9話【お茶会】
その日、高星夕姫ことタクハタチヂメのメッセージボックスに、新たなメールが届いていた。
若干低血圧気味の夕姫は、やや寝ぼけながら、スマホでその内容を確認した。
『件名:お茶会のお誘い』
そんなタイトルのついたメッセージの送り主は、先日から何度かやり取りを繰り返しているクレッセントブーケだった。
友達と言えるような人間がいない夕姫にとって、書籍化作家と繋がりが持てるなど考えてもいなかったので、わりと浮かれていた。
全般的に機械音痴の夕姫は、スマホすらあまり見ることが無い。
その夕姫が、起き抜けにスマホをチェックした事でも、その浮かれっぷりがわかるというものだ。
『本日14時、東京でお茶会をやろうと思っているのだけれど、タクハタさんの都合が良ければ、来られても良くってよ。その時は書籍化作家として、色々教えてあげるわ』
その文面を見て、夕姫は目を丸くする。
生まれて初めて、お茶会なんてものに誘われてしまったのだ。あわあわとスマホを両手で持ったまま、部屋の中をぐるぐると回ってしまう。
ああああ、どうしよう、どうしよう!?
本物の作家さんに誘われちゃった!
本当に行っても良いのかな? 大丈夫だよね?
……ダメ! 興奮しちゃって色が全然見えない!
冗談とかじゃ、ないよね?
電車賃足りるかな?
ふ! 服どうしよう!? そうだお姉ちゃんに……今日も帰ってないよ!
こんな感じで慌てふためき、電車の時間を時刻表で調べ、時間いっぱいまで服に悩む夕姫であった。
なお、選ぶほど服があるわけでは無いのは、ここだけの秘密である。
電車に揺られて二時間弱。
ようやく待ち合わせの駅に辿り着く、待ち合わせ時間まではあと少しなのだが……。
「……ビルがいっぱい……」
まともに東京まで来たことの無かった夕姫が、ごみごみした駅を出て、唖然としていた。
右を見ても左を見ても、高層建築なのだから、それは驚く。
人並みに流されて、駅を出てしまったが、この時点で夕姫は出る場所を間違っていた。
ばらりと、途中で買ってきた地図を開くが、自分の居場所を理解できなかった。
「え? ……あれ? どっち?」
こうして夕姫は見事に途方に暮れるのである。
◆
「……遅かったですわね」
「ごごごごごめんなさい!」
夕姫に、恐ろしく不機嫌な色を向けてくるのは、もちろん作家クレッセントブーケだ。
流石にこれだけ強い色だと、今の夕姫の精神状態でもわかる。
染めているのかウィッグなのか、抜けるような金髪に、さらっさらのストレート。
よほど腕の良い美容室に行っているのか、嫌味を感じさせない見事なまとまりだった。
服装はフリル付ブラウスにコルセットスカートととても可愛らしい格好だった。
なお、夕姫は知らないのだが、童貞を殺す服という別称を持つ着こなしである。
「道に迷ってしまって……」
「スマホの地図を見れば、すぐでしょうに」
「つ、使えなくて……」
「そういえばSNSもやってないんでしたわよね」
「すいません……」
クレッセントブーケが、夕姫の手にしている紙の地図を見て、盛大にため息をついた。
結局、夕姫の挙動不審な動きが気になった、警察に声を掛けられ、事情を話してそのまま道案内してもらったのだ。
「まぁいいですわ。改めて私がクレッセントブーケですわ」
「はっ! 初めまして! 私は高星夕姫です! よろしくお願いします!」
「タクハタさん、こういうときはペンネームで良いんですよ」
「え!?」
「今は女性だけですから良いですが、個人情報は無闇に晒さないのが基本です」
「そ、そうなんですか?」
「ふう。貴女には色々と教えなければいけないことが多そうですね」
「ご、ごめんなさい」
そこで、それまでずっと無言でニコニコと笑みを浮かべていた、もう一人が口を開いた。
「こんにちは〜。初めましてですね〜。私はヨルツキです〜。よろしくね〜」
ふわっふわのパーマに、ゴスロリちっくな服装のぽわぽわした女性の自己紹介を聞いて、夕姫の動きが止まる。
「……え? え!? ヨルツキ……さん!? もしかして”夏が流れゆく”のヨルツキさんですか?」
「そうだよ〜」
あっさりと答えるヨルツキだったが、喫茶店にいた、他の客の何人かが夕姫の声に反応して顔を向けたのだ。
その時点でどれほどの有名人かわかるという物だ。
累計ランキング上位のなろう作家であり、100万部、ドラマ化も成し遂げた女性作家で、代表作”夏が流れゆく”はドラマ化、映画化され、ともに大ヒットしている。
小説家になろうのレジェンド作家と言えよう。
「わっ! わっ! あ! 握手してもらっていいですか!?」
「はい〜。タクハタちゃん可愛いねぇ〜」
「え!? え!?」
「初々し〜」
ニコニコと、差し出された手を無視して、夕姫に抱きつくヨルツキ。
ただでさえ、本物の作家に会えるという興奮と、遅刻した申し訳なさと、夕姫が大好きな作品の作者とのサプライズで、彼女の処理能力はオーバーフローしているというのに、ヨルツキに抱きしめられたのがとどめとなって、頭が完全に沸騰。今ならリアルで笛付きケトルよろしく、蒸気と笛の音を確認できそうだった。
それからしばし。
「落ち着かれまして? タクハタさん」
「は……はい」
夕姫は、頼んだ覚えの無いアイスコーヒーをずずずと啜りながら、真っ赤になって恐縮しっぱなしだった。
なぜかヨルツキがずっと夕姫の頭をなで続けている。
それも夕姫が再起動するのに時間が掛かった理由だったりするが、ヨルツキはぽわぽわと、ひたすらになで続けるのである。
「もう、ヨルツキさんもその辺にしなさいな」
「は~い」
「今まで、本物の作家だからと緊張する人は沢山見ましたが、さすがにタクハタさんほど壊れた人は初めてですわ」
「可愛いよね~」
「そういう話じゃないでしょう」
「す、すみません……」
「謝る必要はありませんわ。それだけ敬意を持ってくださっているという証明でもありますから」
「あ、あの、本当に私も参加して良かったんですか?」
「タクハタさんとは一度ゆっくりお話ししてみたかったので、来てくださって嬉しいですわ」
「わっ! 私もお二人に会えて、とても光栄です!」
「ふふ、そんなかしこまらなくていいのよ? たしかに出版作家と趣味で書いているという違いはありますが、同じなろう作家ではありませんか」
「なろう……作家……ええ!? 私はそんな! 作家なんて……!」
「出版していなくても、執筆して公開していれば、立派な作家ですよ。つまりお仲間でしょう?」
「仲間……」
「それにもう、お友達でしょう?」
「お友達……!」
熱に浮かされたように繰り返す夕姫。
彼女にとって、その二つの単語は、まさにクリティカル級の衝撃を与えたのだ。
「これから私が先輩として、貴女の作品にアドバイスを差し上げますわ」
「は、はい!」
「タクハタちゃんはあのままで良いと思うけどなぁ~」
この様に、噛み合っているようで、まったく噛み合っていない三人のお茶会は、夕姫の帰宅時間ギリギリまで続いたのだ。
なお、クレッセントブーケが長々と語った創作論や、紫の庭に対する改善点の指摘のほとんどは、作品に採用されなかった事をここに記しておく。