4話【夕姫】
「えっと、どうしてデュリアデス戦記を書くのを辞めちゃったんですか?」
黒髪眼鏡美少女にして、現在なろうのランキングを独走する、化け物作者のタクハタチヂメのその言葉は、亞汰彦の心に、鉈を振り下ろされた様に突き刺さった。
本来であれば、読んでもらった事を喜ぶべきなのだろうが、亞汰彦は煉獄の底に突き落とされてしまった。
「あっ! ご! ごめんなさい! 私そんなつもりじゃ無くて……!」
その場で崩れ落ちそうになるのを押さえ込む。
だったらどんなつもりだったというのだ……。
いや、この娘は天然なのだろう。その上で、素直な疑問を口にしているだけなのだ。
潰れかけた心を、空気入れで膨らまし、平静を装う。
「自分では好きな作品だったんだけど、全然人気が出なくてさ。このままじゃ書籍化は無理だと思ったんだよ」
”小説家になろう”に小説を投稿する人の動機や目的は様々だろう。
ただ、他人に読んで欲しい人。過去に書いた物が勿体ないから載せた。なんとなく。
だが、恐らく多くの人は、ここに発表する事で、作家デビューしたいという思いを持つ者が多いのではないだろうか。
もちろん統計を取ったわけでも無く、ネットなどの雰囲気から察するしか出来ないが、かなりの人数がいることは間違いが無いだろう。
だから、ごく普通の答えを返したつもりだったのだが、タクハタチヂメは鳩が豆鉄砲を喰らったような表情をしていた。
「好きな作品なのに辞めて、今の作品を書いてるんですか?」
再びぐっさりと突き刺さり、一瞬で亞汰彦のライフはゼロになってしまった。
「ぐふぅ……」
「あああ! ごめんなさい! 私! そうじゃなくて!」
「い、いや、大丈夫。ただちょっと、その、正論過ぎて……」
ウラヌスマン、センボンハリセンの二人に、散々言われたセリフを思い出す。
『いいか! 作品ってのは、作者が楽しいだけじゃダメなんだ! 読者がいてこその作品! ここはお前のオナニーを他人に見せつける場所じゃねぇ!』
これを聞いた時、亞汰彦は目から鱗が大量に落ちまくったのだ。
だから、新作に関しても、何度も二人に相談して、ようやく書き上げたのだ。
だから新作に関しては、好きも嫌いも無い。
とにかくなろうの読者に求められているだろう作品を書いているのだ。
そこに持ってきて、根底を揺るがす無垢な質問に、亞汰彦が血反吐を吐いて倒れそうになったのも致し方無いことだろう。
「すみません! 最近ずっと横で、楽しく無さそうに書いてたので、気になってしまって!」
「い、いや。大丈夫。でも、そんなに僕、楽しく無さそうだった?」
喫茶店で感情豊かに執筆していたつもりはないんだけれど。
「な、なんとなくです」
なぜかそっと目を逸らすタクハタチヂメ。
根拠が無くて恥ずかしくなったのだろう。
「まぁ、デュリアデス戦記の時と比べると、書いてて楽しいって気持ちにはならないな」
「やっぱりそうだったんですね……」
残念そうに視線を逸らすタクハタチヂメ。
「でも、その分なろうには受け入れられてると思うよ」
「そ、そうですよね」
「……タクハタさんの足下にも及ばないけどね」
再び膝から崩れ落ちそうになるが、耐える。
「あう……」
「ああ! ごめん! 嫌味じゃないからね!?」
「大丈夫です。見えてますから」
そこは分かってますからだろう。
亞汰彦は、どうも天然の少女との距離を測りかねる。
だが、折角なので聞いてみた。
「タクハタさんだって、小説家になりたくて、投稿したんでしょ?」
「え!? ち! 違いますよ! ちょっと確かめたいことがあって……」
確かめたいこと?
「それって聞いても良いかな?」
「ごめんなさい、それは……」
「ああ! 無理に聞きたいわけじゃ無いんだ! ちょっと気になっただけで!」
「ごめんなさい……」
「謝らないで! 聞いたこっちが悪かったんだから!」
その後しばらく、お互いに謝りまくって、ようやく二人落ち着く。
「と、とにかく、こんなおじさんが今さらって感じだけど、目標は小説家なんだよ」
「そんな、全然おじさんじゃないですよ!」
「いや、もう28だし」
改めて口に出して言うと、凹んでしまう亞汰彦であった。
25くらいまでは、学生の延長気分だったのだが、最近急激に歳を取ったと実感するようになっていた。
もうすぐ30……まだ20代……。
二つの気持ちが心を直撃するのです。
「おじさんって何歳からなんでしょう?」
「改めて言われるとなぁ……」
「少なくとも30より上だと思いますよ!」
「ははは……だったらもうすぐだな……」
「はぁう! 違うんです! そういう意味じゃないんです!」
わたわたと手を振って否定するタクハタチヂメを、なんだか微笑ましく思ってクスリとしてしまう亞汰彦。
「あ」
「ははは。大丈夫だよ。気にしてないから」
「はい」
亞汰彦に釣られたのか、タクハタチヂメも笑みを浮かべた。
少し地味だが、美人の笑顔を真っ正面に見据え、心のどこかが脈打ったが、亞汰彦は気のせいだと首を振った。
「私、高星夕姫って言います。18歳です」
なんで年齢を言ったんだ?
ああ、僕に年齢を聞いたからかと、亞汰彦は頷いた。
「僕は桂林亞汰彦。変な名前でしょ。亞汰彦でも、アタルでも好きに呼んでね」
「アタルさん?」
「ペンネームがアルイタルで、仲間内からはアタルって呼ばれてるから」
「わかりました。アタルさん」
僕はなんと呼ぶべきか。普通に考えたら高星さんか。流石に夕姫ちゃんはないよなー。タクハタさんが一番……。
呼び方に悩んでいると、また夕姫が亞汰彦の事をじっと見つめていた。
眼鏡の奥で、深海のように深い瞳が不思議な輝きを持っていた。
「な、なにかな?」
「あ、その、良かったら夕姫って呼んでください」
その声は、どこか震えているようだった。
疑問に思いつつ、本人が望むならと、口にしてみた。
「じゃあ、夕姫さんで」
「はい……」
なぜかハッキリと落胆する夕姫だった。
もしかして……。
「……夕姫?」
「はいっ!」
恐る恐る口にした呼び名に、嬉しそうに答えた夕姫だった。
少々気まずいが、このくらいの年齢差なら、変でも無いだろう。
恥ずかしさはあるが、名前の呼び捨てで決定のようだった。
「じゃあ、僕はそろそろ帰るよ」
「はい。お疲れ様でした」
嬉しそうに会釈する夕姫。
「あの、明日も、来られますか?」
「そのつもりだよ」
「そうですか。良かった」
再び満面の笑みを浮かべる夕姫。
その笑顔で、それまでタクハタチヂメに抱いていた仄暗い感情が、吹っ飛びそうになっていた。
ただ、なんで彼女が喜んでいるのかは謎だったが。
もしかしたら、僕と同じで、一緒に執筆してくれる人が欲しかったのかも知れない。
帰宅した亞汰彦がランキングを確認すると、執筆仲間のウラヌスマンが始めた連載が、56位に昇ってきていた。
ええなぁ……ええなぁ……