3話【JKとメッセージ】
ここ数日、執筆の調子が良い。
喫茶店での執筆が合っているようなのだ。
その日も亞汰彦はカウンターでノートPCのキーを叩いていた。
一つ空いた席を挟んで、黒髪眼鏡の執筆者。
最近は席に着く時、お互い目礼するようになっていた。
いつもどおり、書き進めている途中の事だった。
物語の展開に悩んで、意識がPCから逸れる。
その時、じっと眼鏡越しにこちらを伺っている隣人と目が合ってしまったのだ。
亞汰彦は慌てて視線をPCに戻すが、こちらの動きに気付いているはずの少女は、そのまま亞汰彦の事を見続けていた。
なんだ?
寝癖でもついてたかな?
自らの髪を撫でてみるがそんな気配は無い。
どうして見つめられているのか見当もつかず、全く集中出来なくなってしまった。
しばらく気付かないふりをしたまま、執筆を続けようとしたが、当然無理だった。
一旦書き進めるのは諦めて、”小説家になろう”のランキングを確認しようと開いてみると、メッセージが着信していた。
なろうには簡易メールの様な機能がある。それがメッセージだ。
噂では書籍化打診はこのメッセージ機能を使って送られてくる事があると、ウラさんに聞いたことがある。
早鐘を打つ心臓を抑えながら、ゆっくりとメッセージを開いた。
『件名:もしかして』
『初めまして、私はタクハタチヂメと申します。突然すみません』
メッセージの最初の文章を見て、もしかしてという期待の気持ちはすっ飛んだ。
タクハタチヂメ?
絶賛ランキング一位に居続ける”紫の庭”の作者!?
なんの接点も無い、なろうに突如現れたスター執筆者が、一体何の用なんだと、メッセージの続きに目を通す。
『間違っていたら、本当にすみません、もしかして、今、喫茶店ロゼットで執筆していませんか?』
え?
どういう事だ?
亞汰彦は慌てて店内を見渡すが、すぐに店名がわかるものは無い。
ダッシュで店外に飛び出て、看板を見上げる。
喫茶店ロゼット。
控えめで上品な看板には、確かにそう書かれていた。
今まで店名など気にしたことも無かった亞汰彦は、自分を追っている視線を見返す。
じーっと見られていた。
感情も情報も整理できないまま、ゆっくりと席に戻る。そのあいだ、眼鏡は一度も逸れること無く、亞汰彦をずっと追っていた。
「えっと……、もしかして、タクハタさん?」
「面白い色」
「え?」
「あ! ごめんなさい! やっぱりアルイタルさんだったんですね」
「じゃあこのメッセージは」
「はい、さっき出しました」
なんてこったいと、亞汰彦は頭を抱えたくなった。
まさか、今なろうを騒がしている執筆者が隣にいたとは……。
「あー、えっと」
「あの、先生のデュリアデス戦記が好きで、もしかしたらと思ったらつい」
「え?」
驚きは二つ。
一つは、あまり受けなかった前作”デュリアデス戦記 〜白銀の騎士は舞い降りた”の名前が出てきたこと。
ランキングが全く伸びず、打ち切り同然で完結させてしまった作品だ。
もう一つ、先生と呼ばれたことだ。
先生とかやめて! ただのワナビですから!
ワナビ。
それは「小説家になろう」において執筆し、書籍化できない人達の総称である。
もちろん公式の言葉では無い。
アイワナビー●●。
●●になりたいという英語から来ている。
小説家以外の単語も入るのだが、どういうわけかネットスラングでは、主になろう界隈で使われることが多いようだ。
英語の意味だけ考えれば、差別的ニュアンスは含まれないのだが、一部では蔑称として使っている者もいる。
オタクという単語に似ているかも知れない。
亞汰彦自身は、作家になるべく頑張っている人間を差す言葉として、自身をワナビと呼称しているが、人によっては、底辺でもがくものを見下すように使っている。
その、自他共に認めるワナビに向かって、先生と呼ばれたら、それは馬鹿にされているのではと、亞汰彦が少し考えてしまったのもしょうが無いことだろう。
だが、普段の無表情と違い、瞳を輝かせて亞汰彦を見上げているのだ。馬鹿にする意図はないのだろう。
「あー、えっと。デュリアデス戦記読んでてくれたなんて嬉しいよ」
あんなマイナーな作品とは続けなかった。
なろうには、小説がどの程度読まれたのかわかる機能がある。PVと言うのだが、デュリアデス戦記はそのPVが振るわなかった。
1日のPVが三桁行ったのが最高だったのだから。
小説家になろうというサイトは、日本最大級であり、登録ユーザー数が桁違い。さらにユーザー登録していなくても読めることもあり、その存在的読者数は尋常では無い。
だからこそ、みななろうに惹かれ、執筆するのだ。
その、ユーザー数、閲覧人数をもってして、三桁に届かないPVというのは、なろうに合ってない作品なのだろう。
自分で面白いと思った作品が受け入れられなかった時の衝撃は、なかなか言い表せない。
その後ウラヌスマンとセンボンハリセンと出会うことで、なろう力を付けた事で、自信を持って今作を発表したのだ。
なので、その失敗作と二人に断じられた作品のファンだと言われて、どう反応して良いかわからなかった。
もちろん嬉しさもあるが、困惑の方が大きかった。
創作仲間からけっちょんけっちょんに貶された作品。
自分が面白いと思って発表した作品。思い入れと苦さが同居する作品を褒められた思いは、苺とレモンを交互に食べるような感覚だ。
「僕も、紫の庭を読ませてもらってるよ。正直嫉妬するほど良い作品だよ」
「え!? 私の作品読んでるんですか!? えっと、びっくりしました」
「いやいや、ランキング一位を爆走してるんだもの。そりゃあ読むでしょ」
「え?」
タクハタチヂメが、細いフレームをはみ出す勢いで目を大きく丸くした。
「え?」
思わず亞汰彦もつぶやき返す。
まさかと思いながらも聞かないわけにはいかなかった。
「もしかして、ランキング見てないとか?」
「ランキングってなんですか?」
おーまいがっ。
神よ、初めてその存在を信じることにしたよ。このクソッタレめ!!
信じたくないが、俺が一喜一憂しているランキングを! この化け物は、知りもしなかったっていうのか!
「えっと、ランキング、知らないの?」
「ランキングってあれですよね、人気のある作品の順位ですよね?」
「見たこと無いの?」
「たまに見ますけど、そう言えば最近は見てません」
おーまいがっ(二度目)。
一体この子は何のために作品をアップしたってんだよ!
「スマホで見て見なよ」
「ごめんなさい。今日はスマホ持ってないんです」
今時、スマホを忘れる人がいるとは。
仮に忘れても、大抵すぐに気がつくよな。
もしかして普段からあまり使っていないのだろうか?
亞汰彦は疑問に思いつつも、自分のノートPCで「小説家になろう」のサイトを開く。
ランキングページを表示して、液晶モニターをタクハタチヂメに向けた。
「あ」
燦然とトップに輝く自分の作品名を見つけて、キョトンとするタクハタ。
おいおい、本当に知らなかったのかよ……。
スタンスだと思い込みたかったが、この様子では本当にチェックすらしていなかったのだろう。
「な?」
「びっくりしました。感想欄に一位おめでとうって書き込みもあって、なんだろうとは思ってたんです」
「小説を載せたのに、ランキングの順位が気にならなかったのかい?」
「はい。誰か数人でも読んでくれたら嬉しいなっていう軽い気持ちだったんです」
マジかよ。
こっちはどうやって、ランキングが上がるか、書籍化出来るかを毎日頭が沸騰するまで考えてるってのに。
亞汰彦は、少々の怒りを感じてしまう。
同時に、タクハタチヂメがビクリと身を震わせた。
顔に出てないよな?
亞汰彦は自分の顔をなで回す。そして一呼吸。
嫉妬してもしょうがないだろ。人は人。自分は自分。
もう一度深呼吸すると、明らかにタクハタチヂメが安堵したのがわかった。
「ごめんなさい……色の無い文章を読むのが苦手で……」
色?
ああ、小説以外の文章を読むのが苦手って事か。
「あの、それよりも、一つ聞いて良いですか?」
「え? ああうん。何かな」
どちらかと言えば、こちらの方が色々聞き出したいところなんだけど。
「えっと、どうしてデュリアデス戦記を書くのを辞めちゃったんですか?」
その言葉は、亞汰彦の心に、鉈を振り下ろされた様に突き刺さった。
あえてポイントの事は書かず、ランキングの事のみを書いています。
執筆する方には馴染みのポイントでも、読み専の方には馴染みがないかと思い、このような構成になっております。
ぜひ、行間の1ポイントに一喜一憂する様を想像していただけたらと思います。
※)タクハタチヂメはスマホを持っていないという内容を、忘れたという内容に変更しました。