15人目「花屋の娘とシュークリーム」
ゼタは二等住居区で一番大きな花屋の娘である。
光都において花屋は重要な位置づけの店のひとつだ。
新年を祝う時、赤子の誕生を喜ぶ時、民衆が誰かの誕生日を祝う時、結婚記念日の際、大きな祭が開かれる時、そして誰かをフィンスターニスの下へ送り出す時と、多くの花が必要とされる。
大儲けするのは他の商材と比べて難しいかもしれないが、馬鹿なことをしないかぎり安定した稼ぎをずっと計算できるのだ。
需要が多い分忙しいのがゼタにとって悩みの種である。
もっとも、仕事に困らないということがどれだけ幸せなことなのか、理解できる年齢であった。
だからと言って割り切られるほど大人でもない。
(正直、もう少しお休みはほしいんだよねえ)
光都では月四回の休みを従業員に与えている店は珍しくないのだが、ゼタは違う。
家族経営ということもあって遠慮なくこき使われているし、報酬は格安なのだからたまらない。
両親は「お嫁に行く時のための蓄え」をしていると言うし、嘘ではないと思う。
それでも不満はなくならないし、友達に愚痴をこぼすと「ぜいたくだ」と呆れられるし、彼女はある種の閉塞感のようなものを抱えている。
そんな彼女の気晴らしと言えば、甘いものを食べることだ。
大きな店の娘と言ってもお小遣いしかもらえていないのだから、砂糖菓子という高級品には手が出せない。
しかし、二等住居区には果物専門店があり、果物の甘みを楽しむことができる。
彼女は今日もそこへ向かったのだ。
「あら、ゼタ」
「ファニじゃない」
店先でばったりとファニという少女と遭遇する。
ファニはゼタと年も家も近く、彼女が働いている時に洗濯物を持ち込むことがあれば、彼女がゼタから花を買うことがあった。
おまけに甘いもの好き同士ということもあって仲が良い。
「今日はお休みじゃないわよね。休憩中なの?」
ファニに休みの少なさをこぼした記憶があるゼタは、こくりとうなずいてから問いを返す。
「ファニは? 久しぶりにここで会った記憶があるけど、偶然?」
以前はもう少し遭遇する頻度が高かった気がしたのだ。
彼女の問いにファニはバツが悪そうな顔をすると、小声で言う。
「ここのお店の前じゃちょっと」
何か秘密があるらしいと直感したゼタは、とりあえず干しブドウを購入して五シラ(約五十円)を支払い、離れたところで待っているファニに合流する。
「お待たせ」
ふたりの少女は道をゆっくりと歩きながら、果物を口に入れた。
果物屋から離れていき、買った品物をたいらげてからゼタが再び問いを放つ。
「それで? 何かあったの?」
「ええ。じつは甘いお菓子を出すお店を見つけたのよ」
ファニはいかにも重大事件があったという顔で教えてくれる。
「えっ?」
たしかに重大事件だとゼタは思う。
彼女のようなヒトにとって、甘いお菓子を出す店があるというのはそれだけのことなのだ。
「そ、そんなお店、知らないわよ?」
ファニがうそをついているとは思わないが、どうして自分の耳に入って来ないのか。
花屋という店であれば、おしゃべり好きの主婦や少女がよく来るのに。
ゼタの疑問に洗濯屋の少女も首をかしげる。
「そう言えば……私以外に頼んでいるお客さん、ほとんどいなかったかも。親子連れぐらいかしら」
「頼む人がほとんどいないから、知られていないということ?」
思い出しながらの発言を聞いて、ゼタは少し納得した。
「た、たぶん」
ファニはあまり自信がなさそうな返事をする。
「それに変わったものが好きという人、少ないでしょ」
「ああ、まあねえ」
ゼタも何となくは分かっていたことだ。
むろん変わったものが好きという人はいることはいるのだが、光都の人口を考えれば圧倒的に少数派である。
「変わった甘い食べ物を出す店なら、それだけでお客さん呼べそうなのにね」
ゼタがささやかな疑問を口にすると、ファニが「もしかしたら」と前置きしたうえで、自身の推測を言う。
「あくまでも料理を出すお店だってこだわりがあるのかもしれない。何回か行っているうちにそう思うようになったの」
「こだわりがあるんじゃ仕方ないわよね」
ゼタは共感を示す。
彼女も店の娘として生まれ、店の手伝いをしているからこそ、店をやっている者のこだわりというものについては分かる。
理屈ではなく感覚としてではあったが。
客にしても譲れないこだわりを持っている店の方が信用できる、という考え方の人は少なくない。
「でも、お料理を食べたあとに頼むなら、何も悪くないわよね?」
少しの沈黙の後、彼女は名案が浮かんだとばかりにニンマリする。
「それはそうよね」
ファニもニコリと笑みを返す。
「ところでそのお店の名前は? どこにあるの?」
ゼタの問いにファニは嘆息する。
「本当に何も知らなかったのね。あなたのおうちの目の前にある、フジニシキってお店よ」
彼女の発言を聞いたゼタは思わず立ち止まった。
そして何も知らないと言われたのも当然だと思う。
「……今日、晩にでも行ってみよう。お値段は?」
小遣いが多くない少女にとって気になるのはやはり価格だ。
「私が食べたチーズケーキは三ロルグ五シラ(約三百五十円)で、水とのセットで四ロルグだったかしら。料理も三ロルグから四ロルグのものがけっこう多かったと思う」
「安いわね」
ファニの情報を聞いたゼタの率直な印象である。
「料理はともかく、けーきとかいうのが甘いお菓子なんでしょう? 飲み物つきで四ロルグで出せるものなの?」
「砂糖をひかえめにして、代わり安く手に入るものを使っているから値段を抑えられるそうよ。お店の人が言っていたよ」
ゼタの脳内で常識が破壊される音が響く。
「そう? あなたがたまに行くということは、それでも美味しいのよね?」
「ええ、びっくりよ。砂糖が少なめでも甘さって出るものなのだと知ったわ」
うっとりとしたファニの言葉と表情を見て、彼女は店が閉まってから行こうと決める。
「そのお店、夜も営業しているの?」
「うん、けっこう遅くまでやっているらしいから大丈夫」
「なにそのお店、最強?」
ゼタは目を丸くして大げさなことを言い、ふたりは笑いあった。
ファニと別れた彼女は、上機嫌で仕事に没頭する。
そんな娘を怪訝そうに見る両親の視線に気づかないふりをし、今日の仕事を終えると正面の店のドアを開く。
「いらっしゃいませー」
出迎えてくれたのは精霊種の美少女シプラだ。
ゼタは彼女の美貌にまず驚き、次に無料で出てきた水の美味さに目を丸くする。
(ファニったら何も言わなかった……覚えてなさいよ)
友達のいたずら心を彼女はちょっとだけ恨み、差し出された献立を見た。
「魚の焼き物と野菜サラダと……あら? ちーずけーきというものがありませんね?」
彼女は料理を注文してからデザートを頼もうとしたが、ファニから聞かされたお菓子の名前がないことに気づく。
「申し訳ございません。チーズケーキを提供する期間は昨日で終了となりまして、本日からはシュークリームがはじまりました」
シプラの謝罪を聞いて、ゼタは悩む。
(しゅーくりーむ? やっぱり知らない名前ね)
こういう場合は聞いた方が早いと思い、店員に質問する。
「しゅーくりーむというのも、やはり甘いお菓子でいいのでしょうか?」
「はい。クリーム……牛乳を使って作られた甘い製品を生地で包んだもの、と申しましょうか」
シプラは何だか説明しにくそうだった。
知識を持っていない客にどう言えば伝わるのか、苦慮しているようである。
同じ苦しみを何度も体験しているゼタは彼女に軽い親近感を抱く。
「とりあえずそれをひとつお願いします」
彼女が言うと、シプラはほっとした顔で確認してくる。
「セットの飲み物はいかがでしょうか?」
これはファニから事前に聞いていたため、流れるように水とのセットを頼む。
最初にまず出てきたのはニンジン、タマネギと葉野菜のサラダだ。
ゼタはまずニンジンを葉野菜でくるんで口に運ぶ。
「うん、美味しい」
鮮度がよく、野菜の美味さが楽しめるのはいいと思う。
次は魚の焼き物だ。
「これはルビナでしょうか?」
出てきた品を見てゼタは聞いてみる。
「ええ、よくご存知ですね。白身は上質ですし、骨は小さくかみ砕きやすいということで、店主が好まれる魚のひとつです」
「祖母が好きなんです。祖母はバスって呼んでますね」
シプラの説明にゼタが応じると、精霊種は「ああ」とうなずく。
「でしたらお客さんのお母様は大陸の西方の出身なのでしょうか? バスというのは西方での呼び方ですよね」
「ええ、そうらしいです。祖母の実家がどこなのか、詳しくは知らないのですが」
いろいろあったらしいと彼女が言外に伝えれば、シプラは何も言わずに下がる。
そして彼女が料理を食べ終えたころ、大きく茶色い円状の物体と水を持ってきた。
「お待たせいたしました。シュークリームです」
「これが……」
クリームとやらはいったいどこに使われているのだろうというのが、ゼタの第一印象である。
ほどなくしてシプラの「生地で包んだ……」という説明を思い出して手を伸ばす。
外の生地はかりっとしているが、中はふんわりしているし、くりーむなる甘いものが口に広がる。
(こ、これは……)
ゆったりと味わって飲み込んでから、彼女は蕩けそうな顔でつぶやく。
「美味しすぎて幸せ」
しばらく余韻にひたっていたが、やがてある恐ろしい事態に気づいてハッとなる。
ゼタはついうっかりこのシュークリームなる食べ物の値段を確認していなかったのだ。
あわてて献立を見てみると、四ロルグと表記されている。
(この美味しさで四ロルグなんて……殺人的だわ)
彼女は喜びながら戦慄するという器用なことをやってのけた。