Ⅰ ~共存の第一歩~
「――では、定例会議を始めよう」
共存誓約地中央にある誓約の湖、その中央にある集会所で6つの種族の族長達が顔を合わせる。
「まずは各部署から何か」
「調査班と合同でやってた島の調査について」
カレンがまず最初に手を上げたのでシェンが促す。
「以前から議題に上がっていた『島の転移後の状態』だけどね、どうも空間ごと入れ替わってるかもしれないんだ」
「空間ごと?」
「この共存誓約地は元々大陸の端っこにあっただろ?うまく誓約地だけ転移してきたわけだけど、周囲の海域・海底・そして本来は大陸へと続く筈だった絶壁――それら全てを調査した結果、あっちの世界とこっちの世界のここら一帯の同じ座標同士が丸ごと入れ替わってるかもしれないんだよ」
「つまり、逆に元々ここにあったものはあちらの世界に行っているという事か?」
「そうなるね。一応今度会談の時にでも、この島が転移して来てから行方不明になった者がいないか調べてもらった方がいいかもしれないね。とは言え、仮にいたところでどうしようもできないけど」
「なるほど。了解した、とりあえずこの議題は達成という事でいいだろう」
異議なし、と声が揃うとエノは手元のモニターを操作し「島の転移後の状態」を解決済と振る。
「調査ト言エバ紅ノ空間ニ関シテ先方ト共有シテオキタイ事ガ」
エノが(表面上では分かりにくいが)少し困った様子で言う。
「先日ノ調査ノ結果、ヤハリ紅ノ空間ハ縮小シテイル」
「間違い、ではなかったという事か」
「デ、ソレトハ少シ話ガ逸レルノダガ、紅ノ空間周辺ハ立チ入リ禁止トナッテイルニモ関ワラズ面白半分デ立チ入ル人間ガイルノダ」
「おいおい、あんな事があったのにまだわかってない連中がいるのかい?」
「実はその件は先方でも問題になっていてな、危険性は伝えてあるし注意喚起も行っていると聞いている」
「……紅の空間が縮小しているという事は、空間内のあったものが外に出ているという事ですよね?」
ここでセレスが神妙な面持ちで問う。
「アア、間違イナイ」
そう言ってエノは大きいモニターを2枚並べて表示する。
「右ガ前回、左ガ今回ノ調査デ記録シタ同ジ場所ダ」
モニターの映像はどちらも山の中で周りの景色から同じ場所だという事はわかる。
ただ違いは右のモニターには紅の空間から飛び出る枝が見えるだけだったのが、左のモニターでは幹が半分以上紅の空間の外に出ていた。
枝の形状を見比べてみても、同じ木である事が確認できる。
「ご存じの通り、紅の空間は高濃度の負の魔素で満たされている場所です。例え木であろうとも紅の空間内にあったものが外に出るという事は負の魔素が残留している可能性があるのです」
「負の魔素によって変異した動植物に襲われる可能性、或いは不法侵入した人間そのものに影響が出る可能性がある――という事ですね」
メグの言葉をセレスは肯定する。
「シェン様、次回の調査時はわたくし達も同行します」
「負の魔素が残留しているのなら浄化しないと。同じく同行します」
「触レテモ無害、技術盗用及ビ痕跡逆探知モ可能ナ防壁発生装置ノ設置ヲ先方ニ提案シテホシイ」
「わかったわかった」
畳み掛ける様に次々と飛んでくる意見にシェンは苦笑しながら制する。
「最後にシャーリーからは何か」
ここまで来て一言も口にしないシャーリーにシェンが話を振る。
「今のところは特に」
「そうか……」
「あ、いえ、やっぱり一つだけありました。以前提案した健康診断ですが、エノの協力で下準備を進めており、来月には実施できる予定です」
「うむ、頼むぞ。――他にはないか?ないなら今回の会議はこれで終了とする」
「ありがとうございました。ではお先に失礼します」
「ア、待ッテ」
会議が終了すると足早にシャーリーが立ち去り、その後をエノが追いかけていく。
その後ろ姿を他の4人は思うところがあるのか、ただ見守っている。
「……しっかし、健康診断か。よくそんな事考えついたな」
「この世界に来て環境はだいぶ良くなったと思いますが、それでも環境の変化から体調を崩しがちになる方も少なくはありませんから、ここで一斉に調べるのは良い機会でしょう」
「でもその発想をどこから持ってきたか、ですよ」
「……」
シェンは密かにため息を吐く。
この世界に来て劇的に環境は変わった。
しかしその変化はこれまでの転移前と比べれば好転してると言え、その為に忙しくなったり大変な事になるのは仕方ない事だと思っている。
でもあの2人は、それだけで済むとは思えない。
(何事もなければいいのだが……)
◇
「ただいま」
「お帰りなさいませ」
シャーリーが屋敷に戻ると、パタパタと少女が出迎えた。
「エノ様、ようこそいらっしゃいませ」
「アア」
「クララ、アイリスは?」
「書斎で読書中です」
「ありがとう」
軽く手を振ってシャーリーとエノはを歩いて行き、その後ろ姿にクララは一礼していた。
「アイリス?」
書斎にやってくるとアイリスは陽の当たる窓際にいた。
とても絵になる光景ではあるがこちらに全く気付いていない。
「カナリ集中シテイル様ダナ」
「あの娘のお気に入りの場所なのよ。全く、会議が終わったらエノが来るって言っておいたのに」
肩を竦めながらやれやれとシャーリーはアイリスに近付いて行く。
そして徐に胸に触れる。
「ひゃあっ!?」
途端にアイリスはその場から跳ね上がり本を落としてしまう。
「むぅ、やっぱり何気にアイリスの方が大きい……」
「な、何するのですかっ!?」
アイリスは顔を赤くしながら落とした本を拾いながら抗議するも、シャーリーは後ろを指差し無言で促す。
「あ……ごめんなさい」
「構ワナイ、今来タトコロダ」
謝るアイリスにエノは手を軽く上げて応える。
場所をシャーリーの自室のバルコニーへと移し、3人はテーブルを囲んで座ろうとする。
とその前にエノは部屋の片隅に腰を落とす。
すると何かが外れる音の後蒸気を上げて鋼の身体が開いた。
「ふぅ~」
中から少し小柄な少女が姿を見せる。
背まである少々乱雑な髪を一度掻き上げ遅れて着席する。
「お疲れ様です」
そのタイミングを図った様にクララが紅茶を用意する。
「ありがとう」
礼を述べエノはカップを優雅に傾ける。
「う~ん」
紅茶を楽しみつつ、開放感を全身で体感するエノにシャーリーが苦笑する。
「しかし、こうしていると本当にエノさんも女の子ですね」
「まぁね」
何度か見てはいるがしみじみ言うアイリスに今度はエノが苦笑する。
エノ達機人族は一生の殆どを鋼の身体で過ごすというのが他の種族の共通認識――だったのだが。
「事の発端は大昔疫病が世界で発生した時にそれから逃れる為に特殊な処置を施して鋼の身体に閉じこもった人間――でしたか?」
「あ、もしかして調べた?うん、そう言われてるね」
「実際その姿を見せた時すっごく驚いてたわね」
「それは鉄の塊からこのような可愛らしい美少女が出てくれば……」
初めて正体を現した時もこの場だったが、アイリスだけでなく居合わせたクララも驚いていた。
何度か見て今や慣れっこである。
「でもはっきり言って、ずっと閉じ籠もっている必要もないんだけどね」
「え、そうなのですか?」
「だってその疫病が発生したのは大昔、それも環境に適応できなくて自然消滅。対して機人族の祖先は抗生物質を生成して自身に投与、この先に発生するかもしれない新たな疫病に対抗するべく更新を続けてきた」
「でもそれは鋼の身体ありきではないの?」
「まぁ結局のところ疫病よりももっと厄介なものが多くてそれどころじゃなかったというのが正しいかな。だから今度は戦う為に更新を繰り返して今日に至るというわけ」
「ここでも戦争の影響が……」
「戦いしか知らなかった先人達に文句を言っても仕方ない。ただま、結論から言うとただ生活するだけならもう鋼の身体はいらないという事に機人族自体が気付いていなかったんだ」
「エノさんは族長としてそれを伝えなかったのですか?」
「言ったんだけどいまいちピンとこない様子だったね。一族がらみの習性が染みついて考えた事がなかったというところかな」
「その割にはエノもあたし達以外の前で正体明かさないわね」
シャーリーの指摘にエノは鬱気にため息を吐く。
「これでも族長だからね、このままだといまいち貫録がなくてさ」
「あー……」
言われて3人はすぐにシェンを思い浮かべた。
シェンの性格では、おそらく族長なら族長らしくあれという事はあってもそれは内面の話であって姿はあまり気にしないと思われる。
特に張り合う気はなくても、何となく見比べてしまうのは仕方ないかもしれない。
「それにあくまで日常生活というだけで、外に出る時はやっぱり鋼の身体が必要なんだ。生身のままだと、抗生物質のおかげで耐性はあるけど普通の人間とそう変わらないから」
それを言われるとシャーリーもアイリスも納得せざるをえない。
エノは会談の記録係としてシェンに同行したり、紅の空間の調査にも参加したり、島の外に出る機会が多い。
生身の身体能力では大きく劣っている事と、用心の為にも鋼の身体は必要不可欠なのだ。
「まぁ、あたしの事はいいんだけどさ」
話に一区切りついたところでエノは視線を傍に控えているクララに向ける。
それにシャーリーはしまったと苦い顔をする。
「何してるの?早く座りなよ」
そう言ってエノは空いているもう一つの席を促す。
「あ、はい」
言われて初めてクララはおずおず席に着く。
「クララ、前から言ってるでしょ?世話を焼いてくれるのありがたいけど、あなたはメイドではないの。好きにしてくれていいのよ」
「はい……」
言われてますます縮こまるクララにシャーリーは苦笑する。
クララはシャーリーと同じく魔人族である。
島に戻ってきて目覚めた後、ちょうど様子を見に来たメグを除き外で最初に出会ったのがクララだった。
その時から何となく気にかけていたのだが、シャーリーやアイリスと同じく紅の空間から帰還した2人の少女が国に戻った後、決まった住居がないアイリスを迎え入れ、暫く手付かずだったこの屋敷の手入れを始めたところに手伝いに来てくれた。
聞けば独り身との事で加えてかなり気弱な性格だったので心配になって無駄に余ってる屋敷の一室を与えて迎え入れた。
ただそれだけでは居心地が悪かったのか、自主的に屋敷の管理を買って出てくれたのだが、時折メイドの様に振舞う悪癖(?)が出てしまうのが玉に瑕なのだ。
現にメイドではないとシャーリーが言っていた通り、クララの服装はメイド服ではなく普段着である。
「というか、アイリス途中で気付いていたでしょ?」
「どこで切り出そうかと思いまして……」
「世間話なんだから別に少し話の腰折ったくらいで何にもならないわよ。全く、アイリスはアイリスで変なところを気にするんだから」
「違いない」
つられてエノも苦笑を浮かべカップを傾ける。
「さて、世間話もほどほどにして。――アイリス」
「あ、はい」
アイリスは軽く咳払いし持って来ていた書類を広げる。
「とりあえず検査と言ってもそんな難しいものではなく身長などの簡単な個人情報を」
「確かに見た感じそうみたい。でもわざわざ確める意味あるの?」
「子供の場合は成長具合を確かめるのに便利ですし、大人でも体調の異変の兆候がそれだけでも確認しやすいのです」
「なるほど。機人族もその辺徹底してそうで案外疎かにしてるね」
「機人族の場合は圧倒的に運動不足でしょう。一生引き籠りの様なものだし」
「酷い言われ様」
でも苦笑したまま反論しないところを見ると暗に肯定しているのだろう。
その後も開催場所や種族毎の違いなど細かい取り決めを確認し合い、気が付けば空は既に茜色に染まっていた。
「よし、大体こんなものかしら?……あら、もうこんな時間?」
「時間が経つのって早いね」
「クララさんもありがとうございます」
「いえ」
クララは話し合いの時は空になったカップを一度下げて一度退席、ちょうど終わった頃合いを見計らって新しいお茶を用意して戻って来ていた。
退席している間はクララの事なので何かしらやっていたのだろう。
「さて、じゃあ帰ろうかな」
紅茶で一息入れたところでエノは席を立ち鋼の身体に入ると、駆動音を響かせながら鋼の身体は閉まり再び動き始める。
「送るわ」
「イツモスマンナ」
「ソレデハ」
見送りに来てくれた3人にエノは手を軽く上げ去っていった。
少し前までは谷を他の種族が歩いているのを見る事はなかった。
「シャーリーさん?」
「ん?あ、うん。今日の当番誰だったかしら?」
「私です。もう仕込みは終わってるのでもう少しで夕食になります」
そしてここも、シャーリーはそう思いながら2人に続いて屋敷に戻ったのだった。
◇
「ふぅ」
最後にお風呂に入っていたクララがリビングに戻ってくる。
アイリスはソファーで相も変わらず本を読んでおり、シャーリーは窓から夜空を見上げている。
そこでふと、そんなシャーリーの様子が少しおかしい事に気付く。
「シャーリーさん、どうかしましたか?」
「うん?いえ、もう1年経ったのね、と」
「ああ……」
シャーリーの背に声をかけたクララは言われて納得する。
様子がおかしい、というよりは感慨に更けていたようである。
「……早かったですね」
読んでいた本を閉じアイリスが口を開く。
「劇的な環境の変化、それに対応する為に忙しなかったですね」
「そうね」
向かいのソファーにクララと並んで座りながら相槌を打つ。
「まずは島における役割、これを決めておく事で様々な事態に対応できる様になったわ」
「メグさんが支援、セレスさんが魔法、カレンさんが警備、エノさんが記録、シャーリーさんが調査、そしてシェンさんがそれらの統括及び外交担当――ですね」
「そしてそれに伴ってシャーリー様とメグ様が、正式に魔人族と天使族の族長となりました」
「正直、あたしなんかが族長が務まるのかと思うけど」
「魔人族は実力主義ですから、確かな力を持つシャーリー様だからこそと思います」
ソファーに背を預けてため息を吐くシャーリーにクララが珍しく力強くに断言する。
それを眺めながらアイリスは同意しつつ内心思案する。
話を聞く限りシャーリーの父――つまり先代の魔人族族長は姦計だけで成り上がった男だったらしい。
元々の集団生活の習性がないままならともかく、共存の考えが魔人族の中でも広まりつつ現在では瞬く間に不満が募る。
そうなればこの島にとって不易な争いを生み出してしまい、あちらの世界の二の舞なのである。
「まぁ、実力がなかったから世界異変で生き残れなかった。実力主義の魔人族からしてみればそれだけの事よ。あたしも精々そうならない様に精進するわ」
これである。
シャーリーのこの気質が人を惹きつけている事を多分、自覚していない。
(こういうのを何と言うのでしょうか……。――ああ、ストイックですか)
そう考えると、シャーリーと零夜は似た者同士だとアイリスはついクスッと笑ってしまう。
「? 何笑ってるのよ」
「いえ、似ているなぁと」
「???」
2人のやり取りを見て「ああ」とクララが何か思いつく。
「あとお二人の髪型が変わりましたね」
「そういえばそうね」
同意しながらシャーリーは寝る前でも付けているリボンにそっと触れる。
このリボンは1年前、国に帰った少女達が密かに置いていったサプライズプレゼントだ。
以来シャーリーは大体いつもこのリボンで髪を一括りにしている。
ちなみにアイリスにも別のリボンが用意されていたのだが……。
「アイリスはすっきりしたわね」
アイリスは髪の一房に巻きつける形でリボンを付けているがもっと大きい変化がある。
前は腰まで伸ばしていた長い銀髪をバッサリ切り落としており、島のちょっとした話題にまでなった事がある。
1年経った今では肩まで伸びているが、それでも印象はだいぶ変わる。
「あの戦いで髪が傷んだから、でしたよね?」
「はい」
事も無げに言うアイリスだったが、シャーリーは知っている。
いつかあの誓いを果たす為の所謂願掛けであると。
「ふわ……」
不意にアイリスが口元を覆い欠伸をし始めた。
切り上げるにはちょうどいいタイミングだ。
「そろそろ寝ましょうか」
「そうですね、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
最後に声を掛け合ってそれぞれの部屋に戻っていく。
こうして今日も慌ただしい一日が終わりを告げるのだった。