6話【指摘】
次の朝、ランキングを見て、おや? と亞汰彦は首を捻った。
”小説家になろう”のランキング表示は300位まで。前日の順位が299位だったので、そのままフェードアウトすると思っていたのだ。
ランキングは一度落ち始めると、なかなか下げ止まらないと、ウラさんも言っていた。
だが、今朝のランキングで274位まで戻していたのだ。
さらに感想もいくつかもらっていた。
・盛り上がってきたぁ!
・いいね。アルイタルさんらしさが出てましたね!
・お? 良さげな小説見つけた。
とても、嬉しかった。
亞汰彦は、飛んでいきそうなほど浮かれて、会社に向かった。
◆
亞汰彦は休み時間に、ランキングが上がった理由を考える。
いくつか予想出来るが、一番楽観的なのは、最新話が面白かったから、上がっただろう。
昨日の夕姫とのやり取りを思い出す。
つい、今までの癖で、読者の事を考えない書き方をしてしまったそれを読んで、そのままが良いと言ってくれた夕姫。
読者が望む展開が出来ているか、常に見直せと教えてくれた、ウラさん。
そのアドバイスを実践して、コンテスト1次通過を果たしたハリセン。
極論すれば、感情で書くか、理論で書くかの違いだろう。
ウラさんは、感情なんて必要ない。必要なのは、読者の願望がいかに確実に解消されてくかだ。と何度も力説していた。
実際、ランキング上位の作品や、自分が好きな作品を、その見方で読み直してみると、確かに「こういう展開になって欲しい!」とか「ここで勝って欲しい!」といった願望が、しっかりと叶えられている事が多かった。
逆に自分が好みで無い小説など読み直してみると、見事に「どうしてここで負ける!?」「これ以上苦しめないで!」といった展開が多かった。
だからこそ、今作は、可能な限り読者が望みそうな展開を重視していたのだ。
努力のかいがあったのだろう。今までの作品に比べれば、ランキングに入っている時期も長いし、順位も最高値だ。
しかし昨日の最新話は……。
亞汰彦は一度頭を振った。
今までで一番反応が良いのだ。
感想も一気に三つもついた。
ならば、やってみるしかないだろう。
覚めたランチをかっ込みながら、亞汰彦は決意していた。
◆
彼女の背中とタイプ音。
喫茶店に入って最初に感じるのがそれ。
亞汰彦は邪魔にならないように、そっとカウンターに座ると、自らのノートPCを開く。
二つのタイプ音が協奏曲を奏でると、亞汰彦はかつて無いほどに集中している自分に驚いた。
そのまま、感情に逆らわず、誘われるまま、文章の海へと沈んでいった。
ぷかり。
と、最新話を書き終わったと同時に集中力が切れ、現実へと意識が浮かび上がってきた。
「「ふう」」
同時に響く、安堵のため息。
どうやらちょうど夕姫も書き終わったところらしい。
「やあ」
「あ、こんばんはアタルさん」
「今日も集中してたね」
「すいません……恥ずかしいです」
「謝ることも、恥ずかしがることもないでしょ? むしろそれだけ集中出来るのは羨ましいよ」
最近亞汰彦が集中出来ているのだって、横で夕姫が集中して書いている環境だからというのが大きい。
おそらく一人だったら、毎日これだけ集中することは出来なかっただろう。
もっと時間を掛けて、だらだらと書いていたに違いない。
「良かったら、読ませてもらえるかな?」
「は、はい。私も……」
「もちろん。意見を聞かせてくれると嬉しいかな」
ノートPCと、テキスト入力デバイスを入れ替えて、お互いの作品を読みこむ。
相変わらず”紫の庭”は鬼のような完成度を誇っていた。
柔らかく時が流れているようで、しっかりと毎回エピソードを盛り込んでくるのだ。
一話あたりの文字数が多いから出来る事なのかも知れないが、その文字数を感じさせないのだから凄い。
「はあ。完璧過ぎて言葉も無いよ」
「そんな事は……」
「いや、ランキングもそれを証明してるよ。普通、一位に居続けるのは難しいんだけど、ずっと一位だもんなぁ」
「それは、たまたまというか」
「謙遜しなくていいよ。僕が保証する。紫の庭は面白いし、傑作だよ」
自分と比べられたくないほどにね。
とは続けなかった。
なぜか、夕姫は悲しそうな視線を向けてきた。
哀れみ……とは違うと思うのだが。
亞汰彦はダークに落ち込みそうになる気持ちを無理矢理引き上げる。
「そうだ、僕の方はどうだった?」
「えっと……」
ん?
昨日とだいぶ反応が違うぞ。と亞汰彦は眉を顰めた。
「私は好きです。……でも」
「でも? 気になることがあったら教えて欲しいんだ」
「その……」
「お願いするよ」
言いずらそうにする夕姫の態度で、余計に聞きたくなる。
きっと、年上の作品を批判する事に対するものだろう。
「正直な感想が欲しいんだ。お願い」
「わ、わかりました。その、私はとても好きな色なんですが、もしかしたら、ちょっとごちゃごちゃしすぎかなって……」
色?
なんか時々出てくるな、その単語。
亞汰彦は、彼女独特の表現だとそこは流して、それよりも重要な後半に焦点を当てる。
「ごちゃごちゃか。具体的にどの辺?」
「えっと、この辺りです。もしかしたら、主人公がどうしてこんな行動を取ったのか、わかりにくいんじゃないかなって……」
夕姫が指さす箇所を見て、少し黙考。
無言のまま、その下に、文章を追加していく。
「あっ! それだとわかりやすいと思います!」
「なるほど、確かに説明不足だったかも」
「そっ! そんな! 私は元の文章も大好きです!」
「はは、とにかく良くなったと思うんだ。ありがとう」
「役に立てましたか?」
「そりゃもう。ケーキ奢るよ」
「え!?」
「本日のおすすめでいい?」
もともとこの喫茶店のケーキは三種類くらいしかなく、ほとんど日替わりで固定メニューが無い。
それにメニューを渡して、選んでもらうと、遠慮してしまうと思ったのだ。
「え、えっと……」
「すいません! オススメデザート1つお願いします!」
「はわわ!」
「あ。頼んでからなんだけど、もしかしてダイエットとかしてないよね?」
「そ、それは特には。でも、こんな高いもの……」
「はは、社会人を舐めないで欲しいね、高校生」
「あ、ありがとうございます」
何度も頭を下げる夕姫だったが、亞汰彦からすれば、むしろお礼を言いたいのは自分の方だった。
たった一つのアドバイスで、読みやすさが格段に上がったのだから。
ケーキが届くと、何度も亞汰彦の方に視線をやる夕姫。
遠慮しないでと促すと、ようやく食べ始めた。
特にお金の掛かる趣味を持っていない亞汰彦は、それなりに貯金はあるのだ。
最近の大きな買い物は、目の前のノートPCくらいか。
それにしても……。
直した文章をもう一度見直す。
気付いていたけれど、やはり夕姫は。
嬉しそうにケーキをちまちまと食べ始める彼女の様子をうかがいながら。
——天才なんだな。
複雑な思いが、亞汰彦の中を駆け巡っていった。