14人目「洗濯屋の少女とチーズケーキ」
ファニは光都の二等住居区の洗濯屋で働く少女だ。
貴族や一等住居区は専用の使用人を雇ってやらせているが、庶民にまねできるはずがない。
だから洗濯屋という商売が成立している。
この商売は重労働だが、実入りは意外と悪くない。
ボタンつけや裾直しの技術を身につければ、さらに副収入を得ることもできる。
平凡な家に生まれ、貴族に見初められるような美貌も、一生食うに困らない才能にも恵まれなかった少女が生きていくためには、堅実な技術を身につけることが大切だ。
両親にはそう教えられてきたし、彼女自身もそう思う。
働き口として洗濯屋を選んだのは、ずっと必要とされる商売だと考えたからだ。
彼女は庶民なりの知恵を両親から受け継いでいる。
そんなファニだったが、たまには外食しようと思いつく。
飲食店を回り、客層を見れば世の移り変わりを把握できるという。
まだ十代の少女には難しい芸当だが、両親や近所の老人に話せば分かることもあるはずだった。
彼女が今日の店で選んだのは大きな花屋の向かい側にある、「フジニシキ」という新しい木の看板を出した店である。
(ふじ、にしき? ふじに、しき?)
ファニに分かったのは、帝国語ではなさそうだということだけだ。
光都の二等住居区では外国人が商売しているのは珍しくない。
この国が豊かで外国人やヒトならざる種族に対して寛容で、けっこう公正だからだ。
伝説の英雄サガミ・ハリマが、ヒト以外に対しては排他的だった先代皇帝を近衛騎士ごと半殺しにしたせいだという説があるが、さすがにこれは冗談だろう。
両親も言っていたし、ファニも同感だった。
彼女が生唾を飲み込んでドアを開けると、呼び鈴らしき音と同時に店員が出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ」
シプラの長い耳を見てファニは目を丸くした。
(精霊種? 精霊種がどうして、二等住居区の店なんかで働いているんだろう?)
庶民の少女でも精霊種という、ヒトから見れば規格外の種族のことは知っている。
間違ってもこのあたりで出くわすような存在ではないはずだ。
「おひとりさまですか?」
彼女の驚きと困惑をよそに、シプラは席へと誘導する。
ファニはようやく我に返り、そっと店内を観察してみた。
客は中年夫婦、老人、同年代と思しき少女もいるが、若い男が多い。
男たちの視線がちらちらシプラに向けられているのを見て、彼女はげんなりする。
(男ってサイテー)
表情に出すほど子どもではなかったが、若い男の実態を受け止められるほど成熟していなかった。
当のシプラは慣れているのかそ知らぬ顔をして、彼女に水を持ってきてくれる。
「いっぱいめは無料です。どうぞ」
「えっ? 飲み水が無料?」
ファニはまたしても驚かされた。
このあたりで飲食用の水を確保する手段はあるが、手間も労力もかかる。
店で出される飲み水は、駄賃分くらいはとるのが普通だった。
「二杯めからは有料ですよ」
シプラはにっこり笑いながら言う。
ファニはおそるおそる飲んでみると、とても美味しかった。
「……こんな美味しい水が無料だなんて、信じられない」
思わず感想が口からこぼれる。
彼女の様子を他の客たちは、「自分たちもかつては通った道だ」となつかしそうに見守っていた。
「献立をどうぞ」
「あ、ごめんなさい。私、文字が読めなくて」
ファニは言葉とは裏腹に少しも申し訳なさそうではない。
二等住居区の民が文字を読めないのは珍しいことではなく、店員がその点を補う対応をするのも仕事のうちだ。
「はい、それでは読み上げますね」
シプラは慣れた態度で献立を読み上げていく。
「野菜と山菜のパスタをお願いします」
ファニは迷わずに注文する。
彼女はどちらかと言えば冒険をしたがらない性格であった。
外国人がやっている店に入るのは冒険とは言えない世情だから、入っただけに過ぎない。
「かしこまりました」
シプラが下がると彼女は再び店内を観察すると、見覚えのない料理を美味しそうに食べている姿が目立つ。
コメのスープらしきもの、コメを焼いたらしきもの、ソバらしきものはかろうじて分かったが、他はさっぱり理解できない。
(料理だけなら食べようとは思わないんだけど、みんな美味しそうに食べているのがねえ)
あれだけ美味しそうに食べているならば、きっと美味しいのだろう。
ヒト以外の種族や外国人が多ければファニは別の意見を持ったかもしれないが、生粋の帝国人らしき者たちが多いとなると心が揺らぐ。
(パスタを頼んだのは無難すぎたかしら……)
彼女はわずかに後悔する。
少しくらい勇気を出してみようかと思いはじめた矢先、頼んだ品がやってくる。
「お待たせいたしました、野菜と山菜のパスタです」
ファニの前に差し出されたのは白い大きな皿に盛られたパスタだ。
麺以外にはニンジン、キノコ、トマトと定番の顔ぶれである。
もしかすると多少は珍しい品が入っているかも、という懸念もあっただけに拍子抜けだった。
(ひょっとして珍しい料理となじみのある料理で、しっかり分けているのかしら?)
と彼女は思う。
そうならば珍しいもの好き以外の客ばかりではなく、彼女のように定番好きも食べに来やすい。
なかなか計算されていると彼女は感心し、自分も少しは見習わなければと考えた。
さて肝心の味はと食べてみると、普通に美味しい。
「うん、美味しい」
思わず頬をゆるめながらファニは感想を漏らす。
シプラはうれしそうな顔で他の客の注文を取りに行く。
ゆっくりと味わいながら食べていると、母と娘の二人組のところへ何やら見慣れないものが運ばれていた。
「んー、あまーい」
「おいしー」
ふたりとも幸せそうに表情が蕩けているが、ファニが気になったのは「甘い」という少女の声である。
たまたまシプラが近くを通ったのを呼び止め、彼女たちが食べている品について尋ねた。
「あれは何なのでしょう?」
「ああ、チーズケーキとショートケーキですね」
シプラは即答してくれたが、彼女の頭の中にはたくさんの疑問符が並ぶ。
「光都の方には砂糖菓子の仲間と言えば、お分かりになるかと思いますが」
「ああ、砂糖菓子なのですね」
砂糖菓子ならばファニも知っている。
年に一度、豊穣祭の時にだけ買うことが許されるぜいたく品だ。
「って、砂糖菓子!?」
多少の間を置いてから彼女は目をむいて叫ぶ。
庶民は年に一度だけ、そのためにお金を貯めないと手が出ない高級品である。
どうして二等住居区の店で提供しているのだろうか。
「あ、あのおふたりはそんなお金持ちなのですか?」
普通の外食のついでで注文できるような品ではない。
一等住居区に住む富裕層や貴族ならば不可能ではないため、ファニがまっさきに考えたのは母娘がどこかの大富豪か貴族の一族が、お忍びでやってきているということだ。
「いえ」
シプラは苦笑しながら彼女の勘違いをただす。
「うちのお店で提供しているのは、砂糖をずっとひかえめにして、安く手に入る甘味を多めにしたものなんです。その分、お値段も安くなっておりますよ」
「あ、ああ、なるほど……そういうことでしたか」
ファニはようやく納得する。
砂糖菓子がぜいたく品なのは、材料の砂糖そのものが高級だからだ。
母娘が食べている大きさの菓子を作ろうとすれば、砂糖だけで二百ロルグ(約二万円)になってしまうだろう。
安い干し果物などで代用しているのであれば、かなり安くできる。
「けーきというものはおいくらなのでしょう?」
彼女が肝心な点を聞いてみた。
「ショートケーキは四ロルグ(約四百円)、チーズケーキは三ロルグ五シラ(約三百五十円)になります」
シプラの回答に「安い」と思う。
ゼロがひとつ多くてもおかしくないのが砂糖菓子というものだ。
説明を信じるのであれば大半を安物で代用しているせいなのだろうが、それでも安い。
「で、ではチーズケーキをひとつお願いします」
ファニは誘惑に勝てず、追加で注文する。
「飲み物はいかがでしょう? ケーキとセット注文でしたら水は五シラ、それ以外の飲み物は一ロルグでおつけできますが」
シプラの営業にまたしても「安い」と感じた。
四ロルグ五シラで砂糖菓子と飲み物を楽しめると言われると、採算は取れるのかと心配になってくる。
だが、おそらくは大丈夫なのだろうと彼女は思った。
「飲み物は何を選べますか? チーズケーキと合いそうなものをお願いしたいのですけど」
値段が変わらないのであれば、店の者に合うものを選んでもらうという手段が使える。
ファニの問いを聞いたシプラは少し迷う。
「そうですね。光都では珈琲は珍しいですから、紅茶はいかがでしょう?」
「ああ、紅茶ですか。それでお願いします」
知っている飲み物の名前が出て、彼女はやや安心する。
やはり未知の飲み物よりは知っているものの方がいい。
珈琲とやらをすすめてこなかったあたり、シプラもその点は予想できていたのだろう。
しばし待ったあと、きつね色のケーキなる菓子が乗った白い皿と紅茶の白いカップが運ばれてくる。
「お待たせいたしました、チーズケーキと紅茶のセットです」
紅茶はファニも飲んだことがあるため、先にケーキを味わってみる。
「ん……」
たしかに過去に食べたことがある砂糖菓子と比べれば、甘さはひかえめであった。
しかし、こちらの方がくどすぎず上品な味わいになっている気がする。
「美味しい」
バカげているとファニは思う。
高級品よりも低価格品の方がずっと品がいいとか、味も上だと感じるのは自分が庶民だからだと考える。
(安いのに美味しいって、普通は逆よね。高い方がいい材料を使っているし、腕のいい人がやっているということなんだから)
彼女は単純に「高いものの方が美味しい」という価値観を信じていて、今日初めてそれがぐらついたのだ。