13人め「肉じゃがと木こり職人」
レヴォンはそろそろ若手から中堅へとさしかかった木彫り職人である。
今は祭や祝いごとに使う木彫り面や像を作っているが、いつかは一等住居区から大型の注文がくるような職人になりたいという野望が、まだ心にくすぶっていた。
そんな彼は店で食事をとることをあまり好まない。
夕食ですら二日に一日くらいは家で食べる変わり者として知人には思われている。
そして今日は外で食べる日であった。
「おや、レヴォン。今日はどこに行くつもりだい?」
彼の習慣をよく知る隣人は驚きもせず、予定だけ聞く。
「いや。決めていないんだ。いい店を知らないかい?」
レヴォンは逆に隣人の男性に質問を返す。
外で食べることを好まない彼は、当然のことながら店のことにうとかった。
だから他人が持っている情報が頼りなのである。
「そうだな。安いが変わっている店があるって、最近じゃ評判になっているよ」
「安くて美味いなら、風変わりでも別に平気だな」
と彼は隣人の言葉に答えた。
光都の住民たちはどちらかと言えば保守的で、昔ながらのものを好むことが多い。
伝統を大切にする反面、新しい物事を積極的に受け入れることは珍しかった。
そのような光都民の気質をレヴォンも承知している。
そのため、かえって変わっていながらも評判になる店に興味を抱く。
「まあ、あんたならそうだろうな。フジニシキって店だよ。二等区で一番大きな花屋の向かいにある」
隣人もレヴォンの性格をよく知っている。
だからこそフジニシキのことを教えたのだ。
「フジニシキ? 帝国風じゃないな。外国人がやっているのか?」
レヴォンは軽く首をひねる。
外国人が開いた店ならば、変わっていてもおかしくはない。
彼の疑問を聞いた隣人はそっと近寄り、小声で耳打ちした。
「いや、それが店主はあのサガミ・ハリマ様らしいってうわさなんだ」
「……はぁっ?」
レヴォンはけげんそうな声を出してしまい、あわてた隣人にたしなめられる。
「しーっ」
「おっと、悪い」
彼は仕方なく相手に声量を合わせたが、疑問を抑えきれずにぶつけた。
「何でサガミ・ハリマ様が店なんてやっているんだ? あのお方ならいくらでも美味珍味を食える身分じゃないか?」
それも世界中からえりすぐりの美女を集めて、最高級の酒といっしょにである。
どれだけ豪奢な生活をしたところで、世界中の者たちは「当然の権利だ」と納得するだろう。
サガミ・ハリマという英雄はそれほどの偉業を成し遂げたのだ。
レヴォンだって普通の男ならば腹が立っても、サガミ・ハリマが相手ならば仕方ないとあきらめがつく。
「そんなこと、俺が知るかよ。だいたい、あくまでもうわさなんだし、本当かどうか分からんよ」
隣人は困惑しながらも言い訳をする。
ただ、その中身はレヴォンにとって納得できるものだ。
「そりゃそうか。俺たちじゃ、サガミ様の顔なんて分からないもんな」
サガミの名前は誰もが知っているが、顔を知っているのは各国の王族貴族と、彼に直接救われた人々くらいだろう。
「ああ。でも、店員の女の子はとびきりきれいな精霊種らしいぞ」
「はぁっ? 精霊種が何で飲食店で働いているんだよ? もっと実入りのいい仕事、いくらでも見つかるだろ」
レヴォンは再び大きな声を出してしまう。
精霊種は自然の理と魔術に精通している、高位の種族だ。
彼らにしかできないような仕事はいくつもあるし、需要は多く大金を稼ぎやすい。
何がどうすればそうなるのか、彼でなくても不思議に思うはずだ。
「さあな。だからこそ、サガミ様が店主だってうわさが出たんじゃないか?」
隣人は今度は彼をとがめず、肩をすくめてみせる。
「なるほど、そういう考え方もあるのか。サガミ様なら、精霊種の女の子に惚れられてもおかしくはないか」
レヴォンはようやく合点がいく。
サガミ・ハリマが持つ伝説には、「精霊種を救う」逸話もあった。
救われた女の子が彼に惚れ、店を開いたとなれば店員を喜んでやっているということか。
(考えただけで腹立つけど、サガミ様ならおかしくはないな)
相手が悪すぎるため、あきらめるしかなかった。
「とにかく一回行ってみろよ。女の子は美人だし、メシは美味いぞ」
「おう」
彼らの会話はこれで終わる。
隣人もいい加減食べに行きたかったのだろう。
レヴォンはまず大きな花屋を目指す。
幸い過去に近くまで行ったことがあったため、迷わずにたどりつけた。
向かいの店の看板「フジニシキ」を確認してから、木のドアを横に開ける。
(ドアに彫刻はいらないのかな)
と思ったのは、彼が木彫り職人であるがゆえの職業病のようなものだろう。
「いらっしゃいませー」
すぐにも明るい声が出迎えてくれる。
彼の目の前に現れたのは、なるほどとびきりきれいな精霊種の女性であった。
愛想笑いだとは承知していても、心が浮き立つのを抑えきれない。
席に案内されるとガラスのコップに入った水が出てくる。
「これは……?」
「いっぱいめは無料なんですよ。どうぞー」
店員、シプラは何十回とくり返してきた説明を笑顔でおこなう。
無料で出される水の美味さにレヴォンが仰天するのも、彼女にとってはいつものことだ。
(くそ、あの人、俺を驚かせるために黙っていたな)
彼は隣人の笑い声を脳内で描き、舌打ちをする。
店の名前と場所と評判を知っていたのに、無料の水のことを知らない方が不自然だ。
「お客様? 注文はいかがなさいますか?」
「え、あ、そうだな……」
シプラの問いにレヴォンは焦り、そして迷う。
(変わっていると聞いてはいたが、知らない名前が多すぎる)
サラダやパスタならば彼も分かるが、ニクジャガやオデンとはいったい何なのだろうか。
「ニクジャガというのは? 肉とジャガイモを使った料理なのか?」
「ええ、そうですよ」
彼は名前からそのまま連想したのだが、どうやら間違ってはいないらしい。
変わっているものが好きとは言っても、想像すらできないような料理を頼むような勇気もない彼は、無難そうな選択をする。
「じゃあニクジャガってのをひとつ」
「かしこまりました」
三ロルグ(約三百円)だから、もしハズレだったとしてもさほど痛くはないという計算もあった。
シプラが下がった後、レヴォンは店内をそっと見る。
あまり広くはないが、二等住居区の店としては普通だろう。
内装は見たことないタイプであるが、変わっている店だという事前情報があったせいで気にならない。
客層はと言うと年代も種族もわりとバラバラのようである。
(聞こえてくる会話から察するに、常連が多いけど俺のような一見客もいるのか)
純粋に料理を楽しんでいる客もいるし、シプラを見て鼻の下を伸ばしている男性客もいるようだ。
飲食店なのに店員目当てでくるというのはいささか無礼だとレヴォンは思う。
(でも、実際のあの子を見ると、気持ちは理解できるなぁ)
あの美貌と笑顔であればと感じるのは、彼もまた男だからだ。
一方、職人のはしくれであるから、自分の仕事以外の理由で客が来るというのは屈辱的だということも分かる。
できるだけ態度には出さないように注意して、ニクジャガの到着を待った。
「お待たせいたしました、肉じゃがです」
シプラは青い色の大きめの椀を、レヴォンの前に置く。
「おお」
大ぶりの肉、ニンジン、ジャガイモのほか玉ネギも入っているらしい。
(どうしてニクジャガネギジンではなく、ニクジャガなのだ?)
レヴォンは疑問を抱きながら、フォークでジャガイモをさして口に入れる。
「うん……美味い。少し味付けが薄い気がするが」
どういう味付けがされているのか、さっぱり分からない。
ただ、もう少し辛めの方が彼の好みである。
「おや、店主は味が濃いとお客さんの健康によくないからとおっしゃっているのですが、お口に合いませんでしたか?」
シプラが残念そうに言うと、彼はあわてて首を横にふった。
「いや、そうじゃない。料理の味はうすめの方が健康にいいとは、親父が医者に言われていたから知っている。健康のことを思えばちょうどいいのだろう」
レヴォンはまずいものを美味いと言う男ではないが、美味いものを美味くないとも言わない。
あくまでも個人的な好みの問題の話であり、味のよしあしの話ではないと誤解をといておきたかった。
「さて、肉にいくか」
ごまかすようにフォークを大きな肉に伸ばす。
「これは何の肉だい?」
「ナールング豚ですよ。仕入れ先との兼ね合いで、これ以上はお安くできないのですが」
レヴォンの質問にシプラは即答し、彼は納得する。
光都から近くの畜産が盛んな地域と言えばデュオセース地方だ。
それなりに輸送費用がかかるのは想像に難くない。
ひと口放り込み、ゆっくりと咀嚼するとうまみが広がっていく。
「うん、美味い」
自然と声が漏れると、シプラは満足そうに微笑む。
「……これ、相当安くないかな」
彼が言うと彼女は笑って答える。
「お客様のためですから」
「普通は逆で、まず自分たちの利益を確保するもんじゃないのかな?」
レヴォンにとっては驚きの考え方だったらしい。
「いや、客のためを考えていると評判になれば、結局利益になるのか……?」
この言葉に対してシプラは何も言わなかった。