3人目「迷子とハンバーグ」
ディオナの口から評判が広がるにしても、急には無理だろうしまずは貴族社会からになるだろう。
つまり客入りに影響が出るのはしばらく先になる計算だった。
「まあ希望が見えただけ、まだマシか」
客のいない時間帯にサガミはそうつぶやき、シプラはこくりとうなずく。
この精霊種の娘は彼のこだわりについては何も口を出さなかった。
「もっと光都でなじみ深いメニューを」と言ってこないのは、彼女なりの一線なのだろうか。
でしゃばりすぎない点もサガミにとって好ましいのはたしかである。
ひとりくらい来てほしいと思っていると、外から小さな男の子の泣き声が聞こえてきた。
「シプラ、見てきてもらっていいか?」
「分かりました」
サガミの頼みに真剣な表情で答えて、シプラは白いエプロンを外して店の外に出て行く。
しばらくすると五歳くらいの赤い髪の人間族の男の子の手を引いて戻ってくる。
上等ではない麻の服を着ていることから、おそらく二等住居区の子どもであろう。
「どうも、母親とはぐれてしまったようです」
シプラは困った顔をして、サガミにうかがいを立てるような視線を向ける。
「名前は聞けたのか?」
「はい。彼はアダム、母親はメアリーというそうです」
サガミの判断は早かった。
「すまないが探してみてくれるか」
「はい、店主はそうおっしゃると思っていました」
シプラはうれしそうに微笑み、再び店の外に出て行く。
「お母さんが見つかるまで、ここで待っているか」
サガミが優しく言うと、アダムは泣きながらもこくりとうなずいた。
何となくではあるが、救いの手を差し伸べられていると分かっているらしい。
彼はまず子どものために甘い果実の水を飲ませてやり、次に簡単な料理を用意する。
「おいしい……りんご?」
小さい少年は甘いりんごの果実水を飲んで、思わずそう感想を漏らす。
とても可愛らしく、サガミは微笑みながら言う。
「そうだ。もう少し待っていろ」
ジュウジュウと肉が焼ける音と匂いが広がり、アダムは目を輝かせる。
サガミは彼のために焼いた肉を小さく切り分けておく。
「熱いから気をつけろ」
「なあに、これ?」
少年はできたてのハンバーグを見て首をかしげる。
普段食べ慣れていないのだろう。
「これはハンバーグという。簡単に言うと肉を焼いたものだ」
小さな子どもでは詳しく話しても理解できないと思い、単純明快な説明にする。
「ふうん?」
冷たい水を近くに置いてからサガミは少年の前の席に腰かけて言う。
「お母さんが見つかってここまで来るまで、もう少し時間がかかるだろう。これでも食べて待っていろ」
「……いいの?」
アダムはとまどっていたようだが、食べていいらしいと分かると少しずつ食べる。
「おいしい。おいしい」
少年は苦労しながら夢中になって食べていた。
「そうか。おいしくできたようで何よりだ」
そこへシプラが赤い髪の若い女性を連れて戻ってくる。
「おお、アダム!」
女性は息子の姿を見て、感極まったように泣きだす。
母の声を聞いたアダムは素早くふり向くと、顔を輝かせてまだ残っているハンバーグを放り出して、母のもとへ走っていく。
「おかあさん!」
「母には勝てないか」
サガミは苦笑する。
母は何度も彼とシプラに礼を言い、代金を払おうとしたが、サガミは受け取らない。
「もうはぐれないように気をつけてくれ」
「はい。それはもう」
アダムは二人に笑顔で手を振り、母に手を引かれて去っていく。
「見つかってよかったな」
サガミの声にシプラはこくりとうなずいてから、心配そうに言う。
「店主、あの子に出したハンバーグ、クレムゾンボアのお肉だったんじゃ……」
「仕方ないだろう。いい肉を食べてもらった方が元気になるのだから」
サガミが言うと、シプラは彼が見落としている点を指摘する。
「それはそうですが、タダで出しちゃったら、今月も大赤字確定ですよ」
「あっ」
サガミは間が抜けた声を出す。
クレムゾンボアは数が少ない上になかなか倒せず、高級な肉のひとつに数えられる。
それをタダで出してしまうと、大損になってしまう。
サガミは本当にこのことを忘れていたのだ。
これだから彼は商売に向いていないとシプラは思う。
「シプラの賃金はちゃんと出すから、できればこれからも……」
おそるおそる彼は話しかける。
賃金を規定分出してもらえないのであれば、彼女が店にとどまる理由はない。
また、賃金を払っていても契約を更新するかどうか、従業員にも選択権はあるのだ。
「ええ、お賃金をきちんといただけるのでしたら、辞める理由はありませんね」
シプラはにっこりと答えて彼を安心させる。
「よかった。……それにしても金勘定は難しい。そして利益を出すのはもっと難しい。クレムゾンボアをしとめる方がよっぽど簡単だ」
「それも普通は逆ですよ、店主」
落ち込むサガミに対して、シプラがいつもの調子で言う。