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「貴様ぁ、おおい誰か侵入者だ」
「やべえ、早く飛べ」
「わあああ」
ミエールは目を瞑って屋根から飛び降りた。
下から突き上げる風が落下を和らげたミエールをミサエルが受け止めると、二人は素早く柵を乗り越えて屋敷から逃げ出していった。
屋敷から出て来た使用人やキッシュ男爵夫妻が、二階から顔を出しているカロスに何事かと騒いでいた。
直ちに使用人が警備兵に通報しに屋敷を飛び出していくと、カロスも下に降りてきて馬車に乗り込みミサエル達を追いかけだした。
「こっちだ、警備が厳重になる前に隠れねえと……」
「どうやって此処から出るつもりなの」
「今は隠れる事が先だ」
手を繋いで貴族門に向かいながら通りを走り続ける。
通りに人は居らず真っ直ぐに門へと向かうことが出来たが、二人の後ろからはカロスが馬車を引いて、もの凄い勢いで追いつこうとやって来る音が聞こえてくる。
「あいつか……、こうなったらシメてやる」
ミサエルが通りに立ち止まりやって来る馬車に詠唱を唱えた。
走る馬の足元に雷球を落とすと、驚いた馬が急停止して振り落とされたカロスが通りに転がった。
「ぐっ……」
顔を上げたカロスの顔にミサエルがきつい一撃を浴びせた。
「ぎゃああ」
「おいてめえ、これ以上俺達にちょっかいを出すと次は仲間を連れて殺しに来るからな、てめえの家も分かってんだ、脅しじゃないぞ」
「ひいいい」
腰から取り出した短剣をカロスの首筋に当てて脅すと、驚愕の表情でカロスがミサエルと目を合わす。
ミサエルが本気と感じたカロスは震えながら頷くと、
「この馬車は頂くぜ」
立ち去り際に、チッとカロスの目元を短剣で切り付けると、カロスは悲鳴を上げた。
さっと馬車に飛び乗ったミサエルがミエールを乗せると、素早く鞭を当てて馬を走らせた。
「警備兵が来る前に貴族門を出る」
走り出すと、ミサエルが口早に言った。
後ろでにカロスが大声で、
「貴様、俺に手を出したな、警備兵どこだ来てくれ襲われた、どこにいる!」
そんなカロスの怒号に聞く耳も持たずに馬車はぐんぐん速度を上げていく。
門に到着するとフードで顔を隠したミサエルが、
「お嬢様をお迎えに参る所です」
少し声を落とした言い方で警備兵に伝えると、兵士達が何処の貴族か馬車を確認した。
「キッシュ家ですか、お気を付けて」
そう言うと門がゆっくり開いていくのをもどかしそうにミサエルは待った。
「その馬車、止まれ!」
門が開いて馬車を走らせようとした時、遠く後ろの方から兵士達の声が聞こえて来た。
慌てて鞭を叩いて馬車を走らせると、門番の兵士達が止めようと馬車に掴みかかるが、ミサエルはお構いなしに振り切って馬を走らせ門をくぐっていく。
カラカラと市民街に出てきたミサエル達は脇目も振らずに真っ直ぐにグランド通りを走り抜けていく。
後ろからは集まってきた兵士達がミサエルを追いかけてくる。
「このまま家に戻るのは不味いか……」
馬車はサロント通りとの交差点を東に曲がり、エスタル市の城門をくぐり抜け市街へ出る。
街道に入る手前で馬車を捨てた二人は、街道脇の草むらに逃げ込んだ。
追っ手の兵士が門から出てきた時には十人程まで増えていて、乗り捨てられた馬車の中を覗き込んで人が居ないのを確認すると、街道まで出てきた。
茂みの中で二人は荒い息をぐっと押さえながら、兵士達が通り過ぎていくのを待っていた。
「はぁはぁ、逃げ切れたと思う?」
「しっ、まだ油断は出来ねえ」
ミエールはミサエルの裾を掴んで荒い息を吐いていた。
ミサエルの方は、兵士が街道で辺りを見回し北と南に別れて捜索に走って行くのを見て取ると、
「ふう、取りあえず逃げ切れたか、でもまだ街の中に戻るのはヤバいな、ほとぼりが冷めるまで時間を潰すか」
そう言うとミサエルは地べたに座り込んで大きく深呼吸をした。
「ミサ、有り難うね、それでごめんね」
「全くだ、店のおばさんからお前を見てきてくれって言われて来たらこの有様だ、こっちは卒業間近なんだ、こんな事で取り消されたら堪ったもんじゃない」
「ごめん……ううっ」
ミエールが顔を覆って泣いてしまい、すかさずミサエルが否定する。
「いや……別に怒ってるわけじゃねえよ、あんな男さっさと断りゃよかったんだ、キザでいけ好かねえ野郎だ」
ミサエルは顔を背けて言い放った。
「うう……ごめん、貴族ってのに憧れたからつい……返事を延ばしちゃてて、あんな乱暴な事する人だなんて思ってなかったんだもん」
ミエールは下を向いて自分のしでかしたことに反省をしていた。
「もういいよ、此処にじっとしてたら見つかるといけねえ、向こうに行こうぜ」
ミサエルが街道を覗いて兵士がいないのを確かめてから立ち上がって、ミエールと茂みの奧へと更に分け入った。
茂みをかき分け出てきた先には小さな丘があり、頂上に登ると反対側には小さな花が沢山咲いていた。
小高い丘から広く伸びる坂に咲いた花が、陽が沈みかけて赤黒く染めた空と同じ色に染め上げられ妖しい雰囲気を醸し出していた。
それを見たミエールは、
「わあ、綺麗、ルヴェールだ」
二人は丘の上で座り込んで辺りが暗くなるまで花を眺めていた。
冬の寒い時期に咲く黄色い花で、長細く黄色い花弁が四枚、放射線状に広がって中央の白い雄しべと雌しべが顔を覗かせていた。
ルヴェールの花は必ず二本で生えてくる。
その二本の花はお互いを向かい合うように花を咲かせ、お互いの花粉を交換しあって次の花の種を作るのであった。
「この花が咲く季節になったんだね」
「こんな寒いときに咲くこともねえのにな」
ミサエルには花を愛でる趣味もなく無愛想に答えたが、ミエールは、
「あんたこの花のこと知らないのね、これはねルヴェールって言うのよ」
「ふうん、俺は花のことはよく知らねえ」
ミサエルにはただの黄色い花としか見えなかった。
「何言ってんの、あんた私のお店に良く来るのに何で知らないのよ」
「なんだよそれ」
「お店の看板見たこと無いの? 看板に書いてある絵はルヴェールの花なんだよ」
「あれがそうなのか……知らなかったな」
「はぁ……これだから」
呆れた顔でミエールがため息を漏らした。
「だからそれが何だよ、只の花だろ」
「ルヴェールの花言葉はね「一緒に」って意味があるのよ、二輪寄り添って咲くから、お客さんと共にお店が続きますようにってルヴェールの花を看板に書いたんだって、この花を見てると愛らしい気分になれるのよ、私は好きだな」
ミエールは深呼吸をして流れてくるルヴェールの匂いを嗅いだ。
「あの小太りの店主がね……、似合わねえな」
「馬鹿っ」
ミサエルが殴られて後ろに仰け反った。
「くそっ……なんですぐ手が出るんだよ」
「五月蠅い」
ミエールの怒った顔がミサエルを睨んだ。
「そんだけ手が出るんならあの野郎にもぶちかませば良かったんじゃねえか」
「他人に手を上げるなんて出来ないでしょ、何考えてんの」
「…………俺も他人だろ」
ぼそりとミサエルがミエールには聞こえないように呟いて反論した。
「あんたには風情ってのがないんだから……」
「それで飯が食えるならいくらでも持ってやるけどな、俺は現実派だし目の前のことしか信用しねえ、そんな花言葉なんて人が勝手に決めた事だろ」
ミサエルには花を見てそんな感傷に浸ってる暇なんて無いぞと言いたげだった。
「そんな花のことを気にしてるより、今の現状を理解出来てるのか? 貴族の野郎が兵士に何て言ってるかわかんねえが、あいつのことだ……俺に襲われたとか言ってるんだろう、貴族ってのは対面ばかり気にしやがるから俺は嫌いだ、俺ら庶民の言うことより名も知れてる貴族様の言うことの方が信用されてるだろうしな、町に戻れても周りを気にしながら生活なんてしたくもねえぞ……」
ここでミサエルが口ごもった。
ミエールがしょんぼりと肩を落として項垂れていた。
ミサエルは悪い事を言ったかなと、それ以上言葉を出すのをやめた。