Ⅹ ~目覚める運命~
◇
「……来たか」
翌朝、出撃の準備を済ませている零夜とシャーリーの前に朝食後に一度詰所へ戻っていたアイリスがやってきた。
「まだ迷っている様ならここで置いていく。無論、ある程度で構わない」
そう簡単に払拭できる悩みでないのは百も承知。
問題なのはこの先、特に戦闘で連携が取れるか否かである。
命を掛けて背中を預ける側として、そこに少しでも問題がある様ならとても共には戦えないからだ。
「いえ、私は行きます。ここで変に距離を取って何かあったらそれこそ本末転倒ではないですか」
「違いない」
はっきりした答えに零夜は鼻で笑う。
尤も、元より零夜はここで立ち止まるほどアイリスが弱いとは思っていない。
迷いを払拭できているのかと言われればアイリスは素直にできてないと言うだろう。
だが生まれてから始まり15年間(眠っていた時間除く)、若くして波乱万丈の人生を歩んでいるアイリスはここまで一度たりとも立ち止まった事はない。
それを聞いているからこそ、零夜はアイリスは見縊ってはいない。
「では3人揃ったところで今日……というか一週間ほどの目標を定めておこう」
「中心街での不死者掃討と生存者の捜索ね」
「ああ」
この世界からの脱出の目処が立ったので、生存者を逃すのは必然だ。
ただ機会が一度きりとなると、これを逃すとどうなるかは保証できない。
なので出来得る限り捜してほしいと、校長先生から依頼されているのだ。
「後はそれと平行して下水道――ああもう面倒だから地下水道で呼称を統一する」
少し逸れた話を零夜は咳払いで改める。
「地下水道のマッピングだ。これを例の地図を持っているシャーリーに任せる」
「それは構わないけど、討伐の時に迷わない為?」
「それもあるが、少し気になっている事があってな」
「ふぅん?……前に聞いた電気やガスというのが止まっているのに水は止まっていないから?」
「その通り」
「了解。ではマッピングと同時に変わった事があったら報告するわ」
「よろしく。そして自分とアイリスはさっきも言ったが、不死者掃討と生存者捜索だ」
「……それは私の問題に合わせて、ですか?」
わざわざ触れる必要もなかったのだが、敢えて問うアイリスに零夜は首を横に振った。
「さっきは聞いたが、お前はその辺の切り替えは器用だからそれほど心配はしていない」
それだとあたしはどうなのよと言いたいシャーリーだったが、実際気持ちの折り合いが付けられずにギクシャクしていたので何も言えなかった。
「それにお前の問題も今すぐどうこうできる問題ではない。だから今回はそれについては考慮していない。理由としてはもっと単純な理由だ」
「単純?」
「一つはシャーリーを別行動させた理由にもなるんだが、おそらくこれから会う生存者の殆どはシャーリーの嫌いなタイプだろう。以前体育館で揉めた連中と同じか悪化してると思っていい」
「極限状態が続いてるので精神的に異常が見られても仕方ないとも言えますけど……」
「しかし返して言えば極限状態は最も素の状態が出やすいからな」
一度大事故に巻き込まれてそういった面をさんざん見ている零夜の言葉は説得力があり、また戦争の渦中にいたアイリスもそれには同意できるので揃ってため息を吐いてしまう。
「気遣いありがとね。それで、他の理由は?」
自分も終末の世界で生活していたのでそれなりに修羅場を潜っているつもりではあるが、こと人間関係については2人の方が秀でているのはよく知っている。
そのせいかちょっとした事で事態を重く受け取る2人のある意味ストッパーである事を心の片隅で自負しているシャーリーは話を進める。
「自分は命そのものは尊重するが人格など人の考えまでは尊重しない。寧ろそういうのは捨て置く。その点、アイリスなら親身に寄り添うから極限状態で荒れていても多少耳を貸してくれる可能性が高い」
「なるほど、1人でも多く生存者を連れて来る為ね」
「これでも『命』は尊重するからな」
「わかりました。私も異論はありません」
「よし。――という事で、いってくる」
「うん、いってらっしゃい」
既に準備はできているので、何気に近くにいた汀に声を掛け、3人は行動を開始した。
◇
「ここから地下水道に入るのね」
中心街に入るアーチに差し掛かったところで零夜はその脇を覗き込むと、道の下に続く形で小さい水路の様なものがあった。
「何回も通ってるけど気付かなかったわ」
「自分もだ」
「情報提供してくれた男性――あたしが始めて強化魔法を掛けた時の父親がここに携わっていると言っていたわね。それで、鉄格子があるけど?」
当たり前だが、こういう所は一般的に立ち入り禁止なので鉄格子で厳重に塞がれている。
「容赦無く吹っ飛ばして構わないそうだ」
「了解」
「最後に一つだけ言い忘れていた。今の不死者は異形再生をする以上、肉片一つからでも新たな不死者として再生している可能性もある。どこからか流れてきた不死者を確認したら即座にマッピングは中断しろ」
「……それも了解」
シャーリーはこれには神妙に答えて降りていく。
魔族――ひいては元々の種族の関係で夜目が利くので暗い地下水道でも視野の問題はほぼない。
だがそれを除いても屋外と比べて広さが限られている上に水場の傍という事で足場は更に狭い。
それに異形再生する不死者である、浄化魔法や不死者特攻を持ち合わせていないシャーリーでは不利なのだ。
「……あたしにも、有効な手があればいいのにな」
幸い聞かれる事はなかったが、思わず呟いてしまうもすぐに後悔する。
アイリスの浄化魔法は威力は絶大だが、使い所が難しく最悪自分の首を絞める事態にもなりかねない。
零夜の不死者特攻はシャーリーが与えた天凶の力による後付けであるが、使用できる条件を満たしていても防御など問題も多いハイリスクハイリターンである。
そして2人ともその事を熟知しているので可能な範囲で活用している。
力を求める事自体は悪くないが、自分だけ持っていないから羨ましいという理由はあまりに浅はか。
(つくづく、種族柄というのは嫌になるわね……)
「シャーリー?」
自己嫌悪に陥るところを頭を振っていると零夜に声を掛けられ我に返る。
「な、なんでもない!」
前に翳した手に炎が集中、いつも使う下級魔法より倍近く大きい中級魔法を発現させる。
そして雑念ごと吹き飛ばすが如く放ち、爆音を響かせて鉄格子を跡形もなく吹き飛ばした。
「お先に」
そう言ってシャーリーは地下水道へと姿を消す。
「それでは自分達も行くか」
「そうですね……ですが、どこから?」
「ひたすら端から虱潰しに行くしかないが、一応目ぼしい場所は避難してきた連中の証言である程度絞られている」
零夜は懐から地図を取り出して広げて見せる。
中心街の所々に赤丸があったり、一部は青い枠で覆われて大きくバツが付けられている。
「赤丸は生存者が避難していると思われる場所、青枠は既に崩壊していて不死者の溜まり場になっている場所だ」
「無印の範囲は念入りに捜す必要がありますね。ですけど、もし移動している様でしたら?」
「手はある」
そう言って零夜は頭上を親指で指す。
そこにはこちらにいる方がいいと判断したらしいトレーサーが浮かんでいたが、話を振られた事に気付いたのか、手の届く所まで降りてきた。
「情報が欲しいんだろうが、一方的に見られてばかりいるのも癪だ。精々役に立ってもらおうか」
本来トレーサーは高度な術者が使えば会話も可能との事だが、結界を強行突破してきたせいかそこまでの性能は残っていない様子。
なので意思疎通は取れずに一方的な要求となってしまう。
「宙から細かく捜して来い。まさか嫌とは言わないよな?」
有無を言わさない圧力を察してか、トレーサーは再び宙高く上がっていきどこかへ飛び去っていった。
これには表情が乏しくなっている状態のアイリスでも苦笑せざるを得なかった。
でも苦言を呈さないのは、見られてばかりなのは癪という事も、今の指示が理に適っている事も同意しているからだ。
という事で零夜とアイリスも中心街に入り行動を開始した。
◇
――三日後の夜
「行動を始めて三日、当初危惧していた事態もなく順調に進んでるわ」
シャーリーから地図を受け取り見ると、中心街を占める地下水道の南部はほぼ完了していた。
目標は北なのだが、零夜の疑問に対しての調査の為に一応南も行っているのだ。
「シャーリー、ここは?」
完了している中で、一点だけ途中で不自然に途切れている箇所があった。
「ああ、そこね。他の個所では見られなかった分厚い鉄の扉があって進めなかったの。それでもただの扉、中級魔法で吹き飛ばすのは容易なんだけど……」
言いながらシャーリーは横から手を伸ばして操作すると地下水道の地図と地上の地図を重ねて表示した。
「これは……ショッピングモールの奥の方か」
「あそこは知っての通り既に不死者の巣窟となっているから、迂闊に壊して流出させたくなかったからここで断念してきたわ」
「了解。それ以外は特に問題はなさそうだな」
「ええ。それで、そちらはどうかしら?」
「こちらも一応順調と言えば順調なんだが、中心街全域の約半分と言ったところか」
今度は零夜が紙の地図を広げて中心街の西側を指差す。
「殆どが青枠、戦闘で時間がかかるでしょうし仕方ないわね。赤丸が3ヶ所あるけどそこは?」
「初日に話した個所は無事に発見・移動が完了している」
「ああ……アイリスが口説かれたというアレね」
一番最初に訪れた赤丸では無事に生存者を発見、アイリスの説得にも素直に応じて付いて来るまでは良かったのだが、その中で何人かの男性が緊張感もなくアイリスにナンパをしてきたのだ。
思いやりはあるが人見知りが激しいところもあるアイリスからすると必要以上に迫られるのは苦痛以外の何物でもなく、零夜の傍から離れようとしなかった。
それが気にくわなかったのか、男性達は零夜に敵意を向けるも当の零夜は全く意に介していなかった。
「一昨日は詳しく聞かなかったけど、なんともまぁしょうもない。多分普通だったら言葉だの嫌がらせもあったでしょうね」
「普通だったらそもそも下手に行動を起こす前にさっさと去るか、食い下がってくる様なら黙らせる(強制)だけだ」
「それが敵意だけで済んだのは零夜が武装しているからでしょうね。下手すれば自分達が斬られる、または不死者達に向かって放り込まれるとでも思ったとか」
「そこまではしないがな」
「まぁとにかく目的は達成できてよかったわ。それで今日はこの残り二つ赤丸行ったのね?」
「ああ…………だが」
「拒否された?」
「いや、手遅れだった」
「……そう」
目に見えてアイリスが項垂れるのを見て短く返す。
「この赤丸にバツが付けられているのはそういう事ね……。前から気になってたんだけど、ここって何?」
話題転換にシャーリーは中心街の西側の一角、バツが付けられている赤丸を指差す。
「駅だ」
「えき?」
「電車という電気を動力にして動く乗り物に乗り降りする場所だ」
「電気で動く乗り物ねぇ……。じゃあこのえきから伸びてる一本線はその道という事?」
「そうだ」
「ん?でもその割には南は繋がってるけど、北は途中で途切れてるわね」
「その辺はまだ開発途中だったんだろう」
「……南には伸びてる、なるほどね」
線路を見て何かを察したのか、シャーリーは意味深に頷く。
「うん、了解。とりあえずお互いこのまま継続で問題なさそうね」
「ああ。強いて言えば、戦闘も4,5体同時ならまだ問題ないんだが、それ以上となると厳しいものだ」
「アイリスがいるのに?」
「アイリスも頑張ってはくれてるが、やはり戦闘――特に魔法も交えた総合力で言えばシャーリーが一番バランスが良い」
「私も魔力の扱いには自信がありますが、実は戦闘経験がほぼ無いので」
「でもあたし浄化できないわよ?」
「適材適所だ、その辺の立ち回りはシャーリーが上手い。正直基礎をマスターして天凶を持たせれば対不死者にはほぼ無双できるだろう」
「うーん……?」
いまいちそういう自分がイメージできないのか、シャーリーは首を傾げる。
「お前はどうも自分を過小評価している様だな。散々言っているが、自分達はそれぞれできる事が全く違う。浄化手段を持ち合わせていなくても、お前がいるのといないのとでは大きな差が出るとはっきり言っておく」
「そこまで言ってくれるのはありがたいけど、仮にレイヤの言う通りだとしても天凶はレイヤが使い続けるべきね。戦力を減らしたくないし、覚醒している分レイヤの生存率が飛躍的に上がる」
これにはアイリスも首を振って同意している。
「まぁ、そうなるな。では、そろそろ休もうか」
立ち上がって一足先に詰所に向かう零夜だったが、見た目以上に疲労しているのか、少しだけふらついていた。
「ちょっと!しっかりして」
その後を追ってシャーリーが支えながら連れて行くが、その背を見てアイリスはなんとなく……言い知れない不安を感じるのだった。
◇
「作戦開始から一週間、何とか一通り中心街での掃討と探索は一段落したな」
「ええ、トレーサーにも十分働いてもらいましたし」
そう言ってアイリスは変わらず頭上を浮かんでいるトレーサーを見上げる。
トレーサーは実に良い仕事をしてくれた。
作戦中に姿を見せた時は生存者を発見した合図であり、それに気付くと先導してくれた。
おかげで懸念していた通りこちらに気付いて逃げる生存者から先回りして発見・説得して何とか小学校に連れていく事にも成功した。
「予想より多くの生存者を発見できたのは幸いだったか」
「その分、しょうがっこうは結構賑わっていましたけどね」
「物は言い様だな」
実際は少々定数オーバー気味で混雑としている。
しかしそこは今回の依頼者である校長がステージやプールサイドも使用して上手くやっているのでさほど問題でもない。
「……でも、間に合わなかった事もありましたね」
「言うな」
一度だけ、目の前まで来て間に合わなかった事があった。
捜索中に1人の男性を発見したのだが、声を掛けるや否やいきなり発砲してきたのだ。
制服からしても警察官である事はわかったが、目は血走り涎を垂らし、完全に発狂していた。
アイリスが路上に乗り捨てられていた車の影から説得を試みるも、もはや意思の疎通すら取れないほどだった。
そうこうしている間に警察官の背後から不死者が忍び寄り、警察官はあっけなく食い殺され不死者の仲間入りとなり、零夜に元凶の不死者共々斬り伏せられた。
「……」
救える筈の命を救えなかったのは今に始まった事ではない。
勿論それはアイリスのせいではなく、様々な原因がある。
それでもアイリスは1人1人の死を噛み締め、前を向いて進んでいる。
(本当、大したものだ)
感心するもそこで会話は不意に途切れ、少し時間が経つ。
「……あの、零夜さん」
「それにしても、遅いな」
何かを切り出そうとしたアイリスを余所に零夜は地下水道の入口に目を向ける。
シャーリーの方も今日で要の出現ポイントと思われる場所を除いたマッピングが完了するとの事だったが……。
「……時間はとうに過ぎているが」
一日の作戦時間は事前に決めており、時間通りならこの中心街へのアーチで待ち合わせていた。
それが時間が過ぎても来ないという事は……。
「もしかして、要が出現して撤退もできなかったか?」
「行きましょう!」
我先にアイリスは飛び降り、零夜もそれに続き地下水道へ足を踏み入れた。
「アイリス、探査頼む」
「移動しながらだと精度落ちますよ?」
「構わない、大体の居場所が分かれば後は物音などでわかる」
という事で精神集中する間手を引いてもらう為にアイリスは零夜の手を取る。
「!」
「? どうした?」
「あ、いえ、始めます」
一瞬何かに気付いた様子だったが、一旦置いて精神集中を始める。
「お願いします」
「では行くぞ」
アイリスの手を引き、駆け足で零夜は地下水道を駆ける。
「左です」
「そこは敢えて直進」
「この先の鉄格子は通れるので大丈夫です」
精度が低いと言いながらもかなり的確にナビゲートしてくれるので迷う事なく奥へ進む事ができた。
「爆音が聞こえる……それに」
目前を見据える零夜が手を離すと、探査を止めたアイリスが目を開ける。
そこにいたのは今まで散々相手にしてきた人からなるゾンビ型の不死者やそこから異形再生した合成不死者でもなく、甲羅の様に堅そうな鱗を持つグロテスクな肉塊だった。
「肉塊一つからも不死者になる可能性があるとは言ったが、本当にならなくてもいいだろうに」
嘆息しながら零夜は鬼断と天凶を抜き斬りつける。
が、見た目通り硬い鱗に弾かれてしまう。
「なるほど、だが」
硬い鱗は全体ではない、柔らかい肉の部分を斬りつけるとあっさり消滅していく。
だが相手はとにかく数が多い上に鱗を逆立てて突進してくるのでなかなか厄介。
それでも強引に斬り捨てながら進むと、やがて通路の壁に座り込んでいる人影を見つけた。
「シャーリーさん!」
アイリスの呼びかけに気付き、シャーリーは弱々しく苦笑する。
「ごめんなさい、ちょっと手間取ったわ」
そういうシャーリーは肩を押さえている他、身体のあちこちに傷を付けている。
と、それを見た零夜の中で何かが切れた。
「……」
一度天凶を鞘に戻すと、柄の紅玉が怪しく灯る。
「そいつから、離れろ」
その天凶を抜き放ち、零夜は太刀の力を引き出す。
「……え?」
しかし赤光の中から現れた零夜の姿にアイリスもシャーリーも唖然とする。
以前見た時は太刀を持つ腕が怪しく光るだけだった。
なのに今の零夜は黒から銀へと髪の色が変わりつつ伸び、瞳が赤く変わっていた。
容姿の変化に伴い、元々戦闘時は威圧的だった零夜のそれは更に増し、知性を持たない肉塊達も慄き動きを止める。
「……ふ」
その隙に一息で肉薄し、次から次へとさっきは弾かれた硬い鱗ごと肉塊を切り捨て、あっという間に全滅させてしまった。
「ふぅ」
そして変化した眼をそのままシャーリーに向けるも、その眼差しは仲間に向けるそれだった。
「大丈夫か?」
それまでの迫力はどこへやら、いつも通りの態度で零夜はシャーリーに声を掛ける。
「え、ええ……その姿は?」
「?」
自分で気付いていなかったのか、シャーリーに指摘されて零夜は自分の身体を見回し、背中に手を伸ばす。
そして伸びた髪を手に取り前に持ってくる。
「な、なんだこれ?」
根元から元々の髪色である黒から段々銀へとグラデーションが掛かった特徴的な髪には、零夜も驚きは隠せなかったらしい。
「っ!?」
だが驚いているのも束の間、急激な脱力感に襲われ、その場で膝を着きそうになるのを堪えようとフラフラし始める。
「剣を戻してください!」
駆け寄りながら言うアイリスに従い天凶を鞘に納めると零夜の姿は元に戻った。
「……一気に疲れたな……」
「見てるこっちは空いた口が塞がらなかったけどね」
ゆっくりと壁に背を預ける零夜を横目にアイリスはシャーリーの肩の治癒を始める。
「軽い怪我で何よりです。これならすぐに――」
だがその瞬間、足首に水が巻きついた。
「!?」
気付いた時には既に遅く、アイリスは奥へと引き摺られていってしまった。
「! しまった、新手か!」
あっという間に姿が見えなくなったアイリスを零夜とシャーリーがすぐに反応して追いかける。
しかし程無くして水の壁に阻まれて先に進めなくなった。
「この先は……要の出現ポイントと思われる場所」
「敵の土俵に引き込まれたって事か」
水の壁の向こうからでは離されたアイリスがゆっくり立ち上がっている。
その目前で水が隆起し、何かが姿を現す。
「あれが……北の要か」
水中から姿を現したのは巨大な亀だった。
しかし所々骨が剥き出しになっているところを見るとゾンビの様だ。
相手が不死者である以上、アイリスに有効打はあると言えばあるのだが……。
「 」
亀は形容しがたい不気味な唸り声をあげると口から高圧水流を吐き出して攻撃を仕掛ける。
「ホーリーショット!」
かわしながら光弾を放つも、効果はない。
(やはり、浄化魔法しか……)
だが浄化魔法は儀式魔法なのでどうしても足を止めて精神集中が必要になる。
それを知ってか知らずか、分断させられてアイリス1人のこの状況は圧倒的に不利である。
決定打に欠けたままひたすら避ける。
「くっ、この壁全然壊れない……」
零夜とシャーリーが斬撃や炎で水の壁を攻撃するも、まるで軟体である様にブヨブヨして効果が無い。
そうこうしている間に亀はその場で回転を始め、高圧水流を辺り一面に撒き散らす。
「きゃあっ!」
それを避け切れず、諸に直撃を受けて吹き飛ばされたアイリスは水の壁に激突、そのまま床に倒れてしまった。
が、その時ドラグシールが傍に落ちた。
「んん?」
だがそのドラグシールは見覚えのない白いドラグシールだった。
「あたし達――というか零夜が見つけたドラグシールって緑と赤だったわよね」
「その筈だが……いや、今はそれどころではない」
更なる追撃を受けるところだが、亀はそうせずただ唸り声を上げている。
「……さっきから見ているが、あの亀無駄な動きが多いな」
「木龍や黒死鳥と違って、素体があるから?――っ」
ふとシャーリーが後ろを振り向くと、そこにはまた肉塊が湧いて出てきた。
「こいつら……!」
「零夜さん!シャーリーさん!」
「こいつらは何とかするから要に集中しろ!」
囲まれている2人に身体を起こしたアイリスが声を掛けるも、零夜に一喝されて視線を亀に戻す。
「……?」
だがアイリスも疑問に思った。
さっき零夜が言っていた通り、唸っているだけだったり無駄な動きが非常に多い。
まるで苦しんでいる様な……。
「!」
さきほどのシャーリーの呟きをヒントにアイリスは魔力を起こす。
詠唱の代わりに意識で構成したのは――光の鎖。
「光の縛鎖!!」
亀自身は殆どその場から動かないのが幸いし、敵の足元に発生させた銀の魔法陣から発生した光の鎖が亀を拘束していく。
「いいぞ、拘束している間に浄化魔法を――」
「いえ、まだよ!!」
肉塊を捌きながら戦況を見ていた2人だったが、シャーリーの鋭い声と同時に光の鎖が徐々に千切れていく。
「光の縛鎖!!」
だがアイリスは追加で光の鎖を形成して拘束する。
「……ごめんなさい」
しかし突然ここでシャーリーは涙ながらに謝罪する。
「アイリス、何故そこで謝る?」
「この魔物は嘗ては名のある主だったのでしょう。でも非業の死を遂げ、眠りにつく事も許されず異世界で魔物となって無理矢理起こされた」
「気の毒だとは思うがそれは不死者も同じだろうが」
尚も千切れる鎖を更に追加しながらアイリスは首を横に振り語る。
だがアイリスの意図はなんとなくだが察した。
名のある主、つまりあの亀はそれだけ力のある存在だったのだろう。
だからこそ魔物として蘇った今でも僅かながらに意識が残っている。
「下手に意識が残っている分、苦しみが大きいという事か……著しく気分が悪い」
「同感」
八つ当たり気味に肉塊を斬り捨て、揃って苦い顔をする。
だがいくら拘束を続けても決定打になる浄化魔法発動の時間が稼げなければ意味がない。
どうするつもりだ、そう考えていると……。
「……零夜さん」
アイリスは視線を亀に向けたまま零夜を呼ぶ。
凛として強い意志が感じられるその声音に、零夜は剣を振るいながらも耳を傾ける。
「私は、やはり救えるものは救いたいと思います。でも、全てを救うには足りなさ過ぎます」
その時、アイリスの持つドラグシールに罅が入る。
「私1人足掻いてもどうしようもできない事は重々承知しています。力及ばずに恨まれるかもしれません」
アイリスの指先に僅かながら力が入る。
「でも……例えそうなっても構わない。もう迷いません――私は、この想いだけは何があっても見失いませんっ!それが、今出せる答えです」
その時、アイリスの想いに応える様にドラグシールの表面が砕けて輝き始める。
「えっ!?」
目の前に翳すとドラグシールは徐々に光が収まり、覆われていた表面がその姿を見せる。
「あれが……封印が解けたドラグシール……」
思わずシャーリーも見惚れてしまったそのドラグシールには大きな歯車が描かれ、『Ⅹ Fortune~Observer~』と書かれていた。
その下にも何か一節書かれているがよく見えない。
「私が……代行者?」
ドラグシールに触れられるという事で候補者である事はわかっていたが、まさか選ばれるとは思っていなかったらしいアイリスが少し不安げにするも、ドラグシールが再び光に包まれる。
「――祝え!」
そして同時に最後の一匹を斬り倒した零夜はらしくなく大仰に声を張り上げる。
「一つの歴史を見届け、時代に翻弄されし者よ。かの者、深い想いは時をも超越する聖女。その名は運命、10番目の救済者」
光が収まると、絵柄は歯車の前に一本の剣が刺さっているもの、『Ⅹ Fortune~Savior~』へと書き換えられていた。
「今ここに新たなる世界の護り手が誕生した」
「零夜さん……」
「『いつも通り』だ。その生命で何を成すのか見届けてやる、行ってこい」
「――はいっ!」
零夜の激励を受け、改めてアイリスは亀と対峙する。
そしてシャツのボタンを上から何個か外し、胸元を少し露出させる。
するとそこには今までなかった何かの印が浮かび上がっていた。
「……誓約」
その印にドラグシールを翳した途端、アイリスを中心に周囲に衝撃が走る。
「凄まじい力の奔流……アイリスの魔力が高まっていく……」
「自分にもわかる……とんでもないのが誕生したものだ」
腕で遮りながら息を呑んで見守っているとやがて衝撃が止み、そこには白銀のローブを纏っているアイリスがいた。
「アイリスもアイリスで姿が変わったぞ」
「と言っても装備が変わっただけだけど……あれは一体」
アイリスの変化に戸惑う2人を余所に、拘束から解き放たれた亀はアイリスに向けて高圧水流を放つ。
しかしアイリスは微動だにしない。
「っ!?」
シャーリーは我が目を疑った。
確かに命中した、しかしその瞬間アイリスの身体が僅かにブレ、何事も無かった様に素通りした水流はアイリスの後ろの壁に大穴を空けるだけだった。
「え?今、何があったの?」
「わからん。……ただ――いや、今は見届けるとしよう」
アイリスはゆっくりと亀に歩み寄り、水上も普通に歩いて行く。
その姿に亀は何故か一切の抵抗を止め、唸り声すら上げずにただアイリスが近付いてくるのを見ていた。
「……まるで、求めていたものを迎え入れる様ね」
だが先ほどのアイリスの仮定が正しければ、その通りなのだろう。
自分をこの呪縛から解き放ってくれる存在、僅かながらに残る意識の中で亀が望んでいるのはそれだけだと。
「お待たせしました」
至近距離まで来ると、アイリスは亀の頭を優しく抱きしめる。
すると亀の足元にまたも銀の魔法陣が浮かび上がる。
ただし、今度は光の鎖ではなく、清浄な魔力が満ち溢れ亀を包んでいく。
「浄化魔法……いつの間に――あっ」
徐々に力を失っているのか、水の壁もその力を失い崩れ落ちていく。
「……」
アイリスに抱かれている亀はその頭を僅かに動かして零夜とシャーリーにも向ける。
よくわからないが謝罪と感謝の念を感じる様な気がして武器を納める。
そして、亀は全ての力を失いそのまま光の粒子となって消えていく。
「……お疲れ様でした。ゆっくりと、お休みください」
それを見送ったアイリスの手元に魔結晶と黒いドラグシール、それに浅葱色の宝石が降りてきた。
「お疲れ」
ひとまずそれらをポケットにしまい、アイリスは2人の元へ戻ってきた。
だが元の姿に戻ったかと思いきや、突然力を失い倒れそうになる。
「っと」
それを零夜は止め、そのまま抱き上げる。
所謂お姫様抱っこだ。
「ご、ごめんなさい。疲れてるのに……」
「気にするな、多少疲労しているだけだ。お前1人抱えるくらい何という事はない」
「速いところ退散しましょう。道案内は任せて」
シャーリーのナビゲートで一行は足早に地下水道から脱出するのだった。
道中、アイリスの顔が赤くなっていたのは見て見ぬ振りだ。
◇
「――なるほど」
無事に帰り着き、できれば休みたいところだったが、色々とお互い聞いておかないといけない事がある。
という事でまずはシャーリーに戻れなかった理由を聞いていた。
尤も、その理由はだいたい予想通りだったが。
「別の不死者を使役する能力、といったところか」
「いえ、あの肉塊の様子――異形化の影響からしてもっと深い、眷属化と言った方がいいかもしれません」
「ああ、なるほど、あの硬い鱗も亀の甲羅を模しているというわけだ」
「それで囲まれている内に誘導されたのよ……」
「木龍は自身の身体をも構成する木を自在に操り、黒死鳥は他者の記憶を読み取りその姿を模倣して吸収する能力を持っていた。眷属化なんて能力があってもおかしくはない。すまない、見通しが甘かった」
「え?いいえ、何が起こるかわからないのはこの世界では当たり前じゃない。その為に早めに対処できる様に事前に取り決めてたから、そういう意味では計画通りよ」
ここで一度話題を切り、「それで」とシャーリーは新たに切り出す。
「水道だけは隔離されたこの世界でも普通に使える理由はわかったかしら?」
「いや、さっぱりだ」
きっぱりと返されてシャーリーは思わずコケそうになった。
「地下水道はそもそも使用済みの水が流れる場所だ。それでも何かわかるかと思ったが……いくらか仮説を立てるので精一杯だな」
「というと?」
「第一案、人が足を踏み込める場所だから。だが今言った通り、地下水道は使用済みの水だ。使用前の水は電気やガスと同じく人が立ち入れない所を通ってくる。あまり信憑性はない」
「というより、関係ないけどかなり不衛生だし、こんな事でなければ二度と行きたくないわ」
これには零夜もアイリスも苦笑しつつも同意する。
「そうだな。……第二案は、罠の可能性だ」
「罠?」
「電気やガスが止められた状態で水だけが使える、それは人にとってかなり救いとなる。それを逆手にとって水に何かしら細工を施したのではないか、と」
「でもそれなら私達も影響受けますよね?」
「そう、しかもさっき言った通り地下水道でもシャーリーやアイリスに見てもらっても特に変なところはなかった。とは言えこの可能性も捨てきれない」
「これで遅効性の罠だったらどうしようもないわね」
「その辺はどうだろう?」
話を振られ、アイリスは思案顔で頬に指を添える。
「難しいですね……これだけの大きな結界の維持に加えてそれだけの手の込んだ罠を仕掛けるとなると、黒幕は組織絡みとなります。一個体では例え代行者や熟練の賢者でも難しいかもしれません」
「組織、か……」
「とはいえ魔力由来ならアイリスが気付かないのはおかしいし、それ以外の物質由来ならあたしが強いから何かしら気付くと思うわ。警戒はするけど、今のところは使う分には問題はないと思う」
「だといいが……」
「仮説はこれだけ?」
「いや、もう一つあるんだが……その第三案は特に自分だけでは判断できなくてな」
ここにきて零夜は珍しく視線を逸らした。
「???」
「かなり単純な理由なんだが、四大元素だからではないかと……」
自信なさげに言う零夜だったが、シャーリーやアイリスにとっては目から鱗だった。
「そうよ……それに思い返してみれば要だって木龍の木は地に属する二次属性」
「精神的な作用とは言え黒死鳥は火属性、亀さんはそのまま水属性です」
「電気やガスは遮断できても水そのものは自然元素、止められなかったか使用するつもりでわざと見逃したかもしれない、と」
「なるほど、可能性はかなり高いわ。これで南の要が風かそれに属する属性だったらほぼ確定ね」
「専門外だからかなりあやふやだったが、そこまで言うならそうなんだろう」
とは言え明確な答えには及ばないのでこの件は保留となる。
「それでは次だ……」
そう言って零夜は天凶を手にして傍らに突き立てた。
「天凶の覚醒だが……あれは姿まで変わるものなのか?」
「知りません」
即答されて零夜は片眉を上げる。
以前の持ち主――あちらの世界の零夜にして災凶の魔王に一番近いところにいたので聞いたわけだが……。
「見た事ないの?」
あちらの世界の零夜に関わる話題なので拒絶したというわけではなく、口調からして本当に知らない様だ。
「私の知る限り、力を開放しても腕が怪しく光るだけでした」
「手加減していたという事は?」
「常に全力で屠る戦い方だったので……それに彼の戦いは全て見ている上でも全く見覚えがありません」
「……もしかして、七星龍刃の覚醒も段階があるのかしら?」
「も?」
「ドラグシール、つまり代行者の形態……と言うべきかしら、それにも段階があるのよ。最初の形態である第一制限形態は儀式など大規模な魔法を使うのに適した非戦闘寄りの形態らしいわ」
「おい、ちょっと待て。あれで非戦闘寄りと言うのか?」
あれとは言うまでもなく先ほどのアイリスの事である。
圧倒的な力で本人(?)の望みとは言え強力な要を浄化してみせた。
あれだけの力を持ちながら戦闘に不向きと言われても信じられないのだ。
「膨大な魔力を精細にして的確に行使する為、つまり魔法で敵を倒すというより魔力そのものを扱う事に特化していると言うのかしら?」
「あー……言われてみると納得はできるか」
「え、できるのですか?」
「さっきのお前の姿を見た限りだと、わざと制限しているというか……自分みたいな近接戦闘を目的にした活発に動く戦法を除いたとしても、戦闘をするにはあまりにも動き難そうだ」
「流石ね、その通りよ。制限形態は魔力の消耗を抑える為の拘束具の役割もあるのよ。とは言えそれでも膨大な魔力で生半可な敵を殲滅する事も容易だけど」
「という事は次でその拘束が解けるわけだ」
「そう、その拘束具が取れた第二戦闘形態でようやく本格的に戦闘ができるというわけ」
「つまり覚醒したとは言ってもすぐに全力を振るえないというわけだ」
「そうよ、神の力も一筋縄ではいかないというところね。……ちなみにあたしも名前しか知らないけど、第三顕現形態に第四交差形態という更に上の段階があるらしいわ」
「!?」
これにはアイリスも零夜も驚きを隠せない。
制限付きでも強力な魔力を持つ制限形態に、それを解き放つ戦闘形態までならまだ想像はつく。
だが更に上の段階と言われると文字通り未知の領域で想像もつかない。
「ま、まぁ、現時点では途方もない話だから記憶の片隅に留めておくとして……」
衝撃的な話ではあったが、とりあえずシャーリーは話を戻す。
「もしかしたら同様に七星龍刃も段階があるのかもしれないわね。……実は1人だけ魔王と関わりのある人に心当たりがあるのだけど、それはこの世界から脱出してからにしましょう」
「そうだな。……で、ここからが一番の本題なのだが」
「そうね……」
話に区切りをつけ、零夜とシャーリーは視線をアイリスに向ける。
「貴女のドラグシール、一体どこで手に入れたの?」
「えっと……」
別に責めてるわけではないのだが、アイリスは言い難そうにしている。
「……今朝、汀さんとアリアさんを棺に連れて行った時に」
その言葉に今度は傍を通りがかったアリアに視線を向ける。
「え?あのカードの事?うん、今朝出かける前にあたし達をいつも通り棺に連れて行ってくれた時に棺の奥にあったの」
あまりの急展開に2人は唖然とする。
要約すると、何故か棺の奥にあったドラグシールをアイリスが手に入れ、触れる事ができた事から候補者に、そしてその日の内に代行者へと覚醒したという事になる。
「一応言っておくと、話そうとしても間が悪くて……」
アイリスに言われてそういえばと今日を思い返す。
まず件の出かける直前は、アイリス1人棺に行き、2人は準備をしていた。
アイリスが戻ってきていざ出発するも、歩きながら今日の段取りを話していた。
シャーリーと別れた後も、一週間の総仕上げとばかりにひたすら合成不死者狩りだった。
そしてシャーリーとの合流を待つ頃には戦闘の疲れもありアイリスはすっかり忘れていた。
ふと思い出した直後にシャーリーが戻らない事に気付いて後はそのまま地下水道へ突入となる。
「でもそんなのあったかしら……?」
アイリスだけでなくシャーリーも以前あの棺を隅々まで調べている。
アリアの話ではそんな見つけにくい所ではなかったと言う。
「……まぁ、そういう事もあるわね」
だが案外シャーリーは深くは考えていなかった。
「どういう事だ?」
「これまでは触媒にした要を倒すという形で直接手に入れてたけど、持ち主を選び持ち主に惹かれるという事は別に珍しい事はないのよ。あくまでアーティファクトの中ではというだけであって、アーティファクト自体が貴重な品だけに一般的にはかなり珍しいけどね」
「そういうものか……。まぁ、ともかく意図せずしてアイリスが更に強力な力を身に付けた。発破を掛けた甲斐があるというものだ」
「あ、やっぱりあのらしくない口上はそういう意味だったのね」
「咄嗟によくもあんなに言えたなと思ってる。しかし、現在代行者は1人もいないのだろう?」
「少なくとも世界異変でこの世界に飛ばされるまではそんな話はなかったわ。……そもそも最後にいた代行者は全員大戦で戦没しているもの」
「そうか……。聞く限り、代行者とは本来世界の危機に立ち向かう者と解釈した。つまりこれは世界にとって待ち望んだ存在なのだろう。少なくとも紅の空間においては間違いなく」
「確かに間違いないわ」
「……いきなり私の手に新たなドラグシールが渡ったのは、きっと今回の問題がきっかけなんだと思います」
改めてドラグシールを手にしたアイリスはしみじみと言う。
「私に足りなかったのは自分を信じる事だったのです。どんなに希望や願いがあっても、それを実現させるのに必要なのは自分自身。その自分を蔑にしては結局は上辺だけなのです」
アイリスはそう言うが、シャーリーも零夜も本当にただ上辺だけだったとは思っていない。
実際アイリスの願いも理想も口先だけではないとよくわかってるし、それ故に真っ向から衝突もした。
その辺の匙加減は多分他人である限り全てを理解する事はできない。
「それに零夜さんは既に私の悩みを払拭するきっかけをくれました」
「え?自分?」
「天凶での覚醒、あの姿です。あの姿は見た事がない、つまりその時点であちらの世界の零夜さんとは別の道を辿りつつあるという証明にもなってるのではないでしょうか」
「そういう解釈もできるわね」
足を組んだ上で頬杖を突くシャーリーは思案顔で同意する。
「真偽はとにかく、今思えば零夜さんの覚醒があったからこそ私も代行者に選ばれたと言っても過言ではないのです」
「覚醒の連鎖か、喜んでいいのか微妙だな」
「……本性を現した時の私を見たでしょう?」
少し俯きアイリスは更に語る。
「かつての経験で感情が乏しくなってしまった私は何もかも無くした頃の私そのものなのです。何とか笑って誤魔化していましたけど、段々誤魔化せなくなって……やはり嘘は苦手です」
苦笑するアイリスだったが、零夜は少し前から感じていた疑問をぶつけてみる。
「つまり、出会ってからついこの間までのお前の態度は演技と言いたいのか?」
「演技?」
しかしアイリスは首を傾げる。
「今まで自分達に見せていた表情は演技かと言ってるんだ」
「……表情?私が?感情が表に出たのは問い詰めた時だけだと思ってました……」
「いや、お前、微笑んでる時と切羽詰まってる時以外にもかなり表情変わっていたぞ?」
零夜に言われてアイリスは困惑しながらシャーリーを見る。
「ええ、結構コロコロ表情変わっていたわよ?さっき零夜に抱き上げられた時だって顔赤くしてたし、それこそ零夜より豊かよ?」
「一言多い」
零夜が仏頂面で返すも、アイリスは両手で顔を挟む。
「どうやら自分では気付いていない様だな。自分を信じていない弊害と言ったところか」
「どういう、事ですか……?」
「要は思い込みよ。自分はあの頃から変わっていないと思っていても、実際はあなたも変わってるのよ。あたし達と一緒にいてね」
「…………」
しばらく沈黙が続いていたが唐突に奥から大きな水音が聞こえ、全員神社の奥を見る。
「にゃーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!?」
続けて聞こえてきた悲鳴に零夜はやれやれと立ち上がる。
「汀か?何してるんだか」
ため息混じりに零夜は奥に去って行き、シャーリーとアイリスの二人っきりとなる。
「……私、私は……変わっているのですか?」
「それだけは間違いないわ。出会った当初は本当に上辺だけだったかもしれないけど、それが何よりの証拠よ」
シャーリーに言われて改めてドラグシールを見下ろす。
『Ⅹ Fortune~Savior~』の下に一節記されている。
「Meeting turns new wheels--出会いは新たな車輪を回す、ですか……確かに、そのとおりですね」
胸に刻む様にドラグシールを抱きしめ、アイリスはシャーリーに向けて微笑んでみせる。
その微笑みは心の底からの、アイリスの本当の笑顔だった。
「シャーリーさん、ありがとうございます。これで、私もこの時代で生きていく希望が持てます」
「それはよかった。零夜にも言ってあげると良いわ。多分、汀が誤ってお風呂に落ちたと思うから」
「はい」
促されるままアイリスも立ち上がって神社の奥へと去っていく。
「……」
その背をシャーリーは優しく見守っている。
――筈だったのだが。
「あたしだけ、何も変わらず……ね」
その手には以前零夜から受け取った赤いドラグシールがあった。