9)描かれた少年たち
アルフレッドに案内された部屋には、壁に架けられたものや、棚に並ぶものまで、沢山の絵があった。
「これは、私にとっては戒めのような一枚だ」
アルフレッドの視線を追ったアレキサンダーの胸を、当時の痛みがまた襲ってきた。
アレキサンダーが椅子に腰掛け、ロバートがその傍らに立っていた。ぎこちなく微笑むアレキサンダーと、表情を失ったロバートの髪を黒いリボンが束ねていた。
アレキサンダーも覚えている絵だった。いつ頃描かれたのかも明確にわかる。
「これは、アリアが」
「あぁ、アリアが亡くなった後だ。あの屋敷がどうなったか、お前たちが気がかりだと連絡をしたらこの絵が届いた」
アリアが亡くなり、ロバートが笑わなくなった。一時期は食事もできなくなり焦燥したロバートに、周囲は心配した。食事が出来るようになり、元のように生活出来るようになっても、ロバートは必要なときに愛想笑いをするだけになった。
「お前も作り笑いだし、ロバートはこの顔で、本当に心配した。行ってやることもできなかった」
「国王である父上は重責を背負っておられます。この頃ならではの問題もございました。王宮を離れては、余計に問題が大きくなることくらい、私達も理解しておりました」
王妃が三人目の子を身ごもっていたのだ。先に二人、生まれること無く天に還った子がいた。国王と王妃の間の待望の子を宿した王妃を、王宮に残し、亡くなった側妃の息子の元を訪れるなど出来るわけがない。
それはアレキサンダーもロバートもわかっていた。
「父上からは御手紙を頂きました。あれは本当に嬉しかったです」
アレキサンダーは、王妃に元気な子供を、出来れば弟を産んでほしいと、心の底から思っていた。生まれ育ったあの王領を離れたくなかった。それでも、アルフレッドと王妃の間に子が産まれたら、アルフレッドに見捨てられるのではと不安だった。
ロバートの父親バーナードは、王領に一度も来なかった。手紙も送ってこなかった。ロバートは、バーナードに徹底的に無視されていた。ロバート自身、バーナードを嫌い、憎んでいた。
アレキサンダーは、自分もそんな風にアルフレッドに見捨てられるのではと不安だった。アルフレッドからの手紙は、そんな懸念を消し去ってくれた。
アレキサンダーはずっと黙っていたことを、アルフレッドに告げることにした。
「ロバート宛ての手紙もありがとうございました。ロバートは泣いたそうです。私は見ていないのですが」
「ロバートが」
アルフレッドが目を見開いていた。
「えぇ。手紙を渡したら、自室に籠もってしまって出てこなかったのです。大人達に、今は一人にしておいてやれ、泣きたいときに泣かせてやれと言われました」
「それは、初耳だな」
「父親があのバーナードですから。父上からの手紙は嬉しかったのではないでしょうか。アリアは彼の妻ですが、その妻が亡くなったというのに、バーナードからは何一つありませんでした」
「あぁ。それも報告を受けている」
屋敷には、バーナードからは手紙も贈り物も何もなかった。たった一度、バーナードの名で届いたのが、アリアの命を奪った毒針の仕込まれたストールだった。あのストールの真の送り主がバーナードである証拠はない。それでもアレキサンダーにはバーナードが許せなかった。バーナードは、アリアを孕ませたというのに、アリアを蔑ろにし、子のロバートを邪険にした。アレキサンダーにとり、家族にも等しい二人を、無碍に扱うバーナードが許せない。そのバーナードを重用するアルフレッドに抗議したこともある。
「他にあの仕事が出来るものが、今はいないのだ」
溜息まじりのアルフレッドの言葉の意味は、王都で暮らすようになって、直ぐに判明した。人が有能であることを残念だと思ったのは、後にも先にもバーナードだけだ。
「ロバートが幼い頃だ。『とうさまになって』といわれたことがある」
アルフレッドは悲しげに、絵の中で無表情に立つロバートの顔に触れていた。
「それは、初耳です」
「だろうな。『とうさまにはなれないよ』といったら、声も出さずに泣いた。幼いなりに、わかっていたのだろうね。その次に会った時には、『弟か妹をください』といわれた。『アレックスがいるから、妹だけでもいいです』と言われてね。子供なりの精一杯の譲歩だったのだろうね。可愛らしかったが、可哀想で仕方なかった」
「それは聞いたことがあります。ロバート自身から聞きました。その時に、私が弟ではないと教えられてがっかりしたとか」
「だから妹だけでも良いと言ったのか。今頃になってわかった」
「お互い知らないことが沢山あるのですね」
「そうだな。また、こうして執務以外で、お前と二人話す時間があってもいいだろうね」
「はい」
アレキサンダーが王都に来てから、アルフレッドと過ごす時間は増えた。多くは執務に関することばかりが話題になった。無為な時間を過ごすことは稀だ。
「他の絵も見せていただいていいですか」
「あぁ、無論だ」
アレキサンダーは、もう少し、アルフレッドと過ごしたかった。