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「……わお」
強化された視覚が弱い陽光を捕まえて、僕は全景を目の当たりにすることができた。
「……街だ」
そう、街。
都市が一つ、傾いて、沈んでいた。
都市はざっくり言えば円盤状。僕は円の端のほう、深みに近い場所から遥か海面を見上げる形で、途方もないほど大きな都市を、どうにか全て視界に収めることができていた。
ふと、言葉が口をついた。
「……航空都市」
空を航る都市。青い空、雲間を漂う透明の半球。
その概念は僕の脳にインプットされていて、けれども、それ以上のことは出て来なかった。一つ分かることは、この水底の廃都がかつては空を飛んでいたこと。
そして、もう一つ。
「空って、どんなのだろう」
僕は知っていて、知らない。見てみたいと強く思った。だから僕は、ひとまず海面を目指すことにした。
とは言え、せっかくこんな場所を訪れて、さっさとお暇するのも勿体無い。幸いにして僕は深い方の端っこにいるのだから、観光しながら浮上していけば一石二鳥だ。
僕はそう結論づけて、傾いた地表に沿う形で泳ぎだした。
道路はあちこちに大穴が開いて、ひどく荒れていた。建物は崩れ、瓦礫は海流に浚われて、都市の繁栄は見る影もない。どこもかしこも貝やホヤに覆われて、海草が繁茂して、ヒトデやウニが張り付いて、もうすっかり海の底になっていた。
空を飛んでいた都市が墜落してしまったのだから、何かとんでもないことが起きて、着水や着底の衝撃も大したものだっただろう。円盤が円盤のままであることに、むしろ驚嘆するべきなのかもしれない。
「お。大きい建物発見」
原形を留めている、どちらかと言えば横長な建築物。近寄ってみると、どうも駅らしい。
レンガ畳の広場からガラス張りの駅舎を臨めば、かつては結構瀟洒なデザインだったのだろう。砕けたレンガの下からワカメが生えて、ガラスは一枚も残っていなくても、何となく往時が偲ばれた。
駅舎の中はとっても広い。ホールは三階までぶち抜きで、うざったくない程度に並ぶ柱はまるで神殿みたいだった。随所にあるベンチは、今はその座面ではなく床との隙間に魚達の寝床を提供している。
「この辺って、意外と都市部だったのかな」
都市の中の都市部って言うのも変だけど。円盤の端っこにしては立派すぎる駅だ。そう言えば、道路も結構太かった。ただ、高層建築は見当たらなかったように思う。それが都市計画なのか、墜落の影響なのか……。
「ううん。分からないけど、思いを馳せるのもロマンがあるね」
僕はしたり顔で呟いた。足元の大魚が存ぜぬとばかり、貝殻を吐き捨てた。
足鰭を一打ち、腕鰭を一掻き。今度は待合室へ行ってみる。沢山の椅子が並び、大きく割れたディスプレイも無残なその部屋は。
「おお……でっかい」
大きなウツボが占領していた。
全長は4メートルくらいだろうか?椅子の下をぎりぎり通れる大蛇の如き巨体が、顔だけ出して外を睨んでいるのだ。
僕は遠巻きにウツボを眺めていた。近付くと食べられてしまいそうな威圧感がある。ちょうどよく今、一匹のタコがすいすいとそっちに泳いでいって、
ぱくん。
一呑みにされてしまった。
「諸行無常」
君子危うきに近寄らず。僕は待合室をスルーして改札を抜けた。階段を登ったり、降りたり。トイレに立ち寄ってみると、洋式便器に大きなエビが住み着いていて微妙な気分になった。
ホームへ降り立つ。電車が何両か横倒しになっていて、中は完全に魚礁だ。この都市では、魚礁じゃない場所を探す方が難しいのかもしれない。
遠慮なく線路へ降りる。流石に電線は影も形もないけれど、線路は意外なほど無事だった。敷石は藻に覆われて、赤錆と緑のグラデーションになっている。枕木の横合いから海草が伸びて、ゆらゆら揺れる。
そして、すっかり錆びた緩いカーブ。線路は青黒い海の向こうへ、どこまでもどこまでも、ひたすらに続いているようだった。