Ⅳ ~何もかも知らない世界~
◇
神社を出発して、シャーリーが爆破して進めなくなった道とは別に大きく北沿いに迂回する形で零夜とシャーリーはトンネルを目指す。
「しかし、不死者と出会った時にどうするかだな」
「どうするかって?」
住宅街の中を進みながらそんな話を切り出すと、シャーリーは首を傾げる。
「この世界が発現した時に現れた不死者は干乾びてるから切断も容易だが、この世界の不死者はまだ死んだばかりだ。死後硬直で肉が硬くて手持ちの武器程度では一息で切断するのは不可能だ」
「なるほど、だから何もせずに逃げたのね」
「ああ。…………それでもまだ自分の力が必要か?」
「ええ、相性の良し悪しは魔法でもよくある事だし、同じ戦う力である武でも別に不自然じゃない。それはそれで仕方ないし、この世界の不死者はあたしが担当するわ」
「では自分は今まで通り最初からいる不死者を相手にしよう。全て任せて魔力を使い果たすわけにもいかないだろう?」
「一族の中ではトップクラスの保有量を誇ってはいるけど、何が起こるかわからない不安定な事態で油断は禁物。極力抑えさせてもらうわ」
そこまで話すと、シャーリーはふと苦笑した。
「どうした?」
「いや、互いの世界の不死者を相手にするなんて奇妙だなって」
「……元は生きていた人間を相手にするのは抵抗があるか?」
「抵抗の有無で言えばあんまりないかな」
「ほぅ?」
「そういうレイヤは?」
「ない」
即答する零夜にシャーリーは予想はしつつもやはり驚きを隠せなかった。
既に実行しているとはいえあまりに躊躇がなさすぎる。
「理由、聞いてもいい?」
「簡単な事だ。他人の為に己の命をくれてやるつもりはない、それだけだ」
「自分本位ね」
「人間誰だってそういう部分は少なからずあるものだ」
割り切って言う零夜の発言は取り様によっては冷酷とも取れるかもしれない。
しかしシャーリーは知っている。
本当に自分本位なだけなら倒して尚苦しみから解放されない哀れな人間の成れの果てに向かって黙祷を捧げないという事を。
「っと」
立ち止まった零夜の少し先を見ると、あちらの世界の不死者が数体姿を現した。
「噂をすればなんとやら」
言いつつ零夜は腰のナイフを両手にそれぞれ抜き腰を落とす。
対して不死者達も目敏く(目もないくせに)2人に気付いて向かってくる。
「片付ける」
足先に力を籠め、零夜は駆け出して行った。
◆
零夜とシャーリーが出発して暫く経ち、詰所で作業をしていた汀は外に出た。
アイリスの姿が見えないので出てきたわけだが、見ると本殿の前でアイリスは目を閉じ胸に手を組み祈る様に微動だにしない。
「……アイリス、さん」
「……」
恐る恐る声をかけるも、余程集中しているのか反応がない。
しかしどうしようかと迷っていると、やがてアイリスは目を開き汀に気付く。
「汀さん、どうかしましたか?」
「あ、いえ、姿が見えなかったので……」
「ああ、そうでしたか。アリアさんは?」
「まだ休んでます。なかなか休めないみたいで……」
「無理はありません。まだ幼いあなた達がこんな状況に巻き込まれれば当然です」
「……」
優しく慈しむ様に微笑むアイリスだったが、何故か汀は余計に複雑な表情を浮かべる。
勿論、アイリスがそれを見逃すわけもなかった。
「もしかして、私と何かありましたか?」
「ううん、別に……」
「では言葉を変えましょう。私と同じ姿の方と何かありましたか?」
「!?」
的確な指摘に汀は目を見開いてアイリスを凝視する。
「何故、それを…………もしかして、心が読めるとか?」
「そんな力は持っていません。ただ、私にも覚えがあるからです」
「え……?でも記憶がなくて最低限の事しか覚えてないって……」
「…………わかってしまいましたか」
知られたくない筈なのにアイリスはやはり微笑みを崩さずあまり気にした様子がない。
「私も自分なりにこの状況を見極めたいのです。できればこの事は内緒にしてほしいのですが……」
「……」
幼い汀にはアイリスの考えている事はよくわからなかった。
ただ意図的に隠し事をして零夜やシャーリーと距離を置いている様に感じて胸が痛かった。
でも、多分自分の知る人と同じ姿をしているこの人はきっと訳があるのだろう。
そう思う事にして汀は首を縦に振るのだった。
◆
「あそこだ」
何度か不死者達と会敵し、交互に戦闘を行った末に零夜とシャーリーは件のトンネルに辿り着いた。
「使われていないと聞いていたけど、それにしても朽ちてるわね」
「10年以上前にこの先にある隣町が自然災害か何かで壊滅して使う必要性がなくなったから封鎖された筈だ」
「ふーん……それにしては何度か人が通った形跡が見られるわね」
「隣町が壊滅した時に命を落とした亡者が今も彷徨っているという噂が後を絶たなくてな、ここらでは有名な心霊スポットとして何度もその辺の馬鹿共が出入りしてるのさ」
「しんれいすぽっと?」
「悪霊とかそういう、お前の世界でいうところの不死者の一種が出没する場所をこの世界ではそういうんだ。まぁ大抵は面白おかしく囃し立ててるだけだがな」
「……ふん、やっぱりどこ行っても人間は人間、か」
余程癇に障ったのか、急に不機嫌になったシャーリーが「で?」と視線を零夜に向ける。
「あなたはどうなの?」
「馬鹿馬鹿しい。仮に百歩譲って不死者の類が出るにしても、それを面白おかしく囃し立てるのは命――かつて生きていた者への冒涜にしかならない」
「……」
鼻で笑いながら零夜は先を歩いていくと、その背を見ながらシャーリーは秘かにバツの悪そうな表情を浮かべた。
そんな事は露も知らずに零夜はトンネルの目前、封鎖の為に設けられたバリケードまで来ると少し上を見上げる。
普段なら例え昼までも不気味な雰囲気を漂わせているであろうトンネルは入口の地点で既に赤い空と相まって禍々しさすら感じる。
「場合によっては、遂にこいつの出番か」
そう言って零夜が取り出したのは今までずっと使わないままの狙撃銃だった。
「それは?」
遅れて隣に立つシャーリーは首を傾げる。
零夜の手荷物の傍らにあるのは知っていたが、今まで遂に聞く事がなかったのだ。
「銃と言う射撃武器だ。その中でも特に長距離を狙い撃つのに適した物だが、あっちの世界にはなかったのか?」
「どうだろう、もしかしたらあったかもしれないけど。――あ、でも、機人族の一部に似た様なのを持っているのがいたかも」
「魔法主体の世界ならどちらかと言うと魔法を撃ち出すという形かもな」
言いながら零夜は銃に弾が入っている事を確認し、安全装置を外す。
頭を落とされてもまだ動く不死者相手には効果が薄い為使用しなかったが、なんとなく直感で感じていた。
――この世界には不死者以上の脅威がいるという事を。
◆
「……」
「ところで、アイリスさんはさっきから何をしてるんですか?」
相変わらず祈る様に意識を集中させているアイリスの後ろ、本堂前の段差に座っている汀が声をかける。
「長い間眠っていたので元の調子を取り戻すがてら、できる限り範囲を広げて辺りを魔力で探査しています」
「そんな事できるんですか」
「と言ってもできるのは魔力を帯びているものに限定しますけど」
振り向いて苦笑いしつつも、顔を前に戻したアイリスから笑顔が消える。
(なんだろ、大きい反応が全部で……4つ?)
より詳しく精査しようとするが、どれも深く感知しようとすると何とも言えない感覚が襲い掛かる。
「………………っ」
なんとか試みるもアイリスは遂に根負けしてその場に座り込んでしまう。
「アイリスさん!?」
それを見ていた汀が駆け寄り肩に手を添える。
「な、何ですか、これ……?気持ち、悪い……」
「よくわからないけど一度止めて、ほら、今は休んで!」
汀に肩を借りてアイリスはとりあえずさっきまで汀が座っていた本殿の段差に腰を落とす。
だがアイリスは気付いていた。
急激に体調を崩す程に大きい反応を示す4つの反応の内の1つに、シャーリーが近づいている事に。
◆
トンネル内を進む二人は慎重に歩を進めていた。
何処から何が来るかわからない為、零夜に先導してもらいつつシャーリーは少し後ろから魔力探知に意識を集中している。
今のところ不死者も現れていないが、余計に不気味さを際立たせているのは言わずもがな。
「……なんだ?」
そして緩やかなカーブを曲がった先、出口が見える筈のそこには出口が見えなかった。
入口同様の大きな口があってそこに向こうに続く道が見える筈だったが、その代わりに赤と黒――空と同じ模様の壁が遮っていた。
「素直に出してもらえるかわからない、か」
アイリスは確かにそう言っていた。
そして予想通り脱出を拒む様に壁が、ご丁寧に向こうが見えない様になっている。
とりあえずもう少し近づいて確かめようとすると――。
「……下がってッ!!」
それまで黙っていたシャーリーが突然鋭い声で呼びかける。
問い返すよりも先に零夜は言われた通りに地を蹴ってシャーリーの隣まで下がった。
すると壁の前にどこからともなく植物の根の様な物が生えてきた。
みるみる増えていく尋常ではないその光景に、シャーリーが後ろを向くとそこにも同様の光景が。
「退路を、断たれたわね……」
試しにシャーリーは軽くボーリング玉ほどの大きさの火球を発生させて根にぶつけてみる。
根は爆炎によって一部が吹き飛ばされるも即座に再生、同時に反撃とばかりに鋭い切っ先で突きを繰り出してきた。
「危ないっ!」
シャーリーと零夜は互いに左右へとそれを避けるも、根はそれ以上の事はせずただ退路をしっかりと塞いでいるだけだ。
改めて壁の方を見ると、そっちは根がどんどん集束していく。
「蛇……いや、龍か?」
ちょうど首が細長い生物の様な頭を形作ったそれは目に当たる部分に光が点き二人を見下ろす。
「おいおい、不死者からいきなり難易度上がり過ぎじゃないか?」
冗談めかして言うも、どれほどマズい事態なのかは零夜にもわかっていた。
初めて不死者と出会った時以上に。
「さっき、不死者以上の存在が出てくるかもしれないと言ってたわね」
「ああ……」
入る際に零夜はそう言っていた。
だからこそさっきまで零夜が警戒、シャーリーが探知をしていたわけだが……。
「そこまで当てなくてもいいじゃない」
「自分に言うな」
龍の姿を模した木――木龍と呼称する事にしたそれはまず手始めに2人に向かってガスの様なものを吹き付けてきた。
2人は軽くそれを避けるも、木龍は次々に吹き掛けていく。
「この煙は一体……」
「試してみるか」
回避と同時に零夜は折りたたみナイフを取り出して木龍の口へと投げつける。
するとナイフは瞬く間に塵芥となり崩れ去る。
「! 腐食ガスか」
「うわぁ、趣味悪い……。まぁすぐに霧散するだけマシね」
さっきからガスを吐き続けているが、ガスが溜まっている様子は見られずひとまずは状況が悪化する事はない。
が、脱出も不可能な以上どうやって木龍を倒すかが問題である。
「そこ!」
ガスを吐く直前、シャーリーはその口元へ火球を放つ。
ガスのせいか、さっきと同じ威力の火球にも拘らずより大きく爆発して木龍の頭は大爆発した。
しかし2人ともこれで倒せたとは思っていない。
「やっぱりね……」
さっきの根がそうであった様に木龍も即座に再生した。
◆
「はぁ、はぁ、はぁ……」
アイリスは呼吸が乱れながらも構わず魔力を集中して魔力探査を継続していた。
最初は止めていた汀も零夜とシャーリーの為だと説明すると諦め、集中しやすい様に席を外している。
魔力の波長から既に戦闘を開始したとわかったが、敵のこのなんとも言えない違和感の正体を掴むまでは止めるわけにはいかなかった。
(あと……もう少し……)
遠い場所にいても敵の魔力の性質を徐々に解明していく。
そして遂に。
「! 見つけた!」
この不快な違和感の原因である敵の正体を発見した。
そしてすぐさま戦っているシャーリーの魔力に自分の魔力波長を合わせる。
(シャーリーさん……シャーリーさん、聞こえますか?)
(……え?この声、アイリス!?)
恐らくは苦戦しているであろう時に突然頭に直接知った声が聞こえれば戸惑うだろう。
(え、なんで?これって――)
(話は後で。今はとにかく目の前の敵の正体を倒す方法を)
ほぼ間違いなく集中が途切れるだろうが、それでも伝えなければならない事があるので続ける。
(敵の正体は魔力のみで構成されたただの魔力体です。核となっている導力部を壊せば倒せます)
(簡単に言ってくれるけど、壊したそばから再生して見つける以前なんだけど!?)
(その魔力体の動力部は首元にあります。そして、導力部自体はかなり脆いので普通に破壊は可能です)
(! わかった、他に手はないし、その言葉を信じてやってみる!)
知っている事を全て託すと何か考え付いたのか、シャーリーは乗り気になる。
安心してアイリスは徐々に魔力を弱めていき、最後にはその場に倒れてしまう。
「ちょ!?だから無茶しないでって言ったのに!!」
焚火の前でさっき起きてきたアリアと一緒に見守っていた汀が慌てて駆け寄る。
しかし倒れてしまっている状態では汀も起こす事ができない。
「ふ、ふふ、一日ももたずにバレてしまいました……。私って……本当に……」
魔力と共に精神力もすり減らしていたのか、それだけ呟くとアイリスは意識を失うのだった。
◆
「――ちょっと大きいのお見舞いしたいんだけど、引き付けてくれる?」
アイリスの話が終わったところでシャーリーは尚も避け続けている零夜に呼び掛ける。
「引き受けた。幸い敵の攻撃はこちらに集中している」
シャーリーよりも正確に攻撃を見切っている零夜に危機感を覚えたのか、さっきよりも手数を増やして零夜に攻撃を集中させている。
流石に避け続けるのは困難になり時折ナイフで受け流すなどして少し押され始めてはいるが、まだまだ体力面で余裕はある。
それを横目に少し後ろに下がってシャーリーは魔力を集中させる。
あまり時間を取る必要がないとはいえ、中級に当たる魔法を使うのも困難なこの状況で零夜に攻撃が集中するのは都合がいい。
と、同時に中級くらいまで即発動できない事に少し悔しさを感じる。
(まだまだ、ね……)
両手の中で火球は先ほどよりも倍以上に膨れていく。
それを感知してか木龍もそれまでただ塞いでいただけの後ろの根を伸ばしてシャーリーを串刺しにしようとする。
「っ!?」
「――させるか」
避けているだけだった根を全て斬り払い、バックステップしてきた零夜は今まさに串刺しにしようとしている根に向けてナイフを投げつける。
馬鹿正直に横一列だった事もあり、シャーリーを串刺しにするつもりだった根は逆に串刺しにされてそのまま壁に突き立てられた。
「アビスブレイズ!」
その間に完成した魔法を即放出、教えられた通り首元を狙う。
自らの手足である根を封じられた木龍は避ける間もなく大火球を受け頭が宙を舞う。
だが……。
「くっ、足りない……!」
吹き飛ばされた首元の中から核と思われる怪しい光を放つ導力部が露わになる。
しかし首元を吹き飛ばすのに威力を削られ過ぎたのか、破壊まで至らなかった。
ターーーーーーンッ!!
が、次の瞬間聞き慣れない炸裂音がトンネル内に響いた。
「………………え?」
見ると導力部は砕け散っており、それに続いて周りの根も塵となって消えていく。
「ふぅ」
見ると銃口から一筋の煙を上げる狙撃銃を肩に担ぎ零夜が一息吐いていた。
「何、したの……?」
「? あれを壊すのではないのか?」
「いやそうだけど、その銃でやったの?」
銃という物をついさっき知ったばかりで使っているところを見た事がないシャーリーが呆気に取られる。
が、それに答える事もなく零夜はナイフを手にするとシャーリーに投げつけた。
「っ!?」
咄嗟に防御しようとしたがナイフはシャーリーではなくその前にザスッと何かに突き刺さる音を立てた。
「え?」
改めて前を向くとナイフが頬に深く刺さった状態でガスが漏れながら宙を舞う木龍の頭がそこにあった。
「往生際が悪いな」
そこに零夜は再度銃を構えて木龍の頭を狙い撃つ。
炸裂音と共に木龍の頭は更に宙を舞い、そこへもう一発撃ち込みまた舞う。
「これが銃……」
今度はしっかりその威力を確めたシャーリーは息を呑む。
人間より身体能力が高い魔人族をもってしてもその弾速は捉えきれず、辛うじてそれと思われる影を確認するので精一杯だった。
それはそうと……。
「あーあ……」
地につく事もなく霧散した木龍の頭から落ちたナイフを拾い上げる。
頬を貫通した事でガスに触れたのだろう、刀身の半分以上が無くなっていた。
「これはもう使えないな……」
もう一本壁に刺さったままのナイフを回収した零夜に渡すと、零夜はため息を吐きながら受け取ったナイフを鞘に納めて手荷物に放り込む。
「で、改めてあの壁だが」
木龍の出現で忘れ去られていたが、本来の目的の終点である壁にシャーリーの前を数歩近寄り目を向ける。
「通れないか?」
「ええ。仮に最上級魔法を使えても壊せないわ」
「まぁ、予想通りか」
「……でもいくつかわかった事がある」
「ほぅ?」
「でもそれはとりあえず戻ってから、ね」
「了解した。ではこんな一方通行の場所で不死者に遭遇しない内に退散しよう」
シャーリーも頷いて答えると、零夜はその場に少し屈み込むもすぐに立ち上がり来た時同様先を歩いていく。
「あ……」
その背にシャーリーは声をかけようとするも、どうしても声が出せなかった。
「? 行くぞ?」
「え、ええ……」
動かないシャーリーに再度声を掛け、零夜は特に気にした様子もなく歩いて行く。
胸の内にもやもやしたモノを感じつつ、シャーリーはその後に続くのだった。
◇
「戻った……って、どうした?」
帰りは不死者に遭遇する事なく神社に帰り着くと、そこには本殿の前で座り込んでいるアイリスが冷や汗を流しており、それを汀が心配そうにしながら拭っている。
「力を使い過ぎてついさっき目を覚ましたところ」
「力とは、さっきの独り言か?」
「ちょ、人聞きの悪い事を言わないでちょうだい!」
と言いつつも改めてその時の事を思い返してみる。
傍から見れば何もない所で1人叫んでいる危ない娘にしか見えなかった。
「まぁ最初は何事かと思っていたが、なんとなく予想はついていた。念話……テレパシーってものかと思ったが」
「テレ……?まぁその呼び名はわからないけど、念話自体は存在したわね」
「した?」
「今では習得はほぼ不可能と言われている超最上級魔法なのよ」
「へぇ」
これには流石に汀も意外そうに声を上げる。
ゲームやアニメでよく知っている単語で、割とポピュラーな魔法或いは超能力として認識していた。
「お兄さんが前に言っていた言葉があったね。……えーと」
「事実は小説より奇なり?」
「そう、それそれ」
傍で話を聞いていたアリアに汀がすっきりした表情で相槌を打つ。
「まぁ世の中そういうものよ」
それを見てシャーリーも苦笑混じりで答える
「しかし前に自分を誘導したあれは?」
「あれは風の囁きって初歩の風魔法よ。使い易いけど範囲が広くない」
話が逸れたとシャーリーは話を一度断ち、ツリ目を細めてアイリスを見据える。
「そして、そんな超最上級魔法を使いこなしたあなたの正体は……紛れもなく天使族ね」
「半分正解です」
指を突きつけて言い切るシャーリーにアイリスは観念した様に微笑みつつも曖昧に答えた。
「半分……?」
自信満々の答えを曖昧に答えられて目が更に釣り上がる。
「私は竜人族と天使族の間に生まれた……所謂混血児なのです」
「はぁっ!?」
アイリスの告白にシャーリーは信じられないとばかりに素っ頓狂な声を上げた。
「そんなに驚く事なのか?」
「あたしの世界では大昔から種族間の争いが絶えなかったし、交流が生まれたのも結構最近だから……」
詳しい事はよくわからないが、シャーリーの驚き様からしてアイリスの存在自体が非常に稀有なのだろう。
しかし疑問も残る。
「見たところこいつはお前と同じ歳くらいだぞ?交流が始まる前から密かに生まれていたと言わないと説明がつかないぞ?」
人間と違って外見と実年齢が一致しないなら尚更、と言い足す零夜だが次の瞬間にとんでもない事を言い出す。
「もしくは昔に誕生していたが、存在そのものを危険視されたと言われればあの棺に寝かされた説明にもなる」
「!」
この爆弾発言にシャーリーは衝撃を受け、アイリスも驚いた様子で零夜を見上げている。
「……その通りです」
「うそぉっ!?」
予想外の展開にシャーリーもついていけず混乱気味だ。
「え?ちょっと待って?え?え?で、でも、なんでそんな事に?」
「それは……」
シャーリーの問いにアイリスは表情を曇らせて俯く。
「今はどうでもいいだろう」
しかしそれを零夜は横から跳ね退ける。
「どうでもって……」
「今大事なのはこいつが敵か味方か、それだけだ。助言をくれるくらいだから味方だと思いたいがな」
断言する零夜にシャーリーも落ち着きを取り戻したのか、零夜と並んでアイリスを見据える。
「――わかった、でもこれだけは聞かせて。なんで記憶喪失って嘘を吐いたの?」
「……怖かったのです」
シャーリーの問いにアイリスはポツポツと本音を語り始める。
「望まないまま眠りについて、目が覚めたら全てが知らない世界。自分がどうなるかもわからない状況で咄嗟に……」
痛々しい告白にシャーリーだけでなく汀やアリアまで言葉を失う。
「でもそんな私にあなた達は何も言わずに普通に接してくれた。でも会話の内容からシャーリーさんが同じ世界の人ってわかって、私が混血だって知ったらどんな顔をするのか怖くて……」
これにシャーリーは察しがついた。
アイリスは零夜の言った通りその存在そのものが危険視されていた時代に生まれた、しかし交流が生まれた時代の生まれであるシャーリーにとって自身の存在がどう伝わっているのかがわからないのだ。
もしこれで嫌悪感や敵意を向けられたらと思った――と考えられると共に当時アイリスがどう思われていたのかも察しがつく。
「じゃあ、倒れるまで助けてくれたのは?」
「だって……」
一瞬苦悶の表情を浮かべ、アイリスは顔を両手で覆い俯く。
「躊躇している間に命が失われるのはもっと怖かったから……!」
アイリスの悲痛な言葉に零夜はため息を吐いてシャーリーの肩を叩いた。
お前しかできない、そう言いたげに視線を寄越してそのまま本殿の裏へと姿を消した。
「……アイリス」
考えるまでもない。
シャーリーはアイリスの前に膝をつきその肩に手を置いた。
「驚きはしたけど、混血だからって嫌悪感とかはないわ。寧ろもっと早く出会えればよかったと思ってる」
「……え?」
意外だったのかアイリスは顔を上げる。
泣いてこそいないものの、その表情は怯えを帯びている。
「種族間の交流が始まったものの、もう全てが遅かった。もっと早くあなたがいてくれたら、もしかしたら違う未来だったかもしれない」
「種族間の交流……そんな事が」
意外だったのか、アイリスは目を見開いて本当に驚いている。
「いえ、たらればなんて今はもういい。今はこの世界――紅の空間から脱出するのが先決」
そういってシャーリーはアイリスの手を取る。
「力を貸して、あなたのその力はきっとこの先必要になる。そしてその後、元の世界に戻ったら何があってもあたしが傍にいるから」
「――!」
真剣な眼差しを向けるシャーリーにアイリスはその言葉を噛み締める様にそっと目を閉じる。
「……はい」
◇
「どうやら、無事に解決できた様だな」
とりあえずまだ念話の影響で疲労が残るアイリスをもう少し休ませ、シャーリーは本殿の裏に消えた零夜の様子を見に来た。
すると零夜はそこで何かしらの作業をしていた。
「ええ、あの娘の辛さがわかる――と言うのはおこがましいかもしれないけど、それでも何も知らない世界や事態に巻き込まれて不安に思うのは誰だって同じでしょ?」
「そうだな。だがこの場合、同郷でしかも生まれた時代が違うからこそその垣根を取り払う必要があると判断した」
「全てはあなたの思惑通りかしら?」
「人聞きの悪い事を言うな」
さっきのお返しとばかりにすこし意地悪っぽく言ってシャーリーは苦笑する。
「ところでさっきから何してるの?」
「今日の戦闘は結構激しかったし、あいつも汗を流してたからな。ここらで一度汚れを落としたいかと思ってな」
話しながらも作業をしていた零夜の目の前には人一人なら余裕で入れるほどの大きな釜が鎮座していた。
そこに水を入れ、窯を乗せている台に薪を並べている。
「! もしかしてお風呂!?」
「正解だ。物置の端にあったのを思い出してな」
「……あ」
しかしそこで表情を輝かせていたシャーリーが急激にその表情を曇らせる。
「どうした?」
「折角だけど、あたしはいいわ。あの娘達を入れてあげて」
「意外だな、お前そういうの結構気を使いそうなのに」
「……」
何故かはわからないが入浴を拒否するシャーリーに零夜は一つ思い当たった。
所謂五右衛門風呂と呼ばれるこの形式は火の調整をする者が必要になる。
そしてそれはおそらく零夜しかできない。
つまり、零夜の前で肌を晒す事になるのだ。
「まぁ無理強いはしないが、自分は一応目隠ししてるぞ?」
「それ、大丈夫なの?」
「火の調整くらいは見ずともできる」
「……」
それでもシャーリーは首を縦に振らない。
信用できないからか、それとも……。
「……もしかして、お前も何か隠してないか?」
「っ」
図星なのか、肩を一瞬震わせつつシャーリーはやはり何も言わない。
「さっきも言ったが、別に追及するつもりはないぞ?」
「それは、そうだけど……」
この男ならそう言うというのはわかっていてもシャーリーには踏ん切りが付かない。
「じゃあ言わせてもらうが、このまま入らないでいられると自分は結果的に臭い奴と一緒に戦わなければならなくなるんだが」
「く、臭いって失礼じゃない!?こ、これでもうら若き乙女に向かって言う言葉じゃないでしょ!?」
流石にカチンときたのか、シャーリーは少し顔を赤くして捲くし立てる。
対して零夜は平然と、しかし何所か見透かした様にシャーリーを見上げている。
「~~~~!!わかったわよ、入ればいいんでしょ!その代わり、少しでも覗いたり不埒な想像したら燃やすから!!」
そうと決まったら早く沸かしなさいよ、とシャーリーはそっぽを向きながら焚火と同じ様に指を軽く振って薪に火を点けるのだった。
◇
「んん……ちょうどいい湯加減ですね……」
「お気に召した様で何よりだ」
気の抜けた表情を浮かべるアイリスに目隠しをしている零夜は答えつつ竹筒で拭く。
シャーリーによって知らされた入浴の知らせにアイリス達はこの状況でも素直に大喜びした。
そうして最初は多数決でまずシャーリーが入る事となり、シャーリーは始終恥ずかしそうにしていたが風呂に入れば心から寛いで一時の休息を楽しんだ。
その次は汀とアリアが2人で入るが、元々付き合いが長く気心が知れているので躊躇いはなく思い思いに過ごしていた。
そして最後にこうしてアイリスが入っているわけだが……。
「私、落ち着いて話したい事があるので」
シャーリーの次に誰が入るか決める時にアイリスはそう言った。
シャーリー達は最後までいなかった零夜にも改めて話すのだろうと聞き耳を立てる事もなく二人っきりにして、食事の準備に取り掛かっているだろう。
「空、本当にこの世のものとは思えないほど不気味ですね」
「ああ。この時間なら星空を眺めながら露店風呂に入るのはさぞや風情があっただろう」
「……この世界は一種の結界の様なものになっていて、壁の向こう側ではあなた達の知っている世界が存在している筈です」
「結界……異変が起きているのはその内部であるこの街だけという事か」
「おそらくは」
「その対処法は……また改めて話し合った方が良いだろう」
「ええ」
それからまたしばらく沈黙が続くも、アイリスは意を決して「あの」と声を掛ける。
「汀さんからそれとなく聞いています。あなた達は、私とシャーリーさんと同じ顔をした人と知り合いなのですよね?」
その問いに零夜は少し間を置いてから肯定した。
「とは言っても同じなのは姿形だけで、性格や細かな仕草に少し違いがある」
「少し、ですか」
「偶然かどうか知らないが、半分近くは似ていると言っても過言ではない。だが、あいつらはあいつら、お前達はお前達だ」
最初こそ驚きはしたが、零夜は既にそれについては見切りを付けており、それほど接し方に困っていない。
そう、零夜は……。
「でも、まだ汀さんやアリアさんは戸惑っている様ですね」
「それは仕方ない。あいつらはまだ幼い、ただでさえこの状況なのに分別をつけろと言う方が酷だ」
「ですね。…………でも、実は私も同じだったりするのです」
「?」
「私も眠りに着く前に会っているのです。あちらの世界のあなたに」
「ほぅ、まぁ逆のパターンがあってもおかしくはないな。意外に世の中狭いとは思うが」
「どういう人か、聞かないのですか?」
「興味ないな。必要だったり、お前が気持ちに整理をつけたいというなら聞くが、俺自身はどうでもいい。あっちの世界の俺と自分は所詮別人に過ぎないんだから」
「……ふふ」
あっさりしている零夜にアイリスは微笑み釜から少し身を乗り出して零夜を見下ろす。
目隠しをしている零夜はそれに気付いていなかったが、アイリスの前髪から落ちた雫で気付いて顔を上げる。
「でも似ているところもありますよ。重ねているわけではありませんが、これも因果でしょうか」
「さぁな。そんな難しい話はわからん」
と、そこに冷たい風が少し強く吹きつけるが2人は特に気にする事はなかった。
しかし目隠しの結び目が解け、零夜は咄嗟に目を抑える。
「零夜さん」
そこにアイリスが声を掛ける。
咎められるかと思ったが、それにしてはその口調は普段の穏やかなそれと違い真剣そのもので、零夜は再度アイリスを見上げる。
窯の縁からちょうど胸から少し上まで身を乗り出しているアイリスは真剣な眼差しでこちらを見つめている。
「この結界を早く破壊して、閉じ込められた人々を助けましょう」
「自分は別に正義の味方になりたいわけじゃないぞ?見かけたら助けるが、進んで人々を助ける為に戦おうとは思わない」
恐らくアイリスは慈愛精神が高いのだろう。
まさに見た目通りではあるが、相性的には基本自分本位の零夜とは全くの真逆。
本来なら相容れない主張ではあるが……。
「それでも、構いません」
しかしアイリスはそれすらも受け入れて見せた。
これには零夜も意外そうに片眉を上げる。
「戦う理由は私とあなた、それにシャーリーさんもそれぞれ違うでしょう。それでも目的が同じなら協力できる筈なのです」
「……ふむ」
「だから……あなたの力も貸してください。あなたの力は、この先も必ず必要になります」
そう言ってアイリスは手を差し伸べる。
「……いいだろう、乗った」
その手を取り零夜は賛同する。
一見弱そうなこの少女に、ほんの少し興味が湧いた。
……とは、流石に口にはせずに。