2人目「物好きお嬢様とオムライス」
夕暮れを告げる鐘が二回鳴らされ、飲食店は一日で最も忙しい時間帯となる。
光都をふくめこの国では、夕食は店で食べる習慣なのだ。
朝と昼二回の食事に家事にと忙しい女性をいたわろうと、はるか昔に皇帝が言い出したことが起源とされる。
それでもサガミの店「フジニシキ」の客は少しずつしか入らない。
来た客が頼むのはここの人たちにとってなじみの深い葡萄酒とチーズである。
全員が若い独り身の男性で、動き回るシプラをちらちらと見ながらチーズを味わい、葡萄酒を流し込む。
(誰も来ないよりはずっとマシか)
サガミは自分にそう言い聞かせて自分の作業をこなす。
全員がシプラ目当てとなると、シプラの賃金に多少色をつけなければならない。
全員が一人の女性目当てなのだから、広くもない店内で客同士の会話がはずむことはなかった。
時折けん制しあうような視線が飛ぶのがせいぜいである。
シプラは果たして気づいているのやら……。
全員がチーズと葡萄酒をおかわりして、ちびちびとやっているとそこへ一人の客がやってきた。
「ここが例のフジニシキか」
入ってきたのは背の高い銀髪の女性であったが、客たちとシプラの動きが固まった理由は別にある。
ひと目見ただけで高級注文服と分かる赤いシャツにグレーのパンツ、首にはひかえめに自己主張する宝石つきのネックレス。
誰がどう見ても貴族の女性だった。
背後には彼女以上に背が高く肩幅も広い護衛らしい黒服の男性が二人ひかえており、店内を威圧するような視線を走らせる。
それもサガミを見るまでであり、たちまち怖気づいたように視線をそらした。
女性はしっかり把握していたらしく、鈴が転がるような笑い声を立てる。
「だから護衛はいらぬと言ったはずだ。ここはかの英雄サガミがやっている店なのだからな。どんな悪党も怪物も英雄サガミと対峙すれば、震えながら命乞いするであろう」
「お言葉ですが殿下、この店は安全と申しましても、道中は分かりませぬ」
護衛はあきらめずに女性を諫めた。
護衛の方が正しいとサガミもシプラも思うが、当の本人はわずらわしそうに形の良い眉を動かす。
「分かった。では店の外で待て」
「はっ。……私どもから逃げようとなさらないでください」
何を不安に思ったのか、護衛の一人が念を押した。
「その場合、余計なお世話かもしれないが、私が対処させていただこう」
今まで黙って聞いていたサガミが護衛にそう声をかける。
「だから安心するといい」
「おお、英雄サガミの助力が得られるなら、百万の精鋭よりも心強い!」
メシ屋の店主が言われる言葉としては大いに間違っている気がするが、サガミは英雄としての自分を隠していないのだから仕方ないだろう。
安心したような顔で護衛が店のドアを閉めると、シプラが女性を席まで案内する。
彼女は席には座らず、まずサガミに向かって頭を下げて詫びた。
「お騒がして申し訳ない、サガミ殿。御身の手をわずらわせたと知られたら、この細首が飛ぶだろう。何もせずおとなしくするから、どうか客として扱っていただきたい」
「皇帝陛下になら私がとりなしてもいいが……」
相手が貴族となれば、サガミが現皇帝に意見ができる立場だとも知っているだろう。
ところが彼女は彼の発言を聞いて顔面蒼白になる。
「めっそうもない。そのようなことになっても、やはり一大事だ!」
慌てる女性の様子がいたずらを見つかった幼女のようで、ついついシプラは吹き出してしまう。
「シプラ!」
「ご、ごめんなさい」
サガミに叱られたシプラは慌てて謝った。
貴族の言葉を平民が笑うと、この国ではよくて投獄、最悪打ち首である。
「いや、サガミ殿が雇っている者に手は出さぬよ」
女性は笑いながら言ってから、真剣な顔でサガミを見つめた。
「わたくしは単にあなたが出しているという料理を食べてみたくて来たのだ。何でもこの国では珍しいものも出すとか?」
「ああ。……なかなか受け入れられてもらえなくて苦労しているが」
サガミは苦虫を千匹ほどまとめて噛み潰して一気飲みしたような顔で言う。
「ふむ。やはりなじみないものを広めるのは苦労するか。献立を見てもいいか?」
「あ、はい。どうぞ」
シプラが水と献立を女性の前に差し出す。
「飲み水を一杯無料で提供しているという話は本当だったか。……うん、美味い! これなら宮廷で陛下に献上できるな!」
女性は綺麗な花が満開になったような笑顔で、称賛の言葉を放つ。
「そうでしょう、そうでしょう」
シプラは自分が褒められた以上に喜ぶが、サガミは引っかかりを覚えた。
「陛下に献上する……そして珍しい料理を……もしや、あなたはノスティモ家のディオナ公女かな?」
「お分かりか。さすがサガミ殿だな」
ノスティモ公爵家の次女ディオナは赤い目を見開く。
大変料理好きで鋭敏な舌を持ち、帝族に出す料理にふさわしいか否かを判断する立場にあるというのが、サガミが知る情報である。
「私はそうだな……このオムライスというものを所望する。何となくだが、注文があまり来ないものを選んでみたつもりだが、どうだ?」
「ディオナ公女は勘もいいのか。そのとおりだよ」
ディオナは少し得意げになるが、シプラは若干不満であった。
精霊種と言えども、今の彼女の身分は平民であるから、公爵令嬢のディオナには何も言えない。
しかし、ディオナの方は気づいたらしく声をかけてくる。
「どうした、給仕よ。私に言いたいことがあれば、遠慮なく申してみるがよい」
「いえ、何でもありません」
シプラの緑の瞳には不満がたっぷりとあふれていたが、サガミへ迷惑になることを恐れた彼女は黙秘を選ぶ。
「サガミ殿の威光を借りないか。行儀のいい娘だな。サガミ殿は見る目もあるということか」
ディオナは独り言を漏らす。
店内の男たちはちらちらとシプラに対して、心配そうな目を向ける。
相手が悪すぎるためかばう勇気が出せないということだろう。
「シプラ、運んでくれ」
「はーい」
サガミに声をかけられてシプラはパタパタと戻る。
そしてディオナのところへ品を運ぶ。
「お待たせしました。オムライスです」
公女という貴顕の身分にある女性は、赤い瞳を好奇心で輝かせながらスプーンを手に取る。
「ほう。黄色いのはタマゴかな? 中身はコメと呼ばれるものだろうが……この色なのはトマトソースでも使ったのか?」
ぱくりと食べてゆっくりと咀嚼すると、美しい顔が幸せそうにとろけた。
「うん。これは美味しい。ソースに使われているのはトマトだけではない。塩、タマネギ、香辛料も使われているな。今まで食べたことがない種類のソースだが、トマトソースに新しい可能性を見せている」
ディオナの感想にえ、と誰かの声が聞こえる。
「それにこのコメは光都では出回っていないものだな。国内でもないはずだが……サガミ殿ならどこからでも自力で入手できるか。ニンジンやピーマンといった野菜は、北部地域のものでよかろう。タマゴは帝族御用達の養鶏場から仕入れたものだな。これらを……おっと、調理法まで話すのはマナー違反か」
「な、何で分かったのですか?」
シプラは唖然としてディオナに話しかける。
「ケチャップ」という名のトマトソースについてはシプラもよく知らないが、他の点はすべてディオナは正解していると彼女は分かった。
だからこその驚愕である。
「どうしてと言われても、食べたら分かるとしか説明できぬ。わたくしの特技のようなものだしな」
ディオナの表情はまだ幸福でとけたままだった。
それでも「色っぽい美しさ」なのだから、美女は得だとサガミは思う。
「お口に合って何よりだ」
「……そうだな。美味しくなかったら一言諫めなければと思っていた」
ディオナは表情を引き締めて話す。
「だが、これならば大丈夫だろう。これだけ美味しいのであれば、人々が食べる機会を増やすことを考えていけばきっと繁盛する」
「どうすれば食べてもらえるか、がカギなのですか」
シプラが真剣な顔で聞き入る。
「あのディオナ公女に褒められたとなると、自信が持てたよ。今日の代はいらない」
「えっ? そういうわけにもいかぬが」
サガミの発言にディオナは困惑した。
「ディオナ公女がこの店は美味しいと言ってくれたら、二、三日のうちに光都全域に広まるだろう。それで十分だ」
「ふむ。一応戻って陛下に相談申し上げよう。陛下に代金はきちんと払えと命じられた場合は、受け取っていただけるか?」
ディオナが確認すると彼はうなずく。
「その場合は仕方ないな。この国に住む者が陛下のご意思には背けないだろう」
「ご理解いただき、感謝する」
ディオナはようやく安心して食事に戻る。
「陛下を説得するのは難しくないからな。店の客を増やすのは難しいが」
「だから普通は逆ですよ、店主」
小さく独り言をもらしたサガミに、シプラが小声で言う。
……店から出たディオナは真剣な顔で考え込んでいる。
「精霊種でシプラ……まさか、な」
というつぶやきは誰の耳にも聞こえなかった。