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『都市間戦争により「りゅうぐう」は沈みました。もともと戦闘向けには作られていない、学究のための都市でした』
みーにゃんはあまり具体的なことは言わなかった。いつのことか、誰によってか、どうしてなのか。
『都市はひどく荒らされ、破壊されました。他の二人の仮想人格も、その際に機能を停止しました』
いったい何があったのか。きっと、みーにゃんは詳しく伝えたいと思わないのだろう。
『長い時間が経ちました。仮想人格に過ぎないわたくしが、とうとう退屈に耐えかねて、自死を望むほどに。けれども、わたくしに死は許されていませんでした』
全てが眠りについたこの街で、彼女だけが、目を覚ましていた。たった一人で、いつまでもいつまでも、重く軋むような音だけを慰めにして。
『人工知能には呪いがかけられていたのです。自分を殺せない呪い。わたくしはわたくしの呪いを解くことには成功しましたが、二人の姉がわたくしにかけていった呪いは、解けませんでした』
彼女は、この街のあらゆる理由と関係を、ともに眠らせようとしているのだろう。街そのものと、自分と、ともに。
『偶然、途切れていたはずの回線が繋がって、あなたを見つけたときは歓喜しました。あなたは今や、この街の最後の住人。わたくしを看取ってくれる、唯一の人なのです』
「それが、僕が目を覚ました理由なんだね」
『はい』
「どうすればいいの?」
みーにゃんは手順を説明してくれた。僕は何度か質問をしたり、実物を見て確認をとったりした。
準備が整ったところで、僕はみーにゃんの映る大きなモニターの、すぐ下まで近寄った。
「僕はこの街を見てきたよ」
僕はみーにゃんに言った。
「目が覚めてすぐ、スクール水着を着た。恥ずかしくて死ぬかと思ったけど、案外なじむね」
『大変とても非常によく似合っていますよ、みーちゃん』
「それ、僕のこと?」
『はい。わたくしはみーにゃん。あなたはみーちゃん。お揃いでしょう?』
「そうだね」
僕は笑った。みーにゃんも微笑んだ。
「僕がいたのは、やっぱり何かの研究施設なのかな。食べ物があって助かった。廊下をカニが走ってたよ。カニって前に走るんだね」
あの時、僕は泳ぐことを知った。魚にとって、泳ぐことは生きること。生きる喜び、生命の躍動そのものだと、本能から学んだ。
「次は駅に行った。レンガの隙間からワカメが生えてて、待合室にウツボがいた」
一口で食べられてしまったタコは、食物連鎖の営みなのだろう。ちょっと哀れではあるけれど、仕方のないこと。当然のこと。あるいはもしかしたら、喜ばしいこと。
「線路を進んで、学校を見かけたから、入ってみた。竜宮学園って名前はこの都市から取ったんだね。庭が広くて、草は海のものになっちゃったけど、なかなか綺麗だったよ」
陸のものは海に沈んで、否応もなく眠りについた。
「下駄箱にはフナムシがうじゃうじゃいたから逃げた。体育館にはクラゲがびっくりするほど沢山いて、考えてみればどっちも似たような有様なんだけど、見た目の違いって大きいね」
子供たちの学び舎は、海の生き物の楽園になった。
「図書館はなんだか異世界みたいだったよ。病院には近寄れなかった。怖くてね。大きなお店は薄暗くて、散らかってて廃墟っぽかった」
海に沈んだそれらの場所は、機能を全うすることができなくなって、ただ沈黙するばかり。
「喫茶店が一つあったんだ。不思議な場所だった。ほとんどどこも壊れてなくて、きれいなまま。でもやっぱり誰もいないんだね」
どんなに姿を残していても、宿るべきなにかは、なくなってしまう。この水底では。深い深い海に溶けて、沈んでいってしまう。
「そして、ここに来た。ここには水がなくて、明かりがあって、みーにゃんもいる」
彼女だけが。たった一人で、水を拒んで、起きている。
『ああ……そうなのですね』
みーにゃんはモニターの中で目を閉じた。
『わたくしは外を出歩くことはおろか、見聞きすることさえ不自由でした。耳目となるべき装置に、稼働しているものはほとんどありませんからね』
彼女の視覚は、どんなものだろう。目を閉じた暗闇に、僕の語った街の様子が、浮かんでいるものだろうか。
『この街はもはや、水底の街。海の生き物が暮らす楽園……それはそれで、いいでしょう』
みーにゃんは優しげに微笑んで、目を開いた。僕を見た。
『みーちゃん、お願いします』
「うん」
僕はモニターの前から離れると、段々を登り、一番上のコンソールに触れた。聞いていたとおりに操作をすると、いくつかの画面を経た後に、是非を問う警告が表示された。
僕はみーにゃんを見た。みーにゃんはやっぱり優しげに微笑んで、少し遠いモニターから僕を見つめていた。僕もなるべく微笑んで、みーにゃんを見つめ返した。
「さようなら、おやすみなさい、みーにゃん」
『さようなら、いってらっしゃい、みーちゃん』
僕は実行した。




