだけだった。


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